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9999HITを踏んでくださった希絵様に捧げます。

疾く風の如し


16




息を呑むしかなく、ナミはただただ、男の動きに目を奪われてその場に立ち尽くしていた。
一閃、また一閃と彼の手に持たれた刀が鈍い光を放つたびに刀に導かれるような血しぶきが舞い、だが、兵士たちの誰一人として命を落とした者はいない。
相手の動きを留めるためだけにゾロという剣士が急所を外していることは明白で、ナミは彼の剣の腕に暫く呆然と見ていることしか出来なかった。

5人目の男がどさりと崩れ落ちると、ゾロは無造作に袂で刀の血を拭うとその一本を白い鞘に収めてナミに振り返った。

「全く」と呆れたようにナミを顔を手で拭う。
黒煙の中に居た女の顔は炭がついてところどころ、黒く汚れていた。
ゾロの手からは錆びた血の匂いがして、ナミはふいっと顔を逸らした。

「か・・・カヤは?ちゃんと助け出してきたんでしょうね?」

「あァ、何か・・・まァいい。とにかく境内で待ってるって言やぁお前らにはわかるって・・・」

そう言ってゾロは、今更ながらにきょろっと辺りを見渡して「お前一人か?」と呑気な声で尋ねてきた。

「まだ、城内にいるの。行かなくちゃ・・・この騒ぎだもん。今頃また捕まっちゃってるかもしれないわ」

「いや、この騒ぎはお前らの所為じゃねェ。火が出たんだ」

「火事・・・?」

「あァ、ミホークの屋敷が燃えちまった。」


要領をよく掴めずに、何度か訊くと、ゾロの言いたいことはどうやら自分が起こした災害ではないけれども、ミホークの屋敷から出た火はこの強風に煽られてあっという間に隣家に移り、それがどんどん広がっているということだった。


(それで、急に静かになったのね)

つまり、疾風のために仕掛けていた罠は、突然の火災によって有耶無耶になってしまった。
武家屋敷界隈ということはこの城に努めている重鎮の多くがそこに居を構えている。
指揮官なくした雑兵ばかりが今、城内に居るということだろう。
ちらりと胸に自分の思い出の詰まった屋敷が掠めたが、だが、それよりも今はこの好機を逃すわけにはいかないと内心で頭を振ると、ナミはまたチョッパーやウソップと別れたあの場所へと向かおうと、くるりと踵を返した。

「おい、どこへ・・・───」

「決まってるじゃない!今を逃していつウソップとチョッパーを助けるのよ!」

「てめェは人の話を・・・おい待て!」


ぐずぐずしている暇はないとばかりに、返事も置かずナミは駆け出した。

後ろからゾロが何かを叫びながら追ってくる。

でも、今は風が邪魔して彼の声が聞こえないことが有難い。

煙は風に流されて、開いた穴は確かにそこに在った。

地面に臥して顔だけをそこに入れると、未だ焦げ臭く、急に胸が不安に駆られてナミは幼馴染の名を呼んだ。

「ウソップ!チョッパー!!」

暗い地下の廊下は虚しくも少女の声を響かせるばかりで彼らの返事もないばかりか、薄ら寒い空気ばかりが肌を刺す。ここに居ても、しょうがないとそこからまた地下へと飛び降りようとした時、ゾロの腕がナミを抱え上げていた。

「何すんのよっ!馬鹿っ!」

「馬鹿とは何だ、馬鹿とは・・・とりあえず俺ァてめェをこっから連れ出せって言われてるんだ」

「言われてるって・・・誰に?」

顔を上げるとゾロは、僅かに眉を顰めて言葉に窮した。




************




ミホークの屋敷に入ると、そこには誰一人としていなかった。
もしやあの師のことだから、自分が来ることを見越して手練を数人忍ばせているのではと思うたが、どの部屋を見て回っても、誰かが隠れている気配一つない。
それならそれで不審と言う外なく、ゾロは鞘を握って抜刀の構え崩さないままに奥へ奥へと進んで行った。
広い屋敷の中の、どの部屋がミホークの部屋だったかも覚えていない。
ただ廊下に沿って突き当たりの部屋まで辿り着いてからようやく、ミホークと酒を交わしたのはこの部屋だったかと思い出したぐらいだ。

