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9999HITを踏んでくださった希絵様に捧げます。

疾く風の如し


2




「けどナミ、よくお前があんな行き倒れを助ける気になったな」

心底感心したように溜息漏らしてウソップが言うものだから、その長っ鼻を摘んでやろうと思ったが、それをするにも面倒でナミは足早に廊下を歩いていた。
磨かれた廊下は春の日に温められて足の裏をじわりと暖める。
急いているのは、死にそうだったくせに生意気に自分に命令した男を一喝してやろうと奮い立っているからで、荒々しく彼が臥せっているはずの部屋の襖を開け放った。



「・・・『死にかけ』っ!昨夜の言葉を撤回してもらうわ・・・あら?」


敷かれた布団の上には誰の姿もない。

きょろっと部屋の中を見渡しても。


不審に思って隣の部屋とこの部屋を仕切る襖を全て開け放ってみても、男の姿はどこにもない。


「礼も言わずに帰ったのかしら?失礼な奴ね」

「侍だろ?礼ぐらい言って帰るんじゃねェか?」

「浪人よ、浪人。礼儀に欠けてるから仕官なんてできないのよ、きっと。そうに違いないわ」

「何でそうアイツを悪く言ってんだ。別に話をしたわけじゃねェし、どんな奴かわからねェだろ?大体お前がここに連れ帰ってきたくせに・・・───」



不意に視界が暗く翳った。



驚いて、慌てて振り返ると件の男がじっと自分を見下ろしている。




わぁっと悲鳴を上げてウソップが4間も飛びすさると、磨かれた床に足を取られて尻をしこたま打ちつけた。


「騒々しいな」


男は言って、手にしていたとっくりをくいっと口につけた。


「・・・あ・・・ッ!ちょっと、それ私の・・・・勝手に呑まないでよっ!」

「あァ、悪ィな。喉が乾いたんで少々貰った」

男の手から奪い取ったとっくりには僅か一滴の酒も残っていない。

恨めしげに睨み上げてみたのに、男は何ら気にせず屋敷の端々に目をやって「ここはあんたらの家か」と尋ねた。


「『私の』家よ!あそこで転がってるのはただの幼馴染。それからあんたもっ!仕方なくここに置いてあげただけなのよっ!目が覚めたならちょうどいいわ、出てってちょうだい。あんたみたいに物騒な浪人、この屋敷に置いておくわけにはいかないのよ!」

「お前が?一人でここに住んでんのか?へェ・・・」

「・・・な、何よ。その『へぇ』って・・・」


矢継ぎ早に言ったのに、男が飄々とした態で問うものだから、勢いはどこかへ消えてしまってナミは口に出せなくなった想いに唇を尖らせた。


「別に・・・なァ、それより腹減ってんだ。何か作れよ。俺ァ寝てるから」

「な、何を勝手に・・・出てってって、言ってるでしょう?ウソップ、こいつを追い出してよ!」

え、と迷っていると、男がじろりと睨まれたウソップはただ身を震え上がらせて「お、俺はそろそろ帰らねェと・・・」と言うなり縁側から庭に飛び降りた。


「ナミ、話は今度だ。そいつを拾ったのはお前だぜ!俺ァ知らねェからなっ!」

「ちょ・・・ウソップ!この薄情者ッ!!あんた後で覚えてなさいよっ!」


声を掛けたところで臆病な幼馴染はもう門から飛び出て、遠ざかる足音ばかりが返ってきた。


「ナミ、俺もいいか?」


おずおずとチョッパーと呼ばれた少年が顔を覗かせた。


「あぁ、チョッパー・・・ね、あんたの家にコイツ置いてやってくれない?」

「だっ・・ダメだよ!俺がここに来てるって知ったら、ばあちゃんに怒られるから・・・それに、薬も・・・こっそり持ってきたんだぞ。」

「そっか・・・悪かったわね。ううん、ごめん。いいの・・・こいつは・・・」

ちら、と布団の上に寝転がってもう瞳を閉じている男を見やって、ナミは溜息をついた。


「私がどうにかするわ」


「ごめんな、ナミ。力になれなくって・・・あ、それと、そいつの薬は枕元に置いといたぞ。食事の前に飲ませる丸薬だからな。あと、10日ほど安静にしてねェと傷が開いちまうからな」

突然医者の顔になって、この医師見習いの少年が言った言葉にナミはがくりと肩を落とした。

「10日も・・・?」

「本当なら一月は安静にしておいた方がいいんだぞ。でもそいつ、体鍛えてるみたいだし・・・だから・・・」

「あぁ・・・いいのよ、チョッパー。あんたの所為じゃないんだから・・・昨夜はごめんね。夜半に呼び出して。おばあちゃんに怒られなかった?」


大丈夫だったと満面の笑顔で答えると、チョッパーも薬箱を手にじゃあ、と別れを告げてこの屋敷を出て行った。


梔子の垣根の向こう、ぴょこぴょこと栗色の頭が歩いて、やがて見えなくなったことを縁側から確認すると、不意に疲れが襲ってくる。
日は次第に西に落ちて、空が朱く染まり始めていた。

