Even though, like him !





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「ナミさんはどこの掃除?」

「渡り廊下。ビビはどこだっけ」

「私は教室」と、椅子が上げられた机をよいしょ、と掛け声一つ持ち上げてビビは「また後で」と、私に清掃の分担場所へ行くように促した。

軽く手を振ってから体育館と本校舎を繋ぐ渡り廊下へと急ぐ。
体育館へ繋がる渡り廊下は、吹きさらしだから枯れ葉が予想外に多く落ちている。
階段もあるのだから大掃除と時間をたっぷり用意されても何をすればいいかわからないけど、葉っぱの掃除だけでもいつも時間が足りなくなるから多分今日はゆっくりと進められる。
しかも、暖かい小春日和に外の掃除は気分がいい。

思いっきり竹箒を動かして、動かしたら、気分も晴れるような気がしてたかが清掃だと言うのにやるわよ、と心中で呟きながら廊下を歩いて階段まで行くと、見知った背中が階段を上へと昇っていく姿が目に入った。

清掃の表を見るたびに何となく、その名簿の一つの名前だけは自分の名前よりも先に探してしまうから、アイツの清掃分担が昇降口とわかっている。

(・・・どこ行くの?)


階段の踊り場に付けられた小さな窓からは逆光が眩しい。

瞬きを一度だけすると、もうゾロの背は見えなくなっていた。


「・・・・・・・・」


階段と同じ傾斜の手すりに置いた手は、指先からひやりと冷たい感触が伝わってきた。
でも、日は暖かい。

踊り場の小さな窓から漏れる陽射しは暖かい。




「あ、アイツ・・・───」


太陽の光が肌を柔らかく温める日は、決まってアイツは寝てるんだから。

掃除サボッて、この階段から続く屋上に行って寝るつもりなんだと思い当たった。


「・・・・」

躊躇って出した足はやっぱり引っ込めて、一段、階段を下りるとナミはじっと考え込んだ。

降りた足を見ている。

今から掃除。

渡り廊下に行って、竹箒を持ってきて、友達と他愛もないお喋りしながら葉っぱを集める。


春の風は頬に当たってきっと気分は晴れる。





「───最後だしね。」


級友たちと他愛ないお喋りで笑いながら掃除するのも、2年生になっても同じクラスになれるとは限らないし。




でも、最後だし。


最後だから、じゃあ───



「んもう!」



はねた髪を指先で直しながら階段を昇る。一段一段に、体が重いとも、足が動かないとも感じない。
ただ、自分の体に何かいつもと違う部分を感じるとすれば、結んだ唇がそのままの形で崩れない。
頬はこわばって、眉間には自分でそうしようと思ったわけでもないのに力がこめられて、深い皺が出来てる。

体は重いんじゃなくて、もどかしい。

足は何かに急かれて半ば速度も増して屋上への階段を昇っていった。

二階にある教室から三階へと上がって、四階も去ると突然階段は暗くなる。
周りに窓がなくなって、後は屋上に繋がるドアの曇りガラス越しの頼りない光しかなくなるからだ。
それでも日中は暗くて歩けないというほどではない。
ただ、この屋上へと続く細い階段だけ、空気が突然冷たくなる。

屋上はこの季節、わざわざ出ようと思う生徒も居ないのだろう。

曇りガラス越しにも人影は見えず、そこまで勢い任せに階段を昇ってきたナミは拍子抜けしてしまった。

ゾロが居ると思ったのに、あの目立つ緑の頭がない。

ぼんやりと見える曇りガラスの向こうには、屋上の白い床と、給水タンクと、青い空だけが在る。

(見間違い、とか・・・)


まさか。

あれは確かにゾロだった。


(じゃあ、屋上に来たんじゃなくて、三階に用事があったとか?)

