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6




アルビダが満足する男。

希望という点で、アルビダは高収入を期待していない。自分よりも高収入の男などいない、と豪語したのだ。

もちろん、容姿が見るに耐えないのはご勘弁だなんて言っていたが、生まれて20年以上、あの顔を鏡で毎日見てきたというアルビダに本当に審美眼があるのだろうかとナミは心中怪しんでしまった。

そして職業にも大した希望があるわけでもない。

つまり、男に対して求めるものはただ自分を愛するということだけ。

実はそれこそが一番難しい。

会って、話してみなければどうにもならない。

だが、アルビダの場合は会おうと言ってくれる男がいるかどうか。
それが問題なのだ。


その上、好きかどうかではなくそこに必要なものを『愛』とはっきり言われると、会ってすぐにそう思える人間などいないだろう、とも思う。

もし結婚を前提とした付き合いまで持っていったとして、その後はどうなるだろうか。

本来はそこまで介入するのはナミの仕事ではない。

カップル成立となれば、既に体が覚えたあのセリフを言えばいいだけ。


だが、アルビダに感情移入してしまったナミは冷静さを欠いていた。

『私もあなた達の結婚式を手伝いたいから』

その言葉を、心底から言いたいのだ。
今、自分と同じように自分を愛してくれる男性を求めている女性に対して。

それは、この部署で仕事をしている限りは現実的でない言葉ということは重々承知してはいるのだけど。



(でも、せめて結婚が決まるまでは・・・───)

できうる限り、この女性を幸せまで導く。

それが、今の自分ができることなのだ。





アルビダがいなくなってから顎に手を当てたまま黙り込んでしまったナミに、ビビは何度も声をかけたのだが、彼女は身じろぎ一つしなかった。

電話の応対はビビもできる。

とりあえず、このままでもいいだろうかと思って、雑務をしながら上司の様子を傍らで見ていれば、あっという間に6時になってしまった。

「ナミさん、あの・・・」

返事はない。

「ナミさん、もう6時ですけど・・・何かすることがあったら言ってください」

もちろん、ナミからの返事はない。


困ったビビが途方に暮れてしまったときに、ナミのブースに社長のロビンが顔を覗かせた。

「あら。困ったわね」

手に持った書類をナミに渡すために来たと言うのに、ナミはどこか遠くを見たまま全く動かない。

「またこうなっちゃったのね。しょうがないわね。部下を置いて・・・」

「社長、ナミさんが・・・」

「ああ、ナミさんは昔からこうなのよ。何か企んでいる時は、いつもこれなの。
 気にしないで。今日はもうビビさんは上がってちょうだい。
 あなたはまだアルバイトで6時までの約束なんだから。
 それから、この書類ね。明日の午後の会議で使う書類よ。
 ナミさんの鞄に入れておいてくれるかしら。鞄に入ってれば気がつくでしょう」

「・・・だ、大丈夫でしょうか?」

真隣で声をかけてもトリップしてしまったナミにビビの声は届かない。
こんな状態のナミが、鞄の中にいつしか入れられた書類に気がつくかどうか。
ビビが少し不安そうな表情を見せると、女社長はゆったりと笑った。

「大丈夫。ナミさんは頭を切り替えることが上手よ。
 ビビさんは仕事中のナミさんしか知らないから、不安になってしまうのね。
 一度一緒に飲みに行ってごらんなさい。
 彼女、仕事中とプライベートじゃ全然違うのよ。」

じゃあよろしく、と言って、社長は去っていく。
ビビは思い出したように、振り返ることもない社長の背に向かってぺこっと頭を下げると、言われた通りナミのロッカーの鞄の中にそれをしまいこんだ。

オフィスを出ようとして、だが、やはり気になって、未だブースの中で先ほどと同じ姿勢で考え込んでいるナミのために小さな付箋に『鞄に明日の会議の書類が入ってます』と書いて、それをナミの手にぴたっと貼り付けた。こうすれば、否が応にもナミの目に止まるだろう。

ようやく心の不安を取り除いて、ビビは会う人皆に「お疲れ様です」と律儀にも深々と頭を下げて退社した。





***************************************




ナミが我に返った時、既に終電間際の時間になっていた。
慌てて立ち上がれば手に付箋がつけられている。

ビビの字だ。

よくそんなに小さな文字が書けるものだと感心してしまうぐらいの彼女の字を、ナミは二日一緒に働いただけで覚えていた。

(鞄に・・・ああ!明日会議じゃない・・・───)

