RainDrop
7
「何でこんなことするのよ」
「てめェが勘違いしてるからだろ」
「勘違い?」
「言った筈だぜ。四六時中そういう気になるってな」
「嘘よ・・・だって、あんた私を・・・───」
ナミの声が僅かに震えて、途切れた。
だからその目を伏せるのが気に食わねェ。
俺を見ることを拒むそれが鬱陶しい。
「違う。違うが、違わねェ。何で俺にハナッから聞かねェんだか知らねェが。たまにゃ人の言葉素直に聞くこともしてみろ」
「ゾロ」
「おう。」
「そんなので私が信じるとか本気で思ってるワケ?」
「おう。」
「本気?」
「おう。」
「女に飢えてるでしょ」
「おう。」
「あんた、アシカかオットセイ?」
「お・・・・・・何だそりゃ。」
ナミがアハハと楽しげに笑った。
不意に空気が軽くなっていく。いつもなら笑われりゃ腹立たしくなるもんだが、今は妙にそれが心地良い声に聞こえて、ナミの顎に手を添えた。
もう一度だけ唇を重ねようと顔を近付けると脇から手が伸びて、俺の顔を抑えた。
「調子に乗らないでよ。誰がいいって言ったの?」
「さっきはヤる気満々だっただろ。」
「女の扱いがなってないわね、ゾロ。せめて今日ぐらい特別な言葉は思いつかないの?」
「女?お前が?」
失礼ね、とナミが思いっきり腕を抓った。
熱く疼いて痛みを残した腕を空いた手で押さえれば、女の体温が逃げていく。
体が無意識に動いてその手を掴んでしまった。
何だこりゃ。
まるで縋ってるみてェな姿勢になっちまってるが・・・
暗闇にナミの唇は爛と光って怪しく口角を上げていく。
またその胸ん中で俺のことバカって言ってんじゃねェだろな、こいつ。
「帰ってきちゃったのよね。どうしてか」
「・・・・・・はァ?」
「あんたの所為だわ。」
「何の話を・・・───」
ナミがくすくす肩を揺らした。
その度にオレンジ色の髪がちらちら動く。
肩先にかかったその髪をじっと見ていたら、ナミがゆっくりと髪を払って、その白い項が露になった。
蒼い闇に浮かび上がったその輪郭を黙って見てたら男じゃねェだろ。
「何すんのよ」
「・・・るせェ」
「ダメよ。私まだあんたとそういうことできないの。」
「矛盾してねェか」
「あら。それが乙女心ってもんよ。あんたがもう少しそういう事をわかるようになったら、ヤッてあげてもいいわよ」
あげてもいい、だと?
さっきまで伏せていた瞳を今はもう俺に向けて、挑むようなことをいけしゃあしゃあと。
だが、これがこの女なんだ。
小せェ頃にはこの女のこういうところに随分と煮え湯を食わされたが、結局それでもガキの俺ぁこいつと一緒に遊びまわってやがったな。
結局変わらねェのか。
変わらねェんだろうな。
「それでいいさ」
「随分と素直じゃない。そんな悠長なこと言ってて私を他の奴にとられても知らないわよ」
「そりゃねェだろ」
「先のことなんてわからないじゃない。明日になって私の気持ちが変わっても知らないから」
「いや、そういう意味じゃなく」
あー・・・なんつーか、言葉ってェのは難しいもんだな。
つまりアレだ。お前と俺は今までと変わらねェだろ。
一時の感情で離れる事ぐらいあるかもしれねェが。いや、離れてたんだが。
今はこうやってお前の前に俺は座ってるだろうが。
つまりだな。
つまり。
「お前は俺の隣にいりゃいい」
そういう事だ。
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しんと静まり返った部屋の中で、ナミはただゾロの唇をじっと見ていた。
あまりにずっと見ているものだから、閉じた唇を更に強く締めて、彼女の言葉をひたすらに待っていたが、その内とうとう息が詰まってきて「何だ」と問うと、ナミがふっと睫毛を伏せた。
別にナミの感情に深く触れるような言葉を言ったつもりがないのだから、不思議に思って顔を覗き込もうとしたら、細い体はゆっくりと、ゾロの胸にもたれかかって華奢な腕が背に回されていた。
「そういうつもりじゃねェんだろ?」
「当たり前じゃない」
そのくせ、ナミはきゅうっと力をこめてゾロの体に回した手を離すまいとする。
