LETTERS




5




話は前日に遡る。

ゾロは、いつものように友人のルフィと放課後、この沿線で一番大きな駅の構内を歩いていると、ルフィが思い出したように「明日そういやお前の誕生日じゃねェか」と言った。

「あー・・・あァ、そうか。」

「忘れてたのか?俺も今まで忘れてた!」

「お前に覚えてもらっても何の得もねェけどな」

「そんなことねェぞ。プレゼントぐれェ買ってやる!」

「いらねェ。大体テメェ金がねェからバイト先探してんだろうが。」

学校は校則でバイトを禁止しているのだが、それも気にせず放課後学校から近い店で働こうと言っていたルフィが、面接で散々断られて結局バイト先を学校の近くから、いつも使う沿線全てを考慮に入れることにした。昨日はようやく突拍子もなく雇ってくれ!と店に飛び込んだルフィを面接してやろうという太っ腹な店が現れて、ルフィは面接へ、自分は久しぶりに早い時間に帰途につけたというのに、今朝聞けばもう断られたと言う。
片手に無料の求人誌を手にして朝からここはどうかな、と言っているルフィの傍で、それを聞こえないフリしながらこいつにはどんな店が合ってんのかなと考えていると、それを口に出す前に、これだけじゃわかんねェとルフィが言って、結局今日はルフィに半ば強引に連れられて、駅から直結している最近出来たばかりのショッピングモールに行くことになった。
最近出来ただけで、求人誌にもそのショッピングモールに入店している店の多くが求人情報を載せていたのだが、どこもルフィには向いてないような店ばかりだ。
大体ルフィはそこらへんのガキが集まるゲーセンとかでバイトすりゃいいのに、と思ったのだが、ルフィの希望は一度でいいからあのソムリエエプロンなるものを巻いてみたいというのだから、飲食店を片っ端から覗いていく。ただ制服がルフィの希望通りかどうかを見るためだけに覗いているのだ。

「なかなかねェよなァ。」

「お前を雇うようなとこがな。」

「ゾロだってバイト、クビになったばっかじゃねェか。」

「俺ァ俺から辞めたんだ。」

「そっか。俺とは違うな」

ししっと笑ってルフィはまたスキップにも似た歩調で歩き出した。

「おっ。ここも載ってたぞ。」

店先にケーキを並べて、イートインも出来るそのケーキ店の前でぴたりと足を止めて、ルフィは「ここで働いたらケーキ食い放題だな」と目を輝かせた。

「そんな女々しいとこで働く気かよ。」

「そうか?今日から働いたら明日お前にケーキ奢ってやれるかもしんねェぞ。」

「何で俺がケーキ食わなきゃならねェんだ。」

「けど明日が誕生日だろ。誕生日って言ったらケーキじゃねェか。」

「そりゃテメェが食いてェだけだろ。それに俺ァ先約があるんでな」

「先約?ウソップとか?」

「何で俺がわざわざ男と約束するんだよ。」

ルフィが途端に好奇心に沸いた顔で「女か?」と言うと、ゾロはニッと口角を上げた。

「よし、じゃ俺が絶対ェ奢ってやる!ケーキたらふく食わせてやるからな、待ってろよ、ゾロ!」

言うなりルフィはたのもー!と叫んでケーキ店に入ると、中の店員に俺を雇ってくださいと土下座をしていた。

別段、ここじゃなくても良いし、ルフィが思うほどの仲ではない・・・と言うよりもむしろ、昨日まともに会話したばかりの女にいきなりこの調子のルフィには会わせたくない。

(そういや、明日どうすんだ)

ポケットをまさぐって携帯電話を取り出したが、そこには何の報せも表示されていなかった。

もしかしてこういう事は自分から言わなければならないのかと思うが、メールというのはどうも不慣れでなかなか文字を打とうという気にならない。
加えて、あの女は当初至極怒っていたが、何か奢ってやるって言ったら嬉しそうだったから、自分からメールしてくるんじゃねェか。

あの女が行きてェ店があるなら、そこに連れてった方がいいだろ。

(ま、その内あるか)

携帯電話をもう一度ポケットの中に収めた。
店内では店長に会わせろとまくしたてているルフィの声が響き渡っている。
これは面接するまでもなく、断られるだろう。

まだまだ歩き回るのか、と心を新たに一つ大きく伸びをしてからゾロは、通路の先にあるオープンカフェに在るオレンジ色の頭に目を止めた。

ナミだ。

昨日初めて聞いた名を心で呟いて、それから遠目にも彼女が携帯電話を持っていることに気付いた。


ポケットにしまったばかりのケータイを取り出してじっと待つ。

電話も、メールも、着信があった気配はない。
では、今から送られてくるのかもしれない、と思った。

じりじりと短い時間がやけに長く感ぜられて、何やってんだ、阿呆、と心で呟いた。

もしメールが来れば、今どこに居るか聞いてやろうかと瞬時に思い立ったのだ。
そういえば昨日どこだかに買い物に行く約束があるとか言ってたな。
それがここの事だったのか。

