麦わらクラブ番外編:依頼のない一日 5 「悪かったわね、サンジくん」 マンションのエントランスホールを抜けて暗証番号を入れればセキュリティは外されて自動扉が開いていった。 エレベーターのボタンを押して振り返ると頬が赤くなったサンジが目に映って、ナミは苦笑するしかなかった。 自分が産まれたばかりの姪っ子を見ている間にノジコをいつもの調子で口説いていたサンジは、いきなり部屋に入ってきたゲンゾウに殴られたのだ。 サンジにとっては口説いてる、という感覚すらもなかったかもしれない。 また『ナミと一緒に来た男』というのが悪かった。 ゲンゾウはサンジがナミの恋人だろうと早合点して、その上その彼氏が自分の妻の手を取って自分では到底口に出来ないような気障な口説き文句を甘ったるい声でつらつらと並べていたものだからつい激昂してしまって、口より手が先に動いてしまったのだと、後からとんでもない剣幕で怒るナミの前で肩を落として弁解した。 それでも、自分の妻の手を取っていた、ということはどうも認められず最後までサンジに鋭い目を向けていたのは止むを得ない。 ノジコはからからと笑い飛ばして「そろそろ寝るから」と言うなり横になって、すやすや寝始めてしまったものだから、ゲンゾウにしてみれば尚更やるせなく、何度も何度も「コイツじゃないんだな」とサンジにとっては失礼極まりない言葉すらも口にしてはナミを問いただした。 「愛に試練はつきものですからvv」 笑ったサンジのそういうところがゲンゾウには受け容れられなかったのだろうけど。 けど、サンジくんは口でそんな事を言っても本当はすごく優しくて、そしてロビンに惚れてるんだってわかってるからこんな話も軽く流せる。 そう思って、ふと疑問が頭に沸いた。 「そういえば、サンジくん。ロビン先生とはどうなの?」 「ロビンちゃん?」 「しらばっくれてもダメよ。いつもそうやってはぐらかすんだから。ロビン先生だってサンジくんの事好きなんだと思うわ。」 「ま、ね。」 「もう。そればっかり。本気で心配してんのよ?」 「ナミさんに想われるなんてクソ幸せですけどね」 はは、と笑ったサンジの顔はいつもと違ってどこか頼りない。 頼りないというより、自信の一片も見えなくてそれ以上彼にこのことを聞いちゃいけないんだと思ってしまう。 「・・・ロビン先生、待ってるんだと思うわ」 「そうだといいですけどね」 「サンジくんって、ロビン先生のことになると臆病なのね。もっと強引に迫るかと思ってた」 「俺はいつでもレディの意思を尊重しますよv」 「・・・そうとも思えないけど・・・」 だって、一年前に──でも、こんなこと言えないわね。私の口から言うべきじゃない。 「貴女にしたみたいに?」 エレベーターに入って、9階のボタンを押すと扉はすぐに閉まった。 マンションのエレベーターなんてそんなに広く作られているわけもない。 狭い空間の中で、ぽつりとサンジが漏らした言葉にどきりとして慌てて振り返ったら、サンジはじっと自分を見ていた。 「べ・・・別にそのことを言ってるわけじゃ・・・」 「・・・・・俺は、あの時・・・・」 (なーに言おうとしてんだ・・・) 咄嗟に口を噤んだのは、ナミがあまりに困惑しきった瞳で自分を見上げていたからだ。 エレベーターが静かに機械音を鳴らして上がっていく。 「冗談ですよv困った顔も素敵だ」 「サンジくんってば・・・」 あからさまに胸を撫で下ろされて、不意に悪戯をしてみたくなった。 彼女の髪を取ってそこに口付けを落とすと、ナミが自分の名を呟いた。 あァ、もし一年前に戻れたら自分も彼女の心を手に入れることが出来ただろうかと思っては、だが、今惹かれるあの年上の女性が頭に過ぎって、もし彼女に出会えなかったらどうなったろうかと考える。 大抵ロビンの前では自分は子供扱いされて、今まで培った経験も皆無に等しく、どう足掻いても自分は彼女の前ではガキでしかない。 彼女の言動に大人ぶって余裕の態度を見せたところで、ロビンはそれすらも見越している気がする。 