襖に手を掛けて、だが、暫しの逡巡の後に刀を抜いて襖を斬り払ったのは、その奥の部屋でようやく人の気配を察することが出来たからだ。

果たして、深閑とした雰囲気漂わせたその部屋に、目的の女は居た。

「・・・あ、あなたは・・・どうして此処にいるの?」

瞬きをして驚いていた女の傍らには、先日自分をナミの屋敷まで送ったミホークの忠実な小姓がぽつんと座っている。

「てめェだけか」

それでも、彼の脇差にちらりと一瞥をくれて、刀を収めないままに部屋へと入ると、慌てたのはカヤの方で「そんな物騒な物を」と呟いた。

「ミホークは」

「登城なされました。私はここで貴方を待っていたんです。」

「・・・俺を?」

「はい。ミホーク様からの伝言を承ってます。」

小姓は言って、侍にも似た無駄のない動きでさっと立ち上がると、手に携えていた文をゾロに手渡した。

「それでは、私は別の用事がありますのでこれで。さぁ、早くこの屋敷から出てください。さしものロロノア様でも火には勝てますまい」

文を開くと、そこには確かに師の豪壮な、見慣れた文字が認められていた。
ふん、と鼻を鳴らしてゾロはふと小姓の言葉を頭の中で反芻して「火?」とたずねると、小姓は当然とばかりに大きく頷いて「火を放ちます」とこともなげに言い放つ。

「城内にもミホーク様の部下が潜んでお助け申し上げているはずです。火が回ればその内城の兵も多くこちらへと回されます。その隙に、ナミ様を連れだせというのが主からの伝言です」

上質の半紙は、滑らか過ぎていやに不気味にも思えた。
だが、捨てることも出来ずにそれを腹にしまうと、ゾロはようやくカヤを顧みて未だ驚きに狼狽を隠せないカヤの手を引いて屋敷を後にした。




************




「説明は後だ。とにかく行くぞ」

「行けるわけ・・・ゾロ、あんたまさかミホークのおじ様に言われて・・・」

「まだ疑ってんのか」


はぁ、と大きく溜息をついてゾロは、さてどうしたものかと抱えあげたナミを下ろしてその顔をじっと見下ろしていた。女はいやに剣呑な目付きで見せるばかりで、今は自分の邪魔をする者を全て敵とみなしているのだろう。

「じゃあどうして?ウソップとチョッパーを助けなきゃ・・・私が何のためにここに来たと思ってるのよ?ウソップどころかチョッパーまで捕まっちゃったかもしれないのに。そりゃあんたは大体ミホークのおじ様に呼ばれてこの国に来たんだから、私達がどうなろうか知ったこっちゃないかもしれないわよ。でもね、私にとっては今はあいつらを助けなきゃ・・・」

「わかった。」

長く尾を引くようなこの強風よりも厄介なナミの言葉を断ち切って、ゾロは「じゃあてめェだけでもいいから先にあの女がいる境内に行ってろ」と仕方なしにナミの懸念を打ち払おうとした。

「何言ってるの?」

「俺があいつらを後から連れてくから、てめェは先にとっととこっから出ろって言ってんだ」

「何であんたが」

ナミは怪訝な顔を隠そうともしない。
未だ疑いの眼を向けてくるばかりで、この女をどう納得させるべきか全くその方法が思い浮かばずにゾロは頭を乱暴に掻いて砂塵をぼんやりと見つめていた。

旋風ひゅうと巻いた。
徐々に膨らんだそれが、今自分の身を包みこの国を覆う黄塵に為るのか、それともこの街を襲う強風が小さな旋風を連れてきたのかなどと考えていると、ナミが焦れたように袖を引いた。

「どうしてあんたがあいつらを助けようとしてるのよ」

「てめェが素直に逃げようとしてねェからだろうが」

「当たり前じゃない。それより何であんたがここに居るのか訊いてるのよ。大体、誰があんたに助けてって言ったの?昼だって、今だって、私一人でどうにかなったんだから」

「ほォ」

「な、何よその顔は・・・」

やけに冷めた目に、口はにやりと歪んでいて、その様にナミが唇を尖らせると、ゾロは「とにかくてめェは先に行け」と再び彼女の背を押した。

一歩、二歩と押された反動で歩を進めて、ナミはぴたりと歩みを止めるとじっと俯いていた。
風に小石がカラカラ鳴ってその身を軽く転がしては、彼女の足元で踊っている。

「───やっぱり、ダメ」

風にかき消されて、声はゾロに届かない。
どうしてか彼女が動かぬことを不思議そうに首を傾げていた男に振り返ってナミはまた「あんたじゃ駄目」と強い声を放った。



「あんたじゃ、ダメよ。私じゃないと。」

「そりゃ反対だろ。お前より俺の方が・・」

「そういうことじゃないわ。あんたじゃ駄目っていうのは───」





「私と、あいつらは三人で『疾風』だから」




「だから、私が助けてやんなきゃいけないのよ!」





風がふっと和らいだ。

夜明けが近いのだろう。

太陽の光を厭うようにこの風は、夜明け近くにもなると止んで朝の湿った空気は街に残った砂に重みを持たせてはまるで夜の間の砂塵は嘘だったかのような澄んだ時をもたらす。

刻限が迫っているのだ。

砂の作り出した幕が無ければ、ナミの姿は一瞬の内に捕らえられて、よしんば城を出たとしても街中を通ってカヤが待つという人気のない境内までを逃げ延びることは至難となる。

