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白い雲の海の上、民は皆太陽のように笑っている。
住人たちの心に杞憂など何一つない。
支配者は消え、長く続いた諍いの火種も尽き果てた。

だがその中に一人。

あの時のように、厳つい顔をさらに険しくさせた男がいた。


暁の時

1


ワイパーの機嫌が悪くなったのはここ数日のことだ。
当初は誰も気付かなかった。
その男は、いつだって不機嫌さながらタバコを咥えて道を歩いたし、彼にしてみれば『見た』だけの行為も、それに慣れない者にとっては『睨まれた』と受け止めてしまう。

だから、そんな彼が殊更機嫌を損ねているだなんて誰一人としてわからなかったのだ。

初めに気付いたのは、仲間たちを遠く、近くに見てはその心情を察することに長けているカマキリだった。

「何かあったか?」と、すぐに尋ねてみたのだが、男はじろりと睨んだだけで何を言うでもなく、それだけにカマキリは瞬時にやはりこの男が何かに拘泥しているのだと悟った。

その事をやはり仲間のゲンボウやブラハムと話している時に何気なく口にすれば、二人は顔を見合わせた後で「そうか?」と首を傾げる。
カマキリが懸命に説明すれば、彼らはそれぞれ腕を組んで最近件の男に何があったかと記憶をたぐり寄せた。

「そういやぁ・・・ゲンボウ、てめェこの前ワイパーの見舞いに行った時メシ食っただろ?それじゃねぇか?」
「俺が原因か?ありゃワイパーが食えって言ったんだぜ。大体お前があんな時間にいきなりワイパーの見舞いに行こうなんて言ったんじゃねぇか。メシ時に行ったから怒ってるのかもな。俺ならそうだ」

肥えた腹に手をやって、ゲンボウが一人頷く。
カマキリが呆れたように首を振った。

「そんな事ぁ今までだってあったじゃねぇか。ゲンボウ、てめェが大メシ喰らいなんてこた、ワイパーはいやってほどわかってるぜ。お前ら二人が変な時間に見舞いに来たってぇだけであんだけ不機嫌になるかよ」

とは言え、この二人はまだそのワイパーの姿を見ていないのだから、これ以上のことは思い当たらないし、何故カマキリがそんなにこの事にこだわっているのかもわからないという具合に肩を竦めた。

しまいには「別にいいじゃねぇか」なんて言い出した二人をサングラスの奥の眼でちらりと見て、彼はまた言った。

「俺ぁな、こりゃコニスちゃんが絡んでんじゃねぇかと思ってる」

「コニス・・・ああ、あの空の民の・・・」

医師の言うことを聞かずに病院を抜け出してくるワイパーを毎日毎日探していた金髪の少女を思い出す。
ワイパーが努めてその声を聞かぬようにしたって、彼女は一日中彼の名前を呼んではその姿を捜しているものだから、ワイパーにしてみたって放っておけなくなったのだろう。
その内自分たちとの話が済めば、すぐにその少女の前に姿を現して、彼女に連れられて病院へとまた戻る。
強い意志を持つワイパーは、一度こうと決めたらどんな言葉にも懐柔されない。
幼い頃からの彼を見てきた自分たちにとっては、非力だろう少女が彼をそうさせているという光景は物珍しいにもほどがあって、最近はと言えば病院を抜け出してきたワイパーに「ほら、彼女が来たぞ」と冷やかしては、彼の反応に新鮮味を憶えて、誰もが苦笑してしまうのが常だった。


「カマキリ、そういう事言ってまたラキにどやされても知らねぇぞ」
噂をすれば影だ、とブラハムが指した先を見て、カマキリは少し眉を顰めた後で「この話はなかったことにしてくれ」と呟くように言った。

遠くからは腰までの長い黒髪を風になびかせた女が小走りで駆けてくる。

三人が座っていた大樹の下へと辿り着いて、ラキは彼らの顔を見渡してから「ワイパー知らない?」と荒い息の合間に尋ねた。

「ワイパー?病院だろ、まだ・・・」

何があったのかは知らないが、新しく建てられた病院に移ってからワイパーはそうそう病床から抜け出すことがなくなった。大人しくコニスの言うことを聞いて、日がな1日、ベッドの上でじっとしているのだ。
それもまたコニスに何か言われて従うことにしたのか、と仲間達は笑みを隠せなかったのだが、ワイパーがそれを知ってあまりにも怒ってしまったものだから、この話はタブーになってしまった。

