全作品リスト>パラレル 長編リスト>疾く風の如し
PAGES→
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18

9999HITを踏んでくださった希絵様に捧げます。

疾く風の如し


18




もう夜明けも近いと、カヤを連れてゾロ達の元へと来たウソップが不安げに空を見て漏らした時、蹄の音が遠くから徐々に近付いてきた。
刀を構えたゾロの後ろにチョッパーが隠れると、ウソップは彼に倣おうとして、だが自分の傍らには許婚のカヤがいることに気付いて慌てて拳を前に突き出してとにかく身構えていた。

砂塵を押さえ込むように白く煙った朝もやに、その影が見え隠れするようになってゾロは眉を顰めた。

「・・・驚かしやがって」

金属の鳴る音を響かせて刀を鞘に収めると、背から顔だけを覗かせていたチョッパーが「ナミだ!」と叫んだ。


手綱を引くと馬は二度三度、顔を仰がせて前脚高く、勢いづいた体を何とか止めようと嘶いた。


「遅くなっちゃった」

あっけらかんと言ってナミは馬から飛び降りると着物の裾を直しながら「お待たせ」と笑った。

武芸を仕込むような父だったのだから当然乗馬もそこそこの腕を持っているんだろう。
それにしてもやけに馬の扱いが上手い。
いや、洒落を言ってる場合じゃねェ。
今はもう限界の刻を迎えている。

そんなことを考えながらゾロは「その馬は」と問うた。

「おじ様が持っていけって。港町まで出てそのまま野に放せばいいって言ってたわ。・・・いいのかしらね。」

大丈夫?と人に尋ねるように馬の鼻面を撫でると、それは鼻を鳴らしてナミに顔を摺り寄せた。
そういえば、ナミはいつしか着物もいつもの小袖に変わって、煙に黒くなっていた顔は白い肌を取り戻していた。
ミホークが用意させたのだろうかと首を傾げていると、おそるおそる、ウソップの背に隠れていたカヤが出てきた。

「あの、ナミさん・・・」


ナミが振り返れば、息を呑んでからさらりと髪を揺らして少女は深く頭を下げた。


「ごめんなさい!」

「な、何?いきなり・・・」

「私・・・私が悪かったんです。あの・・・ウソップさんに貰ったあの綺麗な飾り紐のことを・・・いいえ、私嫉妬してたんです。ナミさんに言われたから返せって、ウソップさんが言ったから、お二人の仲が良いことに嫉妬したんだわ。だから疾風の盗んだ品の触書を見た時に、私、ウソップさんがどこからか手に入れてきたって留守役のミホーク様に密告したのよ。でも、まさかウソップさんやナミさんが当の疾風だなんて知らなかったから・・・ちょっとだけウソップさんを困らせてやろうなんて思ったんです。私、本当に・・・───」

カヤはナミの顔を見ることも出来ないと言った風に頭を下げたまま、そこまでを口にして、一旦、「言い訳になってしまうけれど」と弱々しく付け足した。

「ナミ、カヤも反省してるからよ。とりあえずここは俺に免じて許してやってくれ」

「あんたの顔じゃどんな小さなことも許せなくなっちゃうわよ、ウソップ」

何だと!と、ウソップが怒りを顕に叫ぶとナミは愉快げな笑みを浮かべた。

「気にしないで。遅かれ早かれこうなる運命だったのよ。カヤ、頭を上げて。」

肩を震わせ泣いていたカヤの体をそっと抱きしめて、ナミは耳元で「お幸せにね」と優しく囁いた。



「それじゃ、行くわ」

「もう行くのか?」


名残惜しげにチョッパーはナミの袖を引く。

ナミはそれでも笑顔を崩さずに「だって早く行かなきゃ」とチョッパーの手を取った。


「あんたは立派な医者になりなさい」

「ナミ、戻ってくるよな?」

「ウソップも。嘘ばっか吐いてるんじゃないわよ」

「俺は嘘なんか吐かねェ!何たって正直者で有名なウソップ様といやこの国ではちょっとばかし名も知れて」

「なァ、ナミ!戻ってくるよな?」

声を荒げたチョッパーに、ウソップは言葉を遮られて、だが不満そうな顔を浮かべることすらも忘れていた。
ナミは決してその返事をしない。

曖昧に違う話をするばかりで、一足先に馬に乗ったゾロに助けられて彼の後ろに乗ると「またね」と別れの言葉を口にした。


「ナミッ!」

三度目にはチョッパーの声も逼迫して掠れていた。
喉に入る朝の空気がじわりと冷たく、けれども眦は熱く、彼女の言葉に確信を得られないことが歯痒くて、チョッパーは馬の両側に僅かながら付けられた荷に縋るようにしてナミを見上げた。


