8月 arpeggio      - PAGE - 1 2 3 4 5
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エースによるとここのレストランは味もさることながら、窓を大きく取ってあるために朝も昼も、夜すらも眺望美しい。
夜はまた空に浮かぶ月と、海に浮かぶ月の二つがあって、今日などは晴れているから尚更に綺麗だとエースはレストランに向かうエレベーターの中でそう言った。

ナミは瞬間、どきりとした。

男の人の口から「綺麗」という言葉を聞いたのは、もしかしたら産まれて初めてかも知れない。

ううん、もしかしたら今まで何回も聞いてきたかもしれない。
自分がこの人と二人きりの時間に意識しているからかしら、と思い、ナミはエースにちらりと視線をやった。

「・・・ん?あぁ、女性の前で他のモン褒めてちゃ世話ねェか。」

ははっと笑う。

続いてエースは、ナミが自分をどうして見ているかは全く気にならないようで、他の男にしてみれば照れくさくなるような言葉を二つ三つ並べた。夜には照明を落とし、キャンドルに灯された火ばかりだから月が浮かぶ空だけでも満腹になるんだぜ、と言うのだ。

「けど、料理も美味ェから、手が止まるなんてこたァねェけどな。」

レストランは、扉が閉められていた。

何でも、このドアが常に開かれているとエレベーターの到着するチン、という音がレストランの中にも微かに届くらしく、それをオーナー夫婦は嫌っているらしい。

「さ、どうぞ。」

レディーファーストのつもりだと言わんばかりにエースは磨かれたロココ調の取っ手を持ち、ドアを開いてナミに先に行くようにと顎で促した。

ナミ自身、旅行が好きだ。
家族でも行くし、一人でも近場なら行くことがあるし、もちろん友達とだって行く。
加えて雑貨やインテリアを売り出す側も目も持ち合わせているから、飲食店であろうとホテルであろうと調度品にはかなり厳しい。

そのナミが、一目が満足した。

アンティークの調度品が人間が歩く動線の邪魔にならぬよう配置され、かと言ってオープン過ぎない空間に、窓の外には月明かり。
遮るはずの室内の明かりはキャンドルとオレンジ色のランプが多少ともされているだけでそう邪魔にならない。
扉が開かれた瞬間にふわりと鼻をくすぐったお酒と料理の匂いも、食欲をそそる。

僅かに止まる宿泊客の大半もこのレストランで食事をするつもりなのだろう。
半分以上の席が埋まっているように見える。
そしてどの席も寛いで歓談する密やかな声が聞こえてきた。

(素敵・・・───)
つくづく、どうしてエースと今二人きりなんだろうと思う。
そりゃ、誰と居たって素敵だと思える空間はやはり『素敵』なのだけど。
例えばもしこれがロビンなら、いい場所見つけたわねって言えるし。
もしもゾロと一緒に居たら・・・ゾロはきっと何も言わないだろうから、私も何を言うこともなく、彼の手を引っ張って彼と二人でこの場所に来たことの喜びを伝えようとするかもしれない。

でも、エースには何て言ったらいいかわかんない。

「あ、あの子じゃないか?」

一席一席が低い衝立で区切られていて、座れば隣の席の客と目が合わないようになっているものの、立っているナミとエースの目にはカヤの金色の髪が僅かに見える。他に人が居るわけでもなく、そうね、と頷いたところで品の良い初老の女性がエースとナミにいらっしゃいませ、と言い、頭を下げた。

「あぁ、いいんだ。今夜は連れが先に来てる。」

あら、じゃああのテーブルの、という言葉を一瞬表情に出し、だがすぐさまに彼女は、ではこちらへ、と優雅な手つきで案内を始めた。
先に来ていたカヤたちが後から二人来ると言っていたのだろう。