振り返ってちらりと三階の教室へと続く白い廊下に視線を這わせてみたけれど、学年の違う上級生の見知らぬ顔があるばかりで、ゾロが居ると思えない。

ドアノブに掛けた手を躊躇に一度下ろしかけた。


「・・・・でも、一応・・・・」



ゆっくりと銀色のドアノブをまわすとカチャリと小さな音が鳴った。

鍵は開いている。

少しずつ開けようとしたドアは、意に反して吹いた風に押されて一気に開け放たれた。




++++++++++++++++++++++++




ぼんやりと青空を見ていた。

何を考えるわけでもねェが───どうも、頭の片隅にオレンジ色がちらちら見える。


こういうのは何を考えるわけでもねェとは言わないか。

あの女のこと考えてるしな。


それにしても、何であいつ。


「逃げたのかわかんねェ」


彼は呟いて閉じた唇を僅かに尖らせた。

屋上を吹く風は自分の短い髪も撫ぜて自慢げに通り過ぎていく。
何が自慢げって、俺がそう感じただけだ。

ここで寝転がって口を尖らせてる俺を笑ってるみてェだから自慢げに思える。

あぁ、そうだろう。

俺がこうやってじっとしてる間に動き回って、今頃渡り廊下にいるあの女ン所にでも行けるんだからな。

勝手にそうやって俺を嘲笑ってろ。




そこまで考えて、彼はチッと舌を打ち鳴らすと仰向けに横たえていただけの体を、ごろりと反転させ、右手を枕に目を閉じた。

屋上のコンクリートは服の上から肌に冷たくまだ春は遠い気がする。
一方で、遮蔽物のない屋上では青空に燦々と輝く太陽から降り注ぐ日光に、左腕は熱くすらある。

考えている。
考えながら、どうかと思う。

昨日、歩く道すがらに視界に入ったあの目立つ橙の髪に気付かない振りをして、先に目を逸らしていたのは自分だ。
ナミはもしかしたらその自分に気付いていたんじゃねェか。
それで機嫌損ねやがったとか。

でもなきゃ、そろそろ知らない素振りも不自然な距離に来た時、アイツに向けた視線が、アイツのそれと合ったはずなのに次の瞬間にはナミが背を向けてあのポニーテールの女に何か喚き立てながら足早に立ち去った理由がない。

───そんなわけねェか。

ナミは知らねェって言ってたしな。

あの女は言葉を偽ることも出来るだろうが、その言を信じるとすりゃ俺の勘違いってことだ。


勘違い・・・・・いや、確かに目は合った。

目が合った。

アイツは俺を見ていた。



「・・・・くだらねェ」



忌々しげに呟いた時、風の音ばかりが聴こえていたこの屋上に異質な響きが混ざった。

誰かがドアを開けたのだ。


上履きがアスファルトを打つ音は、ぺたぺた、と言っては語弊がある。
かと言って、どすどす、というのはもっと違う。

ただ、その表現し得ない音からわかるのは、その足取りや、音の軽さから察するにそれが女だということだ。

ドアはバタンと大きな音を立てた。
風が押したのだ。
俺が来た時もそうだったから間違いねェ。

俺の手を振り払うようにドアノブは離れて大きな音をこの無人の屋上に響かせた。

女は一時驚いたのか、足音を立てまいとゆっくりと歩き始めた。

その所作を見ているわけじゃねェが、何せ雨風にさらされてお世辞にも綺麗だとは言えないこのアスファルトに身を横たえているのだから、足音が右半身から響いて響いて仕方ないのだ。

一歩、二歩、と何気なく女の足取りを数えながら、閉じた瞼もそのまま、ゾロは早くこいつが去ってまたこの開放感の中何にも邪魔されず午睡でも貪りたいと願っていた。


「・・・・・・いるの?」




あの女じゃねェか。


・・・・聞き間違えたか。


いや、でも、あの女だ。

───それにしちゃ、あの女があんな小せェ声出すわけねェか。

けど、あの女だよな。




瞳を開きかければ暫時閉じていた瞳に太陽の陽射しが眩し過ぎる。

もう一度閉じて、今度は無意識にではなく意識的に女の足音に全身の神経を集中させれば、先程までおずおずと歩いていたその軽い足音は、幾分速さを増していた。

「いないの?」

躊躇いのなくなった声音に、あの隣の席の女だと確信する。
要は、いつもあの女が級友と話す時に使う声音だ。
唇から伸びるように真っ直ぐ出された声だ。


「見たのよ、いるんでしょ?」


三声目にして僅かに強さを増した声がどんどん近づいてきた。
給水塔の裏で日向で寝そべっている自分の姿など、あと数秒で見つけるだろうと思い、瞳を開こうと瞼の筋肉を動かした。


動かしたのだが。


(・・・また何か文句言われて終わりか)

何の用か知らねェが、ナミの野郎、聞こえてたのに返事しなかったと俺を叱り飛ばすに違いない。
そうでなくとも最近ナミは機嫌が悪い。

昨日のことにしても、その前の日も、その前の前の日も、ナミは日増しに機嫌を悪くして俺が何をしても顔をしかめていた。

返事をしなかったことでないにしても、大方掃除をサボッてるってェだけで怒鳴り散らすつもりだろう。




結論も早々、彼女に見つかる前にゾロは瞼を閉じていることに決めた。

何せ屋上の風は心地良い。

春を告げる陽光にともすれば、ここが学校ということを忘れてすぐにでも眠りに落ちることができる。


「ゾロ!やっぱりいるんじゃない!」


頭上で声がしたと同時に閉じた瞳に翳りが生じた。

暖められていた体にふっと影が落ちた。ナミが真上に上りつめようとしていた太陽から降り注ぐ光を遮って、寝そべっていた自分の顔を覗きこんでいる風景は、瞳を開かずとも容易に想像が出来る。


