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9999HITを踏んでくださった希絵様に捧げます。

疾く風の如し


17




ミホークの話はやけに重かった。

ゾロに何を聞いても「俺はそのためにここにいるわけじゃねぇ」と返すばかりで、彼はろくに説明しないどころか、決して話した内容をナミに聞かせようとしない。ではそれは何故かと尋ねると、面倒くさいと言うのだ。

その内ナミはもういいわ、と訊く気をなくしてすたすたと前を歩いていた。

風に揺れるその橙の髪を見て、ミホークの話はやけに重かったとゾロは思い出した。


ナミの父、ゲンゾウが戦で死んだというのはゾロも知るところで、師もそんな昔語りを始めるなどとどうも年を食ってしまったんだと酒を煽りながら話半分に聞いていると、ミホークはゲンゾウは自分を庇ったが故に先の合戦で命を落としたのだと吐露した。
決して自分が負けていたわけではない。
戦場で死角から襲われることなどは常で、切りかかってきた敵兵に振り向きざま、一太刀浴びせようとしたその瞬間、ゲンゾウが横から飛び出て自分を庇ったのだ。

長年剣の修行を重ね、遅きにしてこの国の大名に仕官した自分の世話に身を窶してくれたゲンゾウが、まさかこのような形で死ぬとは思わず、以来、自分は戦に出ることを拒んできたのだと言ってミホークは自嘲の笑みを浮かべた。

ミホーク曰く、故に、ナミを思う気持ちは我が子を心配するそれにも似ていて、彼女の母までゲンゾウの後を追うように亡くなった時には一体どうしたものかと思ったものだが、しかし、ナミという少女が一人で生きていくと頑なに言い張ると人伝に聞いて、ではそんな少女に自分から手を差し伸べることも出来ずに考えあぐねていた頃に、疾風という義賊がこの城下町に姿を現したのだ。

自然と戦に出ることが多いこの国の大名に代わって、その留守の間の治安維持を任されていた自分が調べてみれば、何のことはない。
疾風というのはどうも年若い3人の青年が義賊の真似事をしているだけと言うではないか。

では、捕まえて懲らしめてやればいいだけの話だが、その中にナミの名前が出たと知って、ミホークは、それまでに彼女を無理にでも引き取って自分が世話しようとしなかったことを悔いたのだ。

後悔ということを嫌う師が吐いた言葉にゾロは彼の中に在った積念の重きを感じていつしか話に耳を欹てていた。

ナミが疾風と知って半年もそのままに手を出せず、その間も彼女の父や母の命日が来ては屋敷を訪れ、亡き両親の慰霊を弔ったのだが、ナミはどうも自分に心を開かない。
己の所為で父が死んだと知って、それを受け容れられないのも当然の話だろう。

彼女が笑顔を見せれば、それを機に面倒を見ようと言い出すつもりでいたのだが、とうとう言葉を出すことなく、終に主が疾風に苛立ちを感じ始めた。

そうとなれば今更ナミを手元に置いて義賊の真似事を止めさせるというのも時既に遅く、そのために他国から信頼できる人物を呼んでナミを連れてこの国から逃げださせようという一計を案じたのだと、ミホークは決して飾らぬ言葉ではあったが、かつての弟子に詳細を語り終えると「頼んだぞ」と言った。

重い時間であったとゾロは思い出す。

これがもしもナミでなく他の女の話ならば一笑に付して、俺はごめんだと早々にこの国を立ち去っただろう。

だが、奇しくもミホークの言う女は自分の心を占める女の話で、避けられるわけもない。
その上ナミという少女の気性も自ずとわかりかけてきたこの日に、彼女が何をしてきたかと聞かされ、事態は窮を瀕すると言うのだ。

───黄塵に紛れて、この町を出れば後は容易い

そう言った師に、自分は誰にも従わないとだけ返事をしてナミの元へと帰ると、彼女はまるでこの世の終わりのように達観している。

心に何か言うべきことが在る気がするのに、上手く言葉で言い表せない。

ミホークがナミに対して何を思ってきたかにしたって己の言葉で彼女に伝えるべきではない。

結局は、それについて言えないとなると全てのことをどう説明して良いかわからず、ナミが不服そうにしても口を閉ざすことしか出来なかった。



少し急いたように小走りに進むナミの背を追って、本丸から西に建てられた大きな蔵の前まで来ると、前を行く女の足がぴたりと止まったものだからそれに合わせて己もまた歩みを止めてどうしたのかと訊くと、ナミは振り返ってあんたが先に行ってとやけに弱い声で言った。

「別に構わねェが。てめェが助けるってさっき散々言ってたじゃねェか」

「だって罠だったらどうすんのよ。あんた私が怪我してもいいの?」

「何だ。今更怖気づいてんのか。」

「いいから!先に入ってってば!」

罠なんて本当に思っているわけがない。
ミホークがどうして自分を逃そうとしているかとか、仲間を匿っているかなんてわからないし、十分に罠の可能性はあるのだけど、違うと言ったゾロを疑いきれないのだから、罠だなんて思うわけもない。

