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覚悟せざるを得ない状況に陥った、と観念し、目をつぶった瞬間だった。
轟音と共に、眼前を熱い風が通り過ぎていく。

予想しなかった過ぎた風の感覚に、コニスはおそるおそる目を開けた。

「・・・・・・・?」

瞳を見開いてみれば、自分は既に狼に組み敷かれておらず眼前には青い空が広がっている。

その時、耳にキャインッという鳴き声が聞こえた。
音がした方を見ると、ほうほうの態で去っていく狼たちをよく知った男がタバコを咥えてその背を見ていた。

「ワ、ワイパーさん?」
今ごろ、ここにいるはずもない男の名を口にすると彼はゆっくりと振り返った。

「森は危ないと言っただろう」
咥えたタバコを揺らしながら、不機嫌そうな声で答えた。

その拳が血で染まっている。

「ワイパーさん、怪我が・・・!」
慌てて駆け寄って、その手を取ると、彼はさも嫌そうにコニスの手を払った。
「これは俺のじゃねぇ。殴った時についたんだ」
「・・・そうですか」
ほっとした表情にワイパーが怪訝な表情を見せた。

「お前の方が重傷だろうが」
「あ、そ・・・そうですね」
言われて、痛みを思い出す。
狼に傷つけられた左肩は鈍い痛みと共に真っ赤な血が流れて、彼女の桃色の服に大きな赤い染みを作っていた。

すると、突然ワイパーがコニスの肩に手をかけ、ビリッと服を破る。

「ワイパーさん!?」
コニスが驚いて目を見開くと、彼はこともなげに
「まずは血を止めねぇとダメだろう」
と、引き千切った服の切れ端を足元の池で洗い始めた。
コニスは恥ずかしそうに、破かれた部分の服を抑えてその様子を見ていた。

真っ白な雲の池に薄桃色の染みが浮かび上がった。
ワイパーは舌打ちをして、布をごしごしと洗った。

森に入るとは言っていたが、まさかこんなに奥まで来ているとは思わなかった。

移動している時に、銃の音が聞こえて、胸騒ぎを覚えて駆けつけてみれば───
コニスの細い体が獰猛な狼に抑えつけられて、その肩が真っ赤に染まっている光景が目に飛び込んできた。
その獣は今、まさに彼女の細いうなじに喰らいつこうとしているのを見て体中の血が熱くなった。

瞬時にミルキーダイアルを取り出し、雲を吐かせたまま彼女を襲っている野獣へと投げ。
その雲の上を駆け出したワイパーの肩からバズーカが火を噴いた。
まさに、一瞬の出来事だった。
コニスを取り囲む狼たちは、何が起こったのか理解し得る筈もなく
ただその場に立ち尽くして、自分たちのリーダーが業火に巻かれたことだけを知った。
そして、雲に乗ってきた男が、唖然と立ち尽くす狼のうち一頭をを力まかせに殴れば、残された数頭は、ようやく我が身に起きた事態を把握しあっという間に森の中へと消えていった。

洗った切れ端をぎゅっと絞って、彼女の肩を拭くために振り向いた。
肩を出せ、と言おうとしてはっと気付く。

コニスは、真っ赤な顔をして、少し俯いて懸命に胸元のちぎられた洋服を抑えていた。
その肩は、言われるまでもなく、血にまみれた白い肌が露になっていた。

何とも気まずい雰囲気に、ワイパーは苦虫を噛み潰したようなような表情をしてみせた。
ただし、耳の縁は赤い。

「・・・染みるぞ。我慢しろ」
そう言って、彼女の腕をつかんで、その赤い血を拭おうとした。
心臓が早鐘のように鳴っていくのが止められない。
それを隠そうとして、少し乱暴に濡れた布で彼女の肩に触れるとコニスがピクッと体を奮わせた。

それと一緒に、ワイパーが咥えたタバコも少し揺れる。

しかし、彼女の痛みがわかったのか彼の手つきが突然優しくなった。

コニスに痛みがないように、優しく傷の周りを拭きとっていく。

腕を掴む掌の力も、幾分緩められた。

コニスは、何となくほっとして、体の力を抜いた。
痛いことに変わりはないのに、ワイパーがいるという安心感だけで少し満たされた気持ちになる。

ワイパーは慣れた手つきで、血を拭き取るとコニスが何を言っても聞く耳を持たずに自分の腕に巻かれていた包帯を必要なだけ取り外した。
そして、血でまたも赤く染まった布を一度洗いなおしてそれを噛まれた部分に押し当て、少し躊躇してから「服を脱げ」とコニスに言った。

何せ傷口は鎖骨の上なのだ。
包帯を巻くにも、もう片方の肩を包む服が邪魔して何もできない。

コニスもそれはわかっていた。
喉元のジッパーを下ろして、服を脱ぎかける。

ワイパーの胸が高鳴る。
けれども、それをこの目の前にいる少女に悟られたくなくて表情を変えることなく、じっとその様を見ていた。
するとコニスが恥ずかしそうに笑った。
「あの・・・後ろを向いていただけませんか?」

