6月 loco      - PAGE - 1 2 3 4 5
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コビーが会議前に淹れたお茶もとうに冷め切っていたけれど、「片付ける前にちょっと一息つかない?」と、お茶を淹れた部下を誘って温くなったお茶を手に新商品が並べて置かれた机をしげしげと眺めた。
ここまで頑張ってきたのだから初夏のこの商品があと一週間もしない内に店頭に並ぶかと思うと感慨深いことこの上ない。
それは部下のコビーにとっても同じようで、湯のみを手にしたままじっと商品たちを見守ってばかりで何の言葉を発しようともしなかった。

「これから暫くはのんびりできるわ。コビーもお疲れさま。」

雑然と皆が疲れを労い合った会議室も今はナミとコビーの二人きりだ。続く沈黙の中、ナミはぽつりと思い出したように呟いて湯のみながらも僅かに上げて乾杯の素振りを見せた。

「と言ってもまたすぐ忙しくなるのよね。」

はぁ、と溜息をついたナミにコビーはエースがナミに覇気がないと言った時のことをぼんやりと思い出していた。
そういえば、あの時はそうでもないと思ったけれど、こうして一息ついてみれば確かにどこか元気がないような気がする。
ただ、どこが彼女は今元気がないと思わせる原因なのかはわからず、暫し躊躇ってから「実は」と切り出した。

「課長がナミさんに元気がないと心配してて。」

「課長・・・あぁ、エースのこと?」

「はい。ナミさん、無理しないでください。僕だって──僕はそりゃ頼りないことは自分でもいやってほどわかってるんだけど、手伝えることは手伝いますから!」

そう言ってコビーはどん、と胸を叩いた後、あまりに力強く叩き過ぎた所為かげほげほとむせこみながら(おや?)と心中首を傾げた。

(ナミさん、今、課長のこと・・・・)

「なーにやってんのよ、コビー。しばらく早く帰れる内にジムにでも通って体鍛えた方がいいんじゃない?」とナミは一頻りむせこむコビーを笑ってから、「それに、あんたのおかげで随分助かってるんだから。」と続けた。

「何せあんたが何も出来ない時から仕事を仕込んだのは私なんだから。今のあんたが私の助けになってないわけがないのよ。」

自信満々に言い切って、まだ涙目のコビーの背を力づけるように叩くと、ナミは「じゃ、そろそろ片付けましょう」と会議用のパイプ椅子から立ち上がった。

「は、はい」と、コビーが眼鏡の奥の涙を指でぬぐっていると、会議室のドアがこんこん、と二度鳴らされた。
返事をする前にかちゃりと開けられたドアの向こうには、たった今、会話にのぼったばかりの課長の姿があった。

「エースじゃない。何か忘れ物?」
「あぁっ! やっぱり!」
「・・・? 何よコビー、いきなり大声出して。」
「い、いえ、何でもありません・・・」

ぱっと両手で口を塞いでコビーはバツが悪そうに「僕湯のみを洗ってきます!」と素早く机上に残った湯のみをお盆の上にまとめると、ぶつぶつと何かを呟きながらそそくさと会議室を出て行った。

「何なの、あの子。エース、あの子に何か変なこと言ったんじゃないでしょうね。」

「さぁ?けど言ってたことは聞こえたぜ。」

ドア付近に居たエースの真横を通り過ぎる瞬間、コビーは口にしたつもりはなかったその呟きがエースの耳に届いたのだ。
エースがくっくっと楽しげに笑うと、ナミは怪訝な気持ちを隠さずに眉を潜めた。