でも自分からその蔵に一歩、足を踏み入れることをどうしても躊躇ってしまうのは、どんな顔をすればいいんだろうなんて心情が胸にふと、湧き上がったからだ。

ゾロが呆れ返った顔で溜息まじりに重々しい扉を開けると錆びた音が鳴った。

閉ざされた空間に入り込もうと強風は、不意に力を強めて二人の背を押した。
乱れた髪を掌で押さえてまだもじもじと躊躇っている女を置いて中へと入るとひやりと湿った空気の中には確かに人の気配を奥に感じ取ることが出来る。
隠そうともしないそれは、おそらくあの二人なのだろうと安堵も手伝って臆すこともなく、ゾロは高く積み上げられた荷の合間を縫って小さな蝋燭の火が灯されたその場所へと向かった。

不意に入り口から己を押してきた風が先立って、明かりが揺れたかと思うとそれがふっと消えた。

小さく「あっ」と言ったのは、おそらくチョッパーというあの医者見習いだろう。
突然自分たちを覆った闇に悲鳴にも似た声を漏らしたのは、ウソップという鼻の長いあの男。

(よくもまぁその肝っ玉で賊を名乗ってたもんだ)

僅かに口元を緩めて、彼らに声を掛けようとしたその時、壁際からいつからそこに居たのか、ミホークが己の名を低く呼んだ。




************




「相変わらず趣味が悪ィ」

身構えようとも思わぬのは、師から殺気一つ漂わず、その声やけに静かに届いた所為だろう。
暗闇に在って口ひげ蓄えた男の表情を窺い知ることは容易ではないが、だが笑っているように思えたからかもしれない。

「急げ、と言ったはずだが」

「だから此処まで来たんじゃねェか。」

「もう少し早く来るかと思ったがな」

「あんたは下っ端使って楽してただけだろ。文句言えた筋かよ」

彼に向き直って鞘を持っていた手を離した。
それでも組んだ手は、指先を柄に乗せいつでも抜刀できるようにしているのはこの師に教わった所作がいつしか体に馴染んだもので、ミホークは満足げにふむ、と頷くと皮の袋を懐から取り出した。

投げてよこされたそれを持つとずしりと重い。


「何だこりゃ」

「路銀にしろ。お主一人ならどうにかなるだろうが、今回は一人旅ではなかろう」

「そりゃ有難ェ。で、いつごろアイツをここに連れて戻りゃいいんだ?」



「ゾロ!その声、ゾロか?」


ようやく蝋燭の火が再び灯されて、騒いでいたウソップは自らの声でかき消してしまっていた男たちの会話を聞きつけると、積み重なった箱の上に顔を覗かせて彼の姿を見止めるなり駆け寄ってきた。
続いてチョッパーも嬉しげな笑みを乗せて走りでてくる。

「チョッパーに聞いたぜ!お前カヤを・・・・あ、あれ?カヤは?」

「そろそろ時分だろう。ロロノア、この二人を。」

首を傾げたり、辺りを見渡したり、ひたすら許婚の姿を求めて落ち着かぬ様子のウソップを顎で指すと、ミホークはゾロを見やった。

「火災のことで疾風は二の次になる。その隙に真の疾風がこの者を逃し、宝を奪って他国へ流れたと主センゴク殿には説明しておく。猶予はおそらく一両日。それまでに海へ出れば後は容易い。あの娘を頼んだぞ」

「そりゃまァ乗りかかった船だからな。俺が聞きてェのはいつナミをこっちに連れ戻しゃいいかってェことで・・・」

「当分は戻らぬべきだろう」

「だからその当分ってのを聞いてるんじゃねェか」

ミホークは微かに首を振った。


答えを返さず、踵を返した師に溜息ついて「奪った宝ってのはこれか」と手にした袋を見ていると、ミホークは背を向けたままそうだと呟くと、はたっと動きを止めた。

つられてその視線を辿った先には、外に居たはずのナミがじっと立っていた。

「ナミ、無事だったのか!」

駆け寄ったチョッパーにナミは微笑んでその頭を撫でるようにぽんぽんと叩くと「カヤが境内で待ってるって言うの」と顔を上げてウソップにも目をやった。

「ゾロは迷子になるけど、用心棒にはちょうどいいからそいつと一緒に境内まで行ってて。私も後からすぐに追うわ」

「え?ナミは一緒に行かないのか?」

「用があるの」



「おじ様に」



こうして真正面から対峙するのは父が死んでから一度たりともなかった。
この人を見るだけで、父の死を思い出してしまう。
次第に人が寄り付かなくなった自分の屋敷にも命日のたびに必ず顔を見せてくれるのはこのミホークだけだったと言うのに、それでも言葉の少ないこの男が苦手というものあって、そんな彼が在りし日の父や母を偲んでナミが丹精こめて世話している庭を「この場所は変わらない」と言うのもどこか余所余所しく感ぜられてはつい、目を逸らして返す言葉を失っていた。