ナミとエースもついていくと、先ほど自分たちで見当を付けていた席へと案内された。

「カヤさん、ごめんなさい。遅くなっちゃっ・・・」

ナミさん、と言って振り返ったカヤよりも。
その隣に座っている鼻の長い男よりも。

ナミは、彼女たちの向かい側に座っていた男に息を呑んだ。



♪          ♪          ♪



こいつら何だ。

一体何なんだ。

俺が居るってわかってんのか。

いや、けど話を振ってくるってェことはやっぱわかってんのか。

それにしちゃどうも・・・居心地が悪い。
というか、正直なとこ、部屋で一人酒を飲んでいたい。
そうか。
そういうことか。
旅行先の恋人っつーもんを深く考えたことはなかったが、そりゃそうだよな。
このメシを食って、部屋に戻りゃあとはヤるだけなんだから、まァ何と言うか──こっちが居た堪れなくなるほどの空気を常に発散させていたとしても何らおかしくはない。

(じゃあこいつらが部屋で食事摂りゃいいんじゃねェか?)

別段、俺に気を遣わんでも俺がそういうことを気にすると知らぬウソップでもないだろうに、何でこいつら俺までこの食事に誘ってるんだ。

しかもウソップの女が言うことにはもう二人この席で待ち合わせしていると言う。

冗談はよしてくれ。


さらにこの後ヤりますってェ顔の奴らを見る羽目になるのは少々キツい。

俺だってこの場にナミがいりゃあ、まだ──ま、言ってもあの女とこの俺じゃ、ウソップみてェにどうだ、可愛いだろなんて顔でこっちを見るような視線攻撃は俺は死んでもしたくねェが、ナミと居るという意識だけで防御壁にはなるだろう。

「今日知り合ったばっかでそんなに仲良くなれるってのもなかなかないぜ。まァ3000人のフレンズがいる俺サマには何てことがないけどな!」

ちら、と俺を見る。
何だ?ウソップの奴、俺に何か言わせようとしてんな。
何度か片目を瞑って何かしらと合図を送ってくる。

ははァ・・・・成る程な。

俺に求めてるもんはこれか。

「友達なんて居たのか、お前。」

おっ?今度は涙目になってんな。

喜怒哀楽の激しい奴だ。

泣きながら怒ってやがる。



「お連れ様をご案内致しました。」

もの静かな声にゾロとウソップと、そしてカヤが顔を上げた。
老婦人が少し身を屈ませ、す、と後ろに居た二人に「こちらです」とテーブルを示す。

「カヤさん、ごめんなさい。遅くなっちゃっ・・・」


夢でも見てんのか。

あれか。
俺がここにこの女と来てェって思ってたから似てる奴があの女に見えてんのか。
幻覚って奴だよな。

それなら相当やばい。

声までそっくりに聞こえてやがる。

あまつさえ、俺と目が合って驚いた顔をしている・・・ように見える。


まさか。

そんなわけがない。


冷静になってよく考えてもみろ。

車も持ってねェ女がこんなとこに一人で来るわけが───


「こりゃ、奇遇だね。」


ナミの後ろから、黒髪の男が出てきた。




マジかよ。



♭          ♭          ♭




「あ、あんた確か───」

固まってしまったナミにカヤが首を傾げた瞬間、先に口を開いたのはウソップだった。
ゾロとナミにとってはひどく長い時間に思われたが、それはただの数秒のことだったらしい。
常々飄々としているエースの気配も変わらず、ナミの後ろに在る。
エースはどんなことでも子供のような笑顔を見せて楽しむから、実際にどんな物事も楽しむ性質を持っているのだろう。
おそらく今も奇遇だと言った言葉以上の気持ちは持ち合わせていない。

比べて、ナミの頭の中にはどうしよう、という気持ちだけで満たされた。
ゾロに会えて嬉しい。どうしよう、どんな顔しよう。
エースと二人でここに来ている。どうしよう、どんな顔しよう。

