Even though, like him !





3




気まずいことこの上ない。

私の影が掛かったゾロの顔を見ていた。
薄く輪郭を翳りに濁し、それでも広い額や、その額に掛かる緑の髪も、近くで見てみれば案外整った面立ちをしているから胸が苦しくなった。
春の風は私の背をやわらかく押して今がチャンスだって言ってるみたいだった。
何度声を掛けてもぴくりとも動かないゾロの瞼に、私は自分でも信じられないほどに微か、甘く、それから、まるで恋してる女の子みたいに恥ずかしい気持ちを抑えて、キスしちゃうわよと口にした。

キスするわよって言いかけたけど、唇の裏側で戸惑って、しちゃうわよって言った。

するわよって言うとあまりに直情的で私がそれをしたくて堪らないみたい。
そんな言葉を口にしたらきっと私、自分で自分が恥ずかしくて後悔するに違いないから、おどけたように声を出したつもりだったのに、声音は弱く震えた。

ゾロが起きていなくて良かった。

起きてたらそんな事言えたわけもないけど──でもあの媚びているような声をあいつに聞かれてたら、恥ずかしくて恥ずかしくて、穴があったら入りたいって考えてただろうし。

それでも、気まずいことに変わりはないんだけど。

HRが始まって、一年の終わりに先生は饒舌にお寺のお坊さんみたいな説法話を始めた。
ほとんどテストの結果で決まる成績表は予想通りで何の驚きもない。
すぐに鞄にしまいこんで、クラスの大半がそうしているように鞄を机の上に置いたまま先生の話に耳を傾ける。

清掃の時間に開かれた窓はそのままで、正午も近くなって愈々暖められた春も目前の風が教室の中をさわりと駆けていった。

はねた髪も揺れる。

軽く手櫛で整えて、せめてもう少し窓を閉めようと思った時、突然視界に翳りが落ちた。



「・・・・・っ・・・───」

紺色の制服。

屋上で全身に陽の光を浴びてた制服を纏った腕が私の頬の真横にあるだけで熱い。
それから何か、くすぐったい匂いがした。

確かめたくなって腕に近い自分の顔が無意識に彼へと向けられようとしたけど、胸の鼓動が目の前にあるゾロの腕にどんどん大きくなっていくから慌てて椅子ごと、後じさりした。

ぴしゃりと窓を閉じた後でゾロは「閉めるぜ」とぽつりと言う。


「・・・勝手にすれば」


良かった。今の声は、震えなかった。




++++++++++++++++++++++++




「ナミさん、お昼はどこに食べに行きたい?」

ポニーテールにまとめられた水色の髪が視界に映って、ようやく緊張が解けた自分を知ると、ナミはすぐさま「何でもいいわ」と答えた。いつもよりもずっと長いHRが終わるまでの間中、まさか体が固まって動けないとか、でも体が固まっていることすらも考えられないほど心臓が高鳴っていたこととか、ましてやどんな顔をすれば自然に見えるかということばかりを考えていたなんてことは、ビビや、まだ隣の席に座って帰る気配もないゾロに知られてはいけない。

「じゃあ、駅前まで行ってから決めない?」と、ビビは訊いてきたけれど、顔は綻んでにこにこと笑っているのだから当然ナミも同意するものと思っているのだろうう。別段、今、何が食べたいという特別な欲求があるわけでもなし、ナミもまたビビにそうしましょ、と軽い声で答えて鞄を手に取った。

椅子から立ち上がると古い床がきぃと軋んだ気がした。
一年間この教室を使ってきて、軋みなど感じたことはない。

「・・・・?」

不思議そうな顔でナミが足元に視線を落とすと、床の軋みではなく、椅子の脚自体が何かに阻まれて軽く軋んだのだとわかった。

「邪魔よ。」

声は少し上擦りかけた。
だから、すぐに感情を抑えて、冷めた声音と視線を彼に向けた。
椅子の脚には隣の席にどっかと腰を下ろしてる男の脚があって、そのつま先に引っ掛かって椅子が重心を床に持たせたのだ。

ゾロはじっと黙り込んで、不機嫌な眼差しを一度だけナミに向けると、すぐにまたそっぽ向いてあぁ悪ィと自らの足をついっと引っ込めた。後は手持ち無沙汰にふぁと一つ欠伸して、ぼんやりとそれぞれに帰っていくクラスメイト達の顔を見ている。

