戦場にて


2




雨音は止まず、それどころか激しくなっていたかも知れない。
もしかしたら、それは雨音ではなく、自分の鼓動の音だったかも知れない。
部屋にこもった空気は女の匂いばかりで、自分のズボンを脱いでも変化のなかったその匂いは、妻が下着を下ろした瞬間にさらに強くなった。
慌てている様子でもなく、ゆっくり過ぎもしない動きで濡れた下着を足から抜こうとする。
上体を屈ませ、膝から折った足の踝を通り、まだはいていたハイヒールの踵を通そうとしたその手を掴んだ。
その光景に生唾を飲み込んだ瞬間、我を忘れたのだ。
手を掴むと女の踝には下着がそのまま残された。
乳房を貪るように吸い、勃起した己自身を彼女の秘所に押し付けた。
濡れた泉にいざ挿れようとすると、妻は少し身をよじり、それを拒む。
存分に溢れていた蜜液を裏筋に擦りつけ、彼の腹と自分の秘所ではさみ、熱い吐息を吐く唇で耳たぶを噛んだ。
彼が誘うように這わせた舌と同じように、生え際をなぞり、こめかみをなぞる。
眉にキスを与えて瞼も吸う。
彼の通る鼻筋に、自分の鼻を重ねて少し唇を重ねた後に、ゆっくりと目を開いた。

鼻先同士が軽く触れる。
彼が唇を求め、少し顎を上げようとすると、彼女はそれを受け入れるように彼の唇を軽くついばみ、だが、それだけでまた離れる。
見詰め合った瞳の奥は快感の所為か潤んで光を揺れさせる。

だから彼女が何か憂えているようにも思え、彼は何事か口にせねばならないと唇を開いた。

だが、思いつく言葉は一つもなく、また閉じようとすると彼女はふさがりかけた唇をまた啄ばんだ。

互いの唇を、今度は激しくもなくゆっくりと重ねて、ついばむ。
離れれば瞼を開き互いの顔を見る。

その小さな顔を両側から手で包む。

明るい髪色が映える白く透き通る肌に、キスをする。
彼女が自分にした時と同じく、睫毛もまた、唇と同じように啄ばむ。
そしてまた鼻先を軽く触れさせて、唇を何度も互いから求めては、だが、決して深く重ねることもしない。

その内に妻は額を寄せ、鼻先に唇を軽く触れさせたまま、言った。


「あんたが死んだら、嫌よ。」


ゾロ、と名を呼ぶ。それは、泣いて震えた声ではなく。




ぐっ、と己自身を挿入すると、彼女は──ナミは、切ない泣き声などは聞かせずただ快楽に漏らさずにいられないとばかりの甘い声を漏らしただけだった。

細い体を壁に押し付け、自分でも乱暴であるとわかってはいたが、がむしゃらに己を打ち付ける。
肌を打つ音に淫猥な音が混じり、家の窓や壁を外から打ち付ける雨音にかき消される前に、この女の声を記憶に残そうと、ただ夢中であった。
そしてまた自分を受け入れて悦び、離れ難いと締め上げるこの女の体内も、透き通る肌に浮かぶ汗も、快感が増すほどに色づく頬も、この輪郭や髪の一本に至るまでの全てを覚えていようとゾロはひたすらに彼女を攻めた。

立ったままの行為にナミは何度も達し、そのたびにゾロの背に爪を立てる。
その爪の先が肌に傷をつけ血が流れるのではないかと思えるほど強く爪を立てる。

震えたのは己の吐息か、ナミの吐息か、或いはその両方か、ナミが一層強く己を締め上げた瞬間、ゾロもまたびくりと己自身がナミの体内で跳ね上げたと感じた。





俺にとって、この女は何なのか。

結婚してもどこか釈然としない関係だ。

何故なら女は俺を「夫」と思っていない。

いつでも俺を挑発し、これがまた別の男であっても同じ言葉を聞かせ、笑顔を見せるだろう。

自分がセックスをしたいと思えばするし、したくなければ嫌がるだろう。

そんな女が何故俺と結婚するに至ったかは、タイミングが良かったとしか言いようがない。

散々、軍人なんかは嫌だとか、もっと金持ちと結婚したかっただとか、不満ばかりを並べ上げ、ならば離婚でもするかと言ったら神様にそむきたくないのと普段教会にも通わねェくせに突然敬虔な信者の素振りをする。

