Headache 3 ふわふわ、不安定な気持ち。 これってどうしたら収まるんだろう。 「カワイソ〜〜〜」 じろりと自分を睨んだアルバイトの彼が閉店後、椅子をテーブルに上げて思いっきり眉を寄せた。 そんなに不機嫌そうにしたって駄目。そんなあんたの反応が楽しいんだもの。 「何なんだよ、さっきから」 水滴を拭い取ったグラスを置いて、今日の仕事は終了。日曜日って案外混むから疲れるわ。 表からも閉店後とわかるように少しだけ照明を落としてコーヒーをカウンターに置いたら、じっと湯気の立つマグカップを見ていたけれどすぐに椅子に腰を下ろした。 私の分も置いて、カウンターから出る。 立って飲んだら落ち着かないもの。 彼の隣に座ってもう一度「ひどい男ね」と言ったら、ゾロがチッと舌を鳴らした。 「しつこいぞ、てめェ」 「てめェとか言わないの。時給減らすわよ」 「アレ以上どうやったら減らせるんだよ」 「あら。法律には触れてないはずよ」 「そういう意味じゃ・・・もういい」 コーヒーを一口啜ってゾロが少し眉を上げた。 やっぱり気付いたわね。あんたの嫌いな苦味が出てるでしょう? 悪い子にはお仕置きしなくちゃ。 ふふっと笑みを零してしまったら、ゾロが私に振り返った。 「言いたいことがあるなら言やァいいだろ。」 「だから可哀想って言ってるじゃない。」 「───いいんだよ。あれで。」 「だからって一日中何も喋らないなんてね。学校で何か言われちゃうわよ」 昼も近くなって、席を立とうとも、それどころか口を開こうともしないゾロの姿にまさかとは思ったけれど、この子ときたら頑としてそっぽ向いたままで、3時も近くなった頃に相手の女の子は話しかけることにも疲れたのだろう、酷く気落ちした様子で店を出て行った。 それをヒドイって言わなかったら何をヒドイって言えばいいのかわからないでしょう? 今日の飲食代を稼ぐと言ってルフィを強引に帰らせたゾロをそのコトで突いてみたら閉店後にもなってようやく痺れを切らした。 かと言って、私も黙る気になれないのよ。 あの子、可哀想。 可哀想って思うのに、この子がやっぱり私が思ってた通りで友人の紹介で女の子とどうにかしようと思ってないってわかって、それがどうにも嬉しいからつい口を動かしてしまう。 「そんなんじゃずっと彼女できないから」 香ばしい匂いが鼻をくすぐって、それを口に含むとほど良い苦味が舌の上に広がった。 苦いのに、美味しくて、だからこういう味は好き。 知れば知るほど深みが出るもの。 唇を結んだまま何も言わないゾロに振り返って、「あんただって欲しくないわけじゃないんでしょう?」と冗談めかせば、彼がちらりと私を見た。 「すぐできるさ」 「バカね。そう簡単に出来るなら誰も苦労しないわよ。あんたのその自信、一体どこから来てるわけ?」 ゾロは、何かを言おうと口を開きかけて躊躇うようにすぐに閉じた。 何よ、と訊き直そうとしたらカップを置いたその手で私の腕を掴む。 苦味の利いたコーヒーはあまり彼の喉を通らずに、なみなみと注がれたままのこげ茶色の液体がとぷりと揺れていた。 熱いコーヒーが入っていたカップを持っていた手は、やっぱり熱くて、掴まれた箇所に彼の熱がじんと沁み込んでいった。 「・・・・なに・・・」 キス。 ───苦い。 何も言わずに出て行った彼の背を、ドアの向こうにじっと見て唇に触れた指は震えてた。 「・・・・負けず嫌いなんだから」 ふわふわ浮いてた心がその場に留まって、私を見ている。 私がどんな顔するか見ている。 手の甲で拭いかけた唇を、でも拭ききることはできなくて、手に当てられたその熱に泣きたくなった。 だって、私、どんな顔していいかわからない。 