肌に直接女の吐息がかかれば、しかもそれが自分の思う相手なら尚更、一種の感情が体に湧き上がるのは自然の摂理で、応えるように女の肩を抱いた。
髪に顔を埋めて、名前を呼ぶ。
ナミの髪を啄ばんで、そのまま少しずつ、少しずつ、彼女のこめかみや、睫毛に口付けを落としてふと、それが濡れている気がした。
顔を離して確かめようとしたら、ナミが眉を顰めながら、それでも微かな笑みを浮かべた。
「何よ。人の顔じろじろ見て。取るわよ、拝観料」
「・・・こういう時でもへらず口かよ」
「あんたって、本っ当に女心がわかってないわ。こういう時だからこそじゃない」
ヒントをあげても、やっぱりゾロってばわかってないのね。
不思議そうに首を傾げて、あぁもういいとばかりにまた私を抱き寄せた。
そうね、あんたって頭で考えるのは苦手だもの。
でも、そういうあんたで良かった。
だって今の私の心を見透かされでもしたら、私こそが恥ずかしくて穴でもあれば入りたいぐらいよ。
あんたの言葉に、唇に、あれだけ沈んでいた心はあっという間に幸せな色に染まっていく。
触れた肌から熱が伝わって、それは他の誰とも違う。
あんただからよ、ゾロ。
こんな事、言えるわけないでしょう?
あんただって同じでしょう?
あんたの腕に抱かれてるこの瞬間が、今までに味わったどの幸せよりも甘くて、苦しいぐらいに胸は高鳴って、でもそれすらも心地良いんだもの。
言葉にしたら嘘になってしまいそう。
その通りなのよ。
私たちずっと隣にいたんだわ。
離れかけたように見えて、でも、ずっと隣にいたのよ。
あんたも、私も。
近くに居たから見えなかった。
「───あ。わかった」
ゾロの肩越しに見えた窓には流れた雫の跡。
ゾロが静かに、でも戸惑ったように耳元で「何が」と訊いた。
「あんたには関係ない話」
思い出したの。
昨日の朝、私を見ようとしなかったバスの中のゾロに、それはいつもの事だと言うのにどうしてか気に障って、でも自分から話しかけるということも出来なくて、目を向けた窓ガラスに流れる雨を見ていた。
全く別の一滴が、作った流れの中で一緒になって、それから風に飛ばされた。
あれは離れたんじゃなくて、一度溶け合ったから同じとかそういうことじゃなくて。
元から同じだったんだわ。
地面に落ちればまた一緒。
雲から落ちる時には離れても、風に揺られても、飛ばされても、でもそれはいずれ一つになるのだから。
「こうやって繰り返してくのかしら」
「・・・だから、何が」
「言わない」
言ってあげないの、って言ったら、ゾロはチッと舌を鳴らして、でも私を強く抱き締める。
あァ、もう日付は変わって私の誕生日は終ってしまってる。
でも何だか最高のプレゼントを貰った気分。
ゾロ、あんたからじゃないわよ。
私が、私に。
あんたなんてどうせ私の誕生日とか覚えてるわけないもの。
鼻を摘んでやったら、何しやがる、なんて声を荒げた。
自分に、泣きそうになって、涙を隠さなきゃって笑ったらゾロは「上機嫌じゃねェか」とつられたように口の端を上げた。
「私はいつだって上機嫌よ」
「どの口がそう言ってんだ」
この口よ、と言うとナミはその顔を一段と崩して、笑った。
「ゾロ、キスしてもいいわよ」
「してくれって頼んだらな」
「じゃあしてあげない」
唇を合わせて、もっと深く味わおうとしたらナミが小さくダメとか言う。
何でそんなに頑なに拒むのかと触れた唇の先を味わって、ふと、ウソップの言葉を思い出した。
言葉になぞらえて、繋がったままの唇をナミがしたみたいに動かしたら、ナミの腕が少し揺れた気がした。
「・・・・・もう遅いわよ、ゾロ。日付が変わっちゃった」
「じゃ、来年」
「来年・・・?何それ。」
「来年の分」
「私みたいないい女、来年も隣にいるかどうかわからないじゃない」
冗談めいた口調で言って、最後にバカと小さく呟いた唇は閉じきらない。
一瞬の沈黙の後にどちらからともなくまたキスを交わした。
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