昇る朝日に梢の合間、陽光射して彼女の姿を浮かび上がらせる。


ナミは、笑っていた。

次第に強くなる光に、チョッパーが息を呑むとナミは掴んだゾロの背をきゅっと引っ張った。






去っていく蹄の音を耳に、三人は言葉もなく立ち尽くしていた。



チョッパーはいつまでも、そこに残された蹄の足跡から目を離そうとしない。

太陽が山の縁から離れた頃ようやくウソップが少年の肩を叩いた。


「また、って言ってたぜ」

「・・・・・・・・?」

涙に濡れた頬をごしごしと拭って顔を上げると今度はカヤが言う。

「そういえば・・・ナミさん『またね』って言ってたわ」



ふと、彼らの去った方角に顔を向けてチョッパーは「じゃあ・・・」と呟いていた。


「まァ、あいつも海の向こうに行ったら俺サマの名前をそこら中で聞いちまうだろうからな!懐かしくなってほとぼりも冷めた頃に帰ってくるさ」

「え?ウソップはそんなに有名なのか?」

「当たり前じゃねェか。何たって俺は3歳の頃に海を渡って東へ西へと渡り歩いた男よ。いいか、南の方の国にはな、俺の名前を刻んだ石碑が今も建っているはずで・・・」

続く法螺話にチョッパーはすごいすごいと感嘆を漏らして、ウソップと二人歩き始めた。
そんな彼らに目を細めてカヤは、歩き出してすぐに足を止めて振り返った。

もう姿も、蹄の音すらも響いてはこない。

それでもカヤは深くお辞儀をして、小鳥囀る参道をウソップとチョッパーの背を追って走り出した。




************




「素直じゃねェな」

背にしがみ付いていたナミに呆れたように言って、ゾロは馬を走らせた。
言い返してやろうと思ったのに、涙は後から後から溢れてきて、生まれ育ったこの町と幼馴染たちとの別れが悲しくて、ただゾロの背にしがみ付いているだけなのにその熱があまりに優しいから泣けてしまう。

心がきゅうっと苦しくなって頭には色んな言葉が浮かんでくるというのにどうしたって口を開けないのは、この閉じた唇を開いてしまったら幼子のように大声で泣き喚いてしまうかもしれないと思うからだ。

言葉を返す代わりに彼の腰に回した手に力を込めると、ゾロはそれっきり何も言わなくなった。

城下町を囲む山々は決して山頂高いわけではない。馬に頼れば一日で越えることも可能だろう。

街道に沿って頂まで来ると、ゾロは手綱を引き寄せた。

陽は頭の真上に在って、どうせミホークがうまくやってるだろうからここいらで休憩しようと言うてゾロはナミの手を取って彼女に馬上から降りるようにと示した。

涙を袂で拭ってそこから飛び降りると、山の頂ではさすがに砂塵も届かない。

新鮮な空気が自分の周りを包んでいて、新緑の中深く息を吸う。


少しだけ涙が乾いた気がした。


「おい、こっちなら見えるんじゃねェか」


声に振り返ると、ゾロは茂みの中をどんどん進んでいくものだから、慌てて追いかける。
男の足はいやに速い。こっちは小走りになっているというのに、いつしか音ばかりが前方から聞こえてきて彼の姿は見えなくなった。