月曜日の明日は各部のチーフが集まって営業会議が開かれる。

ナミの受け持つ仲介事業の正式名称はまだない。
飽くまでも試験的に始められた事業で、ナミだけがそのコンサルタントとして働いている。
もちろん忙しくなれば、他の社員やアルバイトに手伝ってもらうこともあるが、実質ナミだけが動かしているこの部署のチーフとして、ナミは会議で現在の進捗状況を説明しなければならないのだ。


(そうだわ、今日はアルビダさんが帰ったらそれをまとめるつもりだったのに・・・───)

だが、電車の時間は刻々と迫っている。

ナミは明日の朝一番に出社すれば午後の会議には間に合うだろうと思い直して、だがやはりそのまま手をつけないわけにも行かず、あらゆる書類をとにかく鞄に突っ込んで、オフィスを出た。



長時間同じ姿勢で座っていたためにスーツのスカートに皺が寄っている。
次の休日にはクリーニングに出そうなどと思いながら、家に帰ればさすがにこの時間になればゾロが帰っているのだろう。マンションの近くまで寄った時、ゾロの部屋に仄かな明りが灯されていることがわかった。

冷凍庫に二日前のカレーの残りがあることに気付いただろうか。
あれなら、どうせ残り物だし、コンビニで弁当を買ってそのゴミを増やされるよりはマシだ。
もし自分で作るつもりがないなら食べてもいいと言おうと思っていたのだが、何も言わずに出てきたものだから、食べていいかどうかもわからず、結局いつも通りコンビニの弁当で食事を済ませてしまったかもしれない。

そんなことを思えば、自然とマンションの階段を上がる足も速くなる。

玄関のドアを開けると同時に、居間へと続く廊下の向こうでカチャッとドアノブが動く音がした。


「・・・遅かったな」

顔を覗かせた男はナミの姿を見るなり、眉間に皺を寄せて言う。

「仕事よ。」

言ってから、はたっと気付いた。

まるでこれでは同棲中の恋人同士の会話ではないか。

あんたには関係ない、と言えば良かっただろうかと反省して、ナミがジャケットを脱ぎながら自分の部屋へ戻ろうとすれば、男はいつものようにダイニングテーブルについて「メシ!」と言った。

「・・・メシ・・・って。あんたまさか待ってたとか言わないでよ」

「そのまさかだ。」

コートを手に、ナミが呆れたように溜息をついた。

「あんたね・・・言ったでしょ?食事は各自で用意するんだって。
 私はあんたの家政婦でもお母さんでもないのよ。」

「金払えばいいんだろ」

「そりゃ・・・でもね、私だって仕事があるんだから。
 そう毎日毎日ちゃんと作るわけにはいかないのよ。
 昨日と一昨日は休みだったから特別よ。
 私こそおなかペコペコ・・・作ってもらいたいぐらいなのよ?」

「いいから、早く作れよ」


「・・・悪いけど、冷凍庫にカレーの残りがあるからそれをあっためて一人で食べて。私、仕事持ち帰ってきたの。あんたの世話焼いてるヒマなんてないわ」


男はじっとナミを見てから「本当に仕事だったのか」と言った。

(何よ、その『本当に』ってのは・・・───)
確かに、本当ならもっと早く帰れる予定だったけど。
まさかある女性に肩入れして、その女性に合う男のタイプを真剣に考えててこんな時間になってしまったなんて言えるはずもない。

「そうよ。私が仕事しちゃ悪い?これでも結構有能なのよ」

まぁ彼に言った『ウェディングプランナー』としての仕事のために頭を使っていたわけではないが。

アルビダの場合は心底から挙式までの面倒を見てあげたいと願う自分がいる。

例えそれを他の部署に回すことになっても、多少口を挟むことぐらいは許されるだろう。

有能かどうかで言えば、実際自分は数々の企画で顧客の満足を得た経験もあるのだし、嘘ではない。

ただ、今日の業務は多少彼には言わなかった仕事内容だったと言うだけで。


「そういう意味じゃねぇ。もしかして、俺がここを出ることになるんじゃねぇかと・・・───」

最後に言葉を濁らせて、ゾロはチッと舌打ちをした。
言葉が見つからないのだろう。


「・・・? 何よ、それ。
 私が男と一緒だったと思ってたってわけ?
 私だってそうだって言いたいけどね、仕事に追われてそんなヒマもないわよ。
 特に今は新しい部下が入ったばかりだし・・・今日は今日で・・・
 ま、いいわ。とにかくあんたに早く出てってもらいたいのは本当だけど
 残念ながら、今のところそういう予定はなしよ」