「何が聞こえたの?」

「『また長くなっちゃう』ってさ。」

「長い?何が?」

ナミはさっぱりわからず、エースに答えを求めたが、彼もまた肩を竦めて「それより」と話題を転じた。

「今日の夜空いてるか?」

「見ての通りよ」

商品の山をまるで指揮棒を持っているような優雅な指先ですぅと指し、ナミはふふっと笑った。
この仕事が一段落して、今、とても充足しているのだ、とその笑顔でもって返してくる。
エースもまた機嫌良く──この男が機嫌の悪い時があるのか、とナミは最近思うことがあるのだが──相好を崩すと、「じゃ、今夜は飲みに行くか」と軽い調子で誘いの言葉を投げ掛けた。

「あら、いいじゃない。皆もきっと・・・」

「二人で。」とエースはナミの言葉を打ち切らせて即座に答えると、「じゃあ仕事終わったら。」と早々に部屋を出て行こうとした。

「二人で?」

「いい女と飲むのは二人きりじゃねェとなァ」

やっぱり冗談なのかどうかわからない。

だけど一ヶ月前ならともかく、今の自分は課長としてのエースを認めていて、そしてまたエースという男の人柄も決して嫌っているわけではないのだから一杯ぐらい付き合い程度なら良いかとナミは納得した。
仕事が終わって、祝杯の一つ、お茶ではなくちゃんとしたお酒であげたかったというのもある。

「奢りよ。」

去りかけた背に念を押して、手元の書類を片付け始めた。



♪          ♪          ♪




「なるほどねぇ」とエースは何杯目か検討もつかないほど空けたグラスをまたくいと飲み干した。
ワンショットとは言えアルコール度の高い酒を飲んでいる割に、顔色一つ変えず、かと言って淡々としているわけでもない。
飄々と、という言葉はこの男のためにあるのだろうと、ナミは感心の念を抱かずにはいられなかった。
そしてまた、一杯軽く飲んで適当なところで帰ろうと思ったのに、エースが水がジュースかを飲むようにすいすいと杯を進めていくから自分も同じように飲んでしまう。気付けば3時間が過ぎていた。
その間にわかったことと言えばこの上司が聞き上手だということだ。
逆に言えば、それぐらいのことしかまだわからない。
本音を隠しているのかとも思ったけれども、相手が本音を隠していてこれだけ自分が楽しく話しているだろうかとも思う。
とにかく、自分の話に決して深く入ってるわけでなく、一呼吸を置いた後にエースなりの答えを返してくるから、会話はどんどん弾んでついぽろりとゾロのことを漏らした。
いや、この酒の席で三時間も経ってからようやく口にしたということは、ナミとしては内心何度も自問自答した結果だった。
何せナミの頭の中は、決して表面に出さないようにいくら努めても、やはりゾロという存在がこびりついて離れず、思い出して苦しく、思い返して甘く。
ふわりふわりと浮かんでは、それでいて最後に会った日の激しいキスの感触が突然唇に蘇り、だけどすぐにゾロの部屋に行って求めることだけは嫌だった。
ナミにだって意地がある。
こういう時は男から謝るべきだ、なんて根拠のない先入観もある。
よしんば会いに行っても、あれだけ怒っていたゾロに何と言えばいいのか、と考えた時、全ての言葉がゾロの耳に言い訳となって聞こえるのではないかと考え、その事を考え出したらついそわそわしてしまう自分が居ることも妙に気恥ずかしくなった。
これだけゾロのことばかり考えていたのだから、いくらアルコールに強い体質のナミであっても三時間、彼のことに一言も触れなかったのは彼女がゾロの話題をエース相手にしても仕方ないと我慢していたことに他ならない。

けれど、ナミは何杯目かに頼んだグラスが緑色のカクテルを目にして、ふとゾロのことを喋りたくなった。

幸か不幸かエースはゾロを見たことがある。
ほんの些細な時間だけれど、ゾロを知らない人にゾロのことを話すよりは幾分、口も開きやすかった。

ゾロとケンカしたこと、その理由、それから何も連絡がなかったことをおおまかに愚痴を交えながら話すと、エースはナミの言葉が切れた時を見計らって「なるほどねぇ」と頷いて、酒を飲み干した。