「ゾロ?どこ行くのよ!」

問いかけに、パタリと草葉を掻き分ける音すらも止んで、不意に不安が胸を衝く。
走り出して茂みを両手で分けた時、突然視界は開けていた。

崖に在って、眼下には砂塵に霞んだ城下町が見える。


「じっくり目に焼き付けときゃいいだろ。泣くぐれェなら」


木に凭れてゾロは胡坐をかいていた。

きっとゾロは私を元気付けようとしてくれてるのだと思うと、俄かに胸が温かくなっていく。

じっと彼を見下ろしていると、ゾロは「俺じゃなく」と顔を顰めて町を指差した。




「・・・ううん、いいわ」



ふふっと微笑んでナミはゾロに凭れるようにして腰を下ろした。


「だって、またいつか帰ってくるつもりだもの」

「ミホークは帰るなって言わなかったか」

「自分のすることぐらい自分で決めるわよ」

そう言って頭を預けてきた少女の肩を、少し躊躇った後で抱くと、ナミはその手を柔らかく腰に回した。

風は山から町へと吹き降ろす。

頂のここいらは風はあっても、眼下の町に居た時のような鋭さはない。

包む空気があまりにも優しくて、どうにもこそばゆい。

照れ隠しも手伝って、ナミの肩に回した手に力を入れると一層体を摺り寄せてきたナミがふと、顔を上げた。


「ゾロ、これ・・・」

「あァ・・・ミホークが路銀にしろってよ」

路銀にと渡された砂金が入った懐の袋が、布越しにナミへ違和感を与えたのだろう。
気付いた少女にそう答えると、ナミは袋をさっと取り出した。

「・・・借りは嫌いだって言ってるのに」

「別にくれるってもんなら貰っときゃいいじゃねェか」

「嫌よ。これじゃ何から何までおじ様にお世話になることに・・・」



一陣の風が吹いた。

髪を押さえてナミは、目を瞑る。

砂が入らないようにという癖なのだろう。

陽射しに揺れた髪を払ってやると、ナミは瞳を開けて「いいことを思いついた!」と嬉しげに言って突然立ち上がった。




************




武家屋敷の一角から出た火は強風に煽られて一晩の内に瞬く間にその界隈を燃やし尽くした。
もとよりこの季節の乾いた空気も手伝ったのだろう。
その上夜の間の火災は砂塵にも紛れて鎮火しようにもどこに火が燃え移ったのかすらもわからない。


三人が町へ戻った頃にも完全に消火されておらず、町民たちもまた借り出されている最中だった。

「俺達も行った方がいいかな?」
「お前は家に戻った方がいいんじゃねェか。こんだけでっかい火事だったら怪我人も相当いるだろうしな。俺もとにかく家へ戻る。カヤも早く帰って親父さんを安心させてやれよ。後から俺も行くからな」

言って、ウソップは三つに分かれた交差路で手を振りかけた。

「そうだな、砂も酷くなってきたしどっちにしても家に帰って砂除けを持ってこねェと・・・」

「あ、チョッパーお前その装束・・・」


見ればチョッパーは未だ黒装束のままで、これで街中を歩いては十分目立つ。
ったく、と呆れたように呟いて、ウソップは中の帷子を脱ぐようにと言った。

「それで下も脱げば、お前には大きいからちょうど黒い着物に見えるだろ」


彼の言葉通りなるほど、きゃあっと顔を手で覆ったカヤに申し訳なくあわてて脱ぐと、真っ黒な着物に見えなくもない。

「それじゃ、また後で・・・俺、ナミの屋敷が心配なんだ」

「おぅ。じゃあ半刻したらとりあえずナミの家で集ご・・・あ、あれ?」


振りかけた手は、また止まった。


徐々に激しくなる砂塵の中に、ウソップは目を擦ってまたじっと見入ると、手を宙に向けて伸ばした。



「金だ!」


「・・・な、何?」

「砂金だ!チョッパー、カヤ!よく見てみろ!」


まさかと思って、けれどもウソップが嘘を吐いているようにも見えぬほど真剣な面差しをしているものだから彼に倣ってじっと砂埃に目をやっていると、確かに砂粒の合間にきらきら、きらきらと何かが光っている。

