CRAVE FOR YOU


4




躊躇いもなく、男は一番近くのラブホテルに足を向けて、部屋を適当に選んでエレベーターに乗る。

そんな慣れた男の仕草に、ナミは一瞬戸惑って足を止めてしまっていた。

「来いよ」

ゾロの低い声が、魔法のようにナミを吸い寄せて、彼女はいつしか震える足で彼の隣に立っていた。

このホテルは入り口を入ってすぐに全ての部屋のパネルが用意されている。部屋の写真の横のボタンを押せば、部屋のドアのロックが外され、恋人達が部屋へ入って鍵を掛ければ自動で時間が換算されていく。つまり、誰に会うこともないのだ。煌々と照らされた廊下が無人というその状況だけでナミは生まれて初めて味わうその奇妙な静けさに、早鐘のように鳴っていく心臓を抑えることができなくなっていた。エレベーターの扉が開いた先にも、誰もいない。このいくつもの扉の中で、数lの男女が交わっているかと思うと、頭に血が上っていってしまう。

(・・・な、何怖がってるのよ!決めたでしょ?とっとと処女を捨ててやるって!)

内心自分を叱咤して、ゾロの後ろを黙ってついていった。

ゾロは・・・どう思っているのだろう。

「わかった」と言ったきり、何も喋らない。
ナミに瞳を向けることもない。
呆れてる?
女から誘ったから。

それでも据え膳食わぬは、ってとこかしら。

(所詮、コイツも普通の男なのね。)

ある扉の前で立ち止まった男は、部屋番号を確認して扉を開けた。

その姿に、こう真っ直ぐな廊下ならさすがに迷いはしないんだな、などと思ってようやくナミは少しだけ落ち着きを取り戻し、男に続いて部屋に入った。


ナミの想像とは違って、ラブホテルの一室はごく普通の部屋だった。
クリーム色を基調として、妙に広い空間とダブルベッドはさておき、シンプルなインテリアは、ここがラブホテルじゃないと言えば誰もが信じるだろう。入り口のパネルには、赤一色の部屋や、ピンクの部屋、和室なんかもあったけれども。ゾロがここを選んだというのが、この男らしくて、ナミは胸を撫で下ろした。こんないかつい男にいかにも妖しげな部屋を選ばれたら、それこそ引いてしまう。

(それに・・・変な部屋で初体験なんて嫌だものね)

左右を見渡して、ナミは満足げに口元を緩めた。

ふと気付けば、男はポケットに無造作に突っ込んでいた財布を取り出してサイドテーブルに放り投げるように置いていた。そんな仕草すらも、ナミは頬を染めて目を逸らしてしまった。今からこの男に抱かれる。そのぶっきらぼうな男が、自分を抱く様を想像して、彼女の鼓動は早くなっていく。

「いつまでそこで突っ立ってんだ?」

振り返ったゾロが、その不機嫌極まりない声で言った。

(そ、そうね。やっと『大人』になれるんだから。躊躇ってちゃ駄目よね)

でも。

ちょっと、優しくしもらいたいもんだわ。

何たって初めてなのよ?

あ、そうか。コイツは知らないから当然よね。

言った方がいいかしら。

でも、言ったら・・・馬鹿にされそう。

せっかくここまで持ち込んだのに、処女なんか嫌だって言われたらそれでおしまいになっちゃう。

遊んでるように見せかけなきゃいけないわ。
今夜の事は、ただの遊び。
一夜限りの関係。
尾を引かないためにも、慣れてるフリしなきゃ。


「別に・・・あんたが、こういう部屋を選ぶなんて思ってなかったのよ」

「・・・アァ?てめぇ、俺の事どういう奴だと思って・・・」

「私、シャワー浴びてくる。あんたは?」

男の言葉を遮るように、少女はそう言って、スプリングコートを脱ぎ去ると、彼の顔を一瞥もせずにベッドの脇を通ってバスルームへと向かおうとした。だが、その震える足は、ゾロに腕を捕まれたせいで止まっていた。

「別に、シャワーなんか後でいいじゃねぇか」

ナミは呼吸も苦しいほどの胸の鼓動を抑えきれなかった。
ついさっきまで、マイペースを崩さなかったどこか呑気さが見え隠れする男の瞳に、それまで見せなかった『男』の影がちらりと見えたのだ。言葉が出ない。息を呑めば、それすらも胸の鼓動にかき消されて、一体自分が今どんな顔をしているのかすらもわからない。何か言おうとして、唇を微かに動かしたその時、男の顔が近づいてきたかと思うと、ナミはその唇を吸われていた。