たまにゃルフィも役に立つじゃねェか。



あの女のことは知っていた。

あの女は、俺のことを知らんだろうが。

春先に電車の中であの女、細っこい身体をぎゅうぎゅう押されてやがった。
何個目かの駅でちょうどあの女がドアにぴたりと身を寄せて、そうするつもりじゃなかったから俺がその隣に立ったから、俺がドアに手を付いて仕方なく後ろから押してくる野郎から守ってやった。
有難うと言われたわけじゃねェからナミは気付いてはなかったろう。

俺だって何となくそうしてやっただけで、別にその時は女の顔なんか見ちゃいなかったし、とりあえずドアに手を付いてりゃ自分が楽ってのもある。
結果的にナミをあの鬱陶しいほどの押しくら饅頭から庇ってやっただけだ。

だが、その時に近付いたあの女の髪からはやけにいい匂いがした。
甘ったるくて妙に記憶に残るような匂いだった。
だから女が電車を降りるまでの僅かな間に、どんな顔してる奴か気になった。

制服からして、俺より先に降りる女が、反対側のドアが開いた時に降りますと言った声は、想像していたよりもずっと透き通っていて、凛と響いた。よく通る声は、悪い印象というものを与えない。

振り返った女の顔をまじまじと眺めて視線が合ったことをアイツは覚えちゃいねェだろうな。

いまやその女の名前も連絡先も知ってる自分が居る。

昨日の俺を誉めてやってもいいな。

よくやった。俺。
少々ナミへの印象は悪かろうが、苦肉の策で奢ってやるって言ったら、女は生意気な言葉を吐きながら、だが、赤く染めた頬でふとした拍子に見せる笑顔は、さすがにこう・・・生意気な口聞くだけに・・・やられた。


その女が、今まさに俺にメールしようとしてんだ。

多少驚かせてやってもいいだろ。

ほれ、早く送って来い。

送って来い。

お・・・───?




(・・・・・・誰だ)

女の傍らに立ってにやにや笑ってる男が居た。
すぐにナミが男に気付いて何か話している。

背を向けていた男が、ナミの対面の空いた席に座った。

ナミがあの男のために買っておいたのか、彼女のカップのすぐ横にあった飲みモンに口を付けてそれをすぐにまた元の位置に戻すと、男は二、三、ナミと言葉を交わしてナミがさっきまで飲んでいたカップを手に取ると慣れた仕草でそれを飲んだ。



呆然とする、というのはこの事かと頭のどこかで冷静な自分がそう言っていたが、それ以上の言葉は出てこないし、もはやその光景を見ることも苛立たしいというのに、オレンジ色の頭と、めがねをかけた男に目が釘付けになっていた。


(何だありゃ。)


(・・・・何だよ、ありゃ。)


あの女、男がいんのに俺に奢らせようとしてたのか。
いや、あの男が言い寄ってるだけじゃねェか。
馴れ馴れしくしやがって。

あぁ、そうかもしれねェな。
何たって、俺が気に入ってる女だ。
そういう男の一人や二人居てもおかしくない。

俺だけがその良さに気付いたわけじゃねェってのは少々惜しまれるが。

俺ァそういう小せェことは気にしない主義なんでな。
おーおーどんどん寄ってこい。

最後に笑うのはこの俺だ。

今日笑うのはメガネ野郎だろうが、明日笑うのが俺ならそれでいい。




「・・・・・・・・・何やってんだ、あいつ・・・」




独り言というのは言ったことがない。
そんなものは胸の内で思えばいい。
大体、そこまで焦った経験などがないのだから、今、この瞬間まで自分が独り言を呟くような男だとは思わなかった。

その上一気に脱力したその時の己の顔は間抜け極まりなかったに違いない。

次に、顔が強張ったと知った時にルフィが「ちぇ」と大きく舌打ちとも呟きとも取れぬ声を発して店から出てくるなり、「ゾロ、他んとこ行くぞ」と後ろから声を掛けた。

ルフィがいなければ、どうしていたか。
甚だ心外だが、おそらく俺は女の元へ走り寄って不機嫌な顔で男を睨みつけ、それから随分と仲が良いじゃねェかなんて嫉妬まるだしの台詞を吐いていたかもしれない。
いや、ルフィが居なくてもそんな事を自分がするとは思えないが、つまり、そういったことをしそうになった衝動を腹の中に感じて顔を強張らせたのだ。

