COUNT DOWN 2 「俺と同じ日に来る女?」 店主の話はBGMにはちょうどいいが話の内容に対して興味があるわけでもなく、いつもは大抵聞き流す。 だが、その話は俺の興味を引いた。 鼻の長い店主は焼き鳥を乗せた皿をカウンターに置くと、「おぅ、あんたよりちょっと前からこの店に来てるナミって常連なんだけどな」と言うと、「いい女だと思うぜ。口さえ開かなきゃな」と付け足した。 「その女が何だって?」 「だからよ、それが不思議なんだよなァ。ゾロ、お前知んねェか?駅前で働いてる・・・どうもOLらしいがさすがの俺様もそこまで詳しくは聞いてねェ。あ、いや、俺に聞いたって言うなよ。俺だってお前だからこうやって話してるがな、普通は他の客の話をぺらぺら喋るようなことは・・・」 そりゃそうだろう。 この店には足繁く通っているが、今まで他の客の話を聞かされたことはない。 このお喋りな店主が、俺が来る前から来てる女の話をこの数ヶ月黙っていただけでも大したもんだ、といらぬところで感服していると、どうも長いこと我慢していたのか堰を切ったようにウソップが話し始めた。 「ナミが来る日はあんたも来る。あんたが来る日はナミも来る。しかも、飲む酒はいつも一緒でキープせずにその場で飲み干してくとこまでそっくりと来たもんだ。初めはあんたら絶対ェ知り合いだってチョッパーとも言ってたもんだぜ。なぁ、チョッパー」 大学生のアルバイトは、店主の言葉に顔を上げてその大柄な体に似合わず「うん」と小さく頷いた。 「俺、絶対二人は付き合ってるんだと思ってたぞ・・・思ってました、ぞ?・・・・お、思ってました。」 言ってから客の俺に対して敬語を使う。 面倒だから別に敬語じゃなくてもいいんだが、タメ口でいいと言う前にウソップが「チョッパー、コイツはもう既に俺の親友だ。他のお客様にゃ敬語は絶対だがな、コイツには別に改まる必要がねェ」と胸をそらした。 いつ俺がこの店主の親友になったのかはわからんが、2〜3日おきに顔を見てれば馴染む感覚はある。そういうことにしといてやるかと黙ってることに決めて、酒を一口含んでから「そりゃ変わった話だな」と話を続けた。 「だろ?俺も客商売は長ェけどこんな事ァ初めてだ。髪が明るくて、オレンジ色でよ。スタイルは抜群でな。顔も可愛いんだが酒はゾロと同じぐれェ飲むし、しかも鼻っ柱が強い。何を言っても俺をやりこめるあの口にゃさしもの俺様も10回に一度はぐぅの音も出ねェことがある。」 あんたの穴だらけの話じゃ、口が達者な女にゃ10回中10回やり込められてんじゃねェか。 「何で俺と同じ日に来るのか知ってんのか」 「知らねェから不思議なんだよなァ。ナミもお前のことなんか知らねェっつってたしな・・・・そういやお前のこと自分のストーカーじゃねェかとか言ってたぜ」 「・・・・・・・・・誰が?」 「お前が。ナミの。」 「冗談じゃねェ」 「そりゃでもしょうがねェ。ここまで偶然が重なってくりゃ、必然にも思えるってもんだ。もうこうなりゃ運命だな。どうだ、ゾロ。今度会ってみねェか?」 へェ・・・・そりゃ会ってみてェな。 口に含んだ酒を舌の上で転がしもせず喉を通らせると腑に染み渡って心地良いせいか、ぽつりと漏らすとウソップは真に受けて「だろ?!」とカウンターから身を乗り出してすぐ、熱気に焼けた手を抑えて「アツツツッ!」と叫んだ。 チョッパーは狼狽しきって「だ、大丈夫か?!」とウソップの傍らで声を掛けながら氷を取り出しておしぼりに包んだ。店主より余程気が利いたバイトだ。 ふぅふぅと赤くなった手に息を掛けたり、チョッパーから渡されたおしぼりを当てたりと繰り返した後でウソップは「だからな」と切り出した。この男、口を開くことを堪えきれないらしい。 「どうだ、この店で待ち合わせして会ってみねェか?」 「その女とか?」 「おぅ、ナミには俺から話付けとくぜ。ナミの奴興味ねェって顔してっけど、ありゃ脈有りだな。