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少し前に何気なく考えていたこと。
その時はゾロって奴がどんな男なのかと思っていて、とにかく私の好みじゃないし、私達は男と女として合わないのだと思った。
ゾロと居るとイライラしてばっかりなんだから。
だから、ビビが会社に入って彼女の素直な性分を垣間見て彼女ならゾロの相手としてぴったりじゃないかとか、ゾロはこんな女の子らしい女の子を好きなんじゃないかなんて冷静に考えていたのだけれど、それは職業病みたいなものかもしれないし、それに今までビビとゾロを会わせる機会もなければそんな気も起こらなかった。
会社や、仕事帰りにビビと話すことは楽しかった。
家に帰ってゾロと軽口叩くのだって嫌いじゃない。
その時間を交じらそうだなんて、子供でもあるまいし確かに二人は今の私の生活のそれぞれの時間で一緒に居て楽しい人間には違いないのだけれど、思うわけがない。
それで良かったのに。
私、わかったのよ。
あの瞬間。
ゾロの隣に花嫁が立っていたあの瞬間に、どうしようもないほどの苛立ちが胸に沸いて、無理にでも彼の腕を引いて彼女から離したい衝動に駆られて、初めて気付いたのよ。バカみたい。
だってそれって、嫉妬以外の何物でもない。
そうと気付いて、でも今日は一日、自分も関わりがないことではないからと他の人よりも忙しく働いて、神経質そうな新郎になるはずの男に胸でどれだけその言葉に怒りを覚えても頭を下げて、ロビンには謝る代わりに仕事で何とか挽回しようと気を張っていて、むしろそれが有難かった。
ゾロの顔を見なくて済むんだから。
事が事だから、怒る権利が私にはあるでしょう?
ゾロだけが悪いわけじゃないのはわかっているし、彼に落ち度があったとすればインカムを切らなかったというだけ。
でも、その感情に気付いて、楽な方法を選んだ。
怒ったフリなんて案外簡単。
こうすればゾロの事を見なくても済むでしょう。
アイツの、あの目を見てしまうことが怖いんだから。
そう思っていたのに。
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「あら?雨かしら?」
店を出てビビが、額に手をやると真っ暗で星すらもない空を見上げた。
ナミの頬にも、何か冷たいものが当たったのだけど口の開きたくなくて彼女と、その隣で一緒になって天を仰いだ男を見ていた自分に気付いてそっと目を逸らした。
外気は夜だと言うのに蒸し暑い。
一雨来るだろう、と何となく肌で感じた。
「雨か。ビビちゃん、ナミさん、お送りしますよv俺の車で」
「え?サンジさん、お酒・・・───」
「飲んでませんからご安心をvv」
小首を傾げたビビは、そういえば何だかんだ言っては忙しく給仕に勤めていたサンジを思い出したようで、悪いことしちゃったわと酒に酔った甘い声で呟いた。
「ビビはゾロが送ればいいじゃない」
途端に振り返った男を無視して、「ね?」とビビに笑いかけると、ビビは染まった頬をぱたぱた手で小さく仰ぎながら「でも」と苦笑した。
「ミスター・ブシドーはナミさんと一緒に帰るんでしょう?」
「別に一緒に帰る必要なんてないわよ。ただお金の節約のためにルームシェアしてるだけだもの。ビビだってゾロに家に来てってあれだけ言ってたじゃない。ゾロ、あんたが・・・・送ってあげなさいよ。」
言葉が、一瞬詰まったことを隠そうとしてナミは、殊更に明るい笑顔を振りまいてサンジに振り返って「私を送ってくれる?」と言った。
サンジはちらっとゾロを見た後に「えぇ、勿論ですv」と嬉しげに言って、ナミの手を取った。
「送るのァいいが、車じゃねェぞ」
「車の方が怖いわ。あんなに飲んでるの見ちゃったもの」
くすくす笑ったビビにゾロが頭を掻いた。
自分に対しても敬語を使うビビが、やけに親しげに話すその姿を見ていることが出来ずにサンジの腕を引いた。
「決まりね。行きましょ、サンジくん。」
「え?あ、はいvvおい、テメェ送り狼になるんじゃねェぞ!」
振り向きザマに叫んだサンジの声に、ゾロがアホか、と反論した声が聞こえた。
いつもの自分だったら、ここできっとサンジと一緒になって冷やかしていたはずなのに、振り向くことすらも心が重い。
店に残って電話していたルフィがやっと出てきて二手に分かれた彼らの姿をキョロッと見た後にサンジとナミに向かって駆け出した。
「ナミ、エースが帰ってくるぞ!」
後ろから追いかけてきた声に、ナミは足を止めた。
ルフィを見るとししっと嬉しげに笑う。
「エースが?何で・・・あ、さっきの電話」
皆で店を出ようとした時に鳴った電話に、ルフィはちぇと言いながらそれを取った。
店は表向き休業なのだから出なくてもいいのに、ついいつもの癖で出なければと思ってしまったのだろう。