けれども時折深く沈んだ瞳を見せる彼女の傍に居てやらなきゃならないとふと思う。 真っ赤に染め上げられたナミの顔は以前と変わらず愛しい女だと自覚させられる。 彼女の前でなら自分が自分らしく在ることができる。 「多分、俺とロビンちゃんは、貴女とあのマリモと同じなんだ」 認めたくはねェが。 ナミさん、俺達似た者同志だったんじゃないかな。 言葉で飾ることを知り過ぎちまった。 言葉で飾る必要のない相手を知っちまった。 だからナミさん、貴女が殊更大切に思えてならない。 あんなクソ野郎のために泣いて、悩んで、それでも笑顔を見せる貴女がね。 正直なところ、羨ましいんだ。 「だとしたら、どうしてロビン先生に言わないの?」 「言ってるつもりなんですけどね」 エレベーターは9階のボタンをチカチカ点滅させた後に扉を開けた。 生ぬるい夜風がふっと空気を和らげた気がした時、ナミは口元に微かな笑みを湛えていた。 「サンジくん、私たちが同じだとしたら、案外ゾロのことも気に入ってんのね」 「──そういう話じゃなく・・・」 「私はこれでも勇気出したのよ。サンジくんも頑張って」 「勇気?あぁ、アイツと付き合う時ですか?あの、文化祭の辺りで・・・嗚呼ナミさん。俺に相談してくれりゃこの俺があなたのお心を軽くして差し上げられたのに。あの朴念仁が相手じゃさぞかし・・・」 「違うわよ」 廊下を響くナミのヒールの音がぴたりと止んで、振り返った少女は満面の笑顔。 「いつだって勇気がいるの。惚れさせなきゃ負けじゃない。」 ───はは。 やっぱり、あのマリモ頭にゃクソ勿体ねェいい女だ。 玄関のドアが開いた音がした。 午後からはバタバタと騒がしく動き回る仲間達を見て和室でぼんやりしてるのもどうも居心地が悪く、寝室に入ってベッドの上で寝たフリを決め込んだ。 何せ夏の日の午後と来れば、暑くてたまらない。 クーラーを付けたいところだが、土日はただでさえ皆が来てクーラーをつけるのだし、電気代がかかるからと言ってナミは日中この部屋のクーラーをつけたら怒るわよ、なんて言う。 つまり涼みたければ居間に出て行けばいいと言うのだ。 別につけたところでわかりはしないだろうが、だが、少し前にナミが依頼を片付けるために留守にした時にちょっとぐらいならとクーラーを付けて昼寝したら、帰ってきたナミは部屋に入るなり、空気が冷たいことに気付いて、彼女が帰る前に消した筈のクーラーがつけられていたことを瞬時に悟って、その晩は寝室から追い出された。 しかも、少しでもつけたら今度は家から追い出すなんて言うものだから熱帯夜の寝苦しさを存分に味わうことができた。 だから、夜の快眠を考えれば昼は修行だとでも思うことにしたのだ。 それでもさすがに暑さに汗は体中を伝っているし、寝るどころじゃない。 結局ベッドの上でごろごろと何度か寝返りを打って、時を過ごした。 その内窓の向こうに見えていた空が暗くなって、キッチンから甘い香りが漂ってきた頃に玄関のドアが開かれる音が微かに聞こえた。 やっと帰ってきたのだろう。 どうこう言うつもりはねェが、あのいけ好かない料理人と何を話してたんだか。 どうせ俺が言わない言葉を聞かされて喜んでんのかと思うと妙に腹立たしい。 ここで迎えに出ても良いのだが、ルフィやウソップやチョッパーがバタバタ玄関へと飛んでいく音が聞こえる。 今からのそのそ部屋から出てって、オメデトウを連呼する仲間達の後ろに控えるのも癪だ。 何せ俺はナミの言葉通り「特別な事はしない」と決めた。 こうなりゃ意思表示だ。 絶対ェここから出てやらねェ。 そう思っていたら、ドアが小さくノックされた。 「剣士さん、ナミさんが帰ってきたわよ」 「・・・・・・・・俺ァ寝てるんだ」 「そう?今からプレゼントを渡そうと思っているのだけど」 結局今日一日、俺が寝ていても誰も何も言わなかった。 ってことは、この女の企みは今から俺が出て行ったら実行されるに違いない。 そうはいくか。 