こんなこと初めてで、だって、私はゾロが好きなんだって思って、彼にたくさんの愛しさをもらってたくさん幸せな気持ちになって、だからゾロのこと待てるって思ってたのに。

ゾロのことを考えただけでどきどきして、気分が良くなって───だから、ここに来てエースと二人にならないようにって。

でも、じゃあ何で今エースと二人でこの席に来たら一番会いたくて会いたくなかった人に会ってしまっているんだろう。


こう考えた時にウソップが口を開いたのは有難かった。

ナミはふっとゾロから視線を外し、ウソップを見やった。

「当たり屋の女じゃねェか!」

「ち、違うわよっ!!」

「そっちが彼氏か?カヤと知り合ったのがあんただとはなァ。おいおい、カヤ、この女は前に俺に・・・」

「ちょっと。いい加減にしてくれる?人を傷物にしかけたくせに。」

「うぉい!ちょっと待て!オマッ・・・な、なんってことを!!カヤ、違うぞ、この女のこの口車に騙されちゃ・・・───」

カヤがふふっと笑った。
途端に空気が和んだようだった。

「わかってるわ。ウソップさんも、ナミさんもそんな人じゃないもの。」

にこにこ笑いながらカヤは席を立ち上がると、エースに僅かばかり頭を下げて「はじめまして、ナミさんの彼氏の・・・エースさん?」と言った。

「ち、ち、違うのよ、カヤ!何回も言ったでしょ?私とエースはそんなんじゃないんだってば!」

カヤは静かに笑みを湛えたまま頷いて「こちら、ウソップさん。お二人がお知り合いなんて本当に嬉しいわ」と声を少し弾ませた。

「それから、そちらはウソップさんのお友達の・・・」

「ゾロ。」と言ったのはエースである。

「あら?エースさんと、ゾロさんもお知り合いなの?」

ウソップとカヤは同じように二人の顔を見比べて目を丸くしている。

「じゃあ、席は・・・」

「こっちでいいぜ。いいよな?」

エースが答え、また、ゾロに尋ねた。

ゾロはむぅと唇を尖らせふいとそっぽ向いたかと思えば、やけに低い声で「好きにしろ」とだけ返す。
じゃあ、とカヤもまたナミにゾロの隣に二つ空いている席に座ることを促したが、ゾロの不躾な態度に泡食ったのは、彼と長らく仕事でも私生活でも付き合いのあるウソップだった。
これは怒っている、と判断したのだ。
ゾロが他人に対して『好き』や『嫌い』の感情を示したことは未だかつてウソップは見たことがない。
そのゾロがあからさまに不機嫌な顔をしているのだ。
確かに無口で、決して愛想が良いとは言えない男だが、不躾な男ではない。
ただ、言葉に不器用なだけである。
その男の良いところと言えば、無口ながらも言葉を選ぶというか、本人は選んでいるつもりはなくても適切な言葉を知っているということだ。故にゾロの言葉はいくら自分が喋るだけ喋っても足りないほどの重みを持っている、とウソップは内心でそんなゾロを尊敬している。
だからこそ、今のゾロの態度にこれは、何故かはわからないが、とにかく『危険』だと感じた。

このエースという男と、ゾロを並んで座らせてはならない。
とにかくも当たり屋の女に真ん中に座ってもらうしかないだろう。

「お、おう、じゃあ当たり・・・コホン、ナミさんは真ん中に座った方がいいな!カヤもせっかく知り合った友達と正面の方が話しやすいだろうし・・・」

当たり屋という言葉を使おうとした瞬間、未だ立ったままのナミが恐ろしく冷たい目で自分を見下ろしたので、一旦咳払いしてなかなか自分でも良い理由を思いついたと内心満足しながらそう言うと、エースが悪戯っ子ののように笑って「それがいい」と同意した。


ナミが席に着く。

ゾロは未だそっぽを向き、腹の前で腕を組み、憮然と窓の外を見ている。

エースだけがにこにことウソップとカヤに「初めまして」と丁寧に頭を下げた。


料理を選んでいる間も、酒が運ばれてきても、ゾロは一言も口を聞かない。

そりゃあ、もしもこれが全く初めての他人でもゾロはそう喋ることはなかっただろうが、見知った奴が居る席で相槌も打たないというのは、おかしい。
おかし過ぎる。

そのゾロの機嫌に気付いているのは俺だけだろう、とウソップは冷や汗を流しながら懸命に場を盛り上げようと努めた。
少しオーバーに身振りを付けて、自分の話を大きく説明するだけでカヤは笑ってくれるし、エースもまた白い歯を見せて愉快げに相槌を打つ。
ナミという女は初め、時折困ったような顔をしていたがその内カヤと共に笑い、ウソップの有り得ない話をタイミング良く切り返してはカヤをもっと笑わせる。
エースはと言えば、隣に座る女が喋るたびに嬉しそうに傍らを見る。
どう見ても、仲が良い恋人だよな。