初めは優しく。
そして、徐々に激しく。

ゾロがナミの唇を吸っていく。

ふっ、と息継ぎをしようとして僅かにその柔らかな唇を開いたとき、彼の舌がナミの中に入り込んできた。

それは激しく、乱暴に、ナミの口内を舐めまわし、歯列をなぞり、唇の裏の敏感な部分をくすぐる。
気付けばナミもそれに応えるように、彼の舌に自分の舌を絡み合わせていた。
二人の唾液が混ざって、静かな部屋の中に卑猥な音が響いて、ナミの耳を刺激する。


───眩暈がする。
あまりに激しいキスに。
キスなんて、初めてだけど。
こんなに気持ち良かったなんて・・・

コイツが上手いの?

慣れてる。

こんな風に他の女を抱いてきたの?




彼はナミの腰と頭に置いた手に力をこめて、彼女が離れることを許さない。
それすらも、自分を求める情熱の証とも思えて、ナミの胸はきゅん、とばかりに締め付けられた。



「・・・ン・・・はァ・・」

ようやくその激しいキスが終わった時、ナミの唇から、彼女自身が自分で聞いたこともない酷く色っぽい吐息が漏れた。まるでそれが合図だったかのように、ゾロは彼女の体を荒々しく抱き上げて、ベッドに横たえた。と、思えば、もうナミの上にその筋肉質な体を覆い被せてくる。両腕をナミの頭の横について、男は「本当にいいのか?」と訊いた。

(・・・だって、今日はそのつもりで来たんだから・・・)

自分に言い聞かせるように心の中で呟いてから、ナミはこくんと頷いた。

男が再び、今度は優しく、甘い口付けを落とした。
まるで好物を大切に食べるように、少しずつ、ナミの唇を啄ばんで、次第にその唇をナミの耳まで寄せていくのだ。

少女は、自分の背筋に味わったことのない感覚が走るのを感じた。
ゾロの舌が、耳を舐めまわす。
「・・・やッ・・・あ・・・」
その音に言いようのない快感が走って、彼女は天を仰いで、甘い吐息を漏らした。
体が熱くなっていく。男の舌が彼女のうなじを這って、浮き出た鎖骨を軽く吸った時、彼女の体はその刺激に耐え兼ねて、ピクンとふるえていた。

ゾロの吐く息が荒くなる。熱い息が胸にかかって、ナミは快感に酔いしれてしまう。
瞳を潤ませて、高揚した気持ちは頬を桜色に染めて、甘い声を漏らしている唇は、力なく微かに開かれていた。
そんな女の顔に満足感を覚えたのか、ゾロは彼女の揺れる瞳を見つめながら、そのしなやかな腕を覆っていたカーディガンを剥ぎ取るように脱がせた。カーディガンの下に着ていたのはキャミソール。現れた白く細い肩を男の唇が激しく吸うと同時に、ナミはゾロの手がキャミソールの裾から滑るように服の下へと侵入してきたことを感じていた。それは背中から。抱き締められた腕が這うようにして、背をなぞり、裾まで着て、汗ばんだ彼女の肌の上でまるで愛しそうにまた彼女の背をなぞり上げていく。
彼の熱い体温がナミの肌に直に伝わって、下腹部の奥がじんと疼いてナミは「あぁ・・・」とその快感を言葉にしてしまうことを止められなかった。自然とナミは身を捩ってしまう。捩るごとに、ゾロのその手は彼女の敏感な部分を探り当てて、一層、彼女に快感を与えていく。

彼の掌が彼女の豊満な胸を覆って、既に尖っていたその先端に触れた時、ナミはもう喘ぎ声を抑えることができなかった。
唇からどんどん漏れ出すその吐息は、ゾロの耳を刺激して、また彼の情欲をそそっていく。甘い声が部屋に響き渡るたびに、ゾロは激しい口付けを彼女の胸に落とし、ついに耐えかねたようにキャミソールをたくし上げた。既にゾロの手によって弄られていたナミの双丘は、下着も胸の下まで既に下げられていて、恥ずかしげに綺麗なピンク色に染まった乳首が彼の目の前に現れる。ゾロは食い入るような瞳でそれを見つめた。