「勝手に渡しゃいいだろ」 ドアの向こうからは沈黙のあとに「わかったわ」と抑揚のない返事が聞こえた。 足音を立てない女の気配が消えた。 玄関から一番遠く離れたこの部屋には、そこで騒ぐ奴らの声も遠くに聞こえる。 暫し、何事かを喚くように叫びあっていた彼らの声は、おそらく今日のパーティーのことをナミに伝えているのだろう。 ふっと喧騒が引いた。 (・・・・・・何だ?) 耳を欹てる。 随分と長い。 暫くして、パタパタと掛けてくる足音。 耳慣れた足音は、あの女。 ノックもせずにドアを開けてオレンジ色の頭がひょこっと覗いた。 「ゾロ」 「・・・ゾロ、寝てるの?」 タヌキ寝入りを決め込もうかとも思ったが、それがバレたらまた殴られる。 軽く手招きをした。 部屋に入って、ドアを閉めたナミが小走りにベッドに駆け寄ってくる。 片目を開ければ─── 「何だ、そりゃ」 ニッと口の端を上げた女の手には携帯電話。 まるで去年の誕生日みてェな・・・いや、待て。 ナミのこの顔はヤバイ。 何かは知らんが、とにかくヤバイ。 今から俺を大声で笑ってやろうという顔だ。 「何笑ってやがる」 「まぁまぁ、いいから聞いてなさい」 暫くして、着信音が鳴った。 着信音・・・・─── 『ナミ』 『ナミ』 『ナミ』 「・・・・・・・・・って、そりゃ俺の声じゃねェか!」 慌てて体を起こして、ナミの手に握られた携帯電話を奪おうとしたらすかさずナミは手を引いた。 やられた。 アイツら、道理で俺が寝てても何も言わなかったわけだ。 俺の声をどっかで録音してやがったのか。 ウソップが部屋にこもってたのはそれをナミの携帯電話に転送するための準備か。 じゃあ、俺ァまんまとあの女の罠にはまってたってわけか。 クソ───何が何でも口を開くべきじゃなかった。 アイツら、堂々と何か企んでやがったじゃねェか。 だが、いくら油断してたとは言え、いくら何でもそりゃねェだろ。 「すごいのよ、コレ。色んなバージョンがあるの。ウソップが作ってくれたらしいわ。アイツ無駄なことに関しちゃ天才的よね。ほら、メールはあんたの『アホ』が着信音なの」 携帯電話からは『アホ』『アホ』『アホ』・・・─── 「阿呆!今すぐ止めろ。すぐ止めろ。さっさと消せ!」 「あらどうして?いつでもあんたの声が聞けて嬉しいのにv」 「・・・思ってねェだろ」 「やだ、ゾロ。顔が真っ赤になってるわよ。」 アハハッと笑ったナミの手から、それを奪ってみたのだが普段から自分の携帯電話ですらもそう機能を弄ることはない。その上、ナミの物なのだから尚更、操作がちんぷんかんぷんで、アホアホと鳴り続けるそれをしまいには放り投げようとすると、さすがにナミが「ごめんごめん」と目尻に涙を溜めて謝った。 「あんたが気に入らないなら変えてもいいわよ。」 案外あっさり引く。 「・・・・・・なんか企んでるだろ」 「条件があるの」 嫌な予感だ。嫌な予感が胸で警鐘を鳴らしている。 だが、この馬鹿馬鹿しい着信音はどうにかしたい。 葛藤と言う他ない。 「その条件ってのァ何だ」 「ゾロ、プレゼントないんですって?」 「そりゃてめェが何もしなくていいって言ったから」 「そんな過去の話持ち出さないでよ」 「か・・・」 過去・・・と言うにはあまりに近いだろう。 昨日のことじゃねェか。 「だから、ゾロが私の望むプレゼントくれるならこの着信音は使わないわ。」 「───わかった。」 言うなり、ナミの腕を引き寄せて唇を吸おうとしたら、ナミの手にぱしんと口を塞がれた。 「んもう!それしか思いつかないの?あんたの頭は」 「違うのかよ」 「違うわ。私の望むものってのはね」 「・・・・・皆の前で私のこと好きって言って欲しいのよね。たまには」 できると思うか。 俺に。 「あ・・・」 言いかけたら、ナミは手にしたケータイのボタンを押して『アホ』と鳴らした。 葛藤ならまだいい。 地獄だ。 |
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