「ゾロ、今日俺とゾロどっちだ?」 お前、と言おうとしたが嘘をつける性分じゃねェ。 ルフィの奴自分がバイトの日ぐらい覚えてりゃいいもんを、毎日俺に訊いてきやがる。 「・・・俺だ」 「へェ。ナミによろしくな」 言った友人の顔には一点の曇りもない笑みが溢れていた。 ふと昨日目にした光景が頭を過ぎって、振り払おうと内心頭を振ってたらルフィが俺を下から不思議そうな顔で覗き込んでやがる。 今はお前の顔を見たくねェんだよ。 「何だ。昨日のこと気にしてんのか。」 瞬間、胸がどきりとしたがこいつが俺とあの女に何があったかと知るわけもない。 働かない思考で懸命に問いかけの意味を考えて暫し、ようやくルフィのクラスメートとか言うあっちの女のことだと気付いた。 「もう勝手に約束とかしてくんなよ」 「おぉ、悪かったな!まさかあそこに連れてくると思わなかったからさ」 「──何であそこに連れていくってわかってたら約束しねェんだよ。」 「お前が嫌がると思った」 何言ってんだ、こいつ。 嫌がるのは自分だろ。 俺がいねェ時にいつも何してんだ。てめェは。 あの女にしたって何もなかったみてェな顔しやがって。 「お望みなら辞めてやってもいいぜ」 「バイトをか?何でだ?」 「てめェ一人でいいだろ。」 「ダメだ。俺毎日バイトしたら遊べなくなっちまう」 「・・・てめェは思わねェのかよ」 「何を?」 呑気に首を傾げてやがる。 何だって俺だけがこんな忌々しい感情持ってんだ。 いい加減そのアホ面見てると腹が立ってしょうがねェ。 「俺があの女に手ェ出したらてめェにしても嫌だろうが。」 「手?出しゃいいじゃねェか。ゾロ、ナミのこと気に入ってたもんな」 「──だから。てめェは何も考えねェのか」 あっ、と突然叫んでルフィは片手の拳を開いたもう片方にぽんっと置いた。 白い歯を見せて笑ってやがる。 「なんだ、ゾロ。お前らしくねェな!」 「何の話だ」 「俺はナミのこと好きだぞ。」 「・・・・・・・」 そりゃそうだろ。 わかってたさ。 ───わかっちゃいたが、正直こいつのこんなところを今、目にするのは少々きつい。 「けどゾロが思ってるのと違う。」 「・・・てめェらしくねェのはどっちだよ。じゃ、昨日のアレは何だ」 「これか?」 いきなりルフィの細っこい体が抱きついてきやがった。 男に抱きつかれても嬉しくも何ともねェが。 せめて俺の教室で何の前触れもなしにそれをするのはやめてくれ。 肩を押したら案外簡単にすっと離れていった。 「ゾロ、妬いてたのか?」 「誰が・・・───」 「言ってくれりゃいっくらでもやってやったのになぁ。俺、ゾロのことも好きだからなっ!」 笑った友人は、確実に勘違いしている。 ふと、手の内に触れたナミの体温が蘇っていつしかそれを握り締めている自分がいた。 「ゾロ、帰るのか?」 「帰る。」 鞄を持って席を立つと、ルフィが俺の席に腰を下ろして「つまんねェの」と言った呟きが耳に残った。 午後の授業なんぞどうでもいい。 とりあえずあの女の顔を見てェんだ。 三つ目のカップが割れて、今日はもう店になんか出れないのだと自分でもはっきりと悟って、昼食をどこかで食べてそのままデザートとお茶でも、と来店する客で店が混み合う前に閉店のプレートをドアに掛けた。 最後にいた人は常連のおじさん。 静かにコーヒーを飲んだ後で、今日はゆっくり休みなさいと幼子に諭すように言って店を出て行った。 ドアに付けられたベルがカランと乾いた音を鳴らして、閉められたドアはガラスがちりちり響いていた。 カウンターに頬杖ついて外を見ていれば、いつしか夏服になった人たちが忙しく動いている。 何をする気も起きない。 