L + G - side parallel - 5 先生の部屋は狭くて、汚くて、でも先生にぴったりで少しほっとした。 掛けられた服にスーツ以外の私服を見たことがなかったから、こんな服を着てるんだって知って嬉しくなった。 女っ気のない埃臭さに先生が彼女はいないと言ったあの言葉が真実なのだと思うと、喜びに胸が沸いた。 あの日から今日までの先生の体を知っていたのは私だけなのだと──数えるほどしか抱き合っていなくても、キスだってしたことなくっても、放課後の短い時間だけだとしても──だけど、そうやって考えていく内にやるせなくなった。 彼女も居ないのに、何度も抱き合ったのに、先生は私をこの家に連れてこようとしなかった。 先生の私服姿を見たことがない私が居る。 終わりにしたいという一言を言う決意をしたのは、本当は来たくて堪らなかったこの部屋に来てしまったから。 泣き喚いていた自分が嘘のように静かな気持ちだった。 だって諦めがついちゃった。 先生は私のことが好きじゃなかったから、休日に会おうとも言わなかったのよ。 じゃあねって手を振った私を引き止めたこともない。 好きって言わなかった。 嫌いとも言わなかった。 何の感情も持ち合わせず、ただ自分を誘った生徒を抱いただけ。 それならそれで、構わないの。 私が先生にもらった快感を忘れられないように、先生もきっと背の痛みを覚えていてくれるなら。 「終わりにする。もうメールしないわ。それでいいでしょ?」 「・・・・何で。」 「何でって・・・先生だって、面倒でしょ。いつも面倒だって言ってるじゃない。」 「そりゃお前、いや・・・大体テメェが・・・あぁいや、そうじゃねェ。そういうことで面倒とか言った覚えはねェ。」 無造作に頭をガシガシ掻いて先生は水滴をぽつんとテーブルの上に零したビール缶を手に取って、一気にぐびぐびと飲み干した。私の知らない先生の姿。お酒が好きなのね。今更知ってもしょうがないけど。 カタンと音を鳴らして置かれた缶は、中身が入っていないからか先生が手を離した後も軽い動きで揺れた。 「何でそうなるんだか・・・あぁ、クソ!さっぱりわからん!」 「先生はこのままでいいと思うの?私たち先生と生徒じゃない。」 「じゃあ何で誘った?そっからしておかしいだろ。」 「イヤならやめればいいじゃない。」 「お前あんだけ・・・何が『大人はずるい』だ・・・最近の女子高生ってェのは・・・大体最後にヤるか。普通。」 そうね、それぐらいは言ってもおかしくないわよね、と心中で迷ってた自分自身に頷いてみせた。 私が先生の誕生日を知っていて、先生がもしかしたらこの特別な日に私に何か特別な言葉を囁いてくれるかもって、そう思ってたことぐらい。 もう終わりにするんだから。誕生日を知ってたことぐらいは言ってもいいわよね。 「先生、今日誕生日なんでしょ?」 ぽかんと口を開けてるとこを見たら、先生はやっぱり私が知らないと思ってたみたい。 「だから、プレゼント代わり。」 おめでとって小さく言って立ち上がった。 プレゼントを渡してきた女生徒の姿が、その顔がナミに摩り替わって頭の中をぐるぐる回った。 今日腕の中に居て、妙に機嫌良く、甘く耳に響いたナミの声が蘇った。 酒に酔ってるわけじゃねェ。頭ン中が回っていても冷静さが残っている。 玄関まで歩いていった女を追って立ち上がった。 放り投げた靴は左右が全く逆に置かれていて、それを揃えていたナミが立ち上がると、俺の住むこの部屋の空気が、妙に凛と澄んでいるように思えた。 「じゃあね、先生。今度は追いかけてこないでよ。」 「・・・・・・お前、じゃあ何で嘘・・・」 「別に。そういう気分だっただけよ。」 