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8




「ただいまー」

明りの灯された居間に男がいるだろうことを察して、ナミはドアを開けると妙に甘い声を出した。

「・・・遅かったじゃねぇか」

ソファに座って一人酒を飲んでいた男が顔を上げれば、紅潮した頬を緩ませた女が上機嫌そのもので居間へと入ってくる。

「何だ、にやけて・・・」

「ふふっ、いいことがあったのよ。」

へぇ、と全く興味がないとでも言いたげに男はまた酒のグラスを手に取る。

「ちょっと。話、聞きたくないの?」

「別に・・・」

「聞きなさいよ。あんたにも関係あるんだから」

ようやくゾロは顔を上げて、笑顔を絶やさぬ女を見た。
それでも訝しむように眉間に皺を寄せている。

「俺に?何だよ、話ってのぁ・・・」

ナミは部屋に入るでもなく、ジャケットをダイニングの椅子の上に軽く掛けると含み笑いをしながらキッチンからグラスを一つ持ってきて、ゾロの隣に座って彼の飲んでいたウィスキーを何の断りもなく自分のグラスに注いでいった。ゾロは黙ってその手元を見ながら、女の言葉を待つ。

一口目をさも美味しそうにくっと呷って、ナミは「美味しい!」と小さく呟いた。

「カクテルもいいけど、やっぱお酒はストレートが一番味がわかっていいわ。もうちょっともらうわよ」

言うが早いか、ナミはとくとくとグラスにウィスキーを注いでいった。
なみなみと注がれた飴色の液体が微かな光を反射してグラスの中で揺らめいている。

「人には金払えってうるせぇくせに・・・」

「まぁいいじゃない。今日は記念日になるんだから」

「記念日・・・?何の・・・」

「未来の結婚相手と出会った記念日よ」

ゾロの眉が一つ、ピクリと上げられた。


「いい男だわ。絶対にあの男、落としてみせるから。お酒も強そう。私の結婚相手ならお酒飲めなきゃ話にならないわ。それにね、何たって『大人』って感じなの。あの若さでお店を経営してるってとこもいいわ。そうなったらあんたもここを出てかなきゃね。ね、あんたにも関係あるでしょ?」

ナミが思い出すようにうっとりとした顔で、またグラスに口をつけた。

「やっぱ女心を掴むのが上手い男っていいわ。うん、そうよね。今まで盲点だったわ。バーの店長だったら、大人の会話が楽しめるってもんよ。話が小気味いいのよね。客商売の男と付き合うのって初めてだけど。」

「・・・まだ、付き合ってるわけじゃねぇだろうが」

静かにゾロが言った。

その低い声はまるで浮き足立つナミを諌めているようで、ナミはようやく隣に座っている男が顔をしかめていることに気付いた。


「あのね、人の気持ちを挫くようなこと言わないでくれる?
 付き合ってるわけじゃなくても、もう私があの人を彼氏にするって決めたんだから
 絶対に落としてみせるわ。私の本領発揮よ!」

「・・・相手に女がいるかもしれねぇだろ」

「いないわよ。他の店員に聞いたんだから」

「そんなのわかるか。本人に聞いたわけじゃねぇんだろ?」

「あんた、何でそう否定的なのよ。
 私に彼氏できたら、この家出なきゃいけないからって・・・
 もうちょっと祝福してくれたっていいんじゃない?
 せっかく私がいい男見つけられたってのに。
 あ、もしかして妬いてんの?私一人幸せを掴んじゃうから。
 だから、あんたもうちの会社来たら女の人紹介してやるって・・・」

「そんなんじゃねぇ」

呆れたような声でナミの言葉を遮って、ゾロはそのまま部屋へと戻って行った。

乱暴に閉められたドアの音が一人残されたナミの耳に嫌な感触を残す。


「・・・何よ、失礼な奴・・・」

せっかく機嫌良かったと言うのに、あの男のせいで甘い空想の世界から現実に引き戻されたナミは、リビングで男の酒をまた呷った。


どことなくほろ苦く感じたその味を舌で味わって、女は苦々しげに眉をひそめた。





***************************************





春眠暁を覚えずとは良く言ったものだ。

久しぶりの連休初日とも言える今朝、ナミはベッドの中でそんなことを思いながら春の陽気の中、体を起こそうかと迷ってから、けれどもせっかく休みなのだからとまた瞳を閉じて、二度寝を堪能していた。