「そ、そうか・・・?」

少しほっとしたような呟きが聞こえた。

「・・・失礼ね。あからさまにほっとして。そんなに私に彼氏ができなきゃいいとでも思ってるの?」

「ち、ちが・・・!!いや、だから・・・俺がここを出ることになるんじゃねぇかってな・・・」

「はいはい、わかってるわよ。あ、カレーは容器ごとレンジで5分もあっためて。ご飯も冷凍してるから同じぐらいあっためてね。別々によ。食べたらちゃんとお皿を洗ってね」

「お前は食わねぇのか?」

「言ったでしょ。仕事を持ち帰ってるの。ご飯食べてるヒマなんてないわ。」

そんな言葉を残して、ナミは部屋のドアを閉めた。

暗い部屋に電気を灯して、少しだけ口元を緩ませる。



(変な奴ね。なに慌ててんのかしら・・・?)

ナミが今夜遅くなったのは、仕事のためだと聞いて安心したような顔をして。
ナミに彼氏がいなければいいとでも思ってるのかと問えば、あんなに焦って。

(私のこと、好きとか?)

ドアの向こうで微かにレンジを操作する音が聞こえた。

キッチンに立っているだろう男の姿を思い浮かべて、ナミは「まさかね」と呟いて、けれども綻んでいく口元を止めることができなかった。


(ああいう男が、慌てる様ってのも案外可愛いもんね)


悪戯っ子のようにふふっと笑って、彼女はようやく着替え始めた。





窓を少しだけ開ければ、外からの空気に部屋の雰囲気が軽くなる。
そう言えば、もうすぐゴールデンウィークに突入する。

この時期はジューンブライドの風潮も手伝って、ナミの会社はことさら忙しい。
とは言え、ナミの受け持つ部署はそれほどでもないのは昨年体験済みだが。

会社全体が忙しいと、自分にもしわ寄せが来ることは明白だ。

その点を踏まえて、明日の会議でなるべく自分の仕事をGWに合わせて調整しておかなければならない。
登録を希望するという数名をなるべく今週中には来社してもらって、GW前にはその相手を見つけておいた方がいいだろう。でなければ、4月下旬からは帰省や旅行などで連絡ができなくなることもある。それまでに日取りだけでも決めておきたい。

大手の結婚相談所ならば、登録したその場で相手を選ぶことができるのだが、ロビンの意向でメリーブライドコンサルティングではそれを敢えて避けている。

登録から数日置いて、相手が見つかったということにすれば、客としても会社側がこの数日、懇意になって自分の相手を探してくれていたのだと思ってくれるだろうとロビンは言う。
けれどもそれは建前で、実際はナミの仕事の負担を減らす意味合いもあった。

せめてもう少し大きな部署で、数人体制で取り組んでいれば作業もはかどるというものだが、今はナミとビビしかいない。スピードを重視すれば、自然と仕事の質が落ちる。
それを危惧してロビンはこの事業はスロウペースで取り組むことに決めた。


だが、今の問題はGW中に最初のお見合いに持ち込むか、けれどもどこに行っても込んでいるGW中は避けるべきかということ。

焦ってGW中に日取りを決めなくてもいいだろうか。
人によっては既に計画も立てているだろう。

それとも、皆、恋人がいないのだから、GW中にそういう相手との出会いを求めているのかもしれない。

(明日の朝、電話で確認してみよう。今ここでぐだぐだ考えてても埒があかないもん)

ちら、と時計を見れば既に2時。


既に明日の会議の報告書も作り終えたし、とナミは椅子の上で大きく伸びをした。

仕事を終えたと思えば、自然と欠伸が漏れてしまう。

シャワーでも軽く浴びてから眠りにつこうと、重い腰を上げてナミは部屋のドアを開けた。




すると、リビングのソファに緑の頭がちょこんと飛び出しているのが目に入る。




「・・・何やってんの?」

声を掛けて背もたれの上から覗き込んでみれば、男はぐーぐー眠っている。

(・・・人が仕事してんのに。)

