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9999HITを踏んでくださった希絵様に捧げます。

疾く風の如し


3




桜の花びらがどこからか風に乗って飛んでくる。
庭を掃きながら「二つ隣のあの屋敷からだわ。大きな桜があるのよ。綺麗だけどこの季節風下になるうちにとっちゃいい迷惑よ」なんてぶつぶつ呟くナミの声を聞きながら、ゾロはうとうとと陽だまりの中まどろんでいた。

ナミの幼馴染の医師見習いが置いていった薬を飲むと、いやに眠気が増す。
いらぬと言ったら、ナミが大層な剣幕で怒るものだからつい飲んでみたら、傷の痛みも忘れて頭にはぼんやりと霞がかかる。
それはこの気候の所為でもあるのだろう。
柔らかな日差しにゆらりと時折そこら中をかき混ぜるような風が心地良い。

ついに堪らなくなって、敷かれた布団から出て縁側で女の愚痴を子守唄に瞳をつぶっていれば、不意に耳を容赦なく抓り上げられて、ゾロは閉じたばかりの眼を開けた。


「聞いてるのっ!?」

「・・・聞いてるじゃねェか」

「じゃあ、何て言ったか答えてみなさい」

「掃除が面倒なんだろうが」

「違うわよ、今から私は飴売りに出るからあんたの服、乾いたら着替えなさいって言ったの!」


ふぁと大きな欠伸をしてゾロは「別にこれだっていいだろ」と纏った着物の端を掴んだ。

「ダメ。それは父上の形見なんだから」

「形見だろうが何だろうが・・・」

「ダメったらダメ。」


ナミが頑として即着替えるよう言い張るから、渋々と頷くと女は初めて満足げな笑顔を見せた。
昨日っから怒った顔しか見てないということにはたと気付いて、その笑顔を珍しげに見ていると、自分の視線に気付いたのか途端に「何よ」などと言うて唇を尖らせる。

その様が、いやに面白くて、ゾロはつい口の端を上げた。


「ガキのくせに・・───」


一頻り笑った後で出た言葉に一層頬を膨らませてナミは持っていた箒の柄でゾロの頭を叩くと、何も言わずに門へと向かっていく。

「何しやがる!」

背に向かって言えば、「ガキじゃないわ」なんて大人びた声で言うものだから、また可笑しくなってしまった。

紅すらも引いてないくせに、ガキじゃないと言い切る少女は、どう考えたって男を知らぬ子供ではないか。
自分が近付けば頬を赤らめて警戒心剥き出しにするくせに、身寄りがなくて寂しいせいか自分を一人で住まうこの屋敷に連れてくる。

まァそれならと昨晩彼女の部屋に行ったのはその気がなかったわけでもない。

月見酒なんて只の口実で、世話になったのだし、かと言って自分には手持ちの金がない。
寂しかろう、慰めてやろうなどと柄にもなく思ってしまったのは、静まり返った屋敷であの少女が一体どんな夜を過ごしてきたのかとふと思ってしまったからに過ぎない。

だが、警戒心があるようで、時折瞳の奥に見えるその純粋さゆえに何故かそれが憚られてしまって、僅かな会話をしただけで部屋を後にした。


彼女が置いていった箒を手に取って、よくも思いっきりやってくれたもんだと思いながら庭に出た。
武家屋敷の立ち並ぶこの界隈じゃ、戦でおおよその武将が出払った今は人通りも少ないのだろう。
風ばかりが通りを過ぎていく。

道には砂塵が舞っていた。

この土地は黄土から出来ているのだろうか。
舞い上がった砂塵はどことなく黄色に空気を染め替えているようにも見える。

何をするわけでもなく、それを見ていれば、遠ざかった筈の足音がまた近付いてきて梔子の垣根の向こうにぴょんと朱色の頭が飛び出た。

(そういうトコがガキくせェんだが・・・───)

そんなことを言ってしまえば、少女はたちまち腹を立てるだろう。
黙って見ていれば、数度頭を覗かせていた少女はようやく諦めて、門から入ってきた。

「言い忘れてたわ」

息せき切って自分の傍らまで駆け寄ってきた少女に悟られぬよう、内心で苦笑しながら何をと問えば、「部屋から出ないで」と言う。


「そりゃねェだろ。修行しねェと体が・・・」
「怪我人が何言ってんのよ!とにかく中に入って・・」

背を押されて、ゾロは渋々と縁側から畳の上に上がった。

「いい?絶対にこの部屋から出ちゃダメよ」

「無茶なこと言うな。大体てめェが後から着替えとけって・・・こっから出ずにどうやって俺の服が干してるトコまで行く?」


女は朝から家の裏手で血に汚れた着物を「汚い」と何度も言いながら洗ってた。干してるのも同じ場所で、玄関から出るか、この縁側から出てぐるりと屋敷に沿って回り込むかしないとその場所まで行けないのだ。