幼い頃から見知っていたミホークは、この数年で幾分か皺が増えたようにも思えて、ナミは彼の瞳を食い入るように見つめていた。


ウソップは、カヤの居場所を聞いて颯爽と外へと飛び出していく。
チョッパーもまた、ナミを振り返りながら彼の後を追ってその場を去ると、ただ一人残されたゾロは去り際ナミにちらりと目をやった。

「あいつらを頼んだわよ」

「俺ァ誰の命令も聞く気はねェ」

「命令じゃないわ。お願いしてるんじゃない」

ぴたりと足を止めて、それがお願いってェ顔かと文句を言うと、ナミは振り返ってまた「頼んだわよ」と頬を緩めた。

その顔が早くミホークと二人で話をしたい、と言外に含んでいる気がするものだからこの場にいても仕方ない。
先んじて蔵から飛び出て行った少年達を追ってゾロもまた蔵を出た。


残った蔵には、チョッパーやウソップが頼りにしていた蝋燭の明かりがゆらりゆらりと影を作っている。

重い沈黙を先に破ったのは男の静かな声だった。


「早く行かねば直に朝になる」

「わかってるわ。でも貸し借りは嫌いなの。」

「───貸し借り?」

「そうよ。貸すのは好き。でも借りるのは大っ嫌い」


言うと少女は一歩、ミホークに寄った。


「私は、もうここに戻っちゃいけないのね」

「・・・聡明に育ったものだ。出来れば義賊の真似事をしないでいてくれれば良かったのだがな」

「でもおじ様に借りを残したままこの国を出るなんてできるわけがないわ」


また一歩、また一歩とナミはゆっくりとミホークへと寄っていく。

10歩も進めば彼に手を伸ばせる距離まで来て、ナミは彼の顔を見上げた。

眉一つ動かさぬ男が心に何を思っているかなどわからない。

言葉もまた淡々と紡がれる。


「その事はいい。そなたの父に借りを作ったのは私だからな」


首を振って、ナミは男の手を取った。


ミホークの手は冷たく、どこまでも冷たくゾロの手とは全然違う。
ゾロの熱を感じたあの時、ゾロも私の肌に同じものを感じたのだろうか。
冷えた指を温めてやりたいなんて殊勝なことを。


「おじ様を恨んでやしないわ」


「残せるのは言葉だけだけど」


「恨んでなんかいないのよ。」




「──私はそんなに弱くないの!」


繋いだ手を空いた手で覆って、ナミは自ら何も動こうとしない男と握手を交わした。
幼子のように純粋な笑顔であった。

剣ダコの出来た冷たい手は、少女の熱に緩やかに温められる。


ミホークは、静かに俯くと、詫びるように「ありがとう」と漏らした。




************




「砂金だ!」

凄ェなーとチョッパーは白々しく夜明けを告げる空の下、開かれた袋の中を見て驚嘆の声を漏らした。

ミホークから渡された袋はいやに重く、その袋を縛る紐の端を腰に結わえていたのだが、やはり懐にでも入れるかと外した時にチョッパーが興味深げな瞳で見ていたものだから、顔を寄せ合って中身を認めてみたのだ。

未だ薄暗い中でもわかる砂粒や、小石ほどの大きさの金はなるほどこの量だけでもかなりの金銭に変えることができるし、時として金銭よりも旅に向いている。何せ馬もなければ旅慣れしてない女を引き連れた旅になるのだから、荷物なんてモンはない方がいい。

袋の口をまた閉じて、ゾロは懐にそれをしまった。

これならミホークの言った「当分」の間は、路銀どころかナミを養うに十分だろう。

ふと空を仰ぐと松の梢の合間には白い月が見えた。

風はいつしか弱くなって、塵もほとんど空を覆っていない。


「ゾロ、ナミをよろしくな」

ここまでの道すがら事情を聞いたチョッパーは、ウソップと共にナミだけに罪を擦り付けるわけにはいかないと随分と憤慨して、城に戻ろうともしたのだが、ゾロに強引に腕引かれている内にじゃあ今度は自分も連れていけと頼み込んだ。

いくら何でもそれは無理だ。

そう言ったところで聞くような二人ではない。

喧々として言い合いをするうちに神社へと続く参道を歩いていると、声を聞きつけてカヤが瞳に涙浮かべたまま走り寄ってきた。

その瞬間にウソップは、彼女の姿に心を挫かれたのだろう。
そんな気がしたのは、ウソップの胸に飛び込んだカヤを受け止めた時、男の手が少し震えたのが目に入ってしまったからだ。

カヤは泣きじゃくるばかりで、事の顛末を説明しようとはしているのだろうが、何度も言葉が途切れて、ウソップは落ち着かせたいからとその参道に残り、ゾロとチョッパーに目配せで先に行ってろと促した。

そんなことがあって、チョッパーはもうウソップが此処に残ると悟ったのだろう。
冷静な頭に戻れば自分の身寄りは祖母一人で、彼女を置いてこの国を出ることなど、今の自分には考えられない。

チョッパーは言った。

「ゾロ、ナミをよろしくな」



言葉を受けてゾロは暫し、和らいでいく風の音に耳を澄ましていたが、突然くるっとチョッパーに振り向くと口の端を上げて少年の頭を固く握った拳で小突いた。

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