呆れた、と呟いて、男の肩に軽く手を置いてそれを揺らす。

「ちょっと。こんなとこで寝ないで。寝るなら自分の部屋に行きなさいよ」

「ちょっと・・・」

「ちょっと!!」

「ちょっとってばっ!!!」


「・・・だァッ!!ちょっとちょっとってうるせぇなっ!」

ガバッと飛び起きた男の顔がナミの顔に近づく。

微かに石鹸の香りが漂ってきた。




───くん。

───くんくん。


「・・・お、おい・・・?」

よく知るその匂いを確認するために、ナミは無意識に男の胸座を掴んで襟元に顔を寄せた。

ひとしきり、匂いを嗅いだナミが剣呑な目のままに顔を上げた。


「あんた、私のボディソープ使ってるわね!?」

「はァ?風呂場にゃ石鹸は一個しか・・・」

「それが私のだって言ってんのよっ!自分の分は自分で買ってくれない?
 ああ、もう・・・ファンケルのボディソープよ?いくらすると思ってんのよっ!」

「たかだか石鹸の一個や二個でそう怒鳴るな」

「1500円よっ!?1500円あればランチを外で食べられるのよっ!?」

「知るか。」

「いやっ!もう、信じられない・・・っ!!バカッ!
 このお金はちゃんとつけときますからね!」

「金にうるせぇ奴だな。それより・・・そろそろ離せよ・・・」


男が呆れたように言った言葉で、ナミは初めて自分と男がキスすらも簡単にできるほどに顔を近づけていたことを知った。ナミが胸座を掴んでいたからだ。

慌てて手を離せば、ゾロは伸びたTシャツをつまんで「ったく」とブツブツ呟いている。

「・・・こ、今度からは気をつけてよね」

「石鹸ぐれぇいいだろ?別に・・・」

「駄目。そういう曖昧な感覚でいたらルームシェアなんてできないわ。
 何事もけじめが肝心なの。それから、シャンプーとかリンスもよ。
 明日にでも自分の分、買ってくるのね」

「金払えばいいんだろうが」

「払うの?絶対払う?約束する?そんな事言って、いざここを出る時に『忘れた』なんて言うつもりじゃないでしょうね」

「払うって言ったら払う。俺ァ約束は破らねぇ主義だ」

自由になった体をゆっくり起こしてゾロは欠伸しながらそう言った。



「それより。もうこんな時間だろ。くだんねぇ事言ってねぇでお前寝ろよ。俺ァ明日休みだが・・・」

「休み?あんた、休みなんて無いんじゃなかったの?」

「アホ。いくら俺だって10日も働いてりゃ休みも取る。・・・つーか、やっと仕事に区切りがついたんでな。これからはそう遅くもならねぇし・・・」

そこまで言って、ゾロは少し躊躇うように鼻の頭をポリポリと掻いた。

「遅くならないし・・・何?」

「だから、今日みてぇにお前が遅くなるなら連絡ぐらいしろ」




何で。


あんたに私がそんな連絡入れなきゃいけないの??



ちょ、ちょっと。

何で顔赤くしてるのよ。


・・・こっちまで赤くなっちゃうじゃない。





「俺のメシ、金払ったら作るんだろ?」

耳まで赤くした男は、そんな事を言って乱暴な足取りで自分の部屋へと向かった。


ナミもまた、頬を染めたままに立ち尽くしていたが、彼がドアを開けた音にやっと我に返って叫ぶように言った。


「・・・ケータイ!」

男が不思議そうな顔で振り返る。

「・・・ケータイの番号とメアド、教えてくれなきゃ・・・連絡しようにも・・・で、できないでしょ?」

男の連絡先を聞くのにここまで照れてしまった経験はない。
どもってしまった自分がまた恥ずかしくなってナミは俯いてしまった。

そんな彼女の緊張が伝わってしまったのか、ゾロもまた照れたように頭をボリボリと掻いてから部屋に戻り、一枚のメモを持って現れた。

そこにはゾロらしく大きな字で殴り書きされた彼の連絡先。

「ん」

短い言葉と共に差し出された紙を両手で受け取って、ナミが赤い顔のまま「私のは・・・」と言いかければ、男は「いい。」と首を振った。

「多分、わかる」

多分と言いながら、男の言葉に迷いの色はない。
さも自信があるとでも言いたげな彼を見て、ナミは「わかったわ」と小さな声で言ってバスルームへと向かった。






鏡を見れば、まるで少女の様に赤い顔。


(何で、こんなにドキドキしてるわけ・・・?)

自分の胸の鼓動が信じられずに、ナミは鏡に向かって顔をしかめていた。


ふと見れば、鏡に映った自分の手に白い紙が握られている。



(・・・別に。ただの連絡用だってば・・・───)




だが、忌々しげに呟いても、鏡に映ったその顔には仄かな笑みが浮かんでいた。

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