「・・・じゃ、今日一日はその着物貸してあげる。賃料はいただくけど。」

「取んのか…別に一日ぐれェ・・・」

「父上の大切な着物よ。上等なのよ?あんたの着てたようなのとは訳が違うんだから!それより、いい?絶対に姿を見せちゃダメよ。あんたみたいなのがこの屋敷にいるって知れたら、世間体が悪いったら!」


ナミの言葉をじっと聞いていた男は、ふと「今更」と言った。


「どうせてめェみてぇなのが、ここに一人で住んでるってェだけで何かしら言われてるんだろう。今更俺が居ようが居まいが・・・」


そこまで言って、ゾロは口を噤んだ。
ナミが怒りに満ちた目で自分を見ている。

この女が怒ろうが怒るまいが関係ないと言えばないのだが。

きゃんきゃんと騒がれることは好ましくない。

何せちょっと力入れりゃ折れそうな細っこい手がこれほどなく震えているのだから、彼女の逆鱗に触れたことは間違いない。

とにかくここは黙るが吉とばかりに、口を閉ざしたまま彼女の反応を待った。


「・・・・・・そんなの、もう慣れっこよ。」



ぽつりと言って、ナミは踵を返した。




「でも、これ以上の噂は父上の名を汚しちゃうから・・・」




だから、と顔だけを振り返らせてナミは剣呑な瞳でゾロを見やった。




「出歩いちゃだめよ。部屋からも出ちゃだめ。あんた怪我人なんだから、大人しくしてなさいよ」


抑揚なく言って、ナミはまた小走りに走り去っていった。


少しだけ、震えていた声が何を意味してるのかぐらいはわかる。

核心をついてしまった。

彼女は開き直っているような口ぶりで、内心実は自分が周りにどう思われているかを至極気にしていたのだろう。

それに拘泥しているくせに、見ない振りをしてきたのだろう。




昨日から感じていたというのに。
あの少女が何かしら胸に抱えて、独り身でいる寂しさに他人を求めていると。

少し考えればわかったことではないか。



「厄介なトコに来ちまったな」


暫し考えこんでからゾロは呟いて、また一つ欠伸をすると彼女の言葉を思い出して、部屋の奥に敷かれたままの布団に戻った。






しかしまぁ。



ころころ機嫌の変わる女だ。




口の中でそう言って、彼は春の陽気の中また眠りに落ちていった。




************




いつもそう上機嫌な女ではないが、今日の限ってはナミはその不機嫌さを隠そうともせず、店に入るなり昨日から彼女の家に居る男の、思いつく限りの悪口を叩いてウソップをうんざりとさせた。

彼女に言わせれば「何を考えているのかがわからない」というその男を、確かに彼女だけに押し付けたのは自分の責任もあるし、何よりあんな行き倒れの男を自分の家に連れて帰ったりしたら、両親に何を言われるかわかったものではない。
そんな事情もあって、逃げるようにして帰ってきたわけだが、昨晩あの屋敷で若い男と女が一夜を共にして、何かあったのではないかと思っては寝付けず、心中古くから見てきた友人の身を心配していたのだが、どうにも杞憂に終わったらしい。

何せ彼女はこちらが訊く前から彼との会話やら、昨夜あったことやら、先ほど家を出る前に交わした言葉なんかを全て吐き出していくのだから。

何度目かの「何考えてるかわからない」なんて台詞を吐いて、ナミはようやく「変な奴だと思わない?」とウソップに尋ねた。


「何で俺がそんなこと知ってるんだよ。俺ァ直接口を聞いたわけでもねェし・・・あ、いや。確かにちょっと変わった奴かもしれねェが!」

ナミにじろりと睨まれて、慌てて言いなおすとウソップは場を取り繕うために一つ、大仰な咳払いをした。


「何たって、あんな夜中にあんな人気のねェトコであんな怪我で死にかけてんだからな。もしかして罪人とかじゃねェのか?女房を取り返しに来たってのも怪しいな。最近この町に新しい顔なんて見てねェし・・・」

「でしょう!あんたもそう思うわよね!やっぱり何かしでかした奴なんだわ。あぁどうしよう・・・もし私が明日死んでたら、ウソップ。あんたちゃんと敵討ちしてよ」

「な、何で俺が・・・!アイツ、侍だろ?それ相応に剣が使える奴に勝てるわけが・・・それにありゃお前が拾ってきた男じゃねェか!お、俺は知らねぇ!知らねェぞっ!!」

「なっさけないわね!あんたの幼馴染が窮地に陥ってんのよ!」

「別に今は何てことないんだろ?大人しくしてるならいいじゃねェか!とにかく俺はその件は一切関わらねェからなっ!」

言い切って、ウソップは長鼻天に向けると大きく胸を反らしていた。

その幼馴染の頬を思いっきり捻って、いつものように飴を持ち子供らが集まりそうな界隈を、大またで歩いていけば春の風に黄土が砂を巻上げていた。


ナミはこの季節がそう好きではない。

冬の間乾いた土が、生ぬるい風に吹き上げられて日によってはこの城下町全体が黄に霞がかってしまう。
勿論、元来それは砂なのだから目に入れば痛いし、洗濯物にも黄色い砂埃がついてしまう。
埃っぽい空気は梅雨になるまで続いて、咲き乱れる春の花も元気を無くして見えてしまう。