不意に苛立ちが湧いた。


「何なのよ。気分悪いわね、あんた。」

「悪くねェ。」

「あんたの気分じゃないわよ。私の気分が悪いって言ってんの!」

「テメェが機嫌いい時の方が珍しいんじゃねェか」と言うと、ゾロはようやく顔を振り向かせてニッと笑った。白い歯が覗くその顔は、悪戯っこのようにも見える。

「あぁ、けど、俺も気分いいわけでもねェか。」と笑う。

「・・・そりゃ、あんたが機嫌良さそうな顔なんて見たことないわよ。いつもこんな顔してるじゃない」

大げさに眉を潜めて、両手の人差し指で眦の端を吊り上げてみせると不安げに成り行きを見守っていたビビが「ナミさんてば」と場を取り成そうとしたのか苦笑しながらまぁまぁ、とばかりに広げた両の掌をナミに向けた。

「あら、ビビだって言ってやりなさいよ。どうせ今日で終わりよ。この仏頂面見るのも。」

(あ、やだ)

ちくって痛い。

自分の言葉が、ちくちく、胸に刺さってく。

今日で終わりよ。

まだわかんないわよ。

でも、4月になったら同じクラスになったとしても、隣の席に座ることなんてない。

そうなったら、こいつと私は話すことなんてなくなる。

だから、今日で終わりよ。

どれだけ言い聞かせてもどうしても期待している結果になると思えない。

「そんな・・・ナミさんてば」とビビはますます苦笑いのまま、でも何と言えば良いのか思いあぐねて言葉を止めた。

窓はゾロが閉めてしまったから、春風がこの三人の沈黙を流してくれることもない。

もし、今風が吹いたら私の、顔に出せないこの暗く沈んだ気持ちも少しは忘れられそうなのに。

「来年になったら、あんたの顔も見なくて済むわ。せいせいする。」


ゾロが唇を開こうとしないから、これが本当に一年で最後の会話になっちゃったんだと思うとついさっきまで悪態吐くことしかしなかった自分が恨めしくなって、せめてあと一言と「バイバイ」と短く言ってようやく席を立った。

なぁんだ。

立ってみたら、それだけのこと。





こいつのこと好きなのに、じゃなくて、好きだから、だったのよね。

私の馬鹿。




++++++++++++++++++++++++




水色の髪が揺れた。
その影に隠れるようにしてちらちら見えたあの橙色の頭も、水色の髪と一緒に教室を出て行った。

時が一つ刻まれるたびに、窓から入ってくる風が鬱陶しくなった。
担任の声が響く教室は確かに息苦しい。
淡々と同じ声音ばかりが続けば、いつもなら寝て時をやり過ごせばいいものを風が冷ます頬の熱が妙に惜しい。
うつうつと時が刻まれる毎にあの屋上で感じた熱も、耳の奥に残る声も、夢だったんじゃないかと思う。

懸命に内心で頭を振って、いや、ありゃ夢じゃねェと言い聞かせた。

女はくだらねェ先公の話に聞き入って俺を見ようともしない。

また風が入ってくる。

女の髪が揺れる。

なびいた髪がついさっき俺の頬に触れた。

風と共に流れるそのオレンジ色の髪が俺に触れていた。



咄嗟に腕を伸ばして女の向こう側から生ぬるい風の出入り口になっていた窓を閉めた。

ナミは驚いた顔に、僅かに不機嫌になったようで、ぶつくさと文句を言ったがそんなことはどうでも良かった。


あの瞬間、俺はナミのそういう姿を、屋上できっとそうだっただろうその姿を、寝た振りなんかしてっから見逃した自分に舌を鳴らして、だと言うのに俺が目にすることが出来なかったナミのその髪が揺れる様を他のヤツに見せるのが癪になった。


(くだらねェ)


閉じきった窓を見、級友たちがぽつりぽつりと数人だけが残った教室で心中呟けばどうにもやりきれない。

(たかが数分前のことを悔いるぐれぇなら、目開けりゃ良かったんだ)と、己を叱咤する。

「───くそ・・・」

頭をガリガリとまるで毟るように掻いて、大きく息を吐くと鞄を手にした。

敢えて意識したわけではないが、別段特別な用事もないからとゆっくりと昇降口へと歩いていく。
靴を替えて校舎を出ると3月とも思えぬ陽気に青い空から眩しく春の陽がアスファルトを照らしていた。

帰宅する生徒に混じって部活でまだ校内に残る生徒も昼飯を買いに出ていくのだろう。
同じ制服の一群が校門のあたりにはまだ多い。

強いて言うなら、彼らが普段より大きな荷物を抱えているか、財布だけを手にしているかの違いだとぼんやりと考えて、「しまった」とゾロは言った。

そうだ、今日は終業式で、来年以降教室が変わる。
机の中のもんも、上履きも全部持ち帰ってこいと親が今朝散々言っていた。
毎年同じことを言われるもんだから忘れていた。
今年はそれでも校門を出る前に気付いたのだからまだマシな方だろう、と自分を褒めてやりながら踵を返し、教室へと戻った。

