8月 arpeggio      - PAGE - 1 2 3 4 5
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「誰が行くか。」

ゾロの声には僅かに苛立ちが感じられた。

「まァまァ。いいじゃねェか!」

対して、ウソップの声は彼の機嫌を如実に現し、軽く弾む。

「それによ、お前だって行くつもりだったんだろ。」

「テメェの女が来るってわかってりゃ帰った。」

絶好の避暑地があると聞き、取材を申し込んださるペンションは、オーナー夫婦にいくら頼み込んでも許可が取れず、ゾロとウソップは去年の夏、シロップ海岸へと訪れた。面と向かって取材を申し込もうと言ったウソップの提案に乗ったわけでもなかったが、口コミ情報で有名なペンションが本当に記事として書くにふさわしい場所なのか、事前情報があまり得られなかったため、この目で確認したかったというのがある。とは言え、待遇の良いペンションに地元の者と観光客が僅かばかりのこの広くもない海岸は、来た瞬間にここを記事にするべきじゃないと感じたのがゾロの本音である。この場所は、観光地であろうか。いいや、観光地という言葉はふさわしくない。
ここは、海岸である。
ただそれだけなのだ。
オーナー夫婦はいやに無口な記者をつれて熱心に取材を申し込むカメラマンの願いも固辞し、ゾロを安堵させた。

だから今回の取材旅行が終わろうとする時に同行していたウソップがシロップ海岸へ寄って行こうと言った時も、一泊ぐらいならばとあの地を思い出し、即座に了解した。ただ、惜しむらくはせっかく自分が気に入っている避暑地へ寄るというのに、ナミが居ないことだ。
デートどころか数ヶ月ろくに口も聞いていない女を、一度は浮気してると誤解したと言うのに、それでも以前と同じ笑顔を見せたあの女を、出来ることなら連れてきたかった。
だが、車を持っていない奴に後から来いといきなり電話することも出来ない。
もしかしたら免許自体持っていないかもしれないしな、と後付けて自分に言い聞かせた。

罪悪感もあった。
ナミとの時間をなかなか作れないというのに、この仕事が終われば数日休みを取る予定だった。
つまり一日でも早く帰れば、それだけ彼女との時間を作ることが出来る──まぁ、これはナミ次第でもあるか、とゾロは思うのだが。

しかし取材の終わりに近づいた時点で急遽ウソップがあの海岸へ寄って休日を楽しんで帰ろうと言い出したのだから、ナミを呼び寄せるわけにはいかない。

ゾロはそれを決して口にはしなかったが、胸中で残念と感じていただけに、シロップ海岸へ向かう車中でウソップが現地で恋人と待ち合わせしているという話を聞かされて、ひどく腹を立てた。
自分だって考えたことだ。
恋人と付き合い出して、しかも上手くいっている最中のウソップなら尚更、同じ希望を持っても当然である。
が、それを実行しているところがゾロと違う。
なるほど常日頃からウソップは取材地での手配や日程を組むのだから、帰途、恋人と待ち合わせるということも可能だ。
それならば自分が日程を組めばいいとは、ゾロはそういったことが自分にとって不得手とわかっているから、考えることもなかったが、だが、惜しかった。
せめてこの取材が決まった時にウソップがこの予定を自分に言ってくれれば、ナミはタクシーででも来たかもしれない。
・・・来なかったかもしれないが。
確率がゼロと断言できない以上は、頭の中だけで諦めるということはしたくない。

ゾロはとうとう、ペンションの前にある海岸に車が停まった時、俺は帰ると言い出した。
比べてウソップは依然上機嫌のまま「別に邪魔だとか思わねェって」と、ゾロが遠慮しているのだと決め、また続けてこう言った。

「どうせお前どこ行っても仕事してねェ時は寝てばっかじゃねェか。」

言われれば、返す言葉もない。
ゾロにしてみればそれは休める時に休んでおこうという理由があるからだが、周りから見れば仕事以外ではすぐに退屈して寝る奴だと思われていても何ら不思議ではない。