生まれ育ったこの町が嫌いなわけではないのだけれど、話に伝え聞いた海の向こうの国ではこんなにも砂が舞い上がることはないと言うし、春と言えば彩りも良く、民は皆喜ぶものだと言うではないか。

木箱を揺らさぬよう、子供たちの声響く神社の境内に腰を下ろすと、いつしか日は高くなっていた。

今日は朝から彼の着物を洗ったり、ついお喋りばかりして時間を食ってしまった。

見慣れた子供たちは、ナミの姿を見て寄ってきては小さな手で僅かばかりの銭を渡し、何気ない話に花を咲かせていた。


「あんた達はいいわねぇ」

溜息まじりに漏らせば、大きな瞳の少女が顔を覗き込んだ。


「どうしたの?いじめられたの?」

「・・・・別に。そうじゃないわ」


その黒髪をくしゃっと撫でて、ナミは立ち上がった。

神社を囲む松林は防砂林の役割も果たしていて、ここの空気は澄んでいる。
大きく深呼吸をする。

樹齢も長いその松は、横に這うように伸ばした枝と、天を請うように伸ばした幹が実に美しい木漏れ日の線を描き出した。

境内の中には数本、桜の木が植わっており、黄砂の届かぬこの場所では白く輝いて見える。
妙な話だが、この町の片隅にあるこの境内で、海の向こうの国ではどの桜もこんな風に白く染まっているのだろうかなんて思いを巡らせてしまう。

「出ていくのは、私?」


そうね。

この町にこだわる必要だってない。

父も母もいなくなって、思い出のあるあの屋敷を手放すことがどうしてもできないでいたけれど。

ウソップやチョッパー以外にそう親しい間柄の知人がいるわけでもない。

町の人は私を見るたびに、そら変わり者の女が道を行くと指を差して笑う。

自分と同い年だった子がどこかに嫁ぐと大きな声で喚いては「あの女には無理だろう」なんて聞こえよがしに喚いて、ナミの気を逆立てようとする。


いちいちそんな言葉に傷つくのも疲れて、今は一人落ち込むこともなくなった。

言いたければ言えばいい。



私には、私という確固たる存在が在る。

自分の中にある『私』を捨てるよりも、今の方がよっぽどいい。

それだけが在れば、私は生きていけるのだから。


何から取り残されても、何を置いても、『私』という存在がここに在れば、それで十分。







それは、ナミが毎晩言い聞かせてきた言葉。

呪文のように唱える。


私に残された唯一の宝物。


それは『私』なのだと。









今更。











───今更、あの男が居ようが居まいが。












(そうね。癪だけど、その通りなのよ・・・───)



それでも。

素直に認められなかったということは、私はまだ心のどこかで望んでいたのだろうか。
振り切ったはずなのに、世間との関わりなんて自分をわかってくれる人たちだけでいいと思っていたはずなのに、あの男の口から言われて、そうよなんて軽く答えることができなかった。


「やっぱり、出ようかしら」


この町。


この町を出なければ、私はいつまで経っても変われない。


何の身寄りもない女が、一人で生きていくために。


身を売ることなどは相応の家に生まれた自分には考えられない。
好きでもない相手に嫁ぐなど、持って生まれた性分が許さない。





(でも・・・───)



「お姉ちゃん、聞いた?ハヤテが出たのよ」


桜を見上げてじっと考え込んでしまったナミの足元に、数人の子達がいつしか集まって袖を引いた。


「え・・・あ、あぁ・・・知ってるわ」

「お姉ちゃんは見たことある?」

「ううん、ないわ」

「お父ちゃんもお母ちゃんも見たことないの。どんな人?」


見たことないって言ってるのに。

純真無垢な瞳で見上げて、少女は『疾風』はどんな容貌をしているのか、とにかく自分の好奇心を満たしたくて仕方がないらしい。うずうずと体を揺らしてナミの返す言葉を待っていた。

少し躊躇って、まさか自分とウソップがその正体などと、子供が相手とは言え、明かすわけにもいかない。

この瞳なのだ。


町の者たちは、疾風という義賊にとにかく期待しては、次はどこの強欲を狙ってどこの家に分け前をくれるかなんて噂話の種にする。

その義賊が私だとも知らずに。


でも、その噂を耳にすることはナミにとって喜ばしくもあった。

まるで自分の存在が他の人達にも認めてもらえたような、くすぐったい気持ちが胸に沸いた。


だからこうして、自分たちは盗品には手をつけないと決まりを設けてウソップと満月の夜に度々窃盗を繰り返してきた。





「・・・風のような人ね、きっと」




よくわからない、と首を傾げた子らに微笑だけを残して、ナミは木箱をまた持つと彼らに別れを告げた。

いつもならもう少し、せめて日が落ちかけるまではここに居て、参拝する人達にも飴を売るのだけど、何だか億劫になって重い足取りでウソップの店へと売れ残りが多く入った木箱を持ったままに戻った。

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