それからじっと押し黙って何か考えていたが、店員にこれをもう一つ、と再度酒を頼んだ。

「悪いのはどう考えてもあいつなの。あいつよね?私が先に折れてやる必要なんか全然ないんだから。」

「まぁ・・・・一言あんたに言ってけば良かったかもな。」

「そうよ、その通りよ。そうでなくても・・・あいつに相談したいことがあったのに。」

「相談?」

「旅行のことを相談しようと思ってたの。相談に乗ってくれるって言ったのに、おかげで・・・旅行にはロビンのおかげで行けたけど、だからって帰ってきてもごめんの一言も何もないんだから!言うに事欠いて『どこ行ってきたんだ』よ。私が先に聞く言葉じゃないと思わない?」

「それで元気がなかったってわけか。」

エースが何気なく口にした言葉にナミはぐっと言葉を詰まらせた。

「・・・それ、コビーに聞いたわ。」

「残念なことにあいつが一番あんたをわかってると思ったからな。」

「何が残念なの?」

「あんたを一番知ってるのが俺じゃないってことが。」とエースが言ってナミがまたも言葉を失った時、彼の頼んだオレンジ色のカクテルがカウンターに置かれた。

「けど、もう一人居たのか。」

「もう一人って・・・まさかゾロのこと言ってるんじゃないでしょうね?あいつはこの世で一番、私のことわかってない奴よ。」

「へェ」

エースは生半可な返事を聞かせると、一息に酒を飲んだ。
彼がグラスに口をつけている間は会話も途切れる。
ナミもまた、冷たいグラスを持ってミントリキュールをベースにしたオリジナルカクテルを口に含んだ。
すっと爽快な香りが口内に広がって、ゾロのことを話したことで少し熱がこもっていた頭が冷めていく。

「わかってないわよ。だって、会った回数だって少ないのよ。仕事だって全然違うし・・・」

「仕事ね。そりゃお互い働いてりゃ仕方ねェ時があるだろうさ。」

「違うわよ。どっかの会社勤めとかじゃなくって、記者なの。一月、仕事で連絡がなかったってのも海外に取材とか何とか言ってたわ。2〜3日帰らないこともあるし、平日のお昼に休みなことも───とにかく私たちとは全く違うの。」

「記者か。記者ね。ふぅん・・・・」

「その『ふぅん』はどういう意味の『ふぅん』なの?」

エースはナミの質問を受けてようやくちらりと視線をナミにくれると、「気になるか?」と妙に落ち着いた声で問うた。

「嫌な聞き方ね。それ。」

「俺ァ嫌な奴なんだ。」

「ふざけたこと言ってないで、質問に答えてよ。」

ナミはそう言って、頬を膨らませ、唇を尖らせた。

その仕草がいやに可愛い。
自分のペースについて、飲む女なんかはどこか無理しているらしく、三時間も飲めば大抵酔い潰れてしまうか、酔ってることに気付かずヒステリックな女性本来の感情を剥き出しにするものだが、ナミの仕草はそれとは違う。
目は職場に居る時と何ら変わらず凛として、自分の言葉に対して返ってくる言葉も至って普通のテンポだ。
だからその仕草はいやに可愛いのだ。
つまりはナミがこの仕草を見せているのは酔っているからではなく、自分に気を許している証拠ではないか。

もしも今、ナミが男の話をしていなければ即座にその頬にキスしたいような衝動を感じた。

だが、実際にナミは男の話をしているのだからできるわけがない。


あの雨の日に見た男とナミに何らかの関係があるとは思っていたが、実際にナミからその男の話を聞かされて、エースは言い様のない気分に襲われた。
口を開けばそんな男はやめとけという言葉が出そうになるのだが、そんなことを言うのはどうも子供じみている。
そうだ。
大人の男なら、彼女の心が自然と自分に向けるようにすりゃいいだけだ、と己に言い聞かせる。