影が落ちた途端、暖められていただけにひやりと寒い。



「どうせ狸寝入りでしょ、ゾロ。わかってるんだから起きなさいよ」

るせェ。
起きるか起きないかは自分で決める。

・・・と、反論すれば狸寝入りしたと認めることになるのでとりあえず黙っておく。

黙ってりゃ諦めてさっさと去るだろうからな。


「へぇ。そう。そういう態度なわけ。先生に言おうかなぁ。ゾロがここでサボッてましたって」


なら、テメェは何だ、テメェは。
テメェもここにいるだろうが。

この馬鹿女。

・・・これもまぁ、心の奥にしまっといてやってもいい。
この女、機嫌がころころ変わるってのァ一年も隣の席で顔を付き合わせてりゃわかる。
ヒステリックに喚いても一過性だ。次の瞬間には友達と笑ってやがる。

そうかと思えばすぐに顔を顰めて俺を見る。

友達と楽しそうな声で話してるかと思えば、俺にいきなり冷たい声で話し掛ける。

最初は気にならなかったそれが、不快に感じて、だがまた不快と思わなくなった。

慣れたのか。

いや、違う。



気付いた。




ナミは俺と話す時だけ冷たい声で顔を顰めて、それから少し頬が赤い。




「もうっ!頑固ね!起きなさいってば!ゾロ!こんな所でサボッて何してんのよっ!」


瞳を開ければきっと、女の顔は逆光にその色を見ることが出来ないのが残念でならん。

見たいものが見らんねェならやはりこのまま寝たフリしてんのが懸命ってもんだ。

今更開けるわけにもいかねェしな。



ナミがストンと腰を下ろしたのか、不意に瞼の裏は赤く明るい世界になった。
真っ暗だった物の見えない世界に白く小さなフラッシュがたかれていく。

ずっと目を閉じているだけだと言うのに、ひどく眩しい。

すぐに、今度はナミの手が俺の肩を揺すった。

遠慮なくゆさゆさと揺さぶられて、起きるなら今が絶好のタイミングだろうなと考えていると、せっかちな女は早々に見切りをつけて「もう!」と再度苛立ちを口にした。

いやいや、俺は起きてやろうとしたぜ。

今のはすぐに手ェ引っ込めたテメェが悪ィ。

「私が起きろって言ってんのに起きない奴なんてあんただけね」


テメェが起こそうとすんのが俺だけの間違いじゃねェか。他の奴には寛容じゃねェか。


「起きないの?」


起きてもいいが起きてやるのもどうも癪だな。


「起きなさいよ、ゾロ。起きないと──」


先公にでも何にでもチクりゃいいだろ。

どうせ今日はもう少しすりゃ家に帰れる。


「・・・起きないと・・・」






「キスしちゃうわよ」













テメェ。いきなり何抜かしやがる。












屋上に散りばめられた春風は、ふわりふわりと動いて徐々にまとまっていくと、強く肌を打って空へと上っていった。

眼は閉じている。

だが、それ以外の神経は全て、今、いや───俺ァ今何を考えてる。

ナミが何て言った。

意味はわかるだろう。

女は今どうしてる。

クソ、この期に及んでまた目を開けるか開けまいか葛藤する自分が情けねェ。

女の制服が、衣擦れを聞かせる。



顔はひやりと冷たい。

翳ったのだ。


頬を軽く撫ぜたのは、ナミの吐息だ。


この女、何考えてやがる。

俺ァ今、何を考えている。








風に待った女の髪が僅かに俺の額に触れてすぐ、すっとそれが離れていった。




「なんてね。バッカみたい。」



呟きを残して、立ち上がったかと思えばすぐに俺に落ちた影が動いていった。

また屋上にドアが閉まる音が響き渡る。







「・・・───」


体を起こせば、日向に寝ていた肌は熱い。

感情に任せて何かを口にしようとしたが、言葉は一つたりとて見つからず、結局また唇を閉じた。





ぐっと結んだ唇の裏側で、歯を噛み締めてただ女の吐息が掛かった頬に。



熱を感じていた。
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