つまらなさそうにもしもしと言った後に、突然笑顔に戻って歓談していたルフィの電話の相手がエースだったのだと知って、ナミはふと顔を緩めた。
「帰ってくるのね。いつ?元気だった?」
「聞く前に切れた!けど元気そうだったぞ。」
「あんたね。普通はいつ帰ってくるか真っ先に聞くもんじゃない。本当にもう・・・」
「へへっ。ナミ、楽しみだろ?」
エースのこと。
そりゃ会えるのは楽しみ。
彼と会わなくなってからの方が、なぜだか彼に親しみが沸いたというのも事実。
余計な思惑を取り払って、ただ純粋に彼との話を楽しみたいなんて思っている自分がいる。
でも今、あの彼に会うことに気が重くなってしまうのは、きっと見透かされることが怖いから。
ナミは少しだけ躊躇った後に「そうね」と軽く返した。
「おい、ルフィ。何でテメェが付いて来てんだ」
店から少し離れた駐車場が視界に入るとサンジが不機嫌そうな声でルフィを遠ざけようとしっしっと手を払った。
ビルの合間に作られたコインパークに人の姿はない。四方から照っている蛍光灯の白い光に映されたその灰色のアスファルトに黒い染みがぽつりぽつりと出来ていた。
顕になった肌に時折落ちる滴はこれから降る雨を予告するように、次第に大粒になっていく。
「サンジなら俺の家知ってるだろ」
「いーや、知らねェな」
「昨日だって来たばっかじゃねェか。今日のこと話そうってお前がウソップ連れて来たんだろ」
「サンジくんが?」
何気なく聞いていた会話に、聞き返せばサンジは苦笑しながら「いや、こいつの気のせいですよv」と言って車を持ってくるから待っててくださいと駐車場の奥へと消えた。
「あんたが言い出したんじゃなかったの?あんな滅茶苦茶な計画」
「俺じゃねェよ。サンジだ。あいつ世話焼くの好きだからな」
「道理でガラス代を肩代わりするって自分から───」
修理代にしたって、本当は式のキャンセルのお金なんかも払わせたいのだけれど、ロビンがそれは未然に防ぐことが出来なかった会社の責任でもあるからとガラス代だけを彼らに弁償してもらおうと言ったのだ。それを当人達に告げようと、ガラスを片付けていた3人の元へ向かうと、ナミの姿を見つけたサンジが真っ先に駆け寄ってきて「俺が弁償しますv」なんて自分から言い出した。
「ガラスは割れると思わなかったんだ。けど適当な石もなにもなくってさ、その辺のブロックを俺が見つけたんだ!」
まるで手柄を語るように声を張り上げたルフィのその黒髪を、音が鳴るぐらいの勢いで、握り締めた手で思いっきり叩いた。
「じゃ、ガラス代はあんたが弁償しなさいよ!」
「でもサンジが払うんだろ?あいつナミの前でいい格好してェからさ」
頭を擦りながら唇を尖らせたルフィに呆れて溜息すらも出ない。
「あんたに反省の気持ちを求めようってのが間違ってんのかしら」
「結果オーライだ!」
パッと笑顔に変わって、ルフィは低いエンジン音を鳴らしてゆっくりと近付いてきた車の助手席のドアを開けた。
サンジが運転席で「助手席はナミさんが!」と、咥えていたタバコを落としそうになりながら怒鳴っている。
それでもルフィが車に乗るという行為自体を否定していないサンジの姿に、ナミは先刻のルフィの言葉を思い出しては口元を緩めて後部座席に乗り込んだ。
「ナミさん、助手席に・・・」
「こっちでいいわ。今日は疲れたから。はい、コレ。うちの住所。着いたら起こして」
住所と簡単な地図を手早く手帳に書き留めてナミはそれをピッと破ると紙片をサンジに渡した。
シートにもたれて、窓の外を見る。
動き出した車は駐車場から出て暫くもすれば駅前のネオン輝く通りを走っていた。
赤や、白や、黄色のネオン。
徐々に空から強く振り出した雨の滴にぼやけて映る。
瞳を閉じた。
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「いや、いい」
家に上がってはどうかと訊けば、久しぶりに会った緑髪の男は即頭を振ってビビは雨に降られて酔いの冷め切った顔で「そうね」と頷いた。
「せっかくの機会だから残念ですけど・・・今日、ナミさん様子がおかしかったもの。仕方ないわよね。」
ゾロが何も答えずに眉を顰めている。
ふふっと笑って、付け加えた。
「次に会う時は、ナミさんの恋人として紹介してもらえるかしら」
「・・・・アイツが聞いたら怒るぜ。そういう手合いの台詞はな」
「あら、どうして?」
「イヤなんだと。俺が」
「ミスター・ブシドーは?」
旧友は傘を渡そうとしたが、どうせずぶ濡れになった後だからとゾロはそれを断って家へと向かった。
そう遠いわけでもない。
自分とナミが住まうあの家の最寄り駅とは二つしか駅が違わないし、その友の家は以前聞いた通り駅から歩いて1分もなかった。
マンションのエントランスを出ればもうその先に駅が見えていて、走って雨を自らの手でくぐりながら駅に着くと、普段は降りない駅から自宅の最寄り駅までの切符を濡れた手で買った。
