10月 brillante      - PAGE - 1 2 3 4
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秋の風が吹いた。

薄い青空に眩い陽射しが色付く街を包む。

部屋の中を吹き抜けていく風を追って窓際に立つと、道の向こう側のあの部屋に、軽く手を振った男が居た。



♪          ♪          ♪




「さっさと行けよ」とその男は、自分の真後ろに立っていた彼女に振り向くとさも面倒とばかりに眉間に皺を寄せ、まるでぶっきらぼうな口ぶりで促した。

久しぶりのデートにしては少々、期待外れな気がしないでもない。
けれども、それでこそゾロとも思ってしまうからナミは何ら反論することもなく店の中へと入っていった。

せっかく二人の休日が合わさって、この満たされた気持ちのままゾロと終日一緒に居られるなんて日がこの後も毎週続くわけじゃないのだからと思えば優しい気持ちにもなれる。

ちりんちりんと鳴ったドアの向こうで店員がいらっしゃいませ、何名様ですか、とお辞儀している。

二人、と言おうとして、その数字にナミはふと心地良い気分に満たされた。
自分がゾロの連れで、ゾロが自分の連れで、それだけで先刻ゾロが見せたデートには似つかわしくないな態度も口ぶりも愛しくなってくる。
今朝からずっと、ちょっとした事が嬉しい自分がこそばゆい。
手を繋いでるわけでもないのに隣に歩くゾロの体温に緩みがちな顔を懸命に引き締めてはそれでも緩み、二度か三度、ゾロが何笑ってんだと不思議そうに首を傾げたぐらいだ。

「二人です。」とゆっくりと答えると、店員が妙な顔をした。

「?」

「お連れの方は・・・」と言い掛けた店員の言葉にふわふわ浮かれていて心がふっと覚め、振り向けばゾロが居ない。
店内に入ってきているのは自分一人だけで、見ればドアの向こうでまだメニューを見ている男が居る。

「あ、ちょ、ちょっとごめんなさい!」

愛想笑いも忘れて店員に告げるとナミは慌ててまたドアベルを鳴らし、外に出た。

さすがに涼しくなってきた風がピンと頬を打つ。
ゾロは出てきたナミにようやく顔を上げ「おぅ」とだけ言うと、またメニューに視線を落とした。

「何やってんのよ、あんた。メニューなんかお店の中で決めればいいじゃない。」

別にそう怒ることでもないが、後ろに居ると思っていた人物が居なかったものだから、ナミは一瞬動揺したのもあって、つい叱るように早口で言うと、ゾロは「ここ酒飲めんのか?」とドアの前、ランチメニューをことこまかに書かれた黒板を指した。
ランチドリンク、と書かれた項目には酒類のメニューは一つたりとてない。

「頼めば飲めるわよ。多分。夜は置いてあるんだから。」
「飲めなかったらどうすんだよ。」
「飲まなきゃいいじゃない。お昼から飲むつもりなの?」
「・・・・・・。」

非常に不服そうだ。

そりゃ、私だってあったら飲みたいわよ、あんたの奢りだし、と言うとゾロはむっと唇を結んだ。

さらに不服そうだ。

「何よ、その顔。」
「奢りなのかよ。」

頷くかどうか迷う。
もしもこれがゾロじゃなければ、こっくりと頷いてみせる。
もしも今日が久しぶりのデートじゃなければ、女に払わせる気?なんて返すことも出来る。

だが、今日はゾロとの久しぶりのデートの日なのだから、些細なことでも喧嘩したくないのだ。

さてどうしようと決めかね、考えあぐねていると、ゾロがもう一度口を開いた。

「じゃあ、俺の知ってる店にするか。」と言う。

「あんたの知ってるお店?」

このお店じゃないと不満なの、という言葉をまたもぐっと抑えている内に、ぐいと腕を引かれた。

「大体昼からこんな高ェ店で食ってどうすんだ。」

「そんなに高くないわよ。ランチメニューだもん。こういう日のために日頃節約してるんだし。」

抑えているつもりでも、今日会えると決まった日からこのお店でランチしたいと何とはなしに思っていたレストランが遠ざかればナミも多少機嫌が悪くなる。拗ねた子供のように小さく頬を膨らませて足をわざと鈍めに動かしていると、自分の腕を引く男が背を向けたままで「あぁ、そういや」と突然納得した。