それでいて、前触れなく基地まで来て敷地を隔てるフェンスの向こうで、水玉のワンピースをはためかせながら俺に手を振るだけで帰っていく。

思い切り手を振って、青い空に響き渡る声で俺の声を呼ぶ。

かと思えば、俺の休みの日に今日は一人で出かけたいからと一日中帰ってこなかったりする。

まるで自分勝手な女だ。






俺にとってあの女は何だったのか、と思ったところで密林を覆った雨雲から突然降り注いだスコールに濡れた煙草はとっくに火を消し、煙すらも出ていなかった。

吸わなかったくせにち、と舌を鳴らす。

スコールとは言え、密林の生い茂る葉がゾロを激しく打つ雨から守っている。

突然この密林での任務を受け、最後の休日を言い渡された。
ナミはそれを聞いて一週間もあんたが家に居たって、何にもならないわと笑っただけだが、休みも最後となった雨の日、呟いたあの言葉こそがナミの本音だったのだろう。
泣いていたわけでもない女のあの言葉がやけに耳に残っている。

そしてその声が脳裏に過ぎるたびに、あの女は俺にとってなんだったのかと思うのだ。

世間一般に言われる妻というものとはほど遠い。
友人と言うものとはさらに遠い。
好きであるとか、愛しているだとか、そんな言葉はあの女に掛ける言葉でないと常々思っているのだから、それは当てはまらない。

じゃあ、何だ。

セックスできりゃいいのか。

たしかに、体の相性はいいだろう。

だが、あの女が俺のいないところで浮気していると思えない。

もしもしていたと仮定して、それを聞かされても俺はしていないと思い続けるだろう。

俺たちを繋ぐ婚姻という事実は、実は一切意味のないものだ。

この密林に来て数ヶ月経った頃本国から届いたあの手紙を見た時から、ずっと考えていた。
ナミが妊娠したというものだ。
手紙を何度読んでも、あの女はだから帰ってこいだとか早く会いたいなんて言葉は書いていなかった。同じ部隊の中では妻と何度も手紙をやり取りしてる奴がいて、そいつは愛の言葉を交し合っているとこっちが照れるようなことを平気で惚気ていた。
それが、ようやく届いたナミからの手紙には、自分が友達とショッピングしたことや、この戦争に自国が軍隊を送ったニュースを見て、あんたの仕事って思うより軽く扱われてるわよ、だとか、初めて送ってきた手紙にしては随分とあっさりとした内容で、最後に、今日病院に行ったら妊娠3ヶ月だった、と一行だけ書き加えられていたのだ。

あまりにもあっさりと書かれているから己の眼を疑い、何度も最初から読み返してみたが、やはり妊娠に関することはその一行きりだった。

嘘なのかとも思ったが、それを返事として書けばあの女が機嫌を損ねるかもしれないと、とりあえずこっちが元気であることと、俺の子供かという手紙を送ると、最後にキャンプで晩御飯を食べている時にまたも数ヶ月待たされた返事が来た。

