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9999HITを踏んでくださった希絵様に捧げます。

疾く風の如し


10




翌日になってナミが瞳を開けるとゾロの姿がどこにもない。
名を呼んでも板戸が締め切られた屋敷の中、自分の声がこだまするばかりで、耳を澄ませばひっそりと静まり返った空気に寒気すらも感ぜられる。
二の腕を擦りながら慌てて立ち上がると、帯を締めなおして、ナミはまた、襟も正そうと胸元に目をやった。

雨戸の隙間からは朝を知らせる陽の光が差し込んで、自分の胸に一筋の線を浮き立たせている。


(・・・こ、これ・・・)

白い肌に今まで見たこともない赤い痣が、ぽつりと残されていた。

途端に昨夜のことが思い出されて、ナミは耳まで赤くして恥ずかしさに襟をいつもより強く閉じて数度瞬きを繰り返していた。

闇の中だったから、なぜか気分が高揚していたことを否めない。
いつもならば、胸に沸く羞恥心だってあの時は全くなくて、彼の唇を受け止めている自分がいた。

自分がどんな声を出して、どんな顔を見せたのか、ゾロの瞳が自分はどう映っていたのかが今更に気になってもう一度「ゾロ!」と大きな声で彼を呼ぶと木戸が二度、外から叩かれた。
急いで重たい雨戸を開けようとしたのに、なぜかそれが動かない。
隙間に風に運ばれて砂が、入り込んでしまったからだと気付いて「・・・もうっ!」と苛立ち紛れにそれを叩くと木の板は呆気なく外れて朝の光が目を射した。

突然入り込んできた新鮮な空気が体を包む。
朝ばかりは風も止んで、砂も舞わない。

朝露が湿気を混じらせてすぅと吸い込むと身体中が喜びに湧いた気がした。


大きく腕を伸ばして全身で朝を感じていると、外れた木戸の下から頭を擦りながらゾロがしかめッ面でがばりと起き上がった。

「これがてめェの朝の挨拶か?」

「ゾロ、そこに居たの?昼までにはそれ直しておいてね。その内また風が強くなるわ」

「おい、謝るってことを知らねェの・・」

「ご飯作るわ。ゾロ、あんたまた鍛錬?」

彼の手に抜かれた刀を見てナミは襟元を僅かに正すと、呆れまじりに笑顔も作って「せいぜい頑張りなさい」と言って、奥へと消えていった。

少しずつだけれども彼女が心を開いていることはこの数日、いくらその手の感情に鈍い己にもわかってどうも歯痒い。手に入れてやろうと思うのに、何故かナミの前に在って、彼女が笑みを浮かべているだけでそれでもいいかなんて変な気持ちにもなってしまう。



「アイツから目を離すわけにはいかねェ」


己に対して言い聞かせるように呟くと、ゾロはまた剣を振り始めた。

昨晩は鍛錬なんてする暇もなく、いや、やろうと思えば出来たのだが昼に久々に顔を合わせたミホークの言葉に惑わされて、ナミから離れてはいけない気がしてならなかった。

自分が庭に出ている間に彼女が居なくなってしまうのではないかと思って、だが、ナミが思うならそうすればいいとも思う。

自分でも一体どちらが本心かはわからない。

ただ、閉じきった屋敷の中、二人で居て今宵ならばナミの本心を聞けるのではないかとふと思ったのだ。


壁や屋根を打ち付ける風の音が耳障りにも思えて、黙れと心で一喝した。

ナミはそれを愛しいと言う。

まるでこの世の終わりみてェに悟りきった微笑を浮かべて、愛しいと言う。

肌をなぞった指が、触れた熱が、凛と響く声色が、そして己の思惑が頭の中で交錯しては彼女の唇を奪えば、ナミは「後悔しないのか」なんて問い返す。





「後悔なんかするわけがねェ」


してどうなる。
何かを得るか。

後悔をすれば、力がつくか。

腹が満たされるか。

そう言う筈だったのに、彼女に問いかけられて言葉が出てこなかった。
あれほどまで自分の中に在った熱が一瞬で冷めて、萎えた気分も隠さず彼女から離れれば、口からは「わからない」なんて曖昧な言葉しか出てこなかった。