何しろこんないい女をたかだか男が居たぐらいで諦めることはしたくないのだから。

「あんなふうに見えて記者ってことはさぞ愛の言葉を囁いてくれるんじゃねェかと思ってな。」

「見た通りの奴よ。あいつがそんなこっ恥ずかしいことするわけないじゃない。」

「普段はそうでも、最中はな。」

最中って何、と聞き返そうとしてナミはその意味に気付き、突然顔を真っ赤にして俯いた。
グラスを掴んでいた指先に力がこめられたり、けれどもすぐにふっと離れて硝子の表面に浮いた水滴をなぞったり忙しなく動く。
相手がエースじゃなければセクハラだと笑い飛ばせるのに、この男がその行為を彷彿とさせる言葉を口にするから、やけに艶を増していて、茶化すことが出来なくなった。
どう答えようかと迷った挙句に「それでも言わないわ」とナミは気丈な声音で、内心ではやっとの思いで、エースに返した。

「ふぅん。」

「・・・・・・・・二回目。」

「いや、記者のくせに言葉を上手く使わねェなんて勿体ねェと思ってな。」

でも、いくらそう言われたって、ゾロが他の人より胸に響く愛の言葉を囁いたかどうか何度考えても一つも思いつかない。
だけど彼が私を求めてくれることが嬉しくて、私もあの日精一杯だったから、もしかしたら言ったのかも知れない。

「そりゃ、だって、記事を書くのは仕事の時だけでしょう?」

「あぁ、そうかもな。プロ意識って奴か。」

「そうじゃなくって・・・」

ゾロの記事は、丁寧に書かれたことが伝わってくる。決して飾り気のない文章が私は好き。的確に物事を捉えているその視点も好き。あいつがどれだけ真摯な態度でデスクに向かってるのかが目に浮かぶ。でもそれはゾロに出会ってから思ったことで、彼に会う前はどう思ってただろう。
確かに好感は持っていた。
その記事をゾロが書いていると知ったら納得した。
だけど記事の向こうに書いている人に対する憧れとか理想を抱いていたわけじゃない。
だから私は特別な思い入れも持たずにその記事を読み、その上で好感を抱いていた。

「ゾロは・・・そんなこと、しないわ。」

「そんなこと?」

「じゃなかったら、納得できない。うん、そうよ。そうなの。どっちが先かじゃないのよ。あいつはやっぱり見たまんまなの。だから私、あいつのこと・・・───」



ナミが帰った後に、エースはまた一つ酒を注文した。
同じもので、と言い掛けて「いや、やっぱいいや」と軽く手を振って取り消し、「水で」と注文した。
まだ酔う量ではない。

だが、アルコールが入っていない水を己の内に流し込みたくなった。



♪          ♪          ♪




ゾロの部屋に明かりはつかない。

電話してみようかなという気はもうない。

だって、あの部屋の明かりがつけば、今の私はすぐにでもこの部屋を出て、あいつの元に走っていけるもの。

窓際に置いた椅子に座る。

ゾロは誤解しっぱなしで今頃私に腹を立ててんのかしら。

だけど何故かくすぐったい。

ゾロが連絡をしてこなかったとか、誤解されてるとか、考え過ぎていたみたい。

あいつの頭の中がどんなに怒ってたとしても、私のことを考えているかも知れないと思うだけで嬉しくなるなんて、おかしいかしら。

おかしいとしたって、本当に嬉しいんだもの。


半年前、この部屋から名前も知らないあいつを見てた。
今の私もやっぱりこうやってあいつの部屋に明かりが灯されることを待っていて、同じように見えてそうじゃない。

私はゾロの肌を知ってる。

ゾロがどうやってキスするか知ってる。

熱い吐息のまま、私を抱いたあの手を忘れるもんですか。


だから私はもう大丈夫。

思い出したの。

私は彼を好きなのだという言葉が頭に浮かんで、それから、思い出したの。




loco───その場所で。

変わることなく彼を待っているこの幸せ。

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