「何?」
「・・・・前に、仕事で・・・──」

空いた手で頭の頂辺りをがりがりと掻いて、その男は何か説明しようと薄くちぎれた雲を散りばめられた空を暫し見上げていたが、「いや、何でもねぇ」と話を強引に打ち切った。

「何よ、気になるじゃない。」

『完全に機嫌を損ねる』と言えるまであと僅かだろう。
ナミの声はどんどん低くなっていく。
今朝からご機嫌さながら、高く、可愛く、それでいて柔らかく響いていたナミの声が通常の音色に戻っていくといった具合だ。

以前職場で自分の担当ではないが、誰かが特集記事のためにOLにアンケートを取った際、編集部の皆で結果を話題に笑っていたことがあった。そこへ偶然通りかかったゾロもまた、統計結果を見てOLの支出が男の自分に比べて外食などに使われていたことが多いのだと知ったのだ。そこで、女は無駄遣いが多いなと言ったら、たしぎを筆頭に女子社員から散々どうして外食が好きかやそんなんじゃデートで彼女に嫌われるだとか、四方八方から反論され、うんざりした。
自分が高いと思う店に入ろうとしたナミにその日の事を思い出した。

が、説明するにも面倒くさい。
とにかくここは自分の知る安くて旨い店に連れていって、納得してもらうしかないだろう。

それに、とゾロは思った。

今朝から機嫌良く可愛らしい仕草や声を出すナミを見ていると、どうも落ち着かない。
そもそも休日の街中で、連れ立って歩くという事が不慣れなのだ。
出かけるとしたら一人であることが多いし、いつも通り歩いているだけなのに足速いと後ろから小走りに駆けてくる女を待つ必要もなかった自分が、隣の女の歩くペースに合わせて歩かなければいけないというだけで、疲労度が増す。
その上どこに行っても自分たちをワンセットとして店員に見られるのも、気恥ずかしい。
せめてナミがいつもみてェに気取ってなきゃ気楽というものだが、年甲斐もなく──この言葉は今朝、会ってすぐに違和感を感じた際に口にするとナミが笑顔のまま睨むという恐ろしい手法で静かに反論したため、もう声にする事は一生ないだろうが──たかがデートってだけでいやに素直になってる女を前にすると、別人と居るんじゃないかという錯覚さえ起こる。

そのナミの手を引いて、徐々に不満を表していくナミの声を聞いていると、昼も近くなった今頃になってやっと今日はナミと『デート』をしているのだという実感が湧いてきたのだから、尚更のこと、引いた腕を離す気にはならない。

もちろんナミが気分を害してしまうのは何よりも避けたい事態ではあるが。

ならばどうするかと後ろの女から発せられる不穏な空気も構わず、ゾロは歩きながら空を見上げてぼんやりと考えていた。

今年の夏は随分と長引いて、10月に入ってもまだ紅葉はあまり見かけない。
ただ、秋空だけは前年と変わらず日々高くなっていく。

(そういや、10月から秋のメニューつってたか。)

秋を意識して、唐突に頭に浮かんだのは腐れ縁の友人の顔だ。

互いに仕事を持っている男が友人と二人して休日を過ごすというわけもなく、さりとて電話しても何を話すということもない。
一度車を少々乱暴に扱って以来、サンジは酷く怒ってしまって用があって電話してもいつもの軽い口ぶりを潜めて喧嘩腰に車の事を仄めかしながらちくりちくりと刺す。
その上、自分も仕事に忙しく、たまに空いた日があったとしても奴のレストランは一人で行くには気が引ける。
せめて行くとしたらウソップと仕事帰りになるが、そのウソップも女が出来て以来、できる限り彼女との時間を作ることに余念がないから、結局サンジの店にはとんと顔を出していないまま日々が過ぎた。