『何か知ってしまったんでしょう?』

疑うことすらも許さないとばかりに言った女はどこか愉快げに見えた。

後悔するなど馬鹿馬鹿しいと言ってやろうにも、では後悔するかしないかの選択が迫られるその時が着々と彼女の身に近付いていることは、己にもどうしてやることもできない。


だが、彼女に悔いるなとも言えぬ。

後悔するに決まっている。

事を起こせばナミという女は後悔する。

過去の思い出にしがみ付いて、此処からどこにも行こうとしない少女なのだから。

掛ける言葉が見つからなかった。



(後悔なんぞ、する奴ァ阿呆だ)


今なら言ってやってもいいかと思えるのは、ナミの笑顔を見たからだろう。
意地張って自分にだって悪口ばかり聞かせた女が、つい先日から怪我を心配したり、今朝などは何とも自分を信じきった顔で笑う。

その顔を見れば、昨晩言えなかったあの言葉を今ならば言えるのではないかと、そんな気持ちが胸に湧いた。


前だけを見てりゃいい。

お前は、前だけを見てりゃいいだろう。

後悔なんかしねェで、思う通りにやりゃいいじゃねェか。


それがこの時世の生き様じゃねェか、と内心で言うて、ようやく振っていた剣を下ろした。
朝はまだ冷え込むことのある季節でも、体を動かしていれば季節など関係なく汗が流れて地面の石っころの上に落ちて跳ね返っていた。昨晩吹き荒れた風に運ばれてきた砂がかかって、白いはずの石が黄に色づいている。

零れた汗は手に握ってほど良いその石に黒い染みを浮き上がらせた。

顔の汗を拭いながらじっとそれを見下ろしていた。
かかる砂塵を落とそうとすれば、白い体を黒く染めなければならないのかと、ぼんやりとそう思って何だか惜しむ気が湧いた時、屋敷の中から自分を呼ぶ彼女の声が聞こえた。


どうせ鍛錬も終わったことだし、腹も減った。
良い頃合だと行きかけて、不意に動きを止めた男は、足元にあった石を無造作に蹴飛ばすと、何事もなかったかのように縁側を上がった。


爪先にはじんとした痛みが残った。




************




その日のナミは至極機嫌が良かった。
今夜起こることから逃れようとしているわけではない。
だと言うのに何故か心が軽かった。

自分でだって自分らしからぬと思うのだけど、怪訝な表情を向けてきたゾロにすらも怒る気力もないし、それどころか彼と目が合うだけで顔が緩んでしまう。

それを見てゾロは呆れたように溜息ついて、柱にもたれたまま瞳を閉じる。

数度、こんなことを繰り返している内にまた風が少しずつ吹き始めていた。

昼になったらまた戸締りをしなきゃいけないと言うて、ナミはゾロを振り返った。

お願いね、と肩を叩くと案の定ゾロは寝たふりだったようで、片目をうっすら開けると「何で俺が」と唇を尖らせた。

「あんたの方が力があるじゃない」

軽く笑って不機嫌な空気を散らすと、拍子抜けしてゾロはフンと鼻を鳴らした。

「世話してやってんだからそれぐらいしなさいよ」

「手伝ってやったら文句言うくせに」

「そうね、私としたことがあんたに掃除なんてできるわけがないって早く気付くべきだったのよね。どう見たって力仕事しか出来ない顔してるのに。」

言いながらも天真爛漫な笑顔を向けるものだからどうにも調子を崩されて、溜息を漏らすことしか出来ずにゾロはまた目を閉じた。

時折吹く風が頬を撫でて心地良い。

砂の混じってない風がこんなにも良いものかと思っていれば、すぐに春風は砂を巻き上げて妙な動きを見せ始めた。たまに細かな粒が縁側に放り投げた足に当たって、爆ぜたような音を立てて板の上に落ちる。風はくるりくるりと回りながら空へと上がって、大きな流れと一体化する。耳で感じて、これが続いていく内にあの黄塵の空になるのかと納得しながら、瞳を開けた。
いまだ青空は隠れる気配がない。

