1 依頼でない依頼




「なぁゾロ、お前とナミ喧嘩してんのか?」

それは、クリスマスも差し迫った土曜日の午後のことだった。
冬の突き刺すような空気の中、半袖という見ている側が寒さを覚えるような格好でベランダに出て、懸命に筋トレに励むゾロに、ウソップがおそるおそるといった様子で声をかけた。
突然の質問にゾロが不思議そうな顔をして、腕立て伏せを止め、その場にあぐらを掻いた。
「いきなり何だぁ?」
しかめっ面で聞き返す様子を見ると、思い当たるところがないのだろう。

ウソップは不機嫌になってしまったゾロを見て、慌てて手を振った。

「い、いや!何でもねぇんだ。
 俺の気のせいならそれで・・・」

そう言いながら、彼はそそくさとその場を立ち去った。


(・・・・何だアイツ?)

ナミとの間に何かあったかと言われたら思い当たることは一つだが、それは今に始まったことじゃない。
1ヶ月前、ナミから告白されて以来、我が身のことながらうまくいっていると思う。
毎晩一緒に寝て、キス以外は許されない非情な賭けも、何も出来なかった頃に比べれば遥かに進展したと思える。
ナミも付き合いだしてからは一層甘えてくるようになって、他人の前では決してそうしないものの、自分の前ではかわいい女になるところがゾロにとってはたまらないほどいじらしく感じるのだ。
だから、ゾロ自身も彼女には甘い顔をしてしまうし、彼女はそれをわかって尚更彼の好む女の顔と少女の顔を見せるのだ。

(喧嘩してるように見えるか?)

もし見えるとしたら、一体どこが?

ゾロはしばらくその場で腕組みして考えていたが、実際には自分とナミの間に何があるわけでもない。
ウソップの杞憂だろうと、また腕立て伏せを始めた。


すると、今度はチョッパーがカラカラと躊躇いがちに窓を開けて、ベランダに出てきた。

「なぁゾロ・・・ナミと喧嘩しちゃったのか?」

(・・・またか?)
二回目の同じ質問に、ゾロはまた顔をしかめた。

「さっきウソップも言ってたが・・・
 何でそう思う?」
そう聞くと、チョッパーはふるふるっと首を横に振って「違うならいいんだ!」と言って、慌てて窓を閉めた。

一人ベランダに取り残されたゾロは、まったくもって意味がわからない。

じっと考え込んでいると、いつしか冬風に吹かれて汗が引き、身体の表面が冷たくなっていた。
集中できるような気分でもなくなり、暖かい部屋の中へと入る。

その途端、キッチンから異様なほどの殺気を感じた。

(あいつもかよ・・・?)
おそらくサンジも自分とナミに何かあったのだと思っているに違いない。
けれども自分に非はないはず。
ゾロは、つかつかとキッチンカウンターまで行き、カウンター越しにその疑問を解決すべくサンジに話し掛けた。


「おい、何だその目は?」

ともすれば喧嘩を売っているような口調に、サンジがいよいよもって眉間に皺を寄せる。

「テメェ、ナミさんを傷つけておいて・・・」
皿を洗っていたのだろう。
水に濡れた手をタオルで拭いて、口元にあったタバコを手にしたサンジがゾロを睨みつけた。
「俺ぁ知らねぇぞ。
 さっきからお前ら、何言ってやがる」
「とぼけるな。クソマリモ。
 ああ、こんな朴念仁より俺の方がよっぽど・・・」
「だから何の話してんだよ、テメェは」

眉を一つだけあげて、ゾロが溜息を漏らしながら呆れたように言うと、ようやくサンジの表情から剣呑な雰囲気が消えた。

「じゃ、本当にテメェ何もやってねぇのか?」
「くどい」

途端にサンジが顎に手を当てて考え込む。

「なら、ナミさん何で部屋に篭ってんだ?
 いつも俺らが来たら部屋から出て来るだろうが」

そう言えば。
土曜日はナミの家に麦わらクラブのメンバーが集まる。
いつもはゾロが筋トレをしていれば、ナミは部屋で本を読むのだが、土曜日には皆が来るからだろう、リビングやダイニングまで本を持ってきて読んでいるのが普通だ。

自分がベランダにいる間にルフィ以外のメンバーはまず最初にサンジが。次にチョッパー、そしてウソップと皆言われた通りの時間に来ていた。ところが、今日のナミは玄関を開けたらまた自室へと戻り、その扉を固く閉ざした。
これでは、皆が自分とナミの間に何かあったのではと考えても仕方がないというものだ。

「いつからだ?」
「いつからって・・・ここに住んでるテメェが知らねぇのか?」
「昨日は俺ぁバイトだったんだよ。
 遅くまでこき使われて、帰ったらもう寝てやがったんだ」