隣の教室には体育で顔見知りになった生徒がいて、廊下を通るゾロに気付きよぅ、と口をパクパクと開閉して手を挙げた。視線だけを返して今日まで世話になった教室に入る。数人残っていた生徒たちも昼時に教室でくっちゃべっていても空腹が満たされないとわかったのか、今は誰一人いない。

慣れた足取りで教室の中を横断し、自分の席まで辿り着くと机の中を覗き込んだ。

「・・・マジかよ。」

思っていたよりも多い。教科書やノートだけならまだしも、辞書も放り込んである。それらを鞄に詰め込めばさぞかし重くなるだろうと予想して、うんざりとした顔でゾロは渋々と鞄の口を開けた。背中には隣の教室のドアが開かれる音が聴こえてきた。
さっき挨拶をかわした奴らも帰っていくのだろう。
耳を澄ましたわけでもないが、彼らが何か喋っている声が届いてくる。

それから、長い廊下に響く足音───やけにせわしねェ。

「・・・・・・?」

気配を感じて顔を上げた。

「───テメェも親に怒られんのか」

教室の出口に立って、しかめっ面を作っていた女は「誰が親に怒られんのよっ」といきなり怒り出した。
間抜けな言葉しか出てこなかった自分を忘れて、女があまりに予想通りの反応を示したものだからつい、噴き出した。


「な、何笑ってんのよ。」

「いや、別に・・・お前、何してんだ。そこで。帰ったんじゃねェのかよ。」

「忘れ物よ。忘れ物。」

そう言ってナミはしかめ面のままぷいっと顔を背けた。

「やっぱ親に怒られるんじゃねェか。うちの親も終業式の日に忘れモンしてくんなってうるせェけどな。」

「あんたと私を一緒にしないでよっ!馬鹿っ!・・・あ、じゃなくって・・・ううん、あんたは馬鹿なんだけど。」

「あァ?」

ナミは所在無さげに視線を壁や黒板や窓に移しては何かを言わんと唇を開く。
だが、唇から声が漏れることはなく、また閉じる。
教室の中へ入ってこようともしない。

そうする内に机の中にあった物全てを鞄に詰め終えた。
肩に掛けると、思ったよりも重みを感じてチッと舌を鳴らした。
窓の締め切られた教室では存外に大きく響き、舌打ちはどうもナミの耳に届いたらしい。

「何か文句でもあんの?」

「はァ?・・・それより忘れモンしたんじゃねェのか、お前。いつまでそこに突っ立ってんだよ。」

「だから・・・その忘れ物片付けなきゃと思って戻ってきたんじゃない。わかんないの?」

「わかるか。俺は超能力なんかねェ。」

「あんたって何でそう馬鹿なの───違うか。私も馬鹿なのよね。そうよね。そうだわ。何で戻ってきちゃったりしたんだろ。あんたビビに謝んなさいよ。あんたの所為なんだから。」

「何言ってんだ、テメェ。何で俺が意味もわかんねェのに───」





あぁ、ちょっと待て。

つまり、ナミは俺に用があんのか。

俺のために戻ってきたんじゃねェか。


馬鹿じゃねェか、コイツ。

俺がもう帰ってたらどうしてたんだ。

文句を言ってやろうとしたのかと思うことも出来る。

だが、頬に熱が在る。

忘れまいとした熱は、まだ確かにある。

その髪が触れた感触も、未だ俺の肌に残っている。





「・・・・気持ち悪い。何ニタニタしてんのよ。」

「忘れモン、片付けろよ。」

女の言葉は無視して教室を歩んでいけばドア口に立っていたナミは僅かに身を引いたように見えた。
決して逃げようとしているわけではないが下手な事を口にしたら拳が飛んできそうだと口を噤んだまま、ナミの前で足を止めた。