瞼を下ろした瞬間に心地良い温かさにすぐうとうととしてしまう。

ここのところ、平日に休みを一日置き、二日置きに取っていたせいで、休日とは言え、平日に出来なかったことをしようと気張ってしまってのんびりした日を過ごした記憶がない。

(今日は、家でのんびり・・・そうね。それが一番よ)

こんなふうにベッドで惰眠を貪るのもいい。

気が向けば春風に吹かれて家の近所を散歩するというのもいいかもしれない。

そんなことを考えていれば次第に頭が重くなってきて、ナミは眠りの世界に入るのだとまだどこか覚めている部分で感じていた。

だが、その眠りが突然妨げられる。



ドアをノック・・・いや、ノックというのは正しくない。

乱暴に叩く音がナミに睡眠を許さなかったのだ。


───ドンドン!

───ドンドンドン!


(・・・取り立てみたいね・・・───)

でも、無視するわ。

せっかくの休みだもの。


───ドンッ!




・・・しつこいわね。

朝から一体何だって言うのよ。








───ガチャッ




「・・・?」


返事もしていないのに、その扉が突然開かれた。


「おい。朝メシ!」

薄く瞳を開ければ、仏頂面の男が何を気にするでもなくナミの部屋にずかずかと入って来るのが見える。

「おい!」

ゾロが布団に手をかけて、それをナミの体から引っぺがそうとした。


「勝手に部屋に入らないでくれる?」
ぐっと布団を持つ手に力を入れて、そうはさせまじとしながらナミは顔を布団に埋めたまま言った。
「じゃあメシ作れよ。」
「自分で作ればいいじゃない。作るのが嫌ならどっかで食べればいいでしょ。私、今日は休みなのよ。もうちょっと寝てたいの」
「俺だって今日は休みだ」

男の言葉にようやく伏せていた顔を上げた。
確かに、スーツを着ていない。
初めて見た男の私服姿に、ナミは一瞬驚きを隠せなかった。

これこそ弁護士なんて程遠い。

左耳につけられたピアスからの印象も手伝って、長袖のTシャツにジーンズなんてラフな格好をしている男は、まるで20代前半にも見える。

その印象はフリーター以外の何者でもない。

「・・・あんたって・・・本当に弁護士?」

「はァ?何言ってんだ。それより早くメシ作れよ。昨日だって晩飯抜いてんだ」

「・・・抜いたって・・・何で?」

「テメェが帰ってこなかったからじゃねぇか」

当然だろ、という言葉が体全体から滲み出ている。

本当になんて態度のでかい男なんだろう。
ナミがご飯を作って当たり前。
ご飯を食べられなかったのはナミの所為とでも言いたいのだろうか。

朝から不機嫌極まりない顔でナミを起こすのだ。


「・・・あんたね。昨日は歓迎会で遅くなるってメールしたわよね?私からってわかんなかったの?」

「いや、わかった」

「じゃ、事前に私が遅くなるのわかってたのよね?ならコンビニでお弁当でも買ってくればいいじゃない。どっか食べに行けばいいじゃない。私は責任を果たしたわよ。連絡入れたんだから。それを私の所為にしないでくれる?」

「コンビニ弁当なんか不味くて食えるかよ」

「何でよ。あんだけ食べてたくせに・・・」

「お前のメシの方が美味いじゃねぇか。わざわざ不味いメシ食う必要ねぇだろうが」



・・・ちょっと、嬉しくなるような事言ってくれるじゃない。

それじゃあ何?

私、コイツの餌付けに成功しちゃったってわけ?