なら今夜にでも行こうかと思ったのは、ナミが高い店で食事したいんじゃないかという事と、久々に友人の顔を見るのも悪くねェと思った事と、あの女好きな友人にこいつを俺の女だと言ったらどんな顔するかという悪戯心が湧いた事が見事に一致したからだ。

「お前、バラティエって覚えてっか。」

「・・・え?う、うん。」

「そっち行きゃいいだろ。」

「・・・今から?」

「夜。あのクソコックにも最近会ってねェし───」

そこまで言って、ゾロはぽつんと脳裏にナミを彼女として紹介する自分の姿を存在させてみた。




恥ずかしい。

長年の友人に自分の女を彼女として紹介する、というのがこれほどこっ恥ずかしいことだとは思わなかった。
しかも相手がサンジなら、口うるさく馴れ初めだの何だのと追及してくるだろう。

やはり、紹介はなしだ。

出来ればバラティエに顔を出すのもやめようかと思い掛けたと同時にナミが「まさか気遣ってんの?」と言った。

雑踏の中に在って、ゾロにとって不思議なのはナミの声だ。
秋の行楽日和ともなれば家族連れも多く、子供が嬉しげにはしゃぎ、時折こっちの会話が遮られるんじゃないかとほど喚きにも似た大声で泣いている子供もいる。
他にもあらゆる店からは呼び込みも兼ねてか有線の曲が流れたり、その店のアピールに務める店内放送が流れ出ていたり、これが雨なら少しは音も収まるだろうが、気持ちの良い秋風に誘われて扉を開け放している店が多い。
周りを歩く奴らの声も近い。
所謂、人ごみの中なのである。
だと言うのに、ナミの声は常に傍にある。
小声であろうと笑みにこぼした吐息だろうと、己の耳は確実にそれを捉える。
そして無意識であるにも関わらず、その声に女の機嫌を伺う自分が居る。

くだんねェ、と内心で呟いた。

ナミの声に耳を立てては女の機嫌を伺う自分など極めて存外だ。
それがまたナミの態度と相まって、自分を落ち着かなくさせる原因でもあるから余計に嫌になるのだが、如何せん無意識である以上、そうせずにおこうと思っても神経を耳に集中してしまってから、はたと自分のしている事に気付くという体たらくだ。

「そんなもん、遣うか」と投げやりに返したのは、朝からのそういった自分に苛立ちを持っていたからということもあったが、ナミはそれを照れ隠しとでも思ったのか軽く笑って受け流した。

「ねぇゾロ、手引っ張んのやめてよ。子供じゃないんだから。」

とうとうナミがそう言って手を振りほどこうとした。
少し惜しまれて、ゆっくり離す。
出来ればこのまま触っていたかった細い腕に包まれた熱は、風よりも心地良い。

強引と思われようが、せっかく『デート』たるものをしているのだから、やっぱりもう一度女の腕を掴もうと振り返るとナミが先に口を開いた。

「そんなに早く歩かないでって言ってるのに・・・大体、あんたが言ってるお店ってまだ遠いの?結構歩いたわよ。」

きょろきょろと辺りを見渡すと、ナミはもう人ごみの中で見つけることも出来ない目当てだったレストランに諦めをつけ、小さく溜息を零した。

「もしかして、迷子になってないわよね?あんた。」
「なるかアホ。俺が迷子なら俺と一緒に居るテメェも迷子じゃねェか。」
「何で私が迷子なのよ。ちゃんとここがどこかぐらいわかってるわよ。その道を右に曲がったらあんたの会社があることも、左に曲がったらバス亭があることもわかってるわよ。」

ほらね、とばかり胸を反らした女を見ながら、その腕を掴もうとした手で拳を作ると、ゾロは心中で狼狽していた。

(あの道曲がったら会社?編集部か?待てよ、何でそんなとこ来てんだ?)

