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12




『・・・いいよ。会っても』

電話の向こうの声はひどく小さく、微かに震えていた。

バギーという男の件で連絡を取ってみれば、その男の名を聞いただけでアルビダの声が沈んだ。
それは彼女が彼を知っていて、そして過去に何かがあったということを指し示すに十分なものだった。

「では・・・ご希望の日程などありましたら・・・」

『それが、今日から出張でね。しばらく全国を飛び回るのさ。ほら、五月病で社員がたるむ時期だからさ。ゴールデンウィークが終わってからも戻る予定はないし・・・5月の、中ごろしか時間が取れない・・・ほ、本当だよ。別に会いたくないってワケじゃ・・・』

慌てたような声が聞こえてきた。

(じゃあ、会ってもいいけど・・・やっぱり何かあったということかしら?)

しばしその声に耳を傾けていたが、一向に言い訳を止めないアルビダを遮るようにナミが言った。

「わかりました。では、出張からお戻りになったらお手数ではございますが、当社へご連絡していただけますか?先方にもそうお伝えいたします。」

『あ、ああ。じゃあ・・・』

急いたように、アルビダは電話を切った。

ナミは機械音が聞こえたことを確認してから受話器を置いた。




「先輩、アルビダさんは・・・」

ナミが件の客に電話していたことを隣のブースで聞いていたビビが不安げな顔を間仕切りの上に覗かせる。

「えぇ。しばらくは忙しくて会えないけど・・・5月半ば頃には会ってもいいって」

「じゃあ、バギーさんにアルビダさんの履歴をお見せしても・・・?」

「いいわ。本人が会ってもいいって言うんだから・・・」

ビビに視線を向けることもなく、ナミは抑揚のない声で答えていた。
そんな上司の冷淡な態度にビビが隣のブースで不思議そうに首を傾げた後、彼女らしく率直なまでの真っ直ぐな声でナミに「何かあったんですか」と訊いた。

「ナミさん、今日は元気がないみたい・・・」

心配してくれているのだろう、とナミだってわかってはいる。

まさか自分が仕事中に仕事以外の事を考えて・・・いや、考えるだけなら今までもあった。
だが、それを態度に出さないということが仕事を持つ大人の責任だと思っているナミは、それを決して表面に出すことはなかった。

実際に長くナミを見てきたロビンもその点に置いて自分に一目置いていると明言したこともある。


だが、今日は。


何故だろうか仕事に対してのやる気は全く出ないし、いつものようにこのデスクに着けば切り替わる頭の中が、ある一箇所に立ち止まったままでどうにも動こうとしない。




「ちょっと睡眠不足なの」

化粧でいくら上手く隠しても、一睡もしなければ化粧ノリは悪いし時間の経過と共に崩れていくファンデーションの下にはうっすらとクマが見え隠れしている。

ナミの言葉を信じたビビがようやく腰を下ろしてその顔が見えなくなってから、ナミは深い溜息をついた。





───昨夜の事。


エースに抱かれて、ナミがこの男を手中に収める瞬間が間近と信じたその時、不意にエースが「やめとこう」と微かに笑いながら言った。

一体何故、と問えば、男は少し困ったように言った。

『ナミ、そりゃお前が一番よくわかってるんじゃないか?』と。








「わかっている?何を?私を抱く気にはなれない?」

「・・・いや。こんないい女、抱けるチャンスなんてそうそうないしなぁ。俺もお前を抱きたいさ」

シャツの下に隠された細身ながらも筋肉質な腕がすっとナミの体に添えられて、彼女のしなやかな体が起こされた。

ベッドの上で乱れた衣服を直すことすら忘れてナミはじっとエースの瞳を見据えた。

男の眼差しはどこまでも深く、優しい。

決して自分を嫌って、やめると言い出したわけではない。
それは信じても良いと自分の中にある直感が告げている。



「わからないわ。私を抱くつもりでここまで来たんでしょう?」

「ま、ここまではな」

「・・・やっぱり、アイツがいるから?他人がいたらその気になれない?」


しばしの沈黙の後、苦笑しながらエースが言った言葉に、ナミは耳を疑ってしまった。


彼は言った。


「俺より・・・ナミ、お前が気にしてるだろ?」

「私、が?」

どこが。

あんな奴、気にしているわけもない。

「どこが?」

心で呟いた言葉をそのまま、口にすれば、エースは後頭部を軽く掻くようにしてその困惑を顕にした。

「・・・自分でも気付いてないのか。
 じゃ、ナミ。何で声を出す時、アイツの部屋の方に顔を向けないんだ?」

「そ・・・それは、だって・・・さすがに声を聞かれるわけにはいかないから・・・」

「声だけじゃない。俺に感じた時には絶対にあっちを向いてないからなぁ・・・」

エースはふと、気付いてしまったのだ。
女が喘いだときに必ずその部屋から顔を背けることに。
いくら声を聞かせたくないにしたって、微かな吐息を漏らすだけにしても彼女は必ず壁を向いて、その雰囲気すらも男に悟られぬように唇から漏れる息を押し殺す。