電車に乗って、座ろうとしたがそういえば自分の服が濡れているのだし、どうせ二駅しかない。
ドアに持たれかかって、立ったまま瞳を閉じた。
今から家に帰れば、あの機嫌の悪い女が待っているかと思うと気が重い。
酒が入ればまだ機嫌が直るかとも思ったが、あの女はいつもより杯も進めずにやけた男を手伝うと言って席を立って、あの金髪の浮いた台詞に笑いながら戻ってくる。
その間俺を見ようともしなかった。
余程怒ってんのか。
あんなにしつこく席を立って、ナミがあの男を狙っているとも思えないのは、自分だけを見ない女に気付いているからだ。
じゃあ、これは一体何かと考えている内に電車はいつもの駅に着いた。
ドアが開くと雨の音が近くなった。
蒸れた空気に、湿った服な歩くだけでも気持ち悪い。
改札を出た時に、ふと、ある考えが頭に過ぎった。
ナミがへそを曲げているその理由。
あれだけ席を立って、自分を見ようともしないその理由。
「そういうことか」
そういえば、今日は途中から怪我をした足を庇うように歩いていたのは知っていた。
だがナミが自分をちらりとも見ないものだから、わざわざ自分から声を掛ける必要などはないかとも思って、何らそのことを口にしなかったのだが、どうせあの女のことだからそれを怒っているに違いない。
何度も席を立っていたのも、怪我してる自分に気付けというアピールの一つかも知れない。
今までだって頭の中で勝手に考えて勝手に怒って、いきなり自分を怒鳴ったこともある。
いつもならばそんな事に気付いてもどうするということもないのだが、あの怪我は確かに自分の所為というのは明らかなのだ。ナミが自分に対してあれだけ怒っていても仕方がないだろう。
そうとわかれば話は早い。
酒と看板に大きく書かれたコンビニに駆け込んで、ゾロは適当な酒の瓶を掴むとそれをレジに持っていった。
緩慢に動くレジのバイトをじろりと睨めば、その若い男は途端に動作が機敏になった。
ビニール袋に入れられたそれを手にして、雨の中を面倒そうに一つ溜息つくと、家までの道を走っていく。
見慣れた道に外灯は雨の筋を浮き立たせて、それを見て初めて今、自分に打ちつけられている雨が土砂降りなのだという認識が生まれて、少し足を速めた。
ザァと耳元を掠めた雨を払うように、マンションの入り口に辿り着くと呼吸も置かずエレベーターのボタンを押す。
最上階まで上っている途中のそのエレベーターを待つことに焦れて、階段を上っていった。
一歩上がるたびに濡れた髪からは額を伝って水滴がぽとりと落ちる。
ようやく部屋の前まで来て、インターフォンを鳴らしてみたが、中からは返事が聞こえない。
チッと舌を鳴らしてポケットをまさぐった。
キーホルダーも何もつけていない、鍵を出して鍵穴に差し込む。
カチャリと音を鳴らしてロックの外れたそのドアを、ゆっくりと開けると家の中は煌々と電気が灯されて、あの女が自分より早く帰宅していたことを示していた。
玄関を上がると、濡れた靴下が気持ち悪い。
脱ぎながら廊下を歩いて居間に行ったが、あのオレンジ色の頭がない。
フローリングには自分がつけた水の跡が点々とついていて、さすがにヤバイかと、酒瓶の入った袋をダイニングテーブルの上の置いて自分の部屋へと入って濡れたスーツを脱ぎ捨てた。
新しいシャツは、ナミがたたんで箪笥に入れてある。
どれでもいいと一番手前にあった灰色のシャツを掴んで引っ張り出すと、それを着た。
布が肌に張り付いて、体も濡れていたのだと気付いたが、今更また着替えるのも面倒で、着ているその服でごしごしと肌を拭うと、ベッドの上に脱いでそのまま置いてあったパジャマ代わりのハーフパンツを手に取る。
スーツをハンガーに掛けるのは──後でいいだろ、と心中で呟いて居間にまた戻ったが、やはりナミの姿がない。
部屋にでもいるのかと自分の部屋を出て対面にあるナミの部屋のドアへと真っ直ぐに歩んでその扉をどんどん、と叩いた。
やはり、返事も何もない。
「おい、いるんだろ」
もう一度、どんどん、と叩いて返事を待って声も止めればしんと静まり返った音しか聞こえない。
(せっかく人が頭下げてやろうとしてんのに──あの阿呆)
テーブルの上に置いた酒を見せて、悪かったと一言謝ってやろうと思っていたと言うのに、その女が部屋に閉じこもりっきりではそれすらも出来ない。
そこまで自分を無視するつもりなのかと幾分乱暴にドアを何度か叩いて、「おい!」と声を掛けていると、突然背後から溜息にも似た声が聞こえた。
「ドア壊したら弁償よ」
振り返れば、風呂上りなのか僅かに髪を濡らした女は、自分と目が合う前にふいっと顔を逸らした。
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