カヤが「これ!」と二人を呼んだ。

白い手を覗き込むと確かに小さな小さな金の粒。




途端に、町のあちこちでざわめきが微かに聞こえてくる。




三人は目を合わせること暫く、チョッパーが思い出したように「ナミだ!」と叫んだ。

「ゾロが持ってたんだ。ミホーク様にもらったんだって言ってた。きっと、ナミだよ。ナミがやったんだ!」


カヤの手の平に在る砂粒ほどの金を見て、ウソップは高らかに笑った。


「違うぜ、チョッパー!こりゃナミの仕業じゃねェ!」







「疾風がやったんだ!」




************




「それにしてもお前が金になるもんをあっけなく飛ばすとは思わなかったぜ」

「言ったでしょ?借りを作りたくなかっただけよ」

「それにしたって全部・・・」

「何よ、あんたの方が未練たらたらじゃない。」

そういう問題じゃねェ、と言った男に青波の合間に作られた白い水しぶきがかかって、彼は面倒そうに着物を払った。

「だって私は『疾風』なのよ。貰った物なんて興味がないの」

「───言わせてもらうがな、これからはてめェに働いてもらわねェと、俺だってそう金があるわけじゃ・・・」

「あんたに頼らないわよ。ほら」


ナミが自慢げに携えていた荷をぽんぽんと叩いて、ゾロは一層に顔を曇らせた。

「ほら・・・って何だそりゃ。てめェ、そういやその着物にしたって、どこに行ってやがった」

「この服は一回屋敷に戻って取ってきたの。これも」

懐から取り出された木の枝にはどことなく見覚えがある。
何だったかと首を傾げていると「やっぱり私の話、聞いてないのね」とナミは頬を膨らませた。

「・・・・あァ、あの垣根の・・・」

「梔子よ。見て、早咲きの蕾がついてるの。」

「枯れちまうだろ」

「大丈夫よ。湿らせた布に巻いてるんだから。」

「乾くだろ」

「・・・・・・・・・・あんたって悲観的ね。」


とうとうナミがぷいっと顔を背けてしまったものだから、ゾロはそんな子供じみた彼女にははっと笑みを零して「見せてくれるんだろ」と彼女の手を取った。

船頭が波を受けて後方を振り返った隙にその唇を軽く吸う。

ナミは頬を途端に染め上げて「馬鹿!」と小さく呟くと、慌てて体を離していった。


「で、そっちのでっかい荷物は何だよ。そんな重てェのを持って旅なんかできねェぞ」

「これ?これはね、向こう岸に着いたらすぐにお金に変えるの」

「何だそりゃ。親の・・」


形見かと問いかけようとした口は開いたまま閉まらなくなってしまった。
ナミがちらっと開けた袋の中には、砂金どころか金色に輝くのべ棒がいくつも在って、こんな物を見せられては驚くなという方が無理に決まっている。
潮を孕んだ風に髪を靡かせてナミは笑っていた。

遠く海鳥が啼いて、ようやく我に返るとゾロは「あん時か」と得心したように呟いた。


あの時、自分に先に行けと言って、いつしか蔵に入ってきていたナミは、その蔵に眠っていた宝をまんまと持ち出していたのだ。ミホークが気付いているかどうかはわからないが、屋敷に寄っていくと伝えれば自分たちを急かしたミホークが馬を貸すと言い出すのも当然だろう。
重い荷物に足取りを取られることもなく、ナミは確かに刻限ギリギリには境内に来た。





「・・・・・たいした女だぜ。」



「でしょう?」



誇らしげに笑ったナミは、青い空を仰いで風をその頬に受けていた。




************




その国には黄塵が舞うと旅人が言った。

春になると黄塵が舞うのだと。

それは大変だな、と男が言うと、旅人は応えた。

そりゃあそうだ。
何せ黄色い砂が舞い上がって町を覆いつくす。

あのお天道さんだって黄色く染まって見える。

まるでここで砂から身を守ろうと必死になってる俺らを笑うみてェにな。

俺はとにかくこりごりだ。

住んでる人らも大変だねぇと女が心底同情して言った。

そう思うだろう?

だがそうでもねェんだ。

何でかあの町の民は、黄塵が吹くと嬉しそうな顔をしてみせる。

俺だって不思議でさ、訊いたんだ。

そしたら説明できねぇって三つの文字を書きやがってな。

何て書いたと思う?

いや、その町じゃ字も読めねェ奴もその文字だけは書けるんだ。


言って、旅人は盃に指を突っ込むと、酒を墨代わりに卓上にその文字を書いていった。


『疾風如』


どういう意味だい、と尋ねた女に旅人は首を振った。

ある女のことらしいがね。

それ以上は教えてくれねェ。









疾風と名乗ったその女。

風のように町を包み、風のように去っていった。

感謝を述べる暇もなく、ただ民たちは女を忘れぬようにと思うたのか、いつしか皆が口伝に彼女をこう褒め称えた。




疾く風の如し。
- fin. -

<<<BACK 


全作品リスト>パラレル 長編リスト>疾く風の如し
PAGES→
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18