「何か用があるんだろ。俺に。」

やっと大きな瞳が俺を真正面から見た。
微かに顎を上げて俺より背の低い女が俺を見上げれば、額に掛かっていた髪が左右に落ちた。

ナミはじっと唇を結んだまま俺を見据えた後に、意を決したようにようやく唇を開いた。


「ひ、一つ言っておくわよ。」

「だから言えよ」


さぁ、どんな言葉かと考えるだに笑みがこぼれそうになって、俺だってこの目の前でしかめっ面を作り続ける女よりずっと辛い。


「私、今日は髪がはねてるし」


───何だそりゃ。


「あんたはその・・・あんただし」


───まァ、俺ァ俺だが。


「昨日あんたの所為でいらないCD買っちゃったっていうか」

「待て。何の話してんだ」

「いいから聞きなさいよっ!」

「・・・・・・」

意味わかんねェ。
もしかしてやっぱ屋上のことは夢だったんじゃねェか。

ここでCDの金払えとか言われても、そんな金持ち合わせてねェぞ。

「だから、その、私・・・す・・・」

おっ。
いきなり本題が来たか。

よしよし、早く言え。

早く言えよ。


でねェと俺がどうも、居心地が悪ぃというかな。

くそ、テメェの顔が赤ェからだ。

見越した言葉を待ってるだけだってェのに、こっちまで腹の中がむず痒い。

「す・・・・───」









長い。

早く終われ。



───俺が言った方が早ェんじゃねェか。




「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・やっぱりダメ。」

「はァ?!」


女の溜息と同時に俺の全身から力が抜けていく。

そこまで期待させといて何がダメだ、何が。


「ダメ。だって今日は髪がはねてるもん」

「わかんねェ。」

「いいの。今日はとにかくダメな日なの。こういう事はやっぱり万全の態勢で臨むべきだわ。うん、そうよね!あぁやだ、私としたことが何を血迷ってたのかしら。ビビに悪いことしちゃったわ。ゾロ、あんたも一緒に来て謝ってよね。そうね、お昼ご飯おごりぐらいで手を打ってあげるわよ。」

「あァ?何で俺がおご・・・お前がそういうことを決めてんだ。つーか俺が謝る道理なんか・・・」

「いいからおごりなさいよ。今日で一年生も終わりなんだから。4月になったら私たちにおごる機会がもてないかもしれないのよ。」と言うと、ナミは「クラス替えがあるじゃない」と僅かに小さな声で付け足した。

俺が、どうせクラス変わってもたかるつもりだろと皮肉を言ってやると、今度は途端に顔色を明るくして満面の笑顔を浮かべやがる。

「そうねぇ。あんたがそういうつもりならいっくらでもあんたのクラスに押しかけてやってもいいわよ♪」







校舎を出ると春風はやはり女の髪をなびかせた。

その髪先に触れようとすると、ナミがはねてるかどうかもわからない毛先を気にして手で髪を抑えたから、触ることを止めた。


校門の外に水色の髪が揺れているのが目に付いて、ナミが手を挙げて友の名を呼んだ。

今日は俺のおごりであることを嬉々として報告してやがる。


そりゃ決定事項かと悔しくなる。

手を振ってる女の背に屋上でのことを言えばどんな顔をするだろうと悪戯心が湧いた。


「おい、ナミ」


ぴたりと動きを止めて振り返る。




何よって言った顔はやけに嬉しげで、その顔だけで言葉を留めた。



俺はどうもこの女に本気らしい。


風が吹いた。
熱は冷めない。



意味がわからずナミは小首を傾げて、また一人で笑って気持ち悪いなどと言う。

その意味は髪がはねてねェ時に教えてやる、と内心で返しておいた。





-----------------FIN-----------------
■後書き■

+ゐろり+
こういう形で、小説に挿絵を描かせていただくのは初めてで舞い上がるやら緊張するやら・・・!
でも、楽しく描かせていただきましたーv
コラボの醍醐味は、まだお披露目されていない作品を、誰よりも早く拝読できることですよね・・・・v
役得も堪能させていただいて、幸せでした!
こむやん、ホントにありがとーv お疲れ様でした!
そして、見てくださったみなさま、ありがとうございましたvvv

+こむぎ+
ZS推奨サマにめっさゾロナミゾロナミしてる作品の挿絵を描いていただいて恐縮の限りでございますー(汗汗
でもでも、とってもとってもきゅんきゅんする二人の、微妙な距離感がわかる一枚一枚のイラストを拝見できて幸せv(←コルァ)
そうそう、そしてコラボの醍醐味ってまだオヒロメされてない作品を、誰よりも早く拝見できることよね・・・v
一枚一枚、いただく度に拙作などにこんな素敵絵が!とドキドキいたしておりましたvvv
ゾロはモチロン、ナミの表情がvvv小説の中で意図しようとしていたナミたんの心理描写を汲んでいただけて書き手冥利に尽きるとはこのコトだとvvv
くっついたようでくっついてないようでくっついたような微妙なゾロとナミ、ゐろりンがおっさってくれなかったら(そしてあの歌を教えてくれなかったら・笑)書けなかったよー!書く機会をアリガトウvvv

ここまでお付き合いくださり、アリガトウございましたv

ご意見ご感想は拙宅かゐろりサマ宅お好きな場所にてv
いただいたメッセージは二人で大切に読ませていただきマス^^
誤字脱字の指摘・ページの不具合等は拙宅にてv
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