仕方ない。

心で呟いて、ナミが縁側に面した襖を閉めようとすると、寝ていた筈の男は瞳を閉じたまま「そのままでいい」と唇を動かした。


「何よ。起きてたの?じゃあ聞いてたのね。いい?あんたには元気になり次第すぐに出てってもらいますからね。それから宿代も貰うわよ。うちはあんたみたいな大の男を養うほどのお金なんてないんだから。」

「今すぐほっぽりだしゃいいじゃねェか」

「・・・じゃあ、出てってよ」

「こんな怪我人を追い出す気か?」


「・・・───ンもう!」


男はハハッと笑ってようやく瞳を開けた。
ごろりと横に向いてナミを見る。

切れ長の目に、碧の髪が精悍さを湛えたその顔は、昨夜暗闇の中で見た苦痛の顔とは違って緩められていた。

「俺ァゾロだ。どっちにしてもこの町に留まる予定だったんでな。置いてもらえりゃ有難ェ」

「何・・・?あんた、どっか他の町から来たの?留まるって・・・あァ、仕官先でも探してんのね。あいにくね。この町を治める大名家ならちょっと前に戦に出ちゃったわよ。留守番役が多少残ってるみたいだけど・・・」

「そうらしいな。とりあえず『奴』が帰ってくるまではここに居なきゃならねェ。」


ふっと頭に今日ウソップの口から聞かされた『用心棒』の話が甦った。

(でも、三刀流って言ってたわ・・・)

コイツは二本しか刀を持っていないし。
それに、大名が呼び寄せるほどの凄腕の剣豪だとしたら、あんな川べりで刀傷に倒れているかしら。


「・・・ね、あんたどこから来たの?」


ゾロは指をくいっと西の空を指して「あっち」とぶっきらぼうに答えた。


「そうじゃなくって・・・何の目的でここに来たの?仕事か何か?」

「てめェさっき勝手に人を仕官先探してるだの何だの言ったくせに・・・」

「いいから答えてよ。身元がはっきりしない人をここに置くわけにはいかないでしょう?」


成る程と思ったのか、ゾロは暫し考えた後に「取り返しに来た」と言った。


「取り返す?何を・・・」





「俺の女房」





満面に笑みを乗せて頭を掻いた男の、その言葉が冗談なのか真実なのかも分からずに、ナミは「馬鹿みたい」と小さく漏らした。




************




ゾロは怪我をしているからだろうか、軽口を叩いても確かに何ら怪しい気配はない。
警戒してはいたのだが、それだけに夜半ともなれば一日の疲れは体を重くして、彼に自分の寝室を譲ってしまったからと久々に父の部屋で布団を敷けば、ろくに掃除もしない部屋の中、ナミは埃くさい空気を厭うことも忘れてどさりと布団の上に寝転がった。

夕食を食して暫く、見ていれば彼は刀を手に庭に出て、月光の下剣を振っている。
何か良からぬことをするのかとも思っても、一心不乱に剣を振る男を見ているだけというのも飽きてしまって、早々に自分だけ風呂に入ってすぐにこの部屋へと戻った。

思い出したように体を起こして蝋燭に灯された火を吹き消すと、暗闇視界に広がって、ふと、庭から聞こえていた音が止んでいることに気付いた。

(・・・やっと終わったのかしら。半刻以上はやってたわよね・・・───)

障子の向こうには高く昇った月が在る。

父も剣の修行は欠かさなかったけれど、武士というのはそういうものなのだろうか。

あの男が武士かどうか、侍になりたいかどうかなんてわからないけれど。
ただ剣の修行をして全国を放浪する輩なんて結構いるのだし。

(そんなことしたって、意味がないわ)


そんなことをしたって、いざ戦に出て父のように命を落としたら、いくら民の間でその戦いぶりの凄まじさを褒め称えられようと、残された家族はその死を悼むばかり。
家屋敷は主を失ってひっそりと静まり返って、その空気に圧されたように母まで病に倒れてこの世を去ってしまった。

力を蓄えたって、いくら修行したって、死ぬ時は死んでしまうのだから。


「早く出てってもらわなくちゃ・・・」


布団に突っ伏したまま、ナミは呟いた。


このままだと、只でさえ『妙齢のくせに一人を好む変わり者』なんて噂されている自分に、今度は男を託っているなんてさらに不名誉な噂が流れるのは目に見えていて、さすがに亡き父母の名を汚してしまうのではないかと心中で呟いて、言葉は不安へと変わっていく。