先月、今まで世話になっていたスモーカーがゾロの親から預かっていたという銀行の通帳と印鑑を渡してくれた。
その金額は1000万ベリーと、恐ろしいほどの額だったため、むしろ手をつけることが憚られて結局、バイトすることにした。
ナミが希望した昼のバイトで今までと同じ時給の高い物と言うと、ゾロにできるものでは工事現場で働くか、警備員のバイトだった。
工事現場のバイトは、面接官の態度が悪くてこちらから断ってしまった。
警備員のバイトは、デパートの警備で、つまらなさそうに思えたものの、バイト初日で逃げた万引き犯が逆上してナイフを振り回す現場に遭遇してしまった。勿論、ゾロに敵うわけもなくすぐに取押さえたのだが、それ以来上司に名前を覚えられてしまい、夜のバイトが足りない時などに呼ばれることが多くなったのである。
昨日もナミが帰ってきた途端に呼び出しがあって、深夜のバイトが遅刻するから来るまで代わりに入ってくれと言われたのだ。
仕方なく家を出て、帰ってきた時には既に日付が変わっていた。
出る時には気付かなかったが、ナミは怒ってしまっていたのだろうか?

何も気にしていないという顔だった気もするが・・・───


だが、いくら考えてもやはり腑に落ちず、ゾロはナミの部屋へと向かった。

いつものように力強くノックする。
中から返事はない。

「ナ・・・・・・・」
ナミ、と言おうとしたとき、インターフォンが鳴った。

最後のメンバー、麦わらクラブのリーダーが来たのだ。

何となく、気がそがれてしまったゾロは結局ナミに声を掛けずにダイニングに座って、サンジが用意したナミのためのコーヒーを飲んだ。

++++++++++++++


「あれ?ナミはいねぇのか?」
ルフィもそこにいる筈の少女の姿がないことにすぐに気付いた。
「出てこねぇんだよ」
ウソップが困ったようにナミの部屋のドアを顎で示すと、ルフィが迷わずゾロを見た。

「・・・喧嘩してねぇぞ」
視線に気付いて、苦虫を噛み潰した顔でゾロがルフィを睨んだ。

(これで全員かよ・・・)

ナミに何かあれば、ゾロのせいだろうと思うメンバー達が憎らしい。
いや、確かにそれはかなりの確率で当たってはいるのだが、今回のように何も自分に非がないと思うような時に皆がそう考えるというのは、どうも腑に落ちないのだ。

「なんだ、違うのか?じゃあナミあの日か!」
ルフィはこともなげにそう言い放って、その扉をドンドンと乱暴に叩いた。
「おいナミ!出てこいよー。お前せい・・・」

ゴンッと言う鈍い音がしてルフィが倒れたかと思うと、部屋の扉を開けて拳骨を握ったナミがいた。

「あんた、来た早々何言ってんのよっ!」
「ナミすわ〜ん♪お元気になったんですねっ♪♪♪」
サンジがそう言って、ナミの椅子をひいた。
少女も慣れた様子でその椅子に腰掛ける。

「元気って・・・?
 私は元気だけど?」
そう言って、皆の顔を見渡すと安堵の色が伺える。

何よ、変な顔して・・・と呟いてナミはマグカップに手を掛けた。


「ナミ。何で出てこなかったんだ?」
チョッパーが座りながらそうやって尋ねると、ナミもぽかんとした顔で首を傾げてようやく気付いたようだ。
「・・・ああ、私が部屋にいたから気になってたのね。
 ちょっと依頼のこと考えてただけよ」

「依頼っ!!?」
途端に鼻を摩っていたルフィの瞳が輝いた。
その横でウソップも「最近腕を振るう依頼なかったからなー」とワクワクしている。
チョッパーも釣られて嬉しそうに笑った。

「そんなに喜ばないでよ。
 ・・・厳密には依頼とは言えないの。
 何て言うか・・・まぁいいわ。それはなしにしましょ。
 とりあえず他の依頼を・・・」
「やだっ!何か面白そうな依頼があるんだろ?」
ルフィの言う面白そうな依頼とは、腕を振るうものであったり、変わった依頼のことだ。
ここ数週間、猫を探して欲しいとか、クリスマスプレゼントのセーターを編むことを手伝って欲しいとか、PCが壊れたから直して欲しいとか、そういった類の依頼ばかりが重なっていた麦わらクラブに難しい依頼が舞い込んだということにルフィは期待を寄せた。

ウソップは逆に首を振った。
「いや、ナミが依頼じゃねぇっつってんだから、諦めろ。ルフィ」
もとよりウソップは、最近の依頼が自分の力量を問われるものでなかったとしても不本意ではない。
手先が器用な彼は全くヒマというわけでもないし、何よりも危険なことはなるべく避けたい。
その依頼について渋い顔をしているナミを見て、少なからず確実に安全と言えるものではなさそうだと判断して、ルフィに提言した。

「俺達は人助けするんだぞっ!
 困ってる人がいたら、助けてやるんだ」
ルフィが口を尖らして、拗ねたように言うのを受けて、ナミの隣で会話を聞いていたゾロが口を開いた。

「どんな依頼なのか言ってみればいいじゃねぇか。
 それを受けるかどうかは多数決でも取りゃあいいだろ」

ナミは一瞬困ったような顔をしたが、わかったわ、と溜息とともに呟いて、その依頼ではない依頼を説明した。