RainDrop


5




「全く時間の無駄って言葉を今日ほど実感したことはなかったな」

「そうか?」

「『そうか?』じゃねェよっ!『そうか?』じゃ!!ゾロ、お前すかした顔しやがって!教科書のノートも辞書も全部学校でいつもどうやって・・・いや、皆まで言うな。この世に俺様がわからねェことなんざ何一つねェからな。どうせお前は何も勉強してねェんだろ。だから今までのあの成績だ。どうだ!俺様の完璧な推理は!」

「だからそう言ってるじゃねェか。今さらどうなるもんでもねェし・・・」

「・・・お前なァ、ゾロ。今頃そんなこと言ってて大学どうするつもりなんだよ」

「どうにでもなるだろ」


ならねェならねェと真顔でウソップが片手をひらひら振った。
そりゃ自分だって多少はそんなことを考えなくもねェが。
なるようになるだろうと一度思っちまったらそのために何かするという気力などがあるわけもない。

手にしていた黒い傘をウソップが開くと、水滴がぱちりと弾いた。

昨日───ナミの髪にかかっていた雫の一つが頭に蘇った。

あの妙な気分がまた胸に沸く。

(妙な気分だと?)

何をそんな言葉で誤魔化してんだ、俺は。

もうとっくに知ってる感情じゃねェか。

ナミから目を逸らしちまうのも、あいつの言葉に踊らされんのも、そんな言葉で誤魔化して見ようともしてなかったのか。

今こうしてあの女の顔が、一瞬の仕草が鮮明に思い描けるのもそれが理由だとしたら納得できるんじゃねェか?

「おい、ウソップ」

「晩飯なら今日は母ちゃんが早く帰れって言ってたから無理だぞ」

「お前、何とかってェ幼馴染がいるとか言ってただろ」

「な、何だよ。いきなり?そりゃルフィとは長い付き合いだが、別にコレと言ってお前に話すようなことは何も・・・最近はたまの休みにゲームするぐれェで・・・」

「へェ・・・今でも遊んでんのか」

「そりゃ家は近いし楽だからな。いい加減幼稚園から一緒に居りゃそんなもんだろ。ゾロ、お前どうかしたのか?」

「何が」

「お前が俺のことに興味持つなんて珍しいじゃねェか。」


そう言ってウソップはあ、と小さく呟くと相好を大きく崩した。


「ははァ・・・やっぱりナミと何かあったのか。」

「何もねェのにあいつが怒ってんだ」

ハハッとさも愉快げに笑ったウソップが鼻の下を擦って「よく聞けよ」と言った。
こいつのことだからまた法螺話でも始まるかとも思ったが、やけに真摯な面持ちになってウソップはその声を静めた。

「俺の幼馴染は男だからなァ。お前らとは違うが。けど、アレじゃねェか。分かり合ってるからよ、何も言わねェだろ?」

じっとウソップの話を聞き入ってる内に雨はまた強く振り出した。
玄関先に突っ立ったままで、足元で爆ぜる水が足に当たった。

「俺もこの前それでルフィの奴と喧嘩して気付いたんだけどよ。いやなに、アイツの家に行ったら奴がまだ帰ってなくてな。それで部屋にある菓子食いながら待ってたら帰ってきた奴が怒り来るってよ。どうも菓子を食うのを楽しみにしてたらしい。まァ確かにアイツの行動の原理を考えりゃわかってたことだが、幼馴染ってェ言葉に甘え過ぎちゃいけねェと俺サマは気づいたわけだ。」

───微妙に話がずれてるんじゃねェか。

「お前とナミも同じようなもんだろ?」

───イヤ。正直その話で頷けってのも無理な話だ。

「何もねェのに怒ってるんじゃねェと思うぞ、俺は。何もねェから怒ってるんだろ」






いきなり核心つきやがった。

確かにその通りだ。
改めて他人の口から聞かされるとそうだと言う他はない。

「それでどうしたんだよ」

「殴り合って終わりだ。次に会った時はいつも通りってぇのも長い付き合いのおかげかもしれねェな」

さすがに殴ったらまずいだろ。あの女を。

そうじゃねェ。
せめてあいつが殴ってくれりゃわかりやすい。
それをあんな卑怯な手でこっちを探るからややこしくなっちまう。

「とにかくお前は謝っとけ。お前が謝りゃ万事解決だ!」

「結局それかよ」

「そりゃ相手がナミだからな。まァ、ちょうどいいんじゃねェか?今日はあいつも機嫌いいだろ。それに乗じて謝りゃ案外あっさり許してくれるだろうぜ」

「何でてめェにそんなことわかるんだよ」

「わかるも何も、昨日聞いたばっかだからな。今日はあいつの誕生日だろ?今日は夜から誕生日のパーティーを開いてもらうとか言ってたぜ。何だ何だ、ゾロ。その顔は知らなかったってェ顔だな。おいおい、そりゃナミも怒って当然だぜ。」

「ガキじゃあるめェしそんなことで怒るわけねェだろ。違うことで腹立ててんだ、あの女は」

「ほれ、そこだそこ。決めつけてるじゃねェか。いいか、ゾロ。とりあえずプレゼントでも用意してナミが帰ったら真っ先に謝っとけ。あいつは物欲旺盛な女だからな。プレゼントさえ見りゃご機嫌になること間違いなしだ」


プレゼントだと?

