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9999HITを踏んでくださった希絵様に捧げます。

疾く風の如し


15




男は項垂れて、歩いていた。

何も黄塵から目や口を守るためではない。
肩から袈裟懸けに斬られた傷から血が迸り、眩暈すらも覚えると言うのに足を止めることは何か別の意味で負けを宣言することにも思えて、ただ、真っ直ぐに前を見る気力ばかりは失って、項垂れたままに歩いていた。

突風は吹き止まず、後ろに居るゾロという剣士は時折、ちょっと待て、と言っては目に入ったのだろう砂埃を払っていたのだから今ならば彼を振り返り様に一太刀浴びせることは可能だろうと思ってはみたものの、どうしたことか体に力が入らない。
あまりに呑気そうなゾロの声に毒気を抜かれたのかとも思ったが、そうは出来ない理由は、飄々としているようで決して隙を見せぬ彼の気配を背に感じていたに他ならない。

道々、赤い血は風に飛ばされて滴り落ちる。

何故こうなったのか、最早記憶も定かでない。

己が全うするはずだった任務を、主が他国から知り合いを呼び寄せて片付けさせると言い出した。
あれは確か、疾風のことを探らせようと町人の振りをして見張りをするための忍を雇ってからであろう、と坊主頭の男は血の気も引いてよくよく回らない頭で懸命に思い出していた。

もしや己はお払い箱かと思いきや、そうではない、疾風の件は他国の者に任せなければならないと言われたのだ。


所詮は俺の力をこの主は信じていなかったということだろう。


捨てた筈の忌々しい感情というものは、俺が「人間」である限りは捨てきれないものだったらしい。

主の命のままに男の刀を鍛冶屋から盗み出し、この国に戻って、ただひたすらに男を待っていた。
主人は俺が帰らない限りはゾロという男が来訪するとも思わず、案の定毎日疾風のことで屋敷を空ける。

やがて他国からようやく辿り着いた男を討って、それを主に「無力な男だった」と話したら、主は聞いたこともないほどの高らかな声で一笑に付すと、「彼の者はまだ生きているはずだ」と言って、今度は男探しを命じたのだ。

果たして主人の言葉通り、一月もせぬ内に、武家屋敷が立ち並ぶ界隈の一角、変わった娘が一人で住むという家に男が居た。





感情というものを言葉で表すことは難しい。

俺の胸にその時在った感情は、怒りではない。

嫉妬でもない。

後悔でもない。


ただ、努めて冷めた頭の中で「ゾロという男を倒さねばならぬ」と声が聞こえた。

それだけだ。






「ここまでで良いだろう」


屋敷の正門の前に立って、坊主頭の男は掠れた声音でそう漏らすと、塀にもたれたままずるずると体を落としていった。
血の気を失った顔は青ざめている。
まるで生気もなく、乾いた唇がいやに黒ずんでいた。

「悪ィな。あんた・・・名前を聞いてなかったか」

「ダズ・ボーネス」

「ダ・・・坊主でいいだろ。こっちの方が言いやすい」

そう言って、ゾロは門を押してみたが、中から錠が掛けられていては開くわけもない。
逡巡の後にまァいいかと刀を二振りほどすれば、いとも容易く木の扉は真っ二つに割れた。


「主に逆らうつもりか。」

「俺ァ誰にも従わねェ流儀でな。」

「───この世に、誰にも従わずにいる者など居ない。貴様もその内にわかる」

「てめェと俺じゃ価値観が違うって言ったのはてめェだろうが」

刀を鞘に収めて呆れたようにゾロが言うと、坊主頭を僅かに動かして、男は彼を仰ぎ見た。

「・・・では、何故この国へ来た」

「呼ばれたんだろ」



「何かはわからねェが、俺を呼んだ奴がいたみてェだな」

「・・・絆か、縁か」


ははっと笑って、「縁か」と静かに呟くとゾロは「それもまたいい」と言うなり振り返ることもなく門をまたいでゆっくりと屋敷へと足を踏み入れた。


黄塵の中、閉じた瞼は意識を深めて風すらも遮断した。
しばし月夜に安息覚え、坊主頭の男は数刻の後、ふっと自嘲するように笑うと重い体をゆらりと起こして塵の中に消えていった。




************




───いいか?