だが、庭先に目をやれば砂の動きが徐々に激しくなる風の、その全ての動きを知らしていた。

妙に胸がざわついて眉を顰めると、傍らに座っていたナミが「随分と風を嫌うのね」と僅かに笑みを含んで言った。

「まるで憎んでるみたいに思えるわ。どうして?そんなにもこの国が珍しい?」

「・・・この風は邪魔なだけだ」

「何の邪魔になるの?」

斬り合うに邪魔だ。
輪郭がぼやけただけで命取りになるその刹那の邪魔をする。

相手がこの国に慣れた者ならば尚更。

言い訳などはしたくはないが、この国特有の風土はどうも厄介なことに変わりはない。

ちら、とナミに目をやると、彼女は不思議そうに首を傾げていた。
白い項が陽射しに映えて、斬り合いのことを口にするのも無粋な気がする。

「てめェだって嫌ってただろうが」

「そりゃ私は家を掃除しなきゃいけないし後からが大変なんだから。でもあんたは別にそうすることもないでしょう。家の中に閉じこもってるだけなんだから」

「じゃあ文句ばっか言ってんな」

「話をはぐらかさないでよ。聞いてんのはこっちよ」

顔は笑っているくせに声音がいやに真摯な響きを帯びていて、そういえばナミは先刻からずっと自分の傍らにいて何をするわけでもなくただ時折口を開いては他愛もないことを聞いてくるとようやく気付いた。

じっと両の眼を彼女に向けると風に揺られた朱色の髪の一本一本がいやに艶めかしく、だが優しくふわりと舞っていて降りた毛先のかかった頬はほんのりと桜色に色づいている。

手を伸ばして毛を払って、その顔をもっと見ようとすると、ナミが困ったように口の端を上げて「ほら、はぐらかそうとしてるじゃない」と顔を振った。
決して強く拒むわけでもない。
柔らかな動きにそうと悟って今ならば彼女も己の言葉を正面から受け止めてくれるようにも思えてその指に、髪を絡ませたまま考えあぐねていた。
ふふっとナミは静かに笑った。


「くすぐったいわよ、ゾロ」


よし、と心の中で掛け声一つ。
ナミの笑顔に今こそと思うて口を開く。


「お前、今日・・・───」


瞳を瞬いた女は、もうその顔に笑みなど湛えておらず大きな瞳で真っ直ぐに自分を見返していた。


ナミ、と小さく垣根の向こうで呼ぶ声がなければ、その瞳の輝きに言葉は吸い取られていたかも知れない。
要は見惚れてしまったのだ。

静謐な、けれども激しい感情が彼女に内側に存在しているとその瞳の放つ光に見て取って、刹那、言葉を失っていた己を知った。
ナミと共に緑の垣根の向こうを見やると、明るい髪の少年がぴょんっと顔を覗かせて、また「ナミ」と呼ぶと手招きをしてみせた。

立ち上がった女に「どこへ」と問うと、ナミは、今の内に戸締りをしておけと言い残して家を出て行った。


ざわめき始めた風に任せて数刻の後、ゾロもまた二本の刀を脇に差して、ふらりと屋敷から出た頃には青かった空は乾いた砂に埋もれていた。




************




「カヤが?」

うん、と頷いてチョッパーはしょぼんと肩を落としていた。

「ちょっと待ってよ。どうしてカヤが?」

「わかんないよ。とにかく今朝、城からの使いが来て召し捕らえられたとか・・・ほら、ヤソップさんが昨日怪我しただろ。一応大事を取って昨日は俺の家で養生してたんだ。そうしたらさっき、カヤのお父さんが来て・・・」