溜息ばかりは勝手に出るのだけど。 「・・・バカみたい」 年下のあの子に悩まされて。 仕事が手に付かないなんて、店長失格ね。 ・・・だって昨日の夜からまだ、体が火照っている気がするんだもん。 唇と、彼の手に掴まれた腕から熱がじわじわ体中に広がって、どうしたってそれが冷めない。 思い出しては一人顔を赤くして、唇を噛み締めてしまう。 触れるだけのキスなんて今更───どう思うこともないはずなのに。 でも、何でかしら。 決して嫌じゃなかった。 振り払おうと思えば振り払えたあいつの手から逃れようとしなかった。 余韻は今も胸に在って思い出すたびに苦しくなるのに、それがいやに心地良い。 何で? ドアのベルがまたカランと鳴った。 閉店していると告げようとしてあげた視線に映った彼は、白い夏服に陽射しを受けていた。 (───嫌だ・・・) 胸が、何故だか痛い。 頭をぎゅっと握られたような、痛みすら感じて声を掛けることも忘れてゆっくりと近付いてくる彼をぼんやりと見ていた。 「──何で休みにしてんだ」 「気分が悪いの」 ウソじゃないわ。 気分が悪いのよ。 だってほら、頭痛。 「バイト代は出るんだろうな」 「何で休みなのにバイト代なんか出さなきゃいけないのよ」 「俺は聞いてねェぞ。勝手に休みにしたのはそっちじゃねェか」 溜息をついて頬杖から顔を上げたらゾロが私の向かいに座った。 荒々しく置いた鞄は学校指定のナイロンバッグ。 目を逸らしてグラスを一つ棚から出す。 冷やしておいたアイスティーは店じまいしてしまったらもう捨てるしかないのだから、それをグラスに注いでゾロの前に出したらゾロはシロップも何も入れていないそれをぐいと飲み干した。 置かれたグラスの中で溶け始めたばかりの氷が、でももう紅茶が入っていないからカタと小さく鳴って後はじっと動きを止めていた。 磨かれた透明のグラスの表面に水滴が少しずつ出来ていく。 ゾロはそれを持ったままで、何も言わない。 今日は月曜日。学校が夕方まであるはずなのに。 でも、私の口もどうしたって動かないんだわ。 静かな空気に圧されてしまったかのように、頭は考えることを止めてしまっていて、キッチンに手を置いてただ、ゾロの手元にあるグラスを見ていた。 通りからは車のクラクション。 締め切ったドアを通して随分遠くに聞こえてくる。 夏の日を照り返したアスファルトの上をOLだろうか若い女性二人、楽しげに笑いあって店の前を通り過ぎていった。 どれぐらいそうしていたんだろう? 長いか、短いかさえもわからないその沈黙を先に破ったのはゾロだった。 「気分が悪ィって?」 「・・・・ま、そんな感じね」 曖昧な返事に眉を曇らせてゾロは「何だそりゃ」と拗ねた口ぶりで呟いた。 「気分が悪いとは違うけど、それに似た感じなの」 「わかんねェ」 「・・・機嫌が悪いって方がぴったりかもしれないわ」 「へェ。そりゃ奇遇だな。」 手にしていたグラスの中では氷が溶けて紅茶の上には透明の水。 ゾロがくいっと飲んだらグラデーションは一瞬に溶け合ってただの薄茶色の液体になってしまった。 「俺もだ」 生意気。 何であんたが機嫌悪いのよ。 「熱があるかもしれないわ」 「俺もだ」 まだグラスを握ったままの彼の、その右手をじっと見ていた。 昨日私の腕を掴んだ手。 表面に浮いた水滴に濡れて、随分と冷たそう。 気付けば、その指に触れていた。 ぴくりと揺れて氷はグラスの中でカランと鳴った。 「──何してんだ」 「熱があるって言ったでしょう」 あんたの所為で昨日から熱があるのよ。 あんたの手が与えた熱がどうしたって去っていかないのよ。 だから、あんたしかこの熱を癒せないの。 「冷たくなってるじゃない。