「・・・わかってりゃ俺一人で帰った。」

考えた末、何故この地まで自分を連れてきたのかと問う言葉を用意する。

「ゾロ、お前なァ・・・」とウソップは、呆れ切った表情をしてみせた。

「いいか?俺は彼女いねェお前にも楽しい夏休みを過ごしてもらおうとだな。」

「女ぐらい・・・」

いる、と言っていいのかどうかとゾロが躊躇った時だ。
ウソップのケータイが彼の胸元で鳴った。
どうも待ち合わせをした女かららしい。
到着の時間ぐらいはメールしておいたのだろう、高速が少し混んでたが、今はペンションの前に居るとウソップははきはきと答えた。
そしてすぐに電話を切ると、「早く行こうぜ」と車のドアを開けた。

冷房の効いた車内に潮の香りが、生温い風と共に滑り込んできた。



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ウソップの女は、珍しくウソップの法螺話ではなく、綺麗という部類に入る容姿をしていた。
最初、胸を反らして紹介した同僚がこの後どれだけ長く馴れ初めを語るかと思ったが、それはせずにウソップはへへっと照れくさそうに笑い、「お前の部屋の金ぐれェは払ってやるぜ。無理に付き合わせちまったしな!」と、ゾロの肩に手を置いて、それっきり意識をそっと後ろに佇んでいる彼女に向けながら俺らは明後日に帰るつもりだ、と言った。

「お前はどうする、ゾロ。」

「ここに居てもすることがねェ。お前、その女の車があるんなら俺が明日あの車乗ってくぜ。」

ここまで自分が乗ってきた車はウソップのものだ。
だが、ウソップの彼女もまた車で来るしかない地に一人で居るということは、車を持ってきているんだろうと判断し、「鍵貸せよ」とゾロは返事も聞かずに手を出した。指先を少し動かし、彼のポケットに入れられたばかりの鍵を渡すようにと促す。
困惑した顔でウソップは「お前一人で帰る?」と呟く。

「おぅ、なんか文句あっか。」

「文句っていうかよ、いいや、ちょっと待て。ゾロ、お前本気で自分一人で帰れると思ってんのか?明日出発して俺らより後に帰ってくるなんてことになるんじゃあ・・・」

「やだ、ウソップさん。まさかそんな───」

ウソップが俺の彼女の──そう言って、こいつがそこで一つ咳払いをするもんだから、俺まで気恥ずかしくなったもんだが──カヤと紹介した女は、肩より少し伸びた薄い金髪を揺らしていた。
ナミより少し長いぐらいだろうか。
いや、でもナミの髪の色の方が明るく、目にさっぱり映って俺の好みだ、と考えていればカヤが不意に自分をちらと見て、視線がかち合った瞬間になんともお上品に笑った。

「おいおい、カヤ。こりゃあ冗談でも何でもねェぞ。コイツ──ロロノア・ゾロって奴ァ、おそらくカヤが今まで出会った人間全ての中で最も方向感覚を持ち合わせてねェ男だ!俺と初めて仕事に行った時ァな・・・」

ゾロは煩そうに唇をムッと曲げると「いいから鍵くれよ」と言った。

「カーナビついてんだろ。」

「お前、カーナビが左って言っても右に曲がるじゃねェか」

「ありゃ右が近道だったんだ。渡せ。明後日まで休みってんなら俺にも用事が出来た。」

「出来たって何だ、出来たって・・・おい、頼むから俺が戻るまでにはうちの駐車場に置いといてくれよ。カヤ、悪ィな、帰りは俺が運転するぜ。見てろよ、この俺様のカーテクを!その昔峠を騒がせた頭文字Uことウソップ様の実力ときたら・・・───」

同僚はゾロに渋々と鍵を渡すと恋人の前でハンドルを切る素振りをしては話を続けている。
あまり興味がない話だ。ゾロは「俺ァ先に部屋に行く」と、車の鍵と同時に渡されたウソップが持ったままだった部屋の鍵を持ち、部屋番号を確認しながらエスカレーターへと歩き出した。


