LETTERS




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「ナミ、お風呂空いたよ」

ノックもしないで顔を覗かせたノジコは、確実に二日前の晩のように慌てるナミの姿を予想していたらしい。何の反応もしない妹に少し残念そうな顔を見せているから、きっとそうに違いない。
今日は足音が聞こえたから、ぼんやり眺めてた青いノートとケータイはすぐに引き出しに入れて、それからベッドの上に慌てて横になって雑誌を読んでるフリをした。
開いたばかりのページは、ナミが興味を惹かれて買ったファッションのページでもなくて、よくよく読むと案外楽しい読者の投稿ページでもなくて、怪しげな宝石の何とかパワーが身につくという広告ページだった。

「今行くわ」と言うと、ノジコはちえっと小さく言って顔を引っ込めてから、もう一度ひょこっと顔を覗かせる。

「諦め悪いわよ、ノジコ」

「あはは、ごめん。で、今日は何も隠さないの?」

「何も隠してないって言ったじゃない。」

「ふーん・・・」

怪訝そうにじろじろと顔を見られては、ナミも平然としているのが苦痛になってくる。
「もう、用がないなら出てってよ」と僅かに怒りを交えた声で言うと、ノジコが「あ、そういえば忘れてたんだけど」と突然切り出した。

「夕方男の子から電話があったよ」

くるっと振り返ったナミは、丸い目を一層丸くして、それからいつもは白い肌が映える頬を微かに紅潮させていた。

「だ、誰から?」

「あたし宛にだけどね♪」









「・・・・・・・・・・ノジコッ!」




ノジコの愉快げな笑い声が廊下に響いてた。

妹を騙そうとするなんて何考えてんのよ、あの姉は。

私だってどうかしてるわ。

アイツに家の番号なんて教えてないのに。

見え見えの罠に引っかかった。



(それもこれもゾロのせいよ)

もう時計は10の数字をとっくに回ったのに、メールは全然来ない。

青いノートをもう一度引き出しから出して、真ん中のページをめくって、自分の書いた文字をじっくり見てみれば一昨日の私はひどく緊張していたようで、文字はすごく弱々しい。

こんなんだから駄目なんじゃないかしら。

消しゴムで消して、書き直してからそういえばこのおまじないを書き直すのは二度目だけど、果たして書き直しても効果があるものなのかと改めて気付いた。

気付いて、暫く悩んでしまったけど、今度はこんなことを真剣に考えている自分がバカみたいと思いなおす。

その後で、真っ白になってしまったページが寂しくなってやっぱり彼の名前を今度は二日前よりも少しだけ大きめに書いた。

早くしないとお湯が冷めてしまうから、ノートをまた引き出しにしまいかけたけど、ノジコのあの調子では自分がお風呂に入ってる間に部屋に入って来るかもしれない。
それから、もしかしたら、もしかして、このおまじないを本当に信じているわけじゃないけど、今書き直したからすぐにメールが入るかもって期待が少しずつ胸の内側で膨らんでいくから、携帯電話を手に取って、ノートとケータイをバスタオルで隠しながら浴室まで、誰にも見つからないように足音を忍ばせていくと、ナミは着替えの下にそれを隠して服を脱ぎ出した。

(・・・でも、ここも危ないかも・・・)

だって相手はノジコ。
いつも私にいつ彼氏を紹介してくれるのって言ってくる姉。
二日前に疑われて、今日はあんな簡単な罠に引っかかってしまった私の事を気にしてるに決まってる。

少し考えてから、バスタオルに包んであれば大丈夫かなと思って、自分の体を拭くために持ってきたタオルにノートとケータイを挟ませたままそれを携えて浴室に入った。

ボトルラックの一番上に置いて、なるべくそこにお湯が掛からないように気をつけて、それから湯船に浸かってじっと耳を欹てていたけれど、携帯電話は鳴らない。

結局お風呂から上がって、部屋に戻って、暫く待っていても鳴ることはなくて、ナミは青いノートを鞄に入れてから諦めたように深い溜息をついて電気を消した。

布団にもぐりこむと、何故か涙がじわとこみ上げてきて、一人で浮かれていた今日の自分を思いだして虚しくて仕方がない。

(・・・何やってんだろ。)

