15
「サンジくん?な、何で・・・ここに?」
訊きながらナミの頭にいつも目にするデータベースの画面がパッと現れる。
サンジ。27歳。一流レストラン『バラティエ』の跡取息子で、この若さにして副料理長。
女性会員とのデート回数10回。
全て破談。
ただし、女性会員からの苦情は一切なし。
今の登録会員の中では最年少。
「いや、コイツがここを任される時にゃいつだって呼びつけられちまうんですよ。
いっくら教えてもコイツ、オーディナリーなカクテル一つ作れねぇもんだから・・・」
「サンジのカクテルは美味ぇからなー」
「そんなふうに言っても絶対にこれで最後だぜ。」
ふぅ、とタバコの煙を吐き出してサンジが嫌々ながらという顔で言ったところで、ルフィはその笑顔を崩さない。
「ナミとこの社長サンに美味いカクテル作ってやってくれよ」
「それァ勿論この一流コックが一流カクテルをお作りして差し上げるがな!いいか。ルフィ。俺ァ副料理長になって忙しいんだ。・・・ったく、テメェあのクソジジイに取り入りやがって・・・ジジイさえ言わなきゃ俺がこんなクソしょぼいバーなんかで・・・」
余程言いたいことが積もりに積もっているのだろう。サンジがつらつらと愚痴を言い始めたところで、それを遮るようにロビンが口を開いた。
「一流レストランのコックさんが作るカクテルはやっぱり一流なんでしょうね。楽しみだわ」
その端正な顔立ちを綻ばせてロビンが囁くように言えば、サンジは途端に目をハート型にしていそいそとシェイカーを取り出した。
出されたオリジナルカクテルは、確かに美味しい。
だが、エースの作ったカクテルよりもやけに上品でナミはしばしエースという男を思い出してグラスに入ったそれを見詰めた。
「ナミさん、お口に合いませんでしたか?」
不安げに言うサンジに気付いて「いいえ」と言ったところで、ナミはそれ以上カクテルを口にしようとしない。
サンジはプライドを打ち砕かれてしまったのだろう。
慌てて彼女の手元からグラスを取って「作り直します」と言った。
「いいの。これはこれで美味しいわ。ただちょっと・・・エースが作ったカクテルとは違うなと思っただけ」
寂しげな瞳に、隣に座っていたロビンが先ほどから聞かされていた男の事を尋ねた。
「ナミさん、そのエースさんって言うのは・・・?」
「あ・・・そうか。ロビンはここが初めてなのね。このお店の本当の店長で・・・ルフィのお兄さん。ちょっと狙ってたんだけどね。結局駄目になっちゃった。」
ふふ、と笑ってナミは自分を嘲るように付け足した。「フラれたわ」と。
「ナミさんが?珍しいこともあるものね。すぐに別れることはあっても、必ず手に入れるっていうのがあなたの信条じゃなかったかしら。一度フラれたぐらいで諦めるナミさんは初めて見たわ」
「・・・私だってそういうことぐらいあるわ」
「ナミさん!そんな事があったなんて・・・クソ・・・あのクソカウボーイ、こんなにお美しいナミさんを傷つけるなんて・・・ッ!」
サンジが額に青筋を立てた。
そんな彼らの会話を傍で不思議そうに聞いていたルフィが首を傾げた。
「エースが?ナミ、お前がフッたんじゃねぇのか?」
「どうしてそうなるのよ。私だって、自分からフッたって言いたいわよ?けど、はっきりあんたのお兄さんから・・・」
「そうかなぁ。エースはそんな奴じゃねぇけどな。俺、お前とエースがいなくなったからエースはナミの事がすっげぇ好きなんだって思ってた。違うのか?」
「・・・・・・」
ナミが言葉を返さぬ間に、ルフィは続けた。
「そういうつもりじゃなきゃ、客に手出したりしねぇよ。店の客に手を出そうとしたのは、ナミ、お前だけだぞ」
「・・・何が言いたいのよ。私がフラれたのは事実なのよ?」
きつい口調でナミが言った。
だが、その心にあの日のエースの困ったような笑顔が浮んでいく。
彼は言った。
出発の前にいい女抱くだけでもいいかなって思った、と。
それは、嘘だったのだろうか。
ナミに彼を諦めさせようとする男の優しさだったのだろうか。
それとも。
ナミがゾロを気にしていることを知って、引き際を悟って自分に言い聞かせるために言ったのだろうか。
あれは、男の自嘲だったようにも思えてナミは何ともやるせない思いに駆られた。