じゃあ何でそんな顔するんだよ。 諦めたみてェに、暗い顔しやがって。 俺を見てねェ。 てめェは俺を真っ直ぐに見る女だろ。 こんな時口下手な自分が恨めしい。何か、この女を引き止める術はないかと頭の中を模索しても何一つ出てこねェ。 何を言ってもこの女に口でやりこめられる。 何かねェか。 何か─── 「プレゼント───つったか。」 「そうよ、プレゼント。私からあんたへの。ぴったりでしょ?」 揶揄するような笑顔が痛い。 ドアノブに手を掛けた女が、それを回す前に「じゃあ、テメェの誕生日は」とそれだけを言うことが精一杯だった。 「私の誕生日は夏。」 「プレゼントやる。何か欲しいモンあるか。」 金もねェ俺が人生の内でこんな台詞を吐くとは思わなかった。 だが、何とか話を繋げられりゃ上出来だろう。 「いいわよ、いらない。」 「もらったモンは返せってのが家訓なんだ。早く言え。」 本当は借りたモンは返せってのが親に口うるさく言われた言葉だが、似たようなもんだ。 ナミは回しかけたノブから手を離した。 俺を見ている瞳が、いつものナミのものに変わった。 おぅ。その目だ。お前はそれがいい。 「もう手に入らないの。」 「入るか入らねェかは俺が決める。俺がやる側だろ。」 「じゃあ、言うけど。笑わないでよ。」 「笑うか笑わねェかも俺が・・・わかった。笑わねェ。」 「───たい・・・」 聞き取れない声があの唇から漏れていく。 掠れて零れた吐息のように、ナミの唇から漏れていく。 「声が小せェ」 ナミはその時になって少し視線を逸らした。 頬が少し赤い。 ───あぁ、何だ。 そういうことか。 わかれば単純だ。 最初からそう言や良かったんだ、阿呆。 うじうじしやがって。 俺を誘った時のお前はどこいったんだよ。 やせ我慢して内側で悩まれちゃ始末が悪い。 俺にわかるわけがねェだろ。 はっきり言えよ、と促すとナミは唇をきゅっと噛んだ。 いつも見せるその仕草も新鮮に目に映ったのは、その唇が震えて、涙は溢れそうだと言うのに、さっきの泣き顔とまるで違ったからだ。 「・・・・先生のこと、『先生』じゃなくってゾロって呼びたい。」 呼べよ。 細い身体を抱き寄せた。 抗う力を無視してその肩を抱いた。 女の髪からは俺の匂いがする。口に当たったオレンジ色のその髪を、軽く噛んで女の耳に他にはと尋ねるとナミの抵抗は収まった。 「どうしてこういう事するの?」 「・・・・・してェからだろ。他に何があるんだよ。」 「だって、じゃあ、どうして何も言わないのよ」 耳たぶを噛むと抱いた腕の中で細い肩が反応する。 顎の線を舌でなぞる。 ナミが少し顎を浮かせた。 舌を絡ませた。 吸い付くたびに音が鳴った。 喉の奥に声を留めて女を吸う唇を、その名になぞらえて動かす。 ぽろぽろ零れた涙を唇で掬い取った。 何でこんな簡単なことに気付かなかったんだ。 キスをしているからいつもみたいに唇を噛んで我慢することが出来ない。 先生に抱かれて、どれだけ喜びを感じて泣きそうになったって、下唇を上唇に隠してその裏側で、歯で噛んだら痛みが喜びも辛さも忘れさせてくれたけれど、先生の唇が私を求めているから絡む舌に私は唇を噛み締めることが出来なくて涙が溢れてた。 ずっとずっと先生をその名前で呼びたくて、でもそうしたいって言ってしまったら私は他の子と変わりなく先生に憧れているだけの子供だと悟られるんじゃないかと思って、呼ぶことは出来なかった。 長い口付けの後に惜しむようにゆっくりと離れていった唇が、もう一度私の名前を呼んだ。 朝のHRに聴かせる声とは違う。もっと低くて、囁くような、甘い声。 一度堰を切って流れた涙は止めることが出来なかった。 