「それにな、俺はお前の望む男じゃねぇよ」

「あんたが私の望む男かどうか、決めるのは私だわ」


お前らしいな、とエースはその言葉に笑みを漏らして、ナミの髪を愛しげに梳いた。


「いや、出発前にいい女を抱いていくのもいいと思っちまったが・・・
 やっぱできねぇなぁ。ナミ、お前いい女過ぎてな。
 お前に対してこういう事はしたくないんだ。勿体無ぇよ」

「・・・しゅっぱつ、って・・・?」

「いつもの事なんだが・・・しばらくメキシコに行く。」

「メキシコ・・・?」

「あぁ。帰りはいつになるかわかんねぇし。
 2ヶ月かもしんねぇし、5ヶ月かもしんねぇし、もしかしたら一年かもな。
 店の留守番はルフィに任せて・・・お前はそういう男は嫌だろう?」


たかだか一週間で。
客商売をする男は、自分という客をここまで見透かしていたのだ。

それはその職業から来たものか、この男自身が元来持っているものなのかはわからない。



だが、その通りだ。


自分の目的のためにいつ帰るかわからぬ男を待つようなことはしたくない。

それはラキと、ワイパーを見ていてはっきりと自覚した気持ちだ。

自分にこんな恋愛は無理だろうと。

いつも傍らでナミを見守っていてくれる男こそが自分の求める男なのだ。



「・・・私は待てない女だと思う?」

「待てないんじゃなくて、待たない女だとは思うな」

エースが肌蹴たシャツもそのままに立ち上がった。
床に置かれていたウェスタンハットをひょいっと持ち上げて被り、部屋を出て行こうとする。

引きとめようと思った。
だが、言葉は出なかった。

それは男の言葉が真実だからだ。

彼女は唇をぐっと噛み締めて、男の背を見詰めることしかできなかった。


無言になってしまったナミを知り、エースが少しだけ振り返って言った。



「アイツは、お前のことどう思ってるんだろうな。俺よりアイツの気持ちを聞いてみろよ」


アイツ───ゾロのことだろう。


ナミの顔が見る見るうちに赤くなっていった。

反論しようとして、我に返った時、男が玄関を出て行く男が遠くに聞こえた。












エースの残した言葉は、少なからずナミを狼狽させた。


ナミすらも気付かぬ内に一つ屋根の下、聞こえている筈もない吐息すらも押し殺して、その同居人のことを無意識的に意識してしまっていたこと。

思い返せば、確かにナミはそれに囚われていた。

ゾロに、声を聞かれぬように。
ゾロに、気配を悟られぬように。
ゾロに・・・───


暗がりの部屋の中、ナミはぶんっと大きく頭を振った。
月光に照らされたオレンジ色の髪が妖しい光を散す。


「・・・違うわ。」

エースはあんな事を言って、やはり同居人のゾロに気を遣っているだけなのだ。


自分にそう言い聞かせて、ナミは乱暴な手付きで乱れた服を脱ぎ捨てていった。

パジャマを取り出してそれを羽織る。

白いパジャマに隠れた髪の先を両手で取り出して、軽く頭を振ってからナミはベッドに横たわった。


(・・・違うわ。アイツだからじゃない・・・同居人だから。気を遣ってあげただけ・・・───)