ナミがちらちらとスカートを上げて、男をからかった後に明るく笑った声は、この通路に響いて否が応にも耳に届いた。

背を向けた。

ルフィが、ナミが居る方向と反対方向へ歩き出したのが、せめてもの救いだった。

手にしていた携帯電話は、そんな物を持っていた自分にすらも苛立ちを感じて、通路の脇にあったごみ箱の中に投げ入れた。



こんな事があって、昨夜は苛立ちを抑えることが出来ず、親は携帯電話を捨てたと聞いてこれでもかとばかり夜遅くまで叱り飛ばしては説教を交えていつもならへぇへぇと聞き流すその言も、受け流すことを良しとしない自分が居た。
そうすると苛立ちは増幅するばかりだ。
自分の部屋に入っても、なかなか寝付けない。

ただ、それは有難くもあった。
堂々と寝坊して、親に早くしろと急かされてもゆっくりメシ食って家を出りゃいつもの電車に乗らずに済む。

何せ今あの女の顔を見ちまったらせっかく睡眠が忘れさせてくれたあの苛立ちが腹の中に蠢いてしょうがなくなる。

苛立つのは自分がバカだったと悟っているからだ。

あの女に男が居ると想像しなかったろう。
あの女が、あんな声で笑うなんて知らなかったろう。

誕生日にあの女に堂々と会えるからと言って喜ぶほどの馬鹿だった自分に苛立つのだ。

ガキくせェにもほどがある。

そんなに気になってんなら、早々、声掛けるなり何なりすりゃいいだけじゃねェか。






「ゾロ、何か今日機嫌悪ィな。」

「ん?そうか?おいゾロ、これやろうか」

パンを差し出すルフィの手をちらっと見てから、また目を閉じた。

鬱陶しい胸のもやもやが、なかなか晴れない時は寝るに限るのだ。

ルフィもウソップも多少煩いが大抵は気の良い奴で、今日の俺の態度にも関わらずいつものように話し掛けてはいたが、その内授業中も昼休みも放課後近くなってもずっと目を閉じたまま黙り込んでいた俺に、もしや自分たちの所為かと思ったらしい。
ウソップがまず最初に「俺様でよければ力になるぜ」と胸を反らして言ったが、こりゃ俺の中の問題で誰に頼るというものでもねェから心の中で辞退した。つまり言葉を何も出す気になれず、シカトこいた事になるわけだ。
ウソップが項垂れて帰っていく姿に、今度はルフィが「俺がケーキ奢れねェから怒ってんのか」と鞄を斜め掛けにしながら言う。

「ケーキなんかいらねェよ。」

「そうか?ゾロは約束破ると怖ェからな。」

「・・・そりゃ俺じゃなくても怒るだろ。」

「ゾロが一番怖ェ!」

はっきりと言い切って、ルフィはストンと腰を、隣の席の奴が帰ってから空いていた椅子に下ろすと、「けど無視すんな。わかんねェじゃねェか」とガキみてェに唇を尖らせた。

「ウソップに後で謝っとけよ」と強い口調で言う。

暫し考えた後で、先刻の事は確かに自分が苛立ちを抑えられない自分が悪かったと思い直し、「あぁ」と短く相槌を打つと、ルフィはにっと笑って「じゃ、俺帰る。お前どうすんだ。今日約束あんだろ。」と思い出したくもない事を思い出させてくれたものだから、途端にまた腹の虫の居所が悪くなった。

「なくなった。」

「何だ。ゾロの女、約束破ったのか。だから今日怒ってたのか。」

得心したように頷いたルフィの言葉にそれ以上唇を開いていることが出来なくなった。

俺が、約束した。

自分から言い出した。

女は楽しみにしている様子だった。

メールアドレスだって交換したし、だが、昨日携帯電話は捨てちまったから、俺に電話しようがメールしようが音沙汰があるわけもない。





「───クソッ!」

机を蹴飛ばして、鞄を脇に抱えて立ち上がると「何だ、やっぱり行くのか」とルフィが多少驚いたように俺を見上げていた。

「俺が約束破るわけにはいかねェだろ。」


さりとて連絡手段はない。

とりあえず、女の学校まで行けば何とかなるかとルフィにじゃあなと別れを告げて、教室を出た。
既に夕刻、茜色の空が窓の向こうに広がっていた。


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