ガキの頃にやったようなその辺の花とかか?

そういやあいつもその頃はそれだけで喜んでたもんだがな。
今それをやったらあいつの逆鱗に触れるだけだろう。

却下だ。

下した判断に自分自身に大きく頷くと、ウソップが勘違いしてほっと安堵の溜息をついた。
大きく手を振って雨の中帰っていく友人の背を暫し見ながら懸命に頭の中で今日の日付を確認していた。
いつもはカレンダーもそう見ることはない。
家に入って居間のカレンダーを見てみたら、確かに今日土曜日は7月3日。

(この年で誕生日パーティーなんて恥ずかしくないもんか?)

だが、あいつは多少俺より交流の幅が広いからそういうものがあっても不思議じゃない。
どうせいつもみてェに夜遅くに帰ってくるんだろ。
親がいない晩なんかは堂々と男を連れ込んでやがる。
同じ男は一度たりとも見たことがない。

夏ぐらい窓を閉めればいいものを、抑えきれてねェ声が微かに届いてくる。

さすがにあいつの誕生日ってんなら今日は、あいつの親もいるだろうが。






───いや、居ない。

確か昨日出張に出たばかりだとか言ってやがった。
じゃあ、あの女・・・・・


珍しくここに来るかと思ったらそういうワケか。
茶ぐらい出してやりゃ良かったなんて考えるのは俺らしくもねェが、多少罪悪感があるのもしょうがねェだろ。

だから、それならそうって言やァいい。

あの阿呆。

ここに居ねェくせに俺の気を逆撫でる女はこの世でアイツぐらいだろうな。


腹が立つ。




*******************




雨はまだ降ってる。
ビビに内緒で少しの間抜け出して、いつもみたいに憂さ晴らししようと思ったのよ。

今日は家にだって帰らないつもりもあったのに───

ビビにごめんって謝ったらあの子ってば何もわからないからびっくりした顔してどうしたのどうしたのって聞いてくれた。
私だってわからないわよ。
だって、今、すごく家に帰りたい気分なの。

誰も私を待っていない家だって。

母さんは後ろ髪引かれてるような顔で悪いね、って言った。
けど、もうそんなの慣れっこなの。

気分が少しだけ落ち込んでるのはこの雨の所為なのよ。

せっかく着てきた服だって、じとじと湿って気持ち悪いったら。

とにかく帰るわ。

帰るの。



水溜りを跳ね上げて、何故か気持ちは急いて小走りに駆けていった。
見慣れたバス停でタクシーを降りてからずっとそうやって家に向かっているのだから、当然足なんてずぶ濡れだし、ミュールもぬるぬる滑って走りづらい。

それでもできる限りの速さで、家の前まで辿り着いた。

乱暴な手つきで鍵を出して、開こうとするのに手元が暗くて何も見えない。
とにかく押し込んで回すと、ようやくかちりと感触が返ってきた。

濡れた足は玄関マットで軽く拭いて二階へと上がる。

部屋に入って明かりも点けずにデジタル時計のボタンを押した。
暗闇にブラックライトが浮かんで数字を示している。

───11時。

なんて最悪。

あと1時間で誕生日も終わりだわ。

こんな気分で。
ビビがせっかく開いてくれたパーティーだって途中で抜け出して。

誰の所為?

一人しかいないじゃない。


窓を開けたら同じくして向こうの窓も開いた。
昨日とはまるで正反対。ゾロの部屋には煌々とした明かりが灯っていて、私が暗い部屋にいる。
私がそうだったみたいに、明かりはガラスに反射して彼から私の姿は見えないのだろう。

間抜けな顔でこっちを見て、それからゾロは窓から大きく身を乗り出してきょろきょろ開化を見ている。

(何してんの、アイツ・・・?)

窓におでこをくっつけて、彼が何を探しているのかと下を覗き込んだ。
雨に濡れた窓ガラスはひやりと冷たくて、昂っていた感情が少しずつ、少しずつ収まっていく。

窓の下には二つの家の屋根と、その敷地を隔つ塀があるばかり。

何を探してるんだろう、と顔を上げたらゾロは顎に手を当ててじっと私を───ううん、あいつには私は見えていないはずなのだから───私の部屋の窓を見ていた。

胸が痛いばかりに大きく鳴った。

だって、あんまりじっと見てるから。

目が合ったのかと思ったのよ。


鍵を開けようとしていた手をゆっくりと下ろした。
彼に怒鳴ってやろうとしたのに、いざ窓越しに見たゾロの顔に不意に気持ちがやわらかくなってしまって、言いたかった言葉が瞬時に消えていった。

私、何を言おうとしていたんだろう。
アイツに。

忘れて良かったような言葉を頭の中で羅列してた気がする。

あぁ、もう少しでまた昨日と同じことをするところだった。
私らしくもないわよね。

何となく彼と喋りたくなって、期待しなかった言葉に裏切られたような気すら覚えて。


(───期待?)