考え事をしている内にナミを連れていってやろうと思った定食屋とは違う方向へと来てしまったようだ。
しかも自然と職場への道を辿っていた。
この事実をサンジが知れば、帰巣本能かと笑われること間違いない状況だ。
つまり、ナミにも知られたくない。

「・・・もうすぐだ。」

予定を変更する。
右に曲がりゃ編集部ってんならここから迷うことなく行ける店がある。

編集部が入っているビルの真横に、行き着けの店があるのだ。

「ふぅん?道が分かってるならいいけど。」

「当たり前の事言うな。」

「どうだか。」

今度はふふん、とこれ見よがしに鼻を鳴らす。
機嫌が上向きになってきたことは良しとするが、またくすぐったい声を出し始めたらこっちが居た堪れなくなる。
ここは一つ、そう気取ってばかりいられたら困ると言うべきかと思いながらゾロがナミの腕を引こうとしていたことも忘れて拳を緩めて何とはなしにポケットに手を突っ込むと、突然、その腕にナミが飛びつくようにして腕を絡ませた。

「な・・・・・にしてんだ、テメェは。」

「引っ張られるよりこっちの方がいいのよ、バカ。」

口調は軽い。

「知ってる?」

編集部に日曜日が休日という概念がないから、この辺りで誰と出くわすとも限らない、と思うには思うのだがナミを振り払うということはどうしても出来ず、ゾロは覚悟を決めた。まぁいいか、という曖昧な言葉と、よし、と何故か気合をこめた言葉を二つ、頭に浮かべながら「何を」と尋ねると、自分の腕に絡んだナミの手にきゅっと力がこめられた。

「あんたって、自分では顔に出してないつもりでしょう。」

危うく出てねェだろ、と言うところだった。
だが、出てねェだろと言ってしまったらさっきから色々と思い出し、考え、どうするかと迷った自分を全て悟られてしまう気がする。
傍らの女を見下ろせば、自分の顔を覗き込もうとしていた女と視線が合った。

「喧嘩したくないのよね。今日は。馬鹿みたいじゃない?」

「まァ───それで無理してんのか。」

「無理じゃないわよ。でもちょっと我慢したわね、確かに。」

うんうん、と頷いてナミが続けた。

「けどもうやめるわ。あんたってばいちいちここに皺寄せて考えこんじゃうんだもん。」

そう言って自分の広いおでこの下、眉の間に指を乗せてナミは、は〜あ、と大仰な溜息をついてみせた。
ナミが動くたびにいちいち、それが腕に伝わってくる。
まだ肌寒いと言うにはほど遠い気候で、大して厚着しているわけでもなく、だが、暑い日というわけでもないから体を寄せられても不快感は一切なく、むしろこっちの方が良いと言った女に今更ながらに同意する。
確かにこっちの方がいい。

「それでも約束しなさいよ。今日は喧嘩はなし!夜はサンジくんのお店でディナー。それまでお互いに文句言っちゃだめよ。私たち、いつ会えるかわかんないんだから。」

「命令すんな。俺ァハナから文句なんて言ってねェだろうが。」

「今のも文句。ダメって言ってるでしょ?それに今こうやって歩いてるのはあんたがお酒飲みたいとか高いとか文句言った所為よ。」

「へぇへぇ。」

「返事は『はい』!一回でいいの!」

「はァ・・・」

元気になったらなったで口うるせェ。
さっきのが文句だとしたら、つまり俺に口開くなって言ってるも同然じゃねェか。
自分が落ち着かなくないような可愛い素振りを見せられるか、黙らざるを得ない元気を見せられるか、どちらかがマシかと言えば後者ではあるので、とりあえず口を閉じることにするか、という結論に至ってゾロが唇を結ぶとナミが絡めた手でゾロに止まるようにと腕をくいと引き止めた。
雑踏で足を止める。人ごみは、流れるようにそうそうと自分たちを避けていく。

す、と背伸びをしてナミがゾロに耳打ちをした。

「もう、生理終わってんのよ。」

だから、とナミの言葉に合わせてゾロの耳たぶに吐息が掛かった。
風に比べて暖かい。

「喧嘩したくないの。わかった?」


女に言われた通り、『はい』と一回。


よくできましたと笑顔を見せると、女はさっきから気付いていたのだろうちかちかと着信ランプが光っている携帯電話を取り出して「カヤからメールだわ」と言った。
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