はっとして、慌てて後ろを向く。
包帯を握り締めた手に力を入れる。
後ろから、彼女が素直に服を脱いでいるのだろう、衣擦れの音が聞こえてくる。
落ち着け、落ち着けと心の中で呟くのだがそうすればするほど、心臓の音が早くなる。


ワイパーはその後のことをよく覚えていない。

彼女の声が聞こえた気がして、振り向くと脱いだ服で胸元を隠して恥ずかしそうに目を伏せた彼女がいた。
そして、彼女の肩に布を当て、包帯を巻いた。
うまく巻けたかどうかなどはわからない。
看護に慣れている彼女も空いた手でそれを手伝った。
何度か、二人の手が触れ合うたびに、体中の血液が逆流したかのような感覚に襲われた。

包帯を巻き終えて、彼女がまた服を着る間に白い池で手を洗う。
濡れた手を、じっと見つめた。
先ほど、この手で触れた彼女の感触が、指先に残っていた。

今まで、女に触ったことがないわけではないが、ワイパーの知るどの女の肌とも違うその柔らかなコニスの指先にもう一度触れたいような気がする。
その感触をもう一度確かめたい───
そんなことを考えているワイパーに不意にコニスの声が聞こえた。

「ワイパーさん、ありがとうございました」
振り返ると、いまだ服を手で抑えるコニスの笑顔が目に映った。

よく笑う女だと思う。
自分が何をしても、彼女はいつもその笑顔で応える。
最近では、その笑顔を崩したくない自分がいることにも薄々気付いていた。
いつも自分が折れてしまうのは癪に障るが最後にコニスが必ずその微笑になることを知ってからはその笑顔の一つ一つが心に刻まれていくことを自分でも止めることができないのだ。

「たまたま近くにいただけだ。早く荷物を持ってこい。送ってやる」
「あ、あの・・・向こうにウェイバーが置いてありますからもう大丈夫です」
首を軽く横に振って、遠慮がちにコニスが答えた。

「また猛獣に出くわして、死なれでもしたら俺の夢見が悪くなる。大体何だって、こんな奥まで来てる、お前のような者が。」
「あ、あれです」
岩のふもとに生えたアロエを指差してコニスが言う。
「あの葉がワイパーさんの火傷に効くんです」
「・・・もう俺に薬は必要ない。これからは、森に入らないようにするんだな」
「そんなわけにはいきません!だって・・・まだこんなに痛々しい・・・」
咄嗟にコニスはワイパーの腕にそっと触れた。

ワイパーの表情が強張る。

触れられたその部分は、確かに自分でも微かな痛みを覚える部分でもあり、それをコニスに痛いと言った覚えはない。
けれども彼女は的確にその部分を軽く指先でなぞった。

「そういえば・・・」
はたと彼女が、何かに気付いたように顔を上げた。
「ワイパーさんがどうしてここに?」

しまった、と気付いた時にはもう遅かった。
彼女の顔からは既に笑顔が消え、代わりに自分の存在を訝しがるかのように眉間に皺を寄せて、ワイパーを見据えていた。

「・・・森に罠がないか、調査してるんだ」
もはや、隠すことでもない。
遅かれ早かれ彼女の耳に届いていた情報だ。
開き直るかのように、腕組みをして、言い放つ。

「神官がいた頃に仕掛けられた罠もあるしこの森には未知の部分が少なからずある。ここで皆が暮らすためには、まずこの地を知らなきゃならねぇからな」
「昨日はそんなこと一言も・・・」
「言ったらどうせ反対するだろうが。
 森は危険なんだ、俺らがやらずに誰がやる。
 大体、俺はもう大丈夫だとずっと言ってるだろう。
 余計な心配は迷惑なだけだ」
「・・・・」

いつもなら、返ってくるはずの彼女の小言が聞こえずワイパーは、不思議に思って彼女の顔を見た。

コニスが寂しそうな表情で俯いていた。

「お、おい・・・」
今にも泣き出されてしまうのではないかと、ワイパーはその手を彼女に向ける。
その手が、コニスに触れるか触れないかという時に彼女の唇からか細い声が漏れた。
「そう、ですね。
 助けてくださってありがとうございました。
 でも・・・なるべく早く帰ってくださいね」

そう言って、彼女は顔をあげ、自分に向かって出されたワイパーの手をそっと両手で握って、彼の目をじっと見据えて言った。


「心配なんです。あなたのことが」




二人の間に、鼻をくすぐるようなやわらかな風が優しく流れていった。
草葉は彼らを見守るように、さわさわとその体を揺らす。

ワイパーは、固まってしまった。


まるで世界に二人きりしかいないような錯覚に陥る。
握られた手から、彼女の体温が伝わってくる。
心地よい暖かさだ。
いつまでも、こうしていたいと思わせる暖かさだ。

この手を引いたら、いとも容易くその少女は自分の腕の中に捕まえることができるだろう。
この手を僅かに動かせば、そのしなやかな腕は簡単に振り払えるのだと言うことも知っている。

けれども、何故か体が動かない。

ワイパーの喉ぼとけが微かに上下する。


引き寄せるか?振り払うか?
しかし、自分でも気付かぬ内に自然ともう片方の手が動いて、ワイパーの迷いに一つの解答が示されようとしていた。

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