やっぱり、あの場を取り繕うための嘘だったんだ、と思いかけた時に、部屋の片隅でちかちか何かが光って、それから着信音が鳴った。

がばっと飛び起きてナミが机の上に置いて充電していたケータイを取ると、『メール受信数 1件』という表示が出ていた。

メールボックスを開こうとしたけれど、あんまり慌てふためいていて上手くボタンを操作できない。

(お、落ち着いて。落ち着いて。)

言い聞かせて、一度、深呼吸をするとナミはゆっくりとメールボックスを開いた。


『 件名: 無題
  ナミさん、明日は何時にデート?
  もし良かったらコーザが一緒に食事しないかって。』



ビビからだった。

あぁ、今日のコーヒーの借りがあるものね・・・。


明日はね、明日は・・・・


「何時か、こっちが知りたいぐらいよ」

収まりかけた涙が、情けない自分がもどかしくてまたこみ上げてくる。
ビビには、わかんないから明日はやめておくわ、とだけ返した。
もしかしたら丸々、時間が空くかも知れないけどという言葉は打つことが出来なかった。

ビビに返信してから、その手でメールの新規作成画面を開いたけれど、ゾロという登録名のアドレスを呼び出したところで指は止まってしまった。

今、自分はひどく落ち込んでいて、それは勝手に浮かれていたからというのもあるのだけど、どんな文字も嘘になってしまう気がした。

でも素直な文字を打ってしまったら、まるで彼氏に送るメールのようになってしまう気がして、それは違うと心のどこかで叫んでる自分がいる。

だって、何で今日メールくれなかったの、とか、明日本当に会う気があるの、とか、今の本音はそんな言葉でしか現せない。

じゃあどうして自分からメールしなかったかって言ったら、ゾロが奢るって言い出したのに自分からその待ち合わせのメールなんてしちゃったらすごく楽しみにしているみたいで、今まで彼を見ていたことがその瞬間に悟られてしまう気がする。
強がりを言ってたくせに、本当は飛び上がるほど嬉しかったとか、メールが来るのを心待ちにしていたとか、それから、この携帯電話にアイツの連絡先が入ってるだけで嬉しくてケータイを手にしただけで、涙が出そうになっちゃったこととか、おまじないの青いノートを何故か何度も開いて、自分の文字なのに彼の名前はまるで自分が書いたものに思えなくなって、その文字をなぞってみたら、妙に照れくさいのに幸せな気分になったこととか。

まさかそんな事わかるはずがないとは思ってるんだけど、でも、その気持ちの片端を彼に知られて、それでもしアイツが笑ったりしたら───癪に障るわ。

ううん、きっと私は癪に障って、怒った後に、それからすごく哀しくなってしまう。

だから自分からメールなんて出来ない。



そういう事を考えている自分が、本当は、一番イヤなのに。


携帯電話のメール画面を閉じて、ナミはまたベッドに戻ると頭まですっぽりと布団を被って暗闇の中でぎゅっと固く瞳を閉じた。




*******************





「今日は・・・彼氏と会うのよね?」

ビビがおそるおそるそう聞いたから、ナミは我に返って「そうって言ってるじゃない」と笑顔で返した。

「何でそんなこと訊くの?」

「ナミさん、元気がないから喧嘩でもしたのかなって思って・・・」

「やぁね、そんなことないわよ。昨日はちょっとアイツ忙しかったみたいだけど。」

「あぁ、それで・・・」

「何がそれでなの?」

にっこりと笑ったナミは、その笑顔こそ優しいけれど声はいやに低くて、まるで怒っているからビビは冷や汗まじりに「そういえば」と話を逸らした。

「コーザが、もしナミさんと彼氏が良ければ、その彼を連れて来てもいいって言ってたわ。奢る約束したからって。」

「コーザが・・・・?」

えぇ、と頷いたビビのその笑顔を見てピン、と来た。
コーザが自分からそんな事を言い出すわけがないし、ビビは私の彼氏を見たいと言っていたから、このアイディアはビビのものだろう。
奢る約束があるとコーザに聞いて、コーザを言いくるめて私と、私の彼氏を招待しようとしている。