ゾロの奴だけこの場でどうも一人で酒を飲み、料理を進めていたが、その内カヤも『ロロノア・ゾロとはそういう人物』という認識を持ったのか気にしなくなった。

ナミって女はそもそもゾロを見ようともしない。
自分の彼氏を見てあんな態度を取った奴だとでも思ったのだろうか。
それもまた、ゾロを良く知るウソップにしてみれば歯がゆい。
こいつは凄い奴なのだと声を大にして言いたくなる。
友人としてハラハラさせられる時もあるが、ウソップのゾロの印象は総じて『凄い奴だ』という感覚がその多くを占める。
だからこそ、彼女と引き合わせたいと思ったのだ。


(うん・・・?)

おや、と思ったのはデザートが運ばれてきてからである。

それにしては、とウソップはゾロを見た。

それにしては酒をよく飲んでいる。

驚いたことに、ナミって女もエースって奴もゾロと同じ分だけ飲んでいるが、とにかくゾロもいつもと同じぐらい飲んでいる。

そういえば、不機嫌ならそもそも、ゾロがこの場に残る理由はない。

さっさと自分だけ食べて部屋に戻るだろう。
いや、そもそも食べずに部屋に戻るんじゃないだろうか。

ゾロというのは兎角、そういう男に思える。
実際にゾロが嫌いと思う相手と同席したことはない。
おそらくは、という前提を以って、やはり、けれどもゾロがもしも嫌いな相手が同じ席にいれば、さっさと帰っちまうんじゃないかと思う。

じゃあ、ゾロはそう不機嫌でもないのか?


我慢なんてする奴に思えねェし。


「あっ」

考えこんでしまったウソップはいつしか自分の手の力が緩められていると気付かなかった。
アイススプーンが手から滑り落ち、かつんっと音を立てて床に落ちた。

「あ、今新しいスプーンを・・・」

「いや、いいって。もう食い終わってたし・・・よっと。」

足元に落ちた銀色のスプーンを拾おうと、ウソップは僅かに椅子を動かし、身を屈ませてテーブルの下を覗いた。




(・・・・お?)



目をごしごしと擦ってみる。


(見間違いか?)



今、確かにナミの足とゾロの足がくっついていたような・・・そりゃ、女の爪先と、別段意識してるわけでもねェ開かれたゾロの足の、その踵あたりが重なって見えただけだけどよ、確かに───



「・・・・あっ!!」

「え?ど、どうしたの?」

突然叫んだウソップにカヤが驚いて即座に尋ねた。

(思い出した!この女、あの女じゃねェか!!)

ゾロがこの仕事に来る前、アパートの前で少し話していた・・・そうだ、オレンジの髪なんて珍しい。そうか、思い出したぜ。
カメラのレンズ越しなら被写体の顔を覚えてられんのに、どっちもレンズ越しじゃねェからまるで別人だと思い込んでいた。
当たり屋の女と、ゾロがこの前喋ってた女は、同一人物じゃねェか。

じゃあ、ゾロが最近機嫌良かったのァ───おいおい待てよ。それなら、この女、ゾロとこのエースって奴と二股かけてんのか?

(とんでもねェ悪女じゃねェか・・・───!!)

「ゾ・・・」

どこから、さて、ゾロに問い質そうかとした時である。

「「「エース兄ちゃん!」」」と子供らの声がテーブル脇で重なった。

「あ、ウソップ兄ちゃんもいたの?」

「おいおいおい、何だその随分なご挨拶は!俺はお前らが俺サマがいねェことにより寂しがってねェかと思ってだな・・」

って、待て待て。俺。

今はこのちびっ子軍団に構ってる余裕なんてねェっつーのについ、いつもの調子で答えちまった。
我ながらよく回るこの口が恐ろしい。

「ちょうどいいや。人が多い方がいいもんなっ!」

「なっ!」

「んん?何だお前ら。何企んでんだ?」

エースが首を傾げると、三人は「「「肝試し!」」」と口を揃えた。
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