「ウソップの許婚だったものね。でもカヤは何もしてないんだから、すぐに放免されるわよ。それよりどうして・・・」

ナミは顎に手をかけてじっと考え込んだっきり何も言わなくなってしまった。
覗き込んでも難しい顔のままでピクリと眉一つ動かさない。

「・・・どうしてって?」

「チョッパーのところには誰も来てないの?」

「き、来てないよ!」

「私のところにも昨夜も今朝も誰も尋ねてきやしなかったわ。そりゃ許婚のカヤにいの一番に行くのはわかるわよ。でもその場にあんたもいたんでしょ、チョッパー。この町の人なら誰だって私たちがいつも一緒にいるって知ってるじゃないの。私だって良く言われてたの、あんたも知ってるでしょう」


そういえば、とチョッパーの脳裏には幼い頃からナミと歩く度に、道々出会う侍が、「ゲンゾウ殿の娘子が平民と遊んで」とこぼしては、自分と大して年の離れていない幼女に脛を蹴飛ばされていた事が思い出された。そもそも、自分だって家老だったナミの父の、その名前を聞くたびにナミは自分と違う世界を生きているのではと思うた覚えもある。最近はそんなことがなかったら、ついナミと居ることが当たり前になっていたのだが、そう言えばナミの両親が亡くなって初めてウソップとその屋敷を訪れた時は、屋敷の周囲でさえも自分達が足を踏み入れて良いとも思えぬ武家屋敷が立ち並んでいて、おっかないびっくり歩いていったものだと思ったものだ。

「・・・じゃあ、明日にもうちに来るのか?」

「大丈夫。あんたには火の粉がかからないようにするから・・・」


ゾロを見つけた土手は、悠々と流れる川に沿って続いている。
傾斜激しいその土手の若葉の上に下ろした腰を上げると、ナミは「今夜私がウソップの無罪を晴らせば、あんたに疑いがかかることもないでしょ?」と振り返って笑顔を見せた。

「ナミ、やっぱ俺手伝うよ。だって、いくらナミだって、一人じゃ・・・俺、見張りぐらいならできるぞ!ウソップが失敗して屋根から落ちた時も俺が見張ってたからすぐに逃げられたんだ!」

「そうね、あの時はお手柄だったわ、チョッパー。でも今夜は私一人で大丈夫なの。だって、お城は勝ち戦に浮かれ切ってるじゃないの。侍たちは祝い酒を振舞われるでしょう。町の見張り役だって。町の皆は『疾風』を待ちわびているし。私の邪魔をするわけがないもの。」

渋々と頷くことしか出来ないのが歯痒くて、チョッパーは少しだけ首を振った後俯いたっきり口の中でもごもごと何かを言いながらしかめっ面に瞳を少しだけ潤ませた。

掛ける言葉はいくらだってあるのだけれど、今は何を言ってもチョッパーは、頼りにされていないことの悔しさに泣き出してしまうかもしれないと、黙って歩き始めると、チョッパーが小さく呟いた。

「俺、悔しいんじゃないぞ」

「・・・誰もそんなこと言ってないわよ」

「悲しいんじゃないぞ」

「・・・・・・だから、誰もそんなこと言ってないじゃない」

「怒ってるんだ」


驚いて振り返ると、チョッパーが顔を上げてきっと睨んだ。
そんな彼の姿は初めてで、戸惑い隠せず「どうしたの?」と尋ねれば、チョッパーが声を振り絞った。


「俺達、仲間なのに!」


思いつめていたものが弾け飛んでチョッパーは、くるりと背を向けて走り出した。

「チョッパー!?ど、どこ行くのよ?」

何も言わずに駆けていく少年を追って、ナミもまたひらりとはためく裾も気にせず駆け出した。

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