架空の彼氏とも知らずに。

「悪いけど、今日は無理ね。」

「何か予定があるの?」

「そうね・・・アイツが忙しいかもしれないから。」

「忙しい合間を縫って会う時間を作ってくれるなんて優しいわ。」

「コーザの方がよっぽどあんたの言うこと聞いてくれるじゃない」

・・・・って、また話に乗ってどうすんのよ。
これ以上嘘を吐いてるのも、自分が虚しくなるだけで何よりビビに対して心苦しい。

「あのね、ビビ、その彼氏のことなんだけど・・・」

「あ、じゃあ!」と、ビビが右手を握って作った拳を開いた左の手の平にぽんっと乗せて嬉しそうな声で「試験の前に一度4人で遊園地とかに行くっていうのはどうかしら」と笑顔をはじけさせたから、私は真実を吐露するよりも、しっかりコーザを頭数に入れているビビにそれを言ってあげるか、それとも冬にわざわざ遊園地みたいに寒いとこ行かなくても他に遊べる場所はいっぱいあると言ってあげるかということだけに意識を囚われてしまった。

「ね、楽しそうだと思わない?」

そうねと言って、もうその事で頭がいっぱいのビビを見ていると、本当に癒されてしまうから、会話は弾んで、尚更彼氏がいるというのは嘘だなんて言えなくなってしまった。

心が重いのはそれだけの所為じゃない。

掃除が終わって、今からHRが始まって、それが終わったら放課後になる。
まだ、アイツからのメールが来ない。
今朝は電車の中で車内が見渡せるドア際に立って彼の姿を捜してみたけれど、この半年毎日見てた顔がそこにはなかった。
もしかしたら、やっぱり昨日は目が合って、私が毎朝同じ電車に乗ってることを知って私を避けるために車両か、電車自体を変えてしまったのかもしれない。
その可能性は否定できない。

だから気が重い。



「ねぇ、ビビ」

担任の教師がなかなか姿を現さないから、お喋りを続けていた最中、少し声を潜めて「もし、なかなかコーザと連絡がつかなかったらあんたはどうするの?」と訊いてみた。

「あんたいっつも迎えに来てもらったりしてるじゃない。急に呼び出したりもしてるでしょ。もし繋がらなかったらどうするの?」

「コーザが?そんなことなかったから・・・」

あら・・・よっぽど強い電波で繋がってんのね。

───ちょっとした皮肉よ。
さっさと認めちゃえばいいのに、認めないビビ。でも、だから可愛いんだけど。

「彼氏と連絡がつかないの?」

「ま、そんなとこかしら。」

私の場合は私からメールしてないというところが大きく違うけど。

「じゃあ家まで行けばいいんじゃないかしら。」

あっさり言ってくれるわね。
あんたと違って私はアイツの家も知らないのよ。

「家なんか行けないわよ。」

「じゃ・・・あ、隣でしょう?学校まで行けばいいんじゃないかしら。ナミさんの彼氏、ケータイを忘れてるだけかもしれないし。」

なーるほど!

・・・・なんて思わないわよ、ビビ。

男子校の前で一人で待っててみなさいよ。この可愛いナミちゃんが飢えた男共の餌食になっちゃう。
本気でそう思ってるわけじゃないけどね。いつもだったら相手が男子校だろうが何だろうがどうだっていいんだけど、だって、それって私がメール来ないから待ってたって言ってるようなもんでしょ?何のために今の今まで自分からメールしなかったかわかんなくなっちゃうじゃない。

「それか・・・・・ナミさんたちいつもどこで待ち合わせしているの?今日は会うって約束だったんだからそこに行けばいいんじゃない?」

恋人同士ならそれで良いのかもしんないけど、私たちにそんな待ち合わせ場所なんて・・・


(あ、そう!そうじゃない!)

彼が降りてった、あの駅で待てばいいのよ。

あそこなら人目にもつかないし、彼だって絶対通るはずなんだから。
それで、そこからだったら、私も勇気が出るかもしれない。
『あんたん家の近くに来て、思い出してあげたのよ』って言ったらおかしくないわよね。

───こんな言い方可愛くないかしら。

じゃあ、『たまたまこの駅に用事があったんだけど、あの約束ちゃんと覚えてる?』

───これじゃ私は覚えてたって言ってるようなもんよね。

それなら、駅から降りてきた彼にぶつかって『あ、あんた・・・そういえば今日奢ってくれるんじゃなかったかしら』って言うとか・・・


うん、これしかないわね。


「ナミさん?どうしたの?」

「任せて、ビビ。演技力には自信があるのよ。」

「・・・演技力?え、帰るの?ナミさん、まだホームルー・・・」

「私は生理痛で帰ったって言っといて」


そんなこと言えないわ、というビビが困り果てて口にした呟きはナミの耳に届かなかった。

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