「・・・そんなに、見ないでよ」
ゾロの下で、顔を真っ赤にしたナミがか細い声で言った。
「あァ?見なきゃ損だろうが・・・」
男は当然だ、とでもばかりに言って、それを舐めあげた。
舌でころころと転がされて、ナミの体が彼女の意思に反して艶かしく動いてしまう。
気付けば、ナミは胸元の男の頭をしっかりと抱いて、その名を呼んでいた。
切なげな声に、ゾロが言葉を返さない代わりとばかりに乳首を齧る。
ナミがその甘い痛みに眉をひそめれば、熱い吐息を吐くその唇で、また激しく彼女の唇を吸った。
それでもナミは、男に言葉を求めて「ゾロ」と呼んだ。

一夜限りでも、大切な夜だから。
一生の思い出にしたいんだから。
この夜を後悔しないために。
自分を抱く男に、少しでも愛情を感じたいから。

その鋭い瞳に、自分がどう映っているのか知りたくて、嘘でもいいから、今この時だけでも恋人の様に自分の名を呼んで欲しくて。

けれど、ゾロはその低い声でナミの名を呼ぶことなく、大きな手で彼女の太股をなぞっていった。

瞬間、ビクンとナミの体が小さく跳ね上がった。

彼の手が、自分の秘部に向かっている。
スカートの中に入れられた温かい手にナミの意識は集中していった。

それでも、奮えていた足を、誘うように片方の膝を立てて、その手に侵入を許していた。
ここまで来て拒むわけにはいかないのだ。



ここまで来て・・・───







彼の手が、ついにそこに到達しようとした時、不意にナミの大きな瞳から涙が零れ落ちてた。




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怖い、と思ったのだ。

その時初めて。

今から自分が導かれていくその世界に、足を踏み入れることが。

決して自分の名を呼ばずに事を為し得ようとする男が。

初めて、怖くなった。
男の節くれだった指が、ナミの太股をなぞった時、それはとうとう溢れ出していた。

ぽろっと出た涙は止まることも知らずに、彼女の眦から零れ落ちては髪を濡らし、シーツに落ちる。

「・・・嫌・・・」

ぽそっと呟いた自分の言葉に背を押されたように、ナミはようやくその恐怖を受け入れることができた。
その声を聞き逃さなかったのか、ゾロがふと動きを止めて、ナミの顔を見る。

「・・・やだ、やっぱりやだ・・・」

少女は唇を噛み締めて、その顔を両手で覆ったままに、力無く呟いた。

「・・・・・・怖いわ」

はだけられた胸を隠すことも忘れて、ナミの手で隠されたその瞳から何度も涙が落ちていく。その様を見ていたゾロが忌々しげに打ち鳴らした舌の音が、ナミの聴覚を刺激した。







呆れたような溜息が耳に届く。

ああ、どうせバカにしてるんでしょ。わかってるわ。

自分でもバカだって思うもの。

本当にバカだったわよ。

処女捨てたいからって焦って。
こんなとこまで来ちゃって。
挙句の果てには、泣き出しちゃって。
本当にバカそのもの。

だってね、怖いんだもん。

私だから抱くんじゃなくて、『女』だから抱こうとしてるゾロが。

やっぱり初めての人は、私を好きな人じゃないと駄目。
心が受け入れない。
体がこんなに彼を受け入れようとして疼いても。

一言、私の名を呼んでくれればいいのに。
一言、嘘でも「好きだ」って言ってくれればいいのに。

何て浅はかだったんだろう。
初めての日にそんな夢を抱いて、今日会った男にそれを求めるなんて。
できっこないのに。

ゾロが、私を好きだなんて、名前を呼ぶなんて、飲んでいた時点でわかってたことなのに。
なのに、何故かそれを彼に求めている自分がいるのよ。



「・・・ったく。ガキが無理するからだ」
「・・・・・・!?」

固く閉じていた瞳を開いて、顔を覆っていた手をどければ、いつしかナミを組み敷いていた男は彼女から離れて、腕組みして胡座をかいてナミを見下ろしていた。その手が急に動いて、ナミがびくりと肩を奮わせると、それは彼女の思っていたところではなく、ナミの下に敷かれていた白いシーツを持っていた。あられもない格好をしていたナミの上にぶっきらぼうにそれを乗せられて。ようやくナミは、彼が自分の姿を守るように覆ってくれたことに気付いた。