(私、自分のことしか考えてなかった・・・───)
ゾロの声が響き渡る。
『相手を惚れさせるだけ惚れさして、後からポイ捨てしてたんじゃ怨み買うだけだぜ。』
怨み・・・よりも、もっと酷い。
せめて怨まれたら、その分だけ片肘張って言い訳できると言うものだ。
「そういう男だから捨てたのよ」と。
だが、エースが残した思いは怨みなどとはかけ離れていて、ナミは酷い後悔の念を覚えた。
そこにはいなくなってからも伝わるほどの優しさがある。
ナミは浅はかだった自分を思って、睫を伏せた。
「・・・あんたのお兄さん、やっぱり最高の男ね」
「あぁ!エースは最高だ!!」
「I・・・S・・・G・・・」
「・・・んん?何だ、それ?」
ふっとナミが笑った。
「It'So Great、よ」
ロビンが横でそれを聞いて、ようやく以前ナミが口にした言葉の意味を知った。
「・・・ナミさん、エースさんという人を?」
「私が待つような女だと思う?ロビン。」
打って変わって悩みを吹っ切ったような明るい笑顔がロビンに向けられた。
彼女は一片の曇りもない顔ではっきりとこう言った。
「これも次の恋の糧にしてみせるわ!」
そう、それがエースの優しさに対して自分が返せる唯一のことだ。
彼が言った。
「お前は待たない女だ」と。
ではその期待に応えるのだ。
次に彼が帰ったときには、きっと最高の男を紹介してみせよう。
彼ならば「よくやったな」なんて少しおどけて言うだろう。
店に残された彼の優しさが、あの晩の事を忘れるべきだという男のメッセージにも思えて、ナミは心に引っかかっていたあの夜の経験を自分の中で昇華させてやると決断したのだ。
「帰ってくるのが楽しみだわ。何たってこのお店ならタダ酒が飲めるしね♪サンジくん、お代わりちょうだい。うんとキツイ奴がいいわ。」
カウンターの雰囲気がパッと華やいで、数分前の重い雰囲気が嘘のように彼らは楽しい時を過ごしていた。
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何しろこのサンジときたら、ナミとロビン二人共をそれぞれ口説こうとするものだから、二人は苦笑まじりにけれども決して悪い気がするわけでもなく、出される酒も美味しいし、天真爛漫なルフィとの会話もはずむ。
気付けば3時間も経って、さぁ帰ろうとした時の心地良さはこれまで飲んだどの店での酒よりも彼女ら二人を上機嫌にさせるものだったと思わせるものだった。
「ナミさん、今度は是非プライベートでお食事を・・・」
「そうね。サンジくんの結婚が決まったらお祝いしてあげるわ」
つれないなぁと言いながら、深追いをしないところがサンジらしい。
ロビンにも同じく声を掛けているのだから、彼なりの社交辞令なのだろう。
社長の幼馴染も軽く笑顔で交わして、二人は店を出ることにした。
「また来いよなっ!」
店長代理というのに彼の仕事は一体何だったのだろう、と思わせる童顔の彼は、そう言って明るく笑った。
だが、その笑顔こそが客をひきつけるものなのかもしれない。
彼と話していると、話していないとしてもその笑顔が目に入っただけでじんわりと心が温かくなるようなそんな魅力の持ち主だ。
「前はうるさい子だと思ったけど、案外いい奴ね」
ナミが言うと、ロビンも微かな笑みを浮かべて頷いた。
黒く思い鉄の扉は簡素な取っ手がついている。
女の細腕では、思ったよりも力を入れなければ開けられない。
その経験から、思い切り力をこめてドアを開けようとしたとき、不意にそれが開いてナミはバランスを崩した。
ドン、と誰かの胸にぶつかって、慌てて顔を上げるとそこには見知った男がいた。
「ワイパー」
彼の名を呼んで、ナミは瞬きをした。
背の高く、屈強な体つきをした男がたじろいで言葉を失っているところからして、彼にしてもナミがここにいるということに多少驚いたのだろう。
「久しぶりね。ラキがいる時はちょくちょくうちに来るのに、あの子いないとアンタって家の近くにも来ないでしょ?」
「・・・あんたに会いに行く理由もない」
「素っ気無いわねぇ。私はあんたの彼女の友達なのよ。ちょっとはいい顔したらどう?ラキも何だってあんたみたいなのがいいのかしら」