それに、この空気。

この屋敷に自分以外の人間がいるのだという、この空気が耐えられない。

胸がいやにざわめいてしまうのだ。

何年振りだろう。

昼間ならば幼馴染のウソップが許婚のカヤも連れて訪れることもあるし、それに加えてチョッパーも暇は見つけては一人で暮らす自分を気遣って、時折立ち寄ってくれる。

でも、夜ばかりは。

何年ぶりだろう。



父母が足音を忍ばせて、自分の部屋まで来る。
そっと襖を開けて、顔を覗かせる。
起きていると知られたくなくって、寝たふりを続けた。


見守られているという幸せ。




それを手放して、一体どれだけの時が経ったのだろう。


一人に慣れたわけじゃない。
でも、忘れなければと自分に言い続けてきた。

忘れて、この生活に慣れなければと。


半ば、叱咤するように自分に言い聞かせてきた。



(・・・足音・・・?)




不意に、廊下をひたひたと歩く音が耳に入って、ナミが体を起こすと閉じられていた襖が何の躊躇いもなく開けられた。



「な、何・・・?何の用?お風呂なら勝手に・・・着物は父上のが・・・」

置いてあったでしょう、と震える声で言って、ナミは強張った手で胸元をぐっと掴んだ。

「あァ。もうもらったぜ。風呂なら。それより・・・」


無作法にも足で襖を閉めて、男はどかりと腰を下ろすと、両手に持ったとっくりとお猪口をトンと畳の上に置いた。


「一人で酒を呑むってのも味気ねェ。あんた飲めるんだろ。付き合えよ」

「晩酌なら一人でやってよ・・・それより勝手に人の部屋に入らないで。失礼よ」

「・・・あァ?まさか俺がてめェに夜這いしに来たとか思ってるんじゃねェだろうな」

「・・・・・・・そうとしか思えないわ。」


目付きの悪い男を、じろじろと睨みながら言えば、ゾロは眉を寄せて唇を真一文字にしたままその眼差しを受け、すぐさま「阿呆」と軽くいなして言葉を続けた。


「てめェみてぇな生娘なんかに興味はねェ。安心しろ」


「な・・・っ!?な、な・・・なん・・・───」


「それより、月見酒の方がよっぽどいい」

言って、酒がなみなみと注がれた盃をほら、とナミに差し出した男が意地悪な笑みを浮かべていることぐらい薄い月光の中でも見て取れて、何だか癪に触って乱暴に彼の手から盃を奪った。そんな少女の姿に満足を覚えたのか、暗闇の中彼は少し笑って立ち上がると、障子を開け放った。

屋敷の最奥に設けられたこの部屋は、庭も、それに面した縁側も一望できる。
父はこの部屋で障子を開けて庭で遊ぶ私や母を見ては、低い声で、けれども嬉しげに話しかけたものだった。

春風がふわりと入り込んで、庭の木がかさりかさりと木の葉を揺らしていた。


「こんなだだっ広い屋敷で一人飲んでのんか。いつも」

それ、とナミの手に握られた杯を指差して、ゾロはほのかに白い光を浴びせる月を背に座して自分の盃にも酒を注ぎ出した。


「あんたに関係ないでしょう。私は一人が気に入ってるんだから」

「・・・まァ・・・そうでなきゃ女が一人で暮らしてるわけもねェだろうしな」

得心したのか、何なのか、呟いてくいっと盃を上げる。

母が生きていたら。

殿方の杯に酌をしろなんて言っただろうかなんてふと思って、だが、素直にそれをしてやるというのが気に障ってじっと彼を見据えたまま動かずにいると、男はそれを咎めるでもなく自ら酒を注いでまた呷る。

「お酒代、あとからちゃんと貰うわ。私が身を粉にして働いたお金で買ったのよ」

「へェ。ご立派じゃねェか。何してんだ」

「・・・飴売り。」

ふぅん、と鼻を鳴らしてゾロは、月を顧みて笑った。


「何が可笑しいの?」

「別に・・・明日も晴れるかと思ってな」

「明日には出てってもらうわよ」

「気が向いたらな」

「気が向いたらじゃなくって!出てってよ!」



声を荒げると、彼は殊更笑みを深くして「何で」と訪ねる。


「お前が俺を拾ったんじゃねェか。」


「・・・死なれたら後味が悪いからよ」








「ガキ」






口の端を上げて、ゾロはナミの頭にポンと手を置くと緩慢な動きでのそりと立ち上がった。
畳の上にそのまま置かれていたとっくりを持って、部屋を出て行こうとする。


「───あんた、何しに来たわけ?」

「あァ?何かして欲しいか?」


顔を真っ赤にして怒鳴ってやろうとした時には、ゾロはもう襖を閉めてその足音が遠ざかっていくばかりだ。

慌てて格子の合間から覗けば、酒をぐびりと呷りながら縁側に面したその部屋に入ろうとしている男の背が見えた。




「バカにして・・・!」


叫んでみたら、ゾロは僅かに振り返ってひらひら片手を振った。

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