「大体、初めっから足震わせやがって。自分が初めてだって言ってるようなもんじゃねぇか。阿呆」

起き上がったナミがきょとんとした瞳でゾロを見つめる。
その視線に気付いて、男は困ったように頭をガリガリと掻いた。

「・・・気付いてたの?」

「そりゃ・・・」

しばし、沈黙が二人を包み込んだ。
ナミはじっとゾロの顔を見た。
男は少し眦を赤くして、ナミから逃げるように顔を背けている。
ついさっきまで彼女を激しく求めていた腕をしっかりと組んで、情熱を注ぐようなキスを落とした唇をナミに見せない。

「じゃあ、どうして?私、早く処女を捨てたかっただけなのよ。無理してるってわかってて、どうしてここまで来たの?自分のこと好きじゃない女でも、抱ければ誰でもいいの?」
「はァ?テメェそういうつもりで・・・道理で、偉く値踏みするような目付きだったってわけだ・・・」
なるほどな、とばかりにゾロが得心して頷いた。

(んもうっ!どこまでもマイペースな男ね!)
全然質問の答えになってない。
私が初めてだって気付いてたのに。無理してるってわかってたのに。
私が嫌がったらすぐに諦めるくせに。
最初からそういうつもりだったの?
私が嫌がったら、抵抗したらやめるつもりだったの?

それなら、初めから来なきゃいいのに・・・───

「だから、あんたはどうして?」

「・・・そりゃ、ちょっと脅してやろうと思ったというか・・・
 男を誘えばデキるとか考えてるような女にゃムカッ腹が立つし・・・
 テメェが無理して、そんな女ぶろうとしてやがるからいじめてやろうかと・・・
 大体な、テメェが結構ノッて来るから悪い。早く素直になってりゃいいものを・・・
 ・・・・・・って、おい?」

ゾロが言い訳するようにたどたどしい口調で言ってから、ようやくその瞳を彼女に向けた時、彼女は膝を抱えて、またポロポロと涙を流していた。
頬が緩んでいく。心底、安堵したのだ。軽はずみなことをして、過ちを犯すところだった。それに気付いたナミを強引に抱くことなく、すぐに手を引いたゾロの優しさがじわりと体中に広がっていった。自分を諭すためにここまで彼女の計画に乗ってくれた彼の優しさが心にじんと響いていく。抱かれなかったけど、でも、自分の男を見る目は正しかったと思えば、自然と口元が緩むのだ。次第に、足の震えも止まって、彼女は泣き笑いのままに「ありがとう」と小さな声で言った。

「・・・別に、礼言われる筋合いなんかねぇ。途中までは楽しませてもらったしな」

そう言って、男はベッドから降りて、サイドテーブルに置いてあった財布を無造作にポケットに突っ込んで、早々に出口へ向かおうとする。

「ゾロ・・・?帰っちゃうの?」
慌ててナミがシーツで包まれた身を乗り出せば、男が呆れ顔で振り返った。

「お前なぁ、これ以上俺がここにいてどうすんだよ?金はお前が払うんだろ?そんぐれぇは自分で始末しろ。」

「だ、だって・・・もう電車だって無いのよ?どうするの?」

「さぁな。どうにかなるだろ」

彼を引き止めたい。
この不器用で、優しい男をもっと知りたい。
もう一度、今度は自分を飾らずに彼と話したい。

ナミはいつしか彼の服を引っ張っていた。
体を包んだシーツがベッドから、部屋の入り口までずるりと伸びて、彼女の動きを緩慢にさせていると言うのに、一瞬の内に彼の服を掴んでいた。必死だったのだ。

「いいじゃない。ここにいれば。寝てけばいいでしょ?」

まるで駄々っ子のように、ナミは彼の服を引っ張っていた。
ゾロがじっとその手を見つめて、困ったように眉をひそめてから、優しくナミの腕を掴んでそれを引き離す。

「これ以上ここにいたら、マジで襲っちまうだろうが。あんだけ俺を誘った女が隣にいて、平気でいられるとでも思ってんのか?」

「別に、誘ってなんか・・・」

ツンッ

ゾロの指がナミの額を弾いた。

「あんなキスして」

ツン

「あんな声出して」

ツン

「あんだけ感じて」

ツン

「それが俺を誘ってるってんだ」

───ツン。

軽く弾いていた指が柔らかくナミの額に当てられた。

瞳を瞬かせる少女に、彼が笑いながら言った。


「せいぜい、テメェを大事にするようないい男でも見つけるんだな」



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