震えた小声が闇に響いて、チョッパーとナミは否応無く頷きを返した。
チョッパーの服の内側にはウソップが平素使おうとしていた火薬や糸が入っていて、だが、それを使う機会もなく今日までを過ごしてきたのはウソップにとっては不平そのものだったと、幼馴染の彼らは知らなかった。

これがあればここから抜け出すことも出来る、といつになく自信に満ち溢れた顔で言った男の指示通り、火薬を調合し、それを明かり取りの窓に置くと、牢の中でも錠を外せるだけの火薬を撒いたウソップが半紙をくるめて作ったこよりの先端に、この座敷牢に置かれた安っぽい行燈から火を取って点けた。

ちりちりと燃え進んでいった赤い火が牢に触れた時、小さな爆発が起こって錠はガキッと鳴って落ちていく。
そのまま紙縒りを辿って火は、格子に近付くと今度は大きな爆発音が鳴って、廊下の端に避難していたナミは、己の体が震えたような気がして二の腕をぐっと掴んだ。

うわっと叫んだチョッパーはおそるおそる目を開けて、巻き上がる黒煙に数度咽こむと、煙が目に沁みてしまったまた瞳をぐっと閉じて時を待った。

木片や、元は土壁だったに違いない小石がぽろぽろ飛んできて時折体に当たる。

「チョッパー、行くわよ!・・・もうッ!ウソップ、あんたこんなにひどく爆発するなんて言わなかったじゃない!」

煙幕からぬっと姿を現した幼馴染もまた、煙が沁みた眼には涙が浮かんでいた。
言葉を口にしようとして、だが、けほけほと咳を二度ほどしてからウソップは、諦めたように手で口を覆ったまま、その顔を開いた壁に向けた。

ナミだけは口元をずっと布で覆っていたものだから、別段喉が痛くなったわけでもなさそうだ。

ほら、とチョッパーの手を引いて壁際へと寄ると、煙燻るそこには人一人がやっと通れるほどの穴が在った。

「これ、背が届かないわ。ウソップ、あんた台になってよ。早くしないとさすがに人が来るわ。その前にさっさと脱出よ!」

足元を指差してナミは、まだ咳をするばかりのウソップを急かした。
渋々と女の言う通り床に手をつくと、ナミが背に乗った瞬間呻き声を上げた。

「お、おいっ!早くしろッ!重いか・・・───」

危うく彼女の体重を支える両の腕から力が抜けるところだった。
背中を思いっきり蹴ったナミに言葉を遮られて、そういえば煙は上へ上へとのぼるから、跪いた自分の喉が幾分痛みを忘れたことに気付いてぶつぶつ文句を言っていると、チョッパーが「もうちょっとだよ」と気遣うように声を掛けた。

チョッパーの手が背を押して、ようやく地上に上半身を出すと、雑兵が何か声を掛け合って、黄塵の中次第に近付いてくる。
慌てて身体を全て地上へと持ち上げて、中に居るチョッパーに「腕を!」と叫んだ。


「ど、どうしたの?」

「兵が来るわ!急いで!」

えぇっと小さく驚いて、けれどもチョッパーはすぐに腕を伸ばしてナミの華奢な細腕にしがみつくようにして開かれた穴をよじ登った。


───地下だ!
───地下から音がしたぞ!