また、彼にしてみたら仲間達にそう思われることが屈辱だったのだろう。

折角他の患者と同じく病室で大人しくしていた彼は、前ほど頻度は高くないが病床を抜け出すようになった。

当然コニスもそこら中を歩き回って、彼の名を呼ぶ。

今日は彼女の声がこの界隈で一度も聞いていないのだから、ワイパーが病院から出なかった。
あぁ彼女の声が遠くに聞こえるから、そろそろワイパーが来るな、といつしかそれはシャンディアの仲間達にとってはワイパー出現のサインにもなっている。

「さっき行ったら、いなかったんだよ。それでこっちに来てるかと思って」
「コニスちゃんの声も聞こえねぇしなぁ・・・」
ゲンボウが呟いて、ラキがじろりと射殺すような視線を彼に向けた。

「何であの子と関係あるのさ。あの子なら病院にいたよ。呑気に狐と遊んでた」

三人の顔に疑問の色が浮かんだ。

「へぇ・・・?珍しいこともあるもんだな。あぁ、まだワイパーがいなくなったって知らねぇのか」
「ううん、あたしが聞いたらどこかへ行きましたって言ってたよ」
「知ってんのに、探しに来ねぇのか?」

こりゃ愈々何かあるぜ、とカマキリが顎に手を当てて考え込む。

「・・・不機嫌なワイパー・・・奴がいなくなっても探しに来ねぇコニスちゃん・・・喧嘩でもしたのか?」

その言の後でラキは眉間に深い皺を作って言った。

「そんなのどうだっていいよ。あの子、多分あの時の事怒ってんのかもしんないけどさ。けど、あの子には関係のない話だし、ワイパーだって・・・あの子がそれで怒ったとしても、それで何でワイパーが不機嫌になるのさ」

「あの時?」

ブラハムが顔を上げて静かにそれを問うと、ラキは「あの調査の話」と短く言ってから、ワイパーを捜しに行く、とその場を後にした。

カマキリが「不機嫌なのはラキもか」と小さく呟いた。



******************



四日前のことだ。

ワイパーはいつものようにベッドの上でぼんやりと天井を眺めていた。
ちらと目だけを横にやれば、コニスが椅子に座って本を読んでいる。
二人きりの空間も慣れたもので、コニスにしたって無口なワイパーをよく知っているから特に何の気も起こさずに午後の時間を自分の好きに使う。だが、ワイパーが体を少しでも動かせばその気配を察知して不安げな面持ちで顔を上げる。

何となく、それを確かめたくなって、ワイパーは頭の後ろで組んでいた手を解いた。

「どこか痛みますか?」
案の定、コニスは少し手を動かしただけですぐにその大きな瞳を分厚い本から上げてワイパーを覗き込む。

ワイパーの胸の内に妙な満足感が湧いて、表面上は素っ気なく「いや」と答えてから彼は体を起こした。

「わ、ワイパーさん、ダメです。何かあるなら私がしますから!」
ベッドから降りようとする彼の肩を真正面から細い腕で押し返して、頑として男の思い通りにさせない。

「・・・遠くに行くわけじゃねぇ。外に出たくなっただけだ」

言いながらも、振り払えばすぐに押しのけられるコニスをそのままにして、ワイパーは彼女が自分の意思で除けてくれることを待つ。包帯の上から触れられた彼女の温かな手が遠慮がちに下ろされれば、そこに残った余韻を味わおうとしている自分がいる。
いやに馬鹿馬鹿しい気分になって、ベッドの脇に置かれた煙草を口にして火をつけた。

「お散歩なら、じゃあ・・・私も一緒に行っていいですか?」

自分がワイパーを心配することが彼にとって重荷だったのではないかと気付いてから、コニスはいつも彼の機嫌を伺うように上目遣いにそれを訊く。その瞳がいつ見ても、不安ですぐに泣き出してしまいそうなほどに潤んでいるものだから、ワイパーはしかめっ面を浮かべた後に必ず「勝手にしろ」と許してしまうのだ。