何も期待してないわよ。

一体何をアイツに期待するって言うの?


「バカなのは、私ね」


呟いた時、窓が乱暴にノックされた。
いつしか屋根を伝って私の部屋の窓の前に立っていたゾロが、じっと私を見てる。

あァそうね。手を下ろしたから・・・その動きが、いくら明かりが反射してるって言ったって気付くわよね。
この暗い部屋に私がいるってこと。

おでこをくっつけてる。
さっきの私みたい。

その目はしっかり私の姿を捉えてしまって、口が「開けろ」と動いた。

最後にこの姿を見たのはいつだっけなんて考えながら、鍵を開くことを躊躇っていると、ゾロは手を腰に当ててもう片方の手でロックされた鍵を示すと、もう一度はっきり「開けろ」と言った。

声が耳に届く。

雨音に混じって、ゾロの声が届く。

何であんたに言われたからって、窓を開けなきゃいけないのよ。

さぁどうしようかしらと大袈裟に首を傾げて見せたら、ゾロは不機嫌極まりないしかめっ面になって、乱暴に窓を叩いて───視界から消えた。

「・・・・えっ?な、何・・・っ!?」

昨日自分だって滑りそうになったあの濡れた屋根の感触が蘇って、頭にゾロが落ちていく姿が浮かんだ。
慌てて窓を開けて身を乗り出すと、ゾロは向かいの屋根のへりに片足をつけて、両手で何とか落ちるのを堪えていた。

「何だ・・・びっくりさせないでよ」

「てめェがさっさと開けねェからだろ」

振り返って唇を真一文字に結んでるゾロは、それでも両の手足を懸命に突っ張って、落ちないようにと懸命な姿が何だかかわいい。いつもは偉そうに私を見下ろしてるくせに。

「助けて欲しい?」

「誰が」

言って、ゾロはじりじり体を屋根に添って上げると、窓枠を掴んで立ち上がった。

「どけ」

「何か用があるならここで聞いてあげる」

「たまにゃ腹割って話してやろうって言ってるんだ。早くどけ。」

「バカね。そういう言い方して部屋に入れてあげる女がどこに居るっていうのよ」

窓を閉めようとしたら、ゾロは手で押さえてそれを許さない。
呆れて溜息をつくと、いいからどけ、とばかりに顎をくいっと動かした。

「タオル持ってくるわ。あんた真っ黒の上にずぶ濡れじゃない。いい?絶対に私が戻るまで入っちゃダメよ」


言い残して一階に降りた。
浴室の籐のチェストからバスタオルを一つ、取り出してそういえば自分にしたって雨の中帰ってきたのだから傘で庇いきれなかった雨に濡れているのだとようやく思い出してフェイスタオルも一つ、取り出して体を軽く拭いた。

暗い家の中の電気を点けるのも惜しんで、部屋へと戻るとゾロはまだ窓の外でじっと立っている。

「あんたってよっぽど雨が好きなのね。」

「てめェが待ってろって言ったんだろうが」

「あら、私だって別にそこまで鬼じゃないわよ。雨に打たれてる可哀想な子が言いつけ守らずに入ってきたって何とも思わないわ。掃除は自分でしてもらうけど」

「よく言うぜ。どうせ金も取るつもりだろ」

「わかってるじゃない」

自分の足を拭くことに使った小さなタオルを窓際に置くと、ゾロは待ちわびていたみたいにすぐに窓枠を上がってそこに足を下ろした。小さくて不満なのだろう。眉間に皺を寄せてじっと足元を見ている。
わかりやすいったら。

バスタオルを渡すとそれで手を軽く拭いてからでも、今度は何か考えこんでしまって、何よと訊いたらあっさり「脱いだ方がいいか」と言い返してきた。

「あんたこんな夜に女の子の部屋に来て、脱ぐって意味がわかってるの?」

「こっちはパンツまで濡れてんだ」

「・・・・どこまで脱ぐつもりだったのよ」

「汚したらうるせェくせに」

「好きにすれば」


ナミがそう言って、勉強机の椅子に腰掛けた。


それならとシャツを脱いだらそれだけでも随分と違う。

ジーンズに手を掛けて、女がずっとこっちを見てることに気付いて「見てェのか」と挑発したら、暗闇の部屋に嫣然とした笑みを浮かべて「見えないわ。暗くて」なんてやけに軽い声音を出す。

舌打ちしてズボンに掛けていた手を外せば、ナミは声をあげて笑い出した。

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