ムッとしたのか、ワイパーは口を尖らせてくるっと踵を返した。
「何?飲みに来たんじゃないの?」
「用事を思い出した」
店に入ることもなく、ワイパーはそう言って夜道を去って行った。
「ラキさんの・・・?」
ナミの後ろにいたロビンが訊くと、ナミは男の背を見ながら頷く。
「ほんと、何考えてるかわかんないわ。悪い人じゃないと思うのよ?」
「ナミさんとは合わないでしょうね」
「そうよ。それよ!私と相性悪いんだわ。冗談の一つも通じないなんてね。」
「それで良かったんじゃないかしら?もしナミさんが少しでも魅力を感じてしまう男性が同居人の彼氏だと、後々大変なことになりそうだわ」
「・・・ロビン、一体私をどういう女だと思ってるの?いくら私だって友達の彼氏奪おうなんて思わないわよ。」
くすくす笑うばかりで返事をしないロビンは、普段の鉄面皮からは考えられないほど愉快そうに頬を緩ませていた。
終電には余裕で間に合うけれども、この時間ともなると電車の本数が少なくなる。
ナミの家はここから一駅だし、歩いてもいいのだけどと言うと、ロビンは彼女の気持ちを尊重したのかあっさりとじゃあこれでと駅に向かって歩き出した。
オフィス街でもあり、昼は買い物客で賑わう駅前のこの道は夜ともなるとネオンが輝いて道にはタクシーが多く走っている。
一人で歩くナミを見つけた運転手がそのスピードを緩めていく様を苦笑しながら見ていたナミは、大きな道路の向こう側に同僚の姿を見つけた。
金髪にほっそりした体。
およそ夜の街に似合わない彼女は、あのショットバーを教えてくれたコニスだ。
間違いない、と思ったけど、さすがに4車線の道路をはさんで声をかけられるわけもない。
明日また話せばいいかと何気なく彼女の姿を目で追いながら歩いていると、遠目にオレンジ色の外灯の下、コニスが小走りになった。
誰かと待ち合わせしていたのか。
もしかして、彼氏いないなんて言ってた彼女に男ができたのかと、半ば野次馬の気持ちも手伝ってナミは立ち止まってその姿を追って、数秒の後に信じられないとばかりに何度も瞬きを繰り返していた。
自分の目がおかしくなったのだろうか。
アルコールが体に回っているから、幻覚でも見たのではないだろうか。
何度も何度もそう思ったけれども、いくら目を擦っても瞬きしても視力のいいナミの瞳に映っていたのは、コニスとワイパー。
これがもしも自分だったらわかる。
そう言うのもおかしな例えだ。
けれどもそんな例えしか思い浮かばない。
あの生真面目過ぎるほど生真面目なワイパーと、清純路線一直線の同僚のコニスと。
ましてやその二人が異性の友達と夜に逢っているということが信じられない。
(友達、じゃない・・・───?)
不意に浮んだ思考を、ナミは懸命に頭を振って打ち消した。
ラキは知っているのだろうか。
遠い異国に行ってしまった友人の姿を思い出して、いや、不安になる必要などない筈と思い直す。
ナミが知っているラキとワイパーは、それこそナミはどうしてそんな関係でも何年も続けていけるのか不思議だと言ってしまったことはある。
けれどもそれだけにナミの見えないところで彼らの絆は深いのだと思っていた。
思っていたはずなのに。
先ほどまでの軽い心はどこへやら、ナミは翳りが見えた友人とその彼氏と、同僚の姿に眉をひそめながら家へと戻った。
居間ではご飯を抜いて、酒とツマミで食事としている男が呑気な顔でテレビなぞを見ている。
その能天気な姿に溜息をついて、何の言葉も掛けずに部屋へと戻ろうとすると、ゾロが振り返って怪訝な表情を浮かべる。
「何だ。そのシケた面は」
「・・・お帰りって言えないの?」
暗い声に何かあったかと思ったのか、ゾロが愈々眉を上げて自分の様子を伺っている。
心配しているのだろうが、この無愛想な男はいつもこんな顔をする。
それがどうにも癪で、ナミはふいっと目を逸らすと脱いだジャケットを手にドアノブに手を掛けた。
背中に、「ただいまって言えねェのか」とゾロの声が届いたのは、ドアを閉めようとしたちょうどその時。
「ただいま!」
言葉尻を荒げて、顔だけ覗かせた女はそう言ったかと思えば乱暴に扉を閉めた。
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