グリ織

HATCH,HATCH


2.

この卵が自分にとって有利なものになるに違いない、という予測が当たるかどうかはわからないが、元来一つのことに夢中になると脇目も降らずその事で頭がいっぱいになってしまう男は、その日から一心不乱に卵の世話をした。
ただし、非常に見た目が悪いことは自覚している。
だから藍染に押し付けられたから仕方なく、という態を装ってはいたが、こういったことは一度気にかけるとどこまでも気に掛かってしまう。例えば朝日を浴びた卵の色艶は、昼の陽射しを浴びた時と何ら変わるわけではないはずなのに、グリムジョーにとってはひどく瑞々しく、今日も元気な卵だ、と認識する材料になる。
昨夜はそういえば、ぽろりと腹の穴から落としそうになったが、その影響はなく着々と育っているらしい、と充足感に機嫌を良くする。

卵を渡されたその日、ウルキオラの目を盗んで織姫の部屋へ行った。

織姫はまだ自分を警戒しているのだろう、何故自分がこの部屋に来たのかという訝しげな顔をしてみせたが、卵を見せると、少し不思議そうにその卵を見た後で、ひどく柔らかい顔で笑った。

楽しみだな、と微かに呟いた。
それから、きっとかわいい子が生まれてくるんだろうな、と言い、その後しばらく黙り込んでいたが、頭の中であらゆる想像を繰り広げたのだろう、青ざめたり慌てたり、どんどん表情を変えて最後に、一体どんなラストシーンがあったのか、グリムジョーの腕に手を置き「大切にしてあげてね」と必死な顔で迫った。

彼女の細い指が、自分の腕に触れた。

グリムジョーは卵をころころと転がしながらあの瞬間を何度も何度も思い出した。
あの女の顔が迫って、あの女から、そういう意味でないにしても身を寄せてきた、と思い出すとグリムジョーはいやにくすぐったい気分になった。
けれども、妙に満足でもあった。

それで、毎日一度は織姫の部屋に顔を出し、彼女に卵を見せるようになった。
あいつが見てぇなら見せてやってもいいか、という程度の気持ちで見せるのだが、織姫は嬉しそうにそれを受け取ってしばらくはじっと見入った。

卵を見ている織姫の隣で、自分はつまらなそうに寝たふりをしているだけだったが、たまに目を開け、彼女の顔を見た。
何が楽しいんだとも思うし、よくそう真っ白なだけの卵を──実は自分も毎朝日に透かして今日も元気そうだ、などと思っているのだが、そんなことは棚に上げ──ずっと見続けていられるもんだとも思う。

するとたまに、織姫が自分の視線に気づくのか、ふっと視線をこちらに向け、それから何か話しかけるように、にこにこと笑いかけるものだから、その度にグリムジョーは視線を逸らし、また寝たフリを続けなければいけなかった。

ウルキオラもグリムジョーがこの部屋に来ていることは察しているようだが、さすがに面と向かって鉢合えば論理的に自分を口で懲らしめるウルキオラに何を言われるかと想像するのも面倒くさい。だからウルキオラがそろそろ来る頃だという頃合になると、グリムジョーは織姫の手から無言で卵を奪って、その部屋から出た。
気分は大抵良かった。
織姫と何を話すでもないが、ころころと表情を変えながら卵を見ている女の姿を見ているのは飽きない。

だから織姫の部屋を出た後は機嫌良く、虚圏の真っ白な砂漠の、誰も来ないようなお気に入りの場所へと向かった。

グリムジョーは暇を持て余しながら砂漠の真ん中にぽつんと寝転がると、腹の上に卵を置いて、何を思うでもなく、ぼんやりと時を過ごした。
目を瞑っていると、卵を温める任を言いつけられて以来は、この卵に何が入っているのだろうかと想像する。
ふと転卵するかと思い出した時などは特に、卵の中に何が入っているのかと考えた。

藍染がその孵化を待ちわびているのだから、相当強いに違いない。
十刃候補になるかもしれない。
こんな小さい卵から孵るのだから、それなりに小さい生命体であろうが、その破壊力は俺より・・・いや、俺の霊圧で育ってるなら、俺より強いのは癪に障る。
俺の次ぐらいに強い破壊力を持っていて、小さいなりに、俺らとは違った役目を担うこともあるだろう。例えば敵の目を盗んでその懐に入って脇腹に虚閃を穿ち、致命傷の穴を開けることも可能だ。この卵から生まれたチビはおそらく俺ほどではないが、相当クールな見た目をしていて、俺の従属官となり、手となり足となり、俺の言うことにだけは従順で、他の奴らも一目おかざるを得なくなる。俺一人でも十分だけどな。まァそういう奴がいるってのも悪くない。