ご飯作ってやったのが間違いだったかしら。

そうよね。

弁護士だもん。お金はあるしね。

もうちょっとぼったくってやれば良かったかしら・・・






コホン、と小さく咳払いして、少し染まった頬を悟られぬようにナミはいつものように男に「じゃあちょっと待ってなさい」と言った。

「支度するわ」

「支度?別にパジャマだっていいだろ?」

「違うわよ。化粧すんの。ほら、早く出てって」

「別に化粧して誰に見せるわけでもねぇだろ。それより早くメシ作れよ」

男は頑として動こうとしない。

ベッドの上で起き上がったナミを見下ろして、彼女から朝ご飯を作ろうという気配を感じるまでは離れないとばかりに仁王立ちしている。


「・・・わかったわよ。その代わり、休日料金上乗せしますからね」

「いいから早くしろよ」

「ワン。」

「・・・?何だそりゃ」

「あんたが犬みたいだから、犬語で答えてあげたのよ」

実際に飼ったことはないのだが、犬を飼っている友人の家で見たことがある。
朝になれば、ご飯ご飯とおねだりする犬。

このゾロという男、まさにそんな感じだ。

自分が帰ってこなければご飯は抜く。
帰ればメシメシと騒ぐ。
朝になってもメシメシと騒ぐ。

まったくまだ我が家に来て数週間も経たぬうちに、ナミというご主人様に餌を期待しているというこの現状。

ナミは厄介な同居人の、それでも自分のご飯以外のものを不味いと言い切る男のためにベッドから降りた。

「人を犬扱いすんな」

「犬じゃなきゃ何なのよ?いい子だからお座りして待ってなさい」

人差指でツンと男の胸を弾いて、ナミは欠伸をしながら部屋を出た。




「・・・犬扱いすんな」

ぼそっと呟いた男は、眦を少し赤らめて女に弾かれた胸元を軽く掴んだ。
彼はその眉間に小さな皺を作って、それから彼女の後を追うようにしてダイニングへと向かった。



いつもの席に座って見ていれば、顔を洗った彼女は早速トーストを焼いて、コーヒーを淹れている。

自分の望む通りの行動を彼女がしていることに満足して、テーブルに片肘をついた手で自分の顔を支えてじっと彼女を見ていると、女は顔を思いっきりしかめた。

「そんなに見なくてもちゃんと作ってあげてるわよ。」

見ていたことを彼女に気付かれたと悟って、ゾロは存外だとでも言うように片方の眉を上げた。

「そういう意味で見てるんじゃねぇ」

「そう?早く食べたーいって顔してるわよ。」

「・・・腹減ってんだ。無駄口叩いてないで早く作れ」

「作ってもらってるくせに、何よ。その態度は・・・」


呆れ顔でナミが朝食をダイニングテーブルに並べていく。
すぐにでも男が手を出すかと思えば、男はトーストに目を落としたまま動かない。

「食べないの?」

「・・・お前は」

小さな声でぼそっと呟いた。

この男、どうもナミが席に着くのを待っているらしい。

今にもよだれが出そうな口をぎゅっと真一文字に結んで、まさに犬のように『待て』を忠実に守っているのだ。
そう気付いて、ナミは途端に大声で笑ってしまっていた。

「あ、あんた・・・まさか私を待ってるの!?
 かわいいとこもあんのね〜。別に私を待ってなんて言ってないじゃない。
 よーしよし、いい子ね♪」

笑いすぎておなかが痛くなってしまって、ナミは片手をそのくびれた腰に回し、もう一つの手でゾロの緑色の頭をぽんぽん、と撫でるように叩いた。
ゾロはと言えばそんなことをされて眉をひそめたものの、顔を赤くしたまま視線だけをナミから外して、けれども大人しくされるがままだ。

「ほんと、あんたのそういうとこって可愛いわよね。いつもそうだったらいいのに」

「いつも・・・って、俺ァいつだってこうだろうが」

「いーえ!全く違うわよ。大体初めて会った時だってこんなふうに目を吊り上げて・・・」

言いながらナミは指で眦を押し上げる。

「私に向かって『願い下げだ』なんて言ってくれちゃって。
 もうどうしてやろうかと思ったわよ」

あぁ、と思い出すように呟いてゾロがガシガシ頭を掻いた。

「あん時ゃ仕事もピークだったしな。それにテメェだってキャンキャン騒いでたじゃねぇか」

彼の言葉を聞きながらナミがようやく席に着く。
それを待っていたゾロは早速トーストに手を出して、勢い良く頬張りだした。
むしゃむしゃと、やはり美味そうにたいらげていくのを見ることは、作った側としても気持ちが良いものだ。
ナミはそんな男の姿に微笑みながらコーヒーを口に含んだ。

「だって急に男が来るって聞かされたんだから。しょうがないでしょ。
 ま、お互い第一印象は最悪だったってことね。」

「へぇ?今は・・・」

今?

