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今日から調査でまた一週間、森に入ろうという話になっている。
前回の調査では全てを回りきれなかった。
いや、おおよそのことはわかったのだが、何せ少人数だったから大雑把な情報しか得られなかった。
だから今回は、もう少し生態系を詳しく調べようということになった。

コニスには、前回、心配をさせてしまった挙句に言葉のすれ違いから彼女がもう看護に来ないと言い出して、誤解されたままというのが無性に我慢できなくて、結局は自分から謝ってまたいつもの生活に戻った。
それから二週間もしないうちにまた調査に行こうという話がまとまって、言えなかったのだ。
かと言って、仲間だけに任せて自分はベッドの上で悠々としているだけなど性に合わない。
せめて、では、彼女の不安を少しでも軽くすれば良いかと、今回はブラハムと二人で行動すると決めた。
言おうか、言うまいか、言い方次第では彼女もわかってくれるだろうと思案している時に、ラキの言葉を聞いてしまった彼女との間に溝が出来てしまった。

タイミングが悪かったのだ。

その上前回と違って今回は表面上、彼女は笑顔を見せるから尚更にワイパーの機嫌は悪くなる。
何を思っているのかと問い質せず、僅かな彼女との時間は一瞬の内に終わってしまう。
彼女が自分に見切りをつけたのか、と考えてワイパーは咥えていたタバコをぎっと噛み締めた。

(何を・・・───)

実際に彼女が自分に見切りをつけたところで、何を拘泥する必要があるのか。
薄暗がりの中、煙草の煙を揺らしながら病院を出る。
外灯すらもうっすらとしか灯されていないこの朝の時間は嫌いではない。
冷え冷えとした空気の中に、どこか今日の日が始まるという雰囲気が湛えられている。
まだ白みすらも帯びていない空を見れば、星が瞬いている。
ただ、どことなく明るくなりかけていることが朝が間近と知らせていて、その空が好きなのだ。
土の上を歩き出せば、雲の上では味わえなかった重い足音が鳴って、ワイパーはその感触を踏みしめながら一歩一歩と進んで行った。

町を抜けた先の道は、少しずつ、切り開かれてかつてのエンジェルビーチのような憩いの場所を作ろうという声が上がっている。日増しに人が通れるだけ拓かれたその道を通っていると、もう街の灯も届かず、勘と、僅かに月光に照らされた木の根伝いのその道の入り口まで来て、ワイパーは立ち止まった。

つい先程まで、この自分を一人の女ごときに拘泥せしめた彼女がそこに居たのだ。

咥えていたタバコをついっと口から下ろして、掛ける言葉を懸命に頭の中で探していく。

「・・・ここで何してる」

暗闇の中に、ぼんやりと浮かんだ彼女が、今どんな顔をしているのかはわからない。
俺を待っていたのだろうか?
いや、俺がここを通ると知る筈がない。
では偶然にこの時間、ここに来たと・・・?
それも有り得ない。

思考がまた戻って、やはり彼女は自分を待っていたのだという推測を胸に浮かべると、彼女が鈴のような声で言った。

「・・・ワイパーさんを、待ってたんです」

どくん、と胸が高鳴った。
彼女の声が震えたことを知って、それはどんどん高鳴っていく。

「何故俺がここを通ると・・・」
「ごめんなさい」

暗闇の中で、頭を下げたコニスに、ワイパーが焦れたように歩み寄ろうと足を踏み出すと、顔を上げた彼女が「いつもワイパーさんがどこに行くのか・・・心配で・・・それに、話したいことがあったんです」と言う。

「それで、昨日ワイパーさんの後を・・・」
「つけたのか」

盛大な溜息を漏らして、ワイパーは手にしていただけの煙草をまた口にした。

何たる恥だ。
こんな戦闘もしたことのない娘に、自分が後をつけられて、しかも気付かなかった。
いつもなら気付いていただろうに。
それだけ自分が平常心を失っていたということだ。

「・・・ごめんなさい」
漏らした溜息を、自分への叱責と捉えたのだろう。
すっかり萎縮してしまった声が響いた。

「私・・・謝りたくて・・・」
「別に隠してたわけじゃねぇ」
ぶっきらぼうに言うと、彼女がふるふると首を振った。

「そのことじゃないんです。あの、叩いてしまって・・・」
俯いて、コニスはまたごめんなさい、と呟くように言った。

「わざわざこんな時間に来る必要など・・・」
「だって・・・だって、ワイパーさんと二人きりでちゃんと謝りたかったんです。病院だとゆっくりお話ができませんし・・・」
「じゃあ、お前が忙しいのは」

嘘ではなかったのか。

自分を避けていたのではなかったのか。

自分が勝手に思い込んで、勝手に嫉妬して・・・───

その上俺は何をした。
いきなり他の病室に入って、何をした。

彼女の大切にしている本を捨てるように投げて、別に特別な関係でもないこの女を罵ったも同然のことをしたのは、全て勘違いの所為だ。

ようやくそれを悟って、ワイパーは内心であの日の己を恨んだ。
何と浅はかだったのか。
いいや、そもそも何故あそこまで彼女と他の男が喋っているというだけで胸を掻き立てられたのか。

彼女が自分の物だと思っていたとでもいうのか?