平生、他人を見下したような態度のウルキオラも俺を見直さざるを得ない。その役に立つチビの仲間を孵したのは誰だ、俺だ、とすぐに気付くだろうからな。
東仙に至っては、目の上のたんこぶである俺がさらに強い奴を従えるようになるんだから、歯噛みして悔しがるだろう、へ、ざまぁみろだ。穴が開いてねェ奴にゃ出来ねェなァ、何せ体の中心に穴が開いてる俺だからこそ格別な霊圧をこの卵に影響できるんだぜ、大好きな藍染さまのお役に立てなくて残念だったな。

・・・という具合で、グリムジョーはどんどん空想の翼を広げていった。
しまいには、誰も周りに居ないにも関わらず、格段天に向けた鼻を反らし、ふふん、とそれを鳴らした。

そして、作られた日暮れ頃になると体を起こし、腹の上に乗せていた卵を大切そうに持って、立ち上がった。

その時分には、さすがに己が都合の良い想像をし過ぎたということに気付いていて、己に恥じて苦々しい顔で「おい、てめえが出てこねェからだ」と卵に愚痴を言わずにいられなかった。

すると卵の中はしんとしていて、当然返事が聞こえるわけもなかったが、手の平に乗せたその卵はじっと暖かく、グリムジョーはいつもまるで何かしらの返事が聞こえてくるかも知れないような気分に駆られた。

しばらく耳をそばだてて、どんな物音も逃さぬように、時折は卵の殻に耳を当てて中の様子を窺ってみたが、返事らしきものも、それどころか物音一つ聞こえはしなかった。
つまらなそうにちっと舌を打ち鳴らし、グリムジョーはそれを腹の穴の中にしまい、夕闇も落ちる空にゆっくりと飛んだ。

そんなことが日課として定着した10日目、ようやく卵の中から、コツン、と殻を弾くような音が聞こえた。

腹の穴に置いたままぶらぶらと虚夜宮を歩いていた時のことだ。
少し卵が揺れた気がした。
先ほど転卵したばかりだったから、不安定な置き方のしたのかと思ったが、不安定なら不安定で勝手に転がって止まったところで落ち着くだろうと気にせずそのまま何か面白いことがないかと歩いていると、コツン、と聴こえたのだ。

虚夜宮の長い廊下であるから、足音は響く。
己の足音もかつんかつんと響き渡り、周囲の壁に当たって返ってくる。
だが、己が足並みを乱さなければ、その音はずっと規則的であるはずだ。
だから、コツン、と突然聴こえた音は、或いは背後に誰かがいるのか、どこかの部屋の物音がこの廊下に響いたのかということも考えられるのだが、グリムジョーは咄嗟に足を止め、腹を覗き込むために上半身を屈めた。

グリムジョーが止まると、響いていた靴音の反響もすぐに止み、あたりはしんと静まり返った。

じぃと見る。
顔が逆さになっているから、視界の上に卵がある。
その卵を、ただひたすらじっと凝視する。

卵は暫時沈黙していたが、グリムジョーが見ることに飽きて体を起こそうとしたその瞬間に、ぐらんと揺れた。

「・・・・!?」

再びじっと凝視していると、今度はトントン、とノックでもするかのような音が聞こえた。


「・・・・お」

何故か緊張し、ごくりと生唾を飲み込む。

「・・・──おい、出てくんのか。」

しん、と黙った後に、とんとん、とまた聴こえた。

どうも内側から、叩いているらしい。

それが鳥のように嘴でもって叩いているのか、破面のように人間に似た形をしていて、手で叩いているのかはわからない。

「出るんなら早く出てこいよ」と再度声を掛けると、とんとんとんとん、とひどく焦ったような音と共に卵が揺れた。


急かすような音だ。


もしや、とグリムジョーの頭に考えることも忘れていた『孵化できるはずなのにまだ孵らない卵』という情報が過ぎる。
ここに来て初めて、この卵の中の生命が無事に生まれてくるかどうかわからない、という事実に気付いた。

そして気付くや否や、グリムジョーは乱暴に卵を掴んで穴から出すと、くるりと向きを変えた。
誰かに見せなければ、という思いが先に立ったのだ。

深く考えもせず、もしもの時があった場合に、あの女なら何とか出来るだろうという希望もあったのだろう、織姫の部屋へと走り出していた。


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