今度は外の声ではない。
響きを持った声はこの地下の廊下の先、城の中から明らかに聞こえていた。


「チョッパー、早く!」

焦りが顕になった声で幼馴染の腕を引こうとしたその時、不意に後ろから肩を捉まれた。


離れた手が黒煙の中に埋もれていく。

耳元で吹いた風が轟音にも思えて、やけに深く頭に残った。




************




「女!名乗れ!!」

振り向けば防具を身に付けた兵が5人。

(やっぱりね・・・───)

努めて冷めた目で彼らの顔を一人一人、じっくりと見てからおもむろに立ち上がるとナミは人知れず生唾を飲み込んだ。チョッパーは。チョッパーとウソップはまだ地下に居る。そこにも同じように見張りの兵が駆けつけてくるだろう。今は、自分の置かれているこの現状を打破しなければ彼らの身を案じることすらも出来ない。

「名乗れ、ですって?」

「私が誰かもわからないの?」

嘲って、ナミは胸を反らした。

尚も強く吹き続ける東風は髪を揺すって砂塵までも加われば少女の顔は兵士達には輪郭を掴むも容易ではなかろう。ただぼんやりと浮かび上がる体の線と、その動揺すらもない凛とした声音に男たちは気圧されていた。

「あんた達、今日は私を待ってたんじゃない」

「ま、まさかお前が・・・」


その内の一人、唸るように疾風か、と呟いた。
吹いた風が砂塵を蹴散らして高く昇っていた筈の月がいつしか傾いていたことを知らせた。
胸元に隠しておいた護身用の短刀は殺傷能力が高いわけではない。
その兵士全員に近付いて、至近距離から切り付けなければならない。
対して、兵士たちは皆、先が鉤状になった鋤にも似た武器を持っている。

柄をぐっと握り締めてナミは5人の内の一人に心中目星をつけると、飛び掛ってその喉元に切っ先をぴたりと当てんと男の襟首を掴んだ。

狼狽した男が後ずさろうとした瞬間、襟を持ったまま倒れかけてナミは、あ、と小さく悲鳴を上げた。
持っていた短刀が男のわき腹を掠めて地面に刺さっていたのだ。

防具の隙間の布でしか身を守らぬその部分がざくりと切れて、返り血は手に後を残した。
残ったのは生暖かい血ばかりではない。
衣と、そして人の肌を抉った感触が手にじわりと纏わりつく。

風が打ちつけた砂埃に、兵士達が気を取られなければ呆然としてしまった自分は、一瞬の隙をついて彼らの手にした武器で串刺しになっていたことだろう。

振り切るように男を突き飛ばすと、ナミは駆け出した。

月明かりすらも染める黄塵は、真正面から吹き付けて先を進むことを許さない。

(どこか・・・!)

どこか、城へと入る入り口を見つけなければならない。
今は、あの兵たちに構っている暇はない。
とにかくチョッパーとウソップがどうなったか、彼らと合流しなければならない。
何せおっちょこちょいのウソップと、まだ年少ななチョッパーのことなのだから。
今頃、懸命に城の中を逃げ回っているかもしれない。

(もしかしたら、もう・・・・?)

ううん、それは考えちゃいけない。

今は、彼らを信じて、彼らの姿を捜すことが先決。


「待てッ!捕らえろ!!」

「疾風だ・・・───ッ!」


後ろから追ってきた兵士達はあらん限りの声で、そんなことを口にしていた。
先の見えぬ黄塵は、どこぞで彼らに応える兵の声を増幅させてナミは何故だか眦が熱くなっていた。


何でこんなことになってしまったか。
今更問うべきことではない。
けれども、問わずにはいられないのだ。

(何でこんなことになったのよ・・・!?)