他には、と聞く。 「子供だって思わないで」と言うと、ゾロはもう一度私の髪に顔を埋めて「思ったことなんかねェ」と囁きを聴かせた。 彼の背に回した手は、背の高い彼にしがみつく形になって私は爪先立ちになっていたけれど、ゾロの腕が私をずっと包んでいたから苦しくはなかった。 「私を好きなのか嫌いなのかわかんないの」 「学校以外でも会いたいの」 「ずっと、一緒に居たいの」 「でもできない。できないじゃない。何であんたは、私の先生なのよ。好きなのに、どうして先生なのよ。何で先生なんかになったのよ、バカ・・・───」 ゾロの手が私の髪を撫でていたけど、私はそれを嫌だとは思わなかった。 甘い言葉を聞かせない彼が知る唯一の、優しさを伝える術だと知っていたはずだった。 だけど喜んでしまったら子供っぽく見えるから、私はそれを嫌な事だと自分に言い聞かせてた。 「先生の恋人がいい」 もう一度唇を重ねた後にゾロがゆっくりと体を離した。 熱を追うと彼の腕が私の背と足に回された。 「俺ァガキにゃ興味ねェ。」 布団に私の体を横たえて上から覆いかぶさってきた先生は、ネクタイを外して、スーツを脱いで、それからじっと私を見下ろした。 「鈍いな、テメェ」 ───あ、笑った。 そっと降りてきた唇が、耳に声を零していく。 私だからなんだって。 ねぇ、今誰か、私以外にこいつのその言葉を聞いた人はいない? 私だから、抱くんだって。 私が鈍いんじゃないわ。 あんたがバカで、その言葉を伝えなかったことが悪いのよ。 でも、そういうゾロを私は好き。 耳からこめかみへと口付けを落とした唇を、顔をずらして求めたら、ゾロは私の唇に自身のそれを重ねて歯列をなぞった。 緩慢に口内で動く彼の舌にまかせてゆっくりと、ゆっくりと、身を捩るとゾロの指先が私のシャツを少しずつ上げていく。抵抗する気はなかった。衣擦れの音は心地良い。 待って、と小さく言ったら、体を離して私の顔を見ている。 明かりがついた部屋でこうして彼に見られているのは初めて。 でもここで躊躇ってはいけないのだと思った。 あの追試の日よりもずっと緊張していて、これが初めてじゃないのに、焦がれていた唇がまるで初めて抱き合う恋人みたいな甘さを私とゾロの間に漂わせる。 手は震えるけど怖くはない。 ゾロの前に居るから怖くはない。 いつもは不機嫌に見える面立ちは、生まれつきなのよね。 私が何怒ってんのよって言ったらすぐに生まれつきだって言う。 いつもは睨んでるように見える眼差しは、怖がらせるつもりじゃないのよね。 私がどうして睨むのって言ったらすぐに誰がって顔を背ける。 何で気付かなかったんだろう。 今はゾロのその顔がまっすぐ私に向いていて、その眼差しが私の顔を見て、手を見て、胸を、それから脱いだ服の下の肌を見ていることがくすぐったいのに誇らしい。 スカートを脱いで、靴下も脱いだら「女は色々着こんで面倒だな」って言った。 あ、そっか。 ゾロの面倒って、『面倒』って意味じゃなかったのね。 なーんだ。 「面倒って言葉で誤魔化さないでよ」 「何を誤魔化すって?」 「ね、名前呼んで。」 「お前が呼びてェんじゃねェのか」 「バカね、言うのと聞くのとじゃ全然違うのよ。知らないの?」 「知らん」 じゃあ教えてあげる。 先生の声が私を呼んだら、私はすごく感じるの。 そう言ったらゾロは片方の眉だけをぴっと上げて、僅かな間私を見てた。 「ナミ・・・」 嬉しくなって彼の首に飛びついたら、肌から直に伝わったその熱が愛しくなった。 |
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