ゾロがそのために早くと急かしていることぐらいはナミにもわかっていて、でも、それでも彼の言葉の通りに彼に任せて自分一人安全な場所まで逃げるなんてできない。
ゾロを信じていないわけじゃない。

何故彼がそうしろと言う立場に居て、今ここに来て自分を救ったのかなんてわかるわけがない。

ただ彼の瞳に偽りの色が見えなくて、そうと知ってもこれだけは譲れない。

ナミは彼に対峙してどこか張り詰めた面持ちで、けれども決して曲げぬ信念を揺ぎ無い眼差しに変えて、彼を見据えていた。

和らいだ風はゆらりと揺れてまた激しさを増していく。


暫時、そんな女に言葉を返すことも出来ず、ただ彼女の瞳に魅入られていた。

それを認めてしまうわけにはいかない。
つい先刻だってあんな大したこともない雑兵にすら命を取られそうになっていたではないか。
危なっかしい。

それだけだ。

だと言うのに、女の瞳はこれ以上彼女を引きとめてはいけないと思わせる力がある。

ゾロは、ついに深く息を吐いて諦めにも似た声で「わかった」と言うしかなかった。


「だが、俺も行く。てめェ一人じゃ捕まるのが三人になりかねねェ」

「手出しはさせないわよ」

「・・・どの口でそんな言葉を吐いてやがる」


この口よ、とナミは笑った。


煙に燻されて黒ずんだ顔すらも明るく輝いて見えたことが自分でも馬鹿馬鹿しいとは思うのだが、ナミの笑顔につられて自分まで笑みを浮かべてしまった自分が確かにここに居る。


この女にはどうも敵わない。


俺の事なんか考えてないようで考えてやがる。

普段は自分さえ良けりゃいいみてェな顔しといて、仲間は自分で救い出したいなどと言う。

弱いくせに強い。


だからこの女に頭が上がらないのだ。

誰の言にも従うつもりはない。


俺は俺のしたいことをやるだけで、ミホークがナミを連れてこの国を出ろと言ったことも、誰が人の命令を聞くかと一蹴したと言うのに、気付けば俺はミホークの屋敷からカヤという女を連れだして、ミホークの文にある通り、今、こうしてナミをこの場から逃すためにこんな所まで来たのだ。

そこに在るのはミホークの指示なのに、あいつに従っているつもりがないのは、この女だからだ。

この女が笑うからだ。


「知ってるか」


「・・・何?」


「俺がわざわざ此処に来てやった理由を」


「お金?」


「てめェじゃあるまいし・・・」


ナミは少し小首を傾げて考えこんでいたが、突然顎に当てていた手から顔を上げると、ふっと笑った。


「あぁ、そういうこと」


「そういうことだ」


「下心ばっかり」


「・・・・・そういうことじゃねェ」


ナミがくすくす笑ってようやく地下に入ろうと煙が僅かに立ち上がるその穴に足を入れた時、中から女の声が聞こえた。

───お仲間は、蔵に避難しました



「・・・・・・!?」

その声に聞き覚えがあって、慌てて足を出して変わりに顔を突っ込むと、自分たちが尾行した侍女がそこに立って、その指を西へと指した。

「お仲間は、ここから西の蔵へと避難なさいました。ですから安心するようにと」

「・・・もしかして、私たちが居るってわかってて、ウソップのところに案内してくれたの?あなた誰?」


ナミの手を引いて、ゾロは彼女を立たせた。

「どうせ奴がやらせたんだろ。この火事だってそうだ。」

「奴?誰のこと言ってるのよ、ゾロ」

「ミホークだ」


言って、ゾロはナミの腕を引いたまま歩き出した。


「元からアイツはてめェが疾風ってわかってて、逃がしてやろうと思ってたらしいからな」

「ど・・・・どうして・・・・ちょっと、ゾロ。そっちは東よ」


指摘されて、ゾロはむっと顔をしかめた。

どうも機嫌を損ねてしまったらしい。

しょうがないわね、と今度はナミは繋がった手をするりと抜けて、くるっと踵を返すと「ついてらっしゃい」と後ろで拗ねたままの男に声を掛けた。

渋々とゾロが歩き出した同じ時、町外れの境内で、真っ暗な闇の中不安げに城の方角に目をやって、一人、石の上に座っていたカヤは幾度目かの呟きを風に乗せた。


「・・・私の、所為」


神社を取り囲む林の、その漆黒に染まった木立の合間を風が通り抜けた。

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