けれども。

いくらそう呟いても、決してナミの心の動揺が収まることはなく、ナミはそのまま朝を迎えたのだった。







***************************************





ふと見上げれば、既に時はとっくに正午を過ぎて、1の数字に近づいている。

と、同時にポケットの中の携帯電話が震動していることに気付いて、ナミはそれを取り出した。

開けば頭にいた筈の男からのメール。
僅かに眉をひそめて、その名を見た後、ナミは力無くメールを開くために小さなボタンを押した。



『大丈夫か?』


いつものようにたった一言。

小さなディスプレイの中に彼がいる気がして、ナミはその文字を見つめた。


パタンと携帯電話を閉じて、隣のブースのビビに「お昼よ」と声を掛けて、ナミは給湯室へと向かった。


もう一度携帯電話を開く。

そして、ゆっくりと『返信』を押した。




『何が?』


一体、何が『大丈夫』なのか。

いや、本当はわかっている。

今朝彼を無理に起こした時の自分はさぞひどい顔をしていただろう。
その後は一切会話することもなく、少し早くに家を出た。

当然ゾロがそんな自分を心配して、昼になってメールを送ってきたであろうことをナミは察していた。

だが、それでも『何が』と訊き返したのは、彼の優しさを認めたくないからだ。
彼に優しさを感じてしまうことが怖い。

それを認めてしまえば、自分のステータスが失われるような気がするのだ。
頭の中に不調和音が鳴り響いていく。

「この男に警戒しろ」

「この男に心を許すな」

不調和音の向こうにそんな声が聞こえた気がして、ナミは『何が』と切り返していた。

少しして、男からの返事が届いた。


僅かに震える手で画面を開けば、そこには彼とは思えぬほどの長い言葉が綴られていた。



『昨日はろくに寝てないだろ。何があったかは知らないが、無理しないできつくなったら早退しろって言ってんだ』

「・・・・・・・・」



何度も何度も読み直す。

そこに男の邪心はないかとばかりに、睨むようにして読み直す。

だが、文面からそんなものが感じ取れるわけもない。

それは紛れもなく、ナミを心配した男の言葉なのだから。


それでもナミは今度はありありと苛立ちが滲み出た言葉を返信した。


『私が、男と駄目になったことがそんなに嬉しい?』


送信してから、自嘲するように口元を緩めていった。

(バカみたい。アイツに八つ当たりしたって・・・)

アイツの所為だと思って、朝、彼にそれをぶつけた。
けれども彼は落ち着き払って、ナミに冷静さを取り戻させた。
そこでようやく悟ったのだ。

今回のことは自分の中にこそ原因が在って、ゾロは何ら関わりなかったのだと。
一晩、いくら考えても収まらなかった苛立ちは不意に消し飛んだ。
奇しくもその男の所為だと思っていた事を、男の所為ではないと納得したことで。

突然ナミの手に握られていた携帯電話が先ほどとは違う震動を伝えた。

ディスプレイには『着信:ゾロ』の文字。

登録していたことを恨めしく思う。

登録さえしていなければ、「いたずらかと思った」と言える。
けれども、もうその手は通用しない。
今の今までメールを返信していたのだから、自分が昼の休憩に入ったことぐらいゾロはわかっているだろう。


それでも、嘘を吐くべきか否か・・・───


逡巡の後、ナミはボタンを押した。




「・・・何?」

ぶっきらぼうに言い放つ。

電話の向こうから、溜息を漏らすような吐息が聞こえた。

『お前な、何つっかかってきてんだ?まだ俺の所為がどうとか言ってんじゃねぇだろうな』

「別に、そんなこと言ってないじゃない。あんたこそ、珍しく長文メールよこしてどうしたってのよ。浮かれてるとしか思えないわ。」

『浮かれてるって・・・何で俺が・・・』

「あの部屋を出なくて済んで、嬉しいんでしょ?私にオトコができたら、部屋を出なきゃいけないもの」


自分の声はこの男にどのように伝わっているのだろうか。

見られてもいないのに、冷たい笑顔をいくら顔に湛えたところで、声が震える事を知ってナミは電話を持つ手に自然と力をこめていた。


『そりゃまぁ・・・そうだが。けどな、せっかくこっちが心配してやってんのに・・・』

「誰が心配してくれって言ったのよ?あんた、私の何?お父さん?お兄さん?・・・たかが同居人でしょ?今朝は悪かったわよ。反省してます。それでいいでしょ。わかったら電話なんてしてこないで。」

『・・・・・・』

ゾロが黙り込んだ。

何も聞こえない電話口の向こうから、微かに人のざわめく音がする。
今は外にいるのだろうか。

またいつものようにネクタイを緩めて。

ノートパソコンが入った重い鞄を片手にして。

ふと思い立って、メールしてきたのだろうか。



彼の暮らしの中に、自分の存在が浮かび上がったのだろうか・・・───




『俺がお前の何かって・・・?』

訊き返した男に、今度はナミが無言で返した。

彼女の答えがないことを知って、男が小さく呟く。




『お前こそ、俺の・・・───』



プツッと電話が切れた。


ツーツーツー・・・

何とも寂しげな音だけがナミの耳に届いてくる。


ナミは、僅かに眉をひそめて、じっとそれを見詰めた後、諦めたように携帯電話を閉じて何度も溜息をつきながら昼食代わりのコーヒーを淹れ始めた。

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