「おい、ゾロ。そっち行くと出口だぜ」


聞き慣れた声に方向転換するとカヤが「あ」と何かを思い出したように言った。

「そうだわ。もし良かったら・・・夕飯に友達を誘ってもいいかしら。」

「友達?」ウソップが不思議そうに首を傾げる。

「えぇ、今日出会ったばっかりの子なんだけど、とてもいい人なの。家も近くみたい。彼氏と二人でここに来てるみたいなんだけど、二人っきりは嫌なんですって。」

カヤはそこまで言うと、ゾロとウソップの顔を交互に見ながら「もし二人が良かったらなんだけど」と断ってまた続けた。

「明日には帰るって言うから、せっかくここで会えたのも何かの縁だと思うの。」

「俺はいいけどよ。カヤも男二人と食事より女がいた方がいいだろ?」

ウソップは随分と恋人に甘い男らしい。
長い付き合いだが、そんなことは初めて知ったと、ゾロは黙りこくったまま興味深くウソップを観察していた。

「けど、その子、恋人同士で来てるんなら俺らと一緒なのは嫌なんじゃねェか?」

「それが、どうしても彼氏と二人になりたくないんですって。喧嘩したわけでもなさそうなんだけど。彼氏じゃないって言い張ってるのよ。」

「へェ?こんなとこに二人で来てる男と女って言やァ、恋人だよな。お、お、俺と、カヤ・・・みてェにな」

ははっと照れ隠しにウソップが笑った。


唐突に、ゾロの脳裏に編集長とたしぎの会話が思い出された。
あの時もどうも居心地が悪かった。

自分という人間は、恋人同士の甘い雰囲気にあてられることが苦手らしい。

嬉しげに頬を染めたカヤがエレベーターに向かい、また歩き出したゾロに気付いて「7時にレストランで待ち合わせしていますから」と慌てて声を掛けた。



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海から遅れて帰ってきたエースには、何故か海で一緒に遊んでいた地元の子供たちも連れてナミの部屋をノックした。
ある程度はタオルで拭いたと言っても、潮の香りが部屋中に満ちる。

聞けば3人の子供たちはこのペンションのオーナー夫婦にも可愛がられているらしく、その内の一人は「『おふしーずん』が終わる時には俺たちが掃除を手伝ってやったりするんだ」と胸を反らした。

それぞれにタマネギ、ピーマン、にんじんと名乗り、さも慣れた様子でナミの部屋にずかずかと入ってくると、ぴょんとベッドに飛び乗る。
エースは「こいつらと遊ぶ約束があるんだ」とまるで同い年の友人のように三人に目配せすると「その前にシャワー浴びてくるから、こいつら見ててやってくれよ」とナミの頭をぽんぽん、と叩いた。
反論する隙も与えずにエースが部屋を出ていくと、三人の子らは口々にナミが住んでいる街のこと、エースとの関係などを尋ねてくる。
ナミは辟易しながら、けれど、嫌いではなかった。
子供が、というだけじゃない。
エースがこうやって強引に自分に頼みごとをすることも、この地まで来てしまっていることも、その実彼を嫌いになれない自分がいるから困るのだ。

「あんた達、またエースと遊ぶ約束してんの?」

「ねえちゃんも一緒に遊びたいのか?」

「だ・・・・っ・・・・違うわよ。いいけど、ほら、もう夕方じゃない。」と、ナミは白い窓枠に飾られた落日を指差すと「そろそろ家に帰んなきゃ、お父さんもお母さんも心配するわよ。」

「俺たち、親は・・・」

あ、しまった。
この子たち、もしかして親が───

「このペンションで働いてるから、ここが家みてェなもんなんだ。」

「・・・・あっそ。」

「ここの事なら何でも聞けよ。俺らが教えてやるから!」

「そう。嬉しいわね。でも残念なことに私たち明日には帰るのよ。」

「なんで?今日来たばっかなのに?いっつもエース兄ちゃん、いっぱい遊んでくのにな」

一体どの子がどの名前だったかと覚えていないが、快活な声でそう言った子供が隣のメガネをかけた子に同意を促すと、その子も頷いて「一日だけなんて初めてだ」と感嘆にも似た声を漏らした。