苦々しい思いに馬鹿な、と呟いて舌を打ち鳴らすと、コニスがピクッと肩を竦めた。

「・・・いや、お前のことじゃねぇ」
なるたけ優しく言ったつもりだったが、少女はまだ不安げに自分を見ている。
さりとてそれ以上の言葉も持ち合わせていない男は、そんな彼女を見て煙草をぎり、と噛み締めてから彼女の手を取った。
自分がどこへ行くのか、

「わ、ワイパーさん?」

引かれるままに進めば、途中で大きな木の根に生えた苔に足を取られて転びそうになる。
あっと言う間もなく、彼女の体はつんのめって、先を行くワイパーの背にもたれかかっていた。

二人が同時に息を呑んだ。

朝もやの中、次第に小鳥のさえずりが響き始めている。
震える手を彼の背に当てて、その名残を惜しむようにゆっくりとコニスが体を離していった。

自分の背にあった彼女の豊かなふくらみの感触が消えていく。

「・・・す、すみません・・・滑っちゃって・・・」

彼女の声に我に返って、ワイパーはまた握っていた彼女の腕に力をこめて「いや」と答えることしか出来ず、だがその後でふと彼女が「痛い」と顔を歪めたことを思い出して、手を離した。

「もうすぐだ」
小さく言って、先を行く。
もう時間がない。

必ず見なければならないわけでもない。

しかしあの荘厳な景色を見たら、この女はどれだけ喜ぶだろうという思いが自分を駆り立てる。

時折立ち止まって、振り返ることなく彼女を待っては空を仰ぐ。
夜明けは近い。

燃え尽きた煙草を捨てて、新しく一本、粗雑な作りのそれを口にした。
火を点けると、苦みが口の中に広がっていく。

だが、今朝はどうしたことかその味がわからない。

ワイパーは、自分では冷静に振舞っていながら、その実内心ではひどく狼狽していることをようやく悟った。

鬱蒼と茂る森の中を、今、彼女と二人で歩いている。
後ろから聞こえてくる彼女の吐息が耳を打つ。
生唾をごくりと呑んで、まるでその思いを振り切るように、ワイパーはまた歩き出した。

森の端まで来れば、白い海の上はもう間もなく現れる太陽を期待するかのようにゆらゆらと揺らめいてはその身を縁を白く浮き立たせていた。


海岸に立って真っ直ぐ東に目を向ける。
しばらくしてようやく彼に追いついたコニスが胸に手を当てて荒い息を整わせながら顔を上げると、強い輝きの片鱗が雲の縁から突然現れた。

感嘆の息が漏れる。

ワイパーはその声につられたかのようにちら、と自分の隣にいる彼女を見た。

光を浴びた少女の顔は、眩しいまでの笑顔を湛えている。
徐々にその姿を現していく太陽よりも、ずっと眩く、ずっと明るい。
心の底からの喜びに顔中を綻ばせた彼女を見ていたい。
けれども、それも気恥ずかしくて、ワイパーはまた雲海の先に目を戻した。



「・・・あの本は」

暫くして、太陽も昇りきった後にふと思い出した。

『コニスちゃん、嬉しかったんじゃないですか?ワイパーさんが、自分のことに興味を持ってくれたのが・・・』

本当なのだろうか、と今どうしても確かめたくなった。
未だうっとりと空を眺めていたコニスが「え?」と首を傾げると、ワイパーは途端に言葉を濁して「いや、いい」と言いながらくるっと踵を返した。

帰るぞとも言うことなく歩き出す。


「ワイパーさん」

元気を取り戻した声が自分の名を呼んだ。

振り返ると、彼女が微笑んだ。
太陽の光を背に笑みを浮かべた彼女が、いやに気高く見えて、ワイパーは何だ、と聞き返すことも忘れてしばし彼女のその顔に見惚れた自分に気付いて、心の内で舌を打ち鳴らしてそんな自分に何を考えている、と叱咤した。

だが、そうと覚れば不本意にも顔が火照っていく。

思いっきり深い皺を眉の間に作って、それを隠そうとしたワイパーは彼女から顔を背けた。

「あの、ワイパーさん・・・私またここに・・・一緒にここに来てもいいでしょうか?」




勝手にしろ、と言ったワイパーの背を、コニスが軽やかな足取りで追っていった。







一週間の後に調査を終えた仲間たちが集まって結果を報告し合った。
ワイパーは解散するや否や立ち上がって、別れを告げることもせずに町へと向かう。

その背に首を傾げたカマキリの「何があったんだ?」という呟きに、ブラハムは「ずっとあの調子でご機嫌だったぜ」と苦笑した。

「あの空の民の子と何かあったらしいがな」

使われた銃器を磨きながら、彼は全く・・・と呆れたように言う。

カマキリは、ブラハムのその報告に口元を緩めて友の背を見送った。







─Fin─



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