ずっとこんなの持ってるから」 手を取ったら、ゾロは抵抗もしない。 私に持たれたその節くれだった指に少しだけ力の加減をして私の動きに合わせるようにゆっくりと、カウンターの上で私に向かって差し出していた。 水滴がついた指先は氷みたいにひんやりしている。 彼を見た。 カウンターは客が座る側が一段高くなっている。 座ってるゾロでも私を見下ろしていて、そんな彼を上目遣いに見れば、ゾロは怪訝そうな顔を隠そうともしない。 「何よ、その顔。何か不満?」 「何でこういう事してんだ」 「・・・バカ」 思いっきり眉を寄せて、深い皺を眉間に刻むとゾロは声を僅かに荒げた。 「バカはてめェだろ。」 「そう?あんたに言われるとは思わなかったわ」 ゆっくりと、ゾロの指先に自分の指を絡めていく。 ───あ。 ひんやりした指の内に、熱。 「これじゃ冷ませない」 これ以上の言葉は言えないわ。 だって、そうでしょう? 私だっておかしいと思うわよ。こんなに年下のあんたに、今、私すごくどきどきしてる。体の中に在った熱がじわじわ高くなっていく。口にしてしまったら、私はまるでただの女じゃない。 これ以上の言葉なんて言えやしない。 絡んだ指がぐっと握られた。 引き寄せられたら、シンクに阻まれた姿勢に足が浮きそうになる。 ゾロが、カウンターに身を乗り出して私の肩を抱いていたと気付いたのは一瞬浮いた左足を下ろすと同時。 コーヒー色のカウンターの上で、唇が重なった。 彼の傾けられた顔が視界に入っていて、でも、いつしか瞳を閉じていた。 唇を啄ばんでは離れる。 もう一度重ねてまた離れる。 開いた唇から、彼の舌が割り入って吐息が漏れた。 そのままゾロが掴んでいた腕を動かそうとしたら、ゾロの手も離れて私の髪にひやりと冷たい指先が滑り込んでいく。 彼の首に抱きついてただ、キスを───激しくて、優しくて、とても気持ち良いキスを。 途端に彼がパッと顔を離した。 「・・・何よ。ムードもへったくれもない奴ね」 「遠い」 言うなり、カウンターを乗り越えようとするから、慌てて彼の肩を止めるとしかめっ面を見せる。 だって、客席なのよ。 土足でテーブルを乗り越えようとするなんてダメに決まってるじゃない。 ───本当に子供なんだから。 「逃げないわよ。ちゃんとあっちから回ってきなさい」 「あんたがこっち来いよ」 「あんたが私を動かそうとするなんて10年早いわ」 しかめっ面をもっと顰めてゾロってばご機嫌斜め。 何なんだよ、てめェなんて生意気な言葉を吐いてくれちゃって。 しょうがないわ。だってあんたの制服見てるとどうしたって大人の自分を思い出しちゃうの。 「せめてその制服脱いでからね」 今脱げって話じゃないわよ、ゾロ。 あァ、何だか可笑しい。 楽しくて、楽しくて笑えてきちゃう。 口に笑い声を乗せたら、ゾロが不思議そうに私を見てた。 「あんたのそういうトコ、好きよ」 「・・・・・・わかんねェ女」 「座んなさいよ。コーヒー淹れたげる。もう苦くしないから」 「昨日のでいい」 「大人ぶっちゃって」 「大人なんだよ」 くすくす笑ったらゾロは少し眉を顰めた後に、けれども口の端をニッと上げた。 頭痛は消えて、胸がいやにくすぐったい。 少年じみたその笑顔にうんと苦いコーヒーを淹れてあげよう。 |
●アトガキ● 以前書いたものを手直しして今回アップしたわけですが。 やっぱダメだ〜という感じです。 お読みいただきありがとうございましたm(u u)m ご意見ご感想はBBS・メール・お茶室などをご利用くださいまし^^ |
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