産まれればわかるわよ、とだけ書かれた手紙だった。

不思議と女が怒ったとその文字からは感じず、帰ってこいと言われるより帰りたくなった。

よくはわからないが、俄かにあの女のキスを思い出した。

怒りもせず、帰ってきて欲しいと強請りもせず、手紙の上でもやはりあの女はあの女だ。
始終駆け引きをし、俺を誘うあの女だ。


じゃあ、俺はあの女の元へと帰らなければならない、という気分に駆られて当然だ。

あの女のゲームに乗ったから夫婦になった。

まだ俺たちはゲームの途中で、ここから降りるわけにはいかない。



あの女が、俺にとって何なのか。

ゲームするには相手が要るだろう。
相手が居なくなれば、ゲームを楽しむどころか続けることも出来ない。
つまり、いなくてはならない。

愛だ恋だのという言葉がどうも似つかわしくないと感じたのは、そのためか。

このゲームがいつから始まったかはわからねェが。

あいつは俺にとっていなくてはならない存在だ。





(あァ、そうか)とゾロがそこまで考えて一人納得した時、背後に慣れた気配を感じた。
がさりと大きな葉が揺れ、その上に溜まっていた水滴がばたばたと地面に落ちた。

「やっと見つけたぜ。この迷子野郎。」

「誰が迷子だ。テメェ、俺と行動しねェんじゃねェのか。寂しくなってついてきたんじゃねェだろうな。」

「十分迷子じゃねェか。ここ何処だかわかってねェとか言うなよ、クソマリモ。これだからテメェと同じ部隊は嫌だって言ったんだ。」

そう言うと、仲間は目ざとくゾロの手で濡れた煙草を見つけ「何だ、テメェまだ隠し持ってたのか」と手を差し出した。国に居た時から同じ基地で時には演習のチームが同じこともあった相手だ。ゾロが煙草を吸わないことも重々承知で、残りを俺にくれ、と言っているのだろう。彼は昔からかなりのヘビースモーカーなのだから、それも仕方ない。それでも今まで欲しいと言わなかったのは、彼なりに戦場という特殊な環境で仲間のものを奪うことはしないというポリシーだったのかもしれないし、ゾロがいつか今のような状況になった時に吸いたくなることを見越していたとも思えないが、兎に角も彼は今までゾロが煙草を吸わないと知っていたにも関わらず、吸わないだろう、寄越せと言うことはなかった。

「ここが何処って、ジャングルだろ。」

「たまにテメェと話してっと憂鬱になるぜ・・・チッ、湿気てんな。」

なかなか火の点かない煙草を雨から隠し、金髪を揺らして空を見上げると雨の当たらない位置へと移動すると、口の悪いこの仲間はもう一度ライターに火を点けた。
あれだけ不味い煙草を深く吸い、ふーと長く煙を吐く。

「よくもまぁ、こんだけキャンプから離れられるぜ。本部戻るまで何日掛かると思ってんだかな、この馬鹿は。」

「あァ!?」

「どうせ撤退だ。俺らがこの国の戦争に首つっこんで勝ったところで喜ぶのは上のお偉方だけじゃねェか。俺たちの任期だってそろそろ明ける頃だ。」

それに、とまた煙を吐きながら彼は言葉を続けた。

「テメェを死なすと俺がナミさんに顔向けできねェ」

「うぜェこと言ってんな。阿呆。」

ゾロが立ち上がると、木に凭れ掛かっていた仲間もまた佇まいを直し、肩に掛けた機関銃を持ち直した。

「いつ産まれるんだよ」

「・・・何の話だ」

「知らねェとでも思ってんのか。アホ、皆知ってるぜ。テメェにガキが出来たって手紙が来てただろ。ナミさんから。あぁ、ナミさんこんなアホの子供を産むなんておいたわしや・・・」

そう言って、大袈裟な素振りで泣き真似をしてみせた仲間を置いて歩き出す。

雨は密林の煙を全て洗い流し、周囲は濃くも清々しい緑の匂いに満ちている。
あぁ、緑の匂いとはこんな匂いだったかとすぅと空気を吸う。



誘っておいて、口づけの合間にようやく本音を漏らした女は今頃、俺のいねェとこで泣いてんのか。
いや、あいつのことだ。泣いちゃいねェか。いいとこ、俺が誘いに乗って帰ってくるのは何時かと考えてるぐらいだろう。

けど、俺が死んだら嫌だとも言った。



とりあえず帰って、玄関で大きく手を振るあの女の姿でも見るか。



あの女のこと、誘いに乗って帰った俺を見て自分が勝ったと満面に笑顔を浮かべて抱きついてくるだろう。
そんなに自分が恋しかったのか、と言うかも知れない。

そしてまたあのキスをして、弱くも強くもない声音で、まるでその日の朝出てった人間を迎えるようにおかえりとでも言うのか。





全く、それを楽しみにしてる俺が居るから始末に悪い。



======FIN======
■アトガキ■
突発的に書いたSSなので、アトガキぽいものもないのですが;
一度も筆を休めず最初から最後まで書くことが出来たです^^
お読みいただきアリガトウございましたv
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