「あ、そういえば!女を連れてきたのも初めてだ!」

「え・・・」

ドアが開かれた音がした。
わ、と三人の子供たちがドアへ駆け寄り、エースの回りで服の裾を引っ張り「早く行こうぜ!」と急かしている。

「あぁ、ナミ悪かったな。じゃあちょっと出てく・・・」

「あ、ま、待って!」

咄嗟にナミが大声を出して引き止めると、エースと、そして三人の子らが一斉に振り返って不思議そうな顔をしていた。

「あ・・・大したことじゃないんだけど。エース、ご飯はどうするの?」

「そりゃ美しい女性と同席させていただきたいけどな。」とエースは言いながら子供たちの背を押し、ドアの外で待っててくれとすぐさま内側から扉を閉めると、「どうも機嫌が麗しくねェようで」とナミを真正面から揶揄った。

「何よそれ。私の所為?」

「俺の所為かもな。でも」と、一旦間を空けると顎に手を沿え「んん・・・」とエースは天井を見詰めて考えてから、「俺を惚れさせたあんたの所為でもあるしな」と恥ずかしげもなく言いきった。

きっと彼はこういった部分で真正直で、でも言ってから相手がどう思うというのは彼にとってはひとまずどうでも良いことなのだ。
だから、今、私がその言葉にどんな顔をしようとか、必死に返す言葉を考えてるなんて思いもしないで、やけに軽い口調で「だろ?」なんて訊いてくる。

(そういう事言われたら、私だって・・・──)

困る。

現在の自分の気持ちを一言で現すとしたら、その言葉以外は思いつかない。

でもここで戸惑ったりするのは意地でも嫌。

何か、気の利いたこと言わなきゃ。
何か。
何か。

ダメ。

考えがまとまらない。

「──もう、いいわよ。冗談は。」

やっとの思いで出した台詞は、気が利いているものとはほど遠い、何の面白みもない言葉だった。

「冗談じゃ・・・」

「それより、ご飯。私、友達と約束してるの。その子、エースも誘ってくれたんだけど、あの子たちと遊ぶなら・・・」

「友達?あァ・・・あの子か。」

「うん。今夜彼氏がここに来る予定なんですって。その彼氏が仕事帰りで、同僚も一緒に来るから・・・ほら、男二人に女一人なんて可哀相でしょう?女の話し相手が居た方が良いと思うのよね。彼女、内気そうだから心配で。あ、そ、それにね!彼女、私たちと同じ街に住んでるのよ!帰ってからも会おうって約束したの!」

不自然なところはなかったろうかと長く続いた自分の言葉をいちいち頭の中で反芻する。
実は、エースと二人きりになることを避けようとしているだけに違いないのだが、さすがにそれをエースに悟られたくはない。
エースがもし、あの子たちと夜も遊ぶとわかっていたら一人でご飯食べてくるわね、って言ったのに──
焦っていた自分を隠したいという気持ちも手伝って、ナミは「エースが嫌なら私一人で行くわ。初対面の人が3人もいるわけだし。」と言った。

「何時から?」

「7時に約束してるの。」

真夏の日は落ちるのも遅い。
この避暑地では尚更遅いように思える。
あと少しで時計は7の数字に短針を合わせる。

「いいな。たまにはそういうのも。」

うん、いいんじゃねェか、とエースは一人納得して頷き、ドアを勢い良く開けた。
途端に三人の子供たちがどうっと床に倒れる。
ドアに耳をぴたりと付けて、聞き耳を立てていたのだろう。

「お前らも聞いたな。そういうわけで、先に食事だ。終わったら花火でもしようぜ。」

「花火っ!?」

「あぁ。父ちゃん母ちゃんに、やっていいか訊いとけよ。」

「いいに決まってる!エースが一緒だもんなっ」

「な」と、また子供らは互いに頷きあい、人影のない廊下を、その端にあるスタッフオンリーと書かれたドア目掛けて走り出した。

「じゃ、行くか。」

エースは屈託なく笑いながらも恭しくお辞儀する。

ナミもまた鞄を持ち、腰を下ろしていたベッドから立ち上がった。







「聞いたか?」

「うん、聞いた聞いた。」

「エース兄ちゃんは俺たちの仲間だからな!」

「ここは俺たちがキューピッド役してやるか」

「俺にいい考えがある!」


三人はぴたりと足を止め、頭を寄せ合って従業員用の非常階段のその踊り場で、ひそひそと何事か相談し始めた。

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