ただ、仲間の元へ行くときは、彼女がいると皆が内心で自分を笑っているのがわかるものだから、彼女がまた自分を探しに来ると知っていても黙って病院を抜け出す。いや、実際はこの強面の男が堂々と出て行っても、それを止めようとするような勇気の持ち主はコニス以外にいないのだから、この少女さえいなければ勝手に退院してもいいぐらいのものなのだ。だが、自分が姿を現さなければそれこそ真夜中になっても探し続けるのではないかと思わせるコニスにはどうも弱くて、結局このベッドに戻って来てしまう。
こうして少し外の空気でも吸いに行こうと思う時には、彼女と共に外に出る。

一体何故彼女にはこうまで弱いのかわからない。

そんなことを考えながら外に出て、病院の周りを見て回った。

作られていく町並みは、一日、一日、次第に形を成していく。
それを見ながら歩いていれば、後ろについてきていたコニスが小走りになっていることを知って、ワイパーは歩調を緩めた。

自分に合わせてくれたことをすぐに悟ったコニスが「ありがとうございます」と言うと、彼はフンと鼻を鳴らすばかり。
けれどもその耳が赤いことはコニスからも見える。
背の高い彼を見上げて、コニスはふふっと笑みを漏らした。

その時だ。

ラキが向こうから歩いてきて、ワイパーに手を振った。
シャンディアの仲間たちの中でも見舞いに来る回数がだんとつに多いのはこの黒髪の女性だ。
コニスがぺこっと頭を下げると、ラキは困ったような顔で「いつも丁寧にどうも」と言ってからワイパーに向き直った。

「ワイパー、あの・・・いや、ちょっと話があるんだけど」
くいっと親指で遠くを指したラキを見て、コニスは微笑んで「そう言えば私も先生に呼ばれていたんです」と言って病院の中へと入っていった。

その背がドアの向こうに消えるまでじっと見ていたワイパーは、扉の閉まる音が耳に届いてからようやくラキに顔を向けて「何だ」とぶっきらぼうに言い放つ。

「悪いね、お二人の邪魔しちゃって。けどこれでもあんたがあの子にうるさく言われないように気を遣ってるつもりなんだよ。そんな顔しなくたっていいじゃないか」

眉を寄せて睨むように見下ろすワイパーに怯むことなくラキが皮肉交じりな笑みを浮かべて続けた。

「あの話。次の調査に行こうってあんたが言っただろう?それで、今度こそ他の皆も行きたいって言い出しててさ。どうする?皆何かの役に立ちたいって必死なんだ。あたし達が言っても聴かないんだよ」

唇ではさんだ煙草を一度、上下に揺らして考えた後にワイパーがじゃあ、と顔を上げた。

「その内の何人かにも手伝わせればいいだろう。」
「わかった。あと、空の民の中にも手伝いたいって奴らがいるけど、どうする?」
「空の民?」
「元ホワイトベレーの奴らさ。ほら、今自警団とか言って・・・」

マッキンリーの顔がワイパーの頭に浮かんで、自然と苦虫を噛み潰したような顔になってしまった。
彼は個人的にコニスとも仲が良いのだから、今回の事をコニスが伝え聞いてしまうかもしれない。
そうしたら、また彼女は「行くな」と言うだろうし、それに何より彼にはどうも顔を合わせ辛い。

あの晩のことを知っているマッキンリーとは、その後も二度、三度道で会ったことはあるが、その度に「コニスさんとはどうなった」と口元をニヤつかせて訊いてくる。
それを仲間の前でされるかと思うと、ワイパーは腹に苛立ちを覚えて首を振った。

「これは俺らが勝手にやってるんだ。そこまで大人数にする必要はねぇ」

そう言って、ワイパーが病院の入り口に向かって歩き始めると、ラキも彼の後ろで歩き出す。
彼女の行く先が自分と同じ方向であると知って、振り返れば彼女はふっと口元を緩めた。

「コレ、持ってきたんだ」

肩からかけていた鞄を揺らす。

「何だ、それは」

「皆からのお見舞い。あんたの好きな酒だよ」

コニスがあまりにうるさくするからここにいるというだけで、別に自分は大した怪我人であるとは思わない。
それが仲間の心配の現れか、はたまた『入院している友への見舞いを用意する』ことを楽しんだ結果のものかで言えば、おそらく後者であろう。
悪い気はしないが、これまで生きてきた中でどの気遣いも無用とばかりに突っぱねてきた男は、チッと舌打ちして無言のままに扉を開けた。


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