呟いてナミが首を傾げた。

「今は、どうなんだよ」

聞かれてみて、この二週間近く見てきた男の感想にぴったりとくる言葉を頭の中で探す。

「そうね・・・番犬ってとこかしら」

「・・・また犬かよ」

「そう?だってあんたまさにそんな感じよ。
 私がいなきゃご飯食べないし。私の顔見たらご飯ご飯ってうるさいし。
 けど、法律に強い番犬ってのもいいわね。
 頼りにしてるわよ、ゾロ」

ナミは初めて男の名を呼んだ。


名前を呼ぶ、という行為は少なからず呼んだ側にも呼ばれた側にも親近感を味わわせる不可解な魔力を持っている。

それを口にした瞬間、言葉にできない温かさが胸に染み渡って、ナミは何となくその名をもう一度口にしてみた。

「ゾロ」

彼女の言葉に機嫌を損ねて忌々しげにトーストを口にしていた男が、ふっと顔を上げた。


「何だよ。これ以上俺を犬扱いするつもりか?」

「・・・う、ううん。何でもないわ。ちょっと呼んでみただけよ」

「・・・? 変な奴・・・」

口をもぐもぐ動かしながらゾロは赤くなってしまった彼女をじっと見ていた。

凝視されて、ナミはどうにも居た堪れない。

話題を変えようと、必死に口を動かしてみる。

「そ、そういえば・・・あんた何で今日休みなの?弁護士って平日に休み?」

「いや、大抵は土日祝が休みだが・・・公的機関は平日しかやってねぇだろ。
 けど今回の依頼がなぁ・・・ま、終わったことだが。
 とにかく休みが溜まってるから消化しろって無理に休まされた。
 ありゃ絶対ェ俺の給料を余分に払いたくねぇだけだな、ミホークの奴・・・」

「ミホーク?・・・って、すぐそこのミホーク国際法律事務所?あんたそこで働いてんの?」

「あぁ。それだ。」

道理で。
こんな顔して、英語をすんなりと受け入れているはずだ。

国際法律事務所と言えば、海外への個人投資や企業間取引、いわゆるM&A(合併と買収)の法的サポートをするような事務所だ。そこで働いているのだから、ナミとラキの略語ブームにすんなりノッてきたのも頷ける。
実際、見た目からして英語なんてできませんという風体の彼に、何故こんな男がとも思ってしまっていたのだが、彼の職場を聞いてようやくナミは得心した。

「あんたって・・・本当に見かけと中身が全然違うのね」

「あァ?何だそりゃ。喧嘩売ってんのか?」

「違うわよ。案外いい男ねって誉めてんの」


そう言ってナミが微笑めば、男は気まずそうに赤い顔のままコーヒーをごくりと飲み干してから「熱ぃ」と叫んだ。



「いい天気ね。家でのんびりするつもりだったけど、買い物にでも行こうかな」


白い日除けカーテンの向こうに春めく青空がナミを誘っている。



「よし、決めた。出かけよっと。ゾロ、あんたも行くのよ」

「何で俺が・・・」

「あら、たまにはデートもいいじゃない。
 女日照りのあんたの一日にこの私が彩りを添えてあげるって言ってんのよ。」

「デートって・・・お前・・・」

「私も新しい彼氏のために服を買い揃えたいしね。あんたは部屋探しよ。いい物件が見つかるといいわね♪」

ウィンクしてから着替えのために鼻歌を歌いながら部屋に戻ったナミとは正反対に、ゾロはひどく不機嫌そうな顔を青空に向けていた。

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