私達は、人を殺めたわけじゃない。
私腹を肥やして、強欲だと言われている人間から、その隠された宝を頂戴していただけなのに。
隠している財産のほかにも彼らは生活をしていく分の収入があって、だから、何を困るというわけでもないから頂戴して、それを本当にその日の生活に困っている人に分けていただけ。

だと言うのに、私たちばかりが責められて、不条理。

そう、不条理この上なくて、悔しくて、だから涙が出るんだわ───


「あんた達なんかに、わかるもんですか!」


こんなにも大きな城の上で胡坐をかいて、足元見ずに他国へ戦をけしかけてばかり。
長い戦に父はもう、辛かったはずなのにただひたすらに主のためにと戦に駆り出されてはそのたびに傷を負って帰ってきた。しまいに命を落とした時には、哀しみの裏であぁやはりとなぜだか妙に納得してしまったことも覚えている。


唇噛み締めて息せき切って逃げ回っていれば、次第に足はもつれるようになった。

もうここが城内のどの位置にいるかもはっきりとはわからない。
ただ勘だけを頼りに、チョッパーやウソップと別れたあの地価牢のある一角へとまた帰ってきているはずなのだと自分に言い聞かせては、あと少しと気力だけで走っていたのだが、終には後ろを追ってきていた兵士の伸ばした腕がナミの腕を掴んでいた。



「散々逃げやがって!」

「待て!ミホーク様が生きて捕らえろと・・・!」

「知るか!!」


反動でついに倒れたナミが振りかぶると、腕を掴んだ男のわき腹からは赤い血が今なお流れていた。
手にまたその男を傷つけた感触が甦って、背筋にぞくりと悪寒が走っていった。

「畜生!女の分際で・・・!」



瞼を閉じた。


それしか出来なかった。


黄塵が肌を打つ。


黄色い世界が広がっている。


この季節になれば毎年黄塵は吹き荒れる。
肌を打つその感触もこの季節になったという感慨すら覚えることもある。
幼き頃から当然として在ったこの砂の幕を、ナミはその瞬間に初めて痛みを覚えていた。

突き刺さるように打っていく砂が、痛くて痛くて堪らなかった。

男が力任せに掴んでいた腕は、もがいても許されぬ。

いくら足掻いても、男の持った武器の矛先は自分の体目掛けて降ってくる。


もう、終わりなのだと瞼を閉じた。





(───違うじゃない!)


じゃあ、今ここで私が死んでしまったら。

ウソップやチョッパーはどうなるの?

カヤは?

ゾロはちゃんと彼女を助けてくれたの?


『疾風』という存在に夢を馳せていたあの子たちは?

義賊を誇らしげに語り合った町の人たちは?

あの人たちの心はどこへ行くの?


全ては無くなってしまうの?

無駄だったの?


今が終わりで、それでいいの?







ナミ、あんたはそれでいいの?







「───死ぬわけにはいかない!!」



地に付いた手で風が運んで積もらせた砂を引っ掴んで、ナミはそれを男に向かって投げつけた。

まさか真正面から砂飛礫を受けるとも思わなかったのだろう、吃驚したのか男は大声上げて不意にナミの手も、武器すらも地に落として両の手の平で顔を覆っていた。


「こ、この野郎・・・っ!」


やはり男の後ろに居て、生け捕りを主張していたはずの兵は目の色を変えて武器を持つ手に力を込めた。


それでも───


(死ぬわけにはいかない!)


自分のしてきたことを後悔するのではなくて、どうしてこうなったかと拘泥に罪悪感を持つのではなくて、ただ、自分のしたことに間違いはないと疑いを持たずに向き合ってみれば、すとんと心に落ちたそれは、諦めなんかを吹き飛ばしてナミはいつしかその瞳に揺ぎない光を携えていた。


「諦めるのは性分じゃないの。悪いわね」


言って、ナミは兵士の落とした武器を拾うと、槍にも似た長いその武器を、両手でしっかと掴んで身構えた。

目を押さえて跪いている男を抜かせば4人。

一人に向かえば、後の3人が私を刺す。

こんな状況だと言うのに、なぜか負ける気は全く起きずにナミは寧ろ、そんな自分が不思議で笑みを浮かべていた。
兵達にとっては、何かを秘めたようにも見えるその笑みは、怖気づくに十分な材料となったのだろう。

両者砂塵の中動かず、風の音すらも静かに聞こえた瞬間。




「てめェは諦めるってェことも知った方がいいとは思うがな」


突如、彼の声が浮かび上がった。

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