俺様にはわかるのよ。何せ客商売が長ェからな。俺様が初めて働いた店じゃ───」 「脈有りも何もねェだろ。まだ会ってもねェ奴相手に。」 「女なんてェのはそういう偶然とか運命ってのが好きな生き物だぜ、ゾロ。お前、何でも悟った顔して女の事は疎いな。よし、ここは俺様が享受してやろう。その名もウソップ様の恋愛ハウツー講座・・・・・・おい、笑ってねェで聞け!」 不意に店主が必死な様が滑稽に映って、笑みが漏れた。 あぁ、悪い、悪い。 そのハウツーとやらを聞いてやってもいい。 俺の人生に役立つことはねェだろうが。 「けど、いい。」 「───うん?何の話だ?」 「その女と会うってェ話だ。こんだけ偶然重なってりゃその内顔も拝めるだろ。」 「出会いも偶然か。ゾロ、テメェも案外ロマンチックな奴だったんだな。」 「ほざいてろ。」 そんな会話をしたのが確か半月ほど前だ。 チャンスは案外早く来た。 今日は外回りの仕事が朝から入っていた。 寒ィ中歩き回ってりゃ、一緒について歩いてた同僚にゃ迷子になりてェのかと散々こけにされ、指先はかじかんで一向に体の芯から寒気が抜けないもんだから家に直帰する前にこの店に来た。 お粗末な看板を掛けた店のドアを開けるとウソップ一人が居て座る客の少ないテーブルを拭いていた。 熱燗を頼んでカウンターの低位置、店主の眼前に座る。 ここが注文の手間が省けて丁度いい。 会社のホワイトボードには直帰の文字を書いた。 こんな時間なら本当は会社に帰るべきなんだが、それをしたら今日も残業で酒を飲む時間も持てないのが目に見えて明らかだからと同僚が俺も直帰するからお前も直帰だ、と勝手にその文字を書いたことが夕方にもなりゃ有難い。 とっくりの酒が半分ほどもなくなった時、ふとウソップが「ゾロが来たってことは、今日はナミも来るかな」と呟いた。 なるほど。 この店主の頭にはその図式が出来上がってんのか。 ・・・・・・・驚くのはそこじゃねェか。 つまりそりゃ、今日ゆっくり腰を落ち着けて飲んでりゃナミってェ女の顔をついに見られるってわけじゃねぇか。 「そりゃ確かか」 「さぁな。けど今までのパターンから行くと来るだろ・・・って、ゾロ。あんたも会いてェのか?」 「言っただろ。見れるもんなら見てみてェってな。」 聞いてねェ聞いてねェと二度言って、首をぶんぶん左右に振ってから、ウソップは「お前も隅に置けねェな」とうひひっと笑った。 「じゃあ今日はゆっくり飲んでけよ!俺が奢ってやるぜ。もし二人が会えたならな」 「どんだけ飲んでもいいのか」 そりゃ有難ェ。 言うと、ウソップは俺の手に持たれたとっくりを見て、しまったと口を塞いだがすぐに「・・・お、男に二言はねェ!」と言い切った。 じゃあ大吟醸でも頼むかと思ったところで、スーツの胸ポケットの中身が震えた。 見れば会社の社内専用番号が通知されている。 この時間に直帰とホワイトボードに書いてあっても携帯電話が鳴らされるということは、会社に戻れというサイン以外考えられない。 どうもそのナミって女と俺はよくよく運がないらしい。 ───いや、あるのか。 同じ店に通う運はぴたりと一致しているが、顔を合わせる縁がねェのか。 「さっきの話はなしだ。会社に戻る。」 「なんだ。仕事か?おいおい、そりゃないぜ。期待させといてよ。」 「悪ィな」 「あ、じゃあよ。仕事済んだらまた来いよ。ナミが来てるかもしれねェ。お前が夕方に来た日にゃ大体8時か9時に来るからな。どうだ?」 「口が悪ィ女と俺をそんなに会わせてェか」 「そりゃそうだ。結婚式の二次会でこの店使ってもらいてェしな。」 「どこまで話が飛んでんだよ。」 けどまァ、奢りがかかってるなら話に乗ってやらないでもない。 「その女、引き止めとけよ。」 言うとウソップは相好を崩してこのウソップ様に任せろと自らの胸板をどん、と叩いた。 「奢りも忘れんな」と付け加えると、店主は胸板を叩いた拳をそのままに笑顔を引き攣らせた。 * * * 「あ、悪ィ」 信号を渡る最中、ぶつかった女に軽く謝ったが、ようやく仕事が終わった頃には時計は9の数字をとっくに越していて、こりゃ今日はもう駄目かもな、と心中で呟きながらもやはり期待を拭うことは出来ず、店の方角、足を向ける方へと真っ直ぐに視線を向けていたから、言葉とは裏腹に立ち止まることを惜しんで振り返りもしなかった。 オフィス街は3ブロック先の駅前まで行けばそれなりに店は多く連なっているから終電近くまで人いきれが絶えることはないが、この辺りは既に閑散としていて、人にぶつかることも多くはない。 昼間なら鬱陶しいほどに正面から歩いてくる奴とぶつかってばかりだからいちいち謝ることも面倒になったが、そこはお互い様で向こうも謝ろうとしないから気にも留めない。 だが、今渡っている横断歩道の真ん中で他人に肩をぶつけたのは己自身が急いていたことも事実で、無意識に謝った。 背中に「いいえ」とやはり向こうも急いでいたのか走っていく足音に混じって一応とばかりに漏らされた女の声が聞こえた。 信号を渡りきって数歩歩けばウソップの店のドアがある。 開くと、ドアは大きな音を立てて店内に居たチョッパーとウソップが全く同時に俺を見た。 「「ゾロ!」」 予想を遥か超えた大声で俺の名前を呼ぶと二人は一斉に「今来てたんだぜ」だの「急用が出来たって、家に帰らなきゃとか」だの「俺様は引き止めたんだけどよ、どうも母親になんかあったらしい」だのとまくしたてて、それで大方の事情は飲み込めた。 「つまり、帰っちまったってわけか」 何だそりゃ。 あぁ、クソ。阿呆か、俺は。 仕事を早く終わらせてここまで、走ってきたわけでもねェが、いつもよりゃ多少速く歩いてきた。 らしくもねェ、と我に返って「酒。」とチョッパーに注文すると「たった今だぞ」とチョッパーはドアの外を指差した。 「ナミ、たった今出てったんだぞ。外で見なかったのか?」 「見なかったな。今日は運がなかったんだろ。」 早々に諦めていつもの席に座ると、どうも座面が生暖かい。 「・・・・おい、まさかそのナミって奴、座るとこまで」 「同じだ。」 大きく深く頷いたウソップは「マジでお前ら、何でだよ」とまるで我が事のように大仰な仕草で頭を抱えてみせた。 「ここまで行動が重なってんのに、何で会えねェんだ?・・・はっ!ま、まさか二人が会っちまうと何か起こるんじゃねェか!忌まわしい出来事が・・・!」 「・・・・・・・・・阿呆か。」 長い鼻の先まで青ざめさせたウソップを軽くいなして何気なく手元にあった猪口を手に取った。 目の前に猪口がありゃ持っちまう、癖だ。 この店にゃこんな女が好きそうなピンク色の猪口も置いてあったのかと口を付けようとして、そういや俺が頼んだ酒はまだチョッパーが用意している最中だと思い出す。 唇が縁に触れるか触れないかでこれは『ナミ』という女が飲んでいた酒だと手を下ろした。 ウソップはぶつぶつ呟きながら考え込んでしまっていて、俺の行動には気付いていない。 チョッパーもまた、俺に背を向けて熱燗の用意をしているから見てはいなかったろう。 背中に目が付いてるってェなら話は別だが。 かたりと軽い音を立てた猪口をじっと見下ろしていた。 まだ中に入っていた酒が波紋を呼んで揺れた。 (・・・・・さっきの女) よく見ちゃいなかったが、ついさっきここを出て、もし駅に向かったんだとすりゃ俺とすれ違っていただろう。 人通りは少なく、女の影と言えば、さっきぶつかった女しか思い出せない。 気が急いて見逃していたのかもしれない。 だが、あの女の声がやけに頭から離れない。 家で何かあって急いでたんだとしたら、ぶつかった女も俺と同じように小走りに駅の方へと走っていったのも頷ける。 「おい」と声を掛けると、チョッパーが徳利を持って振り返った。 「そいつどこに住んでんだ。」 「ナミか?俺知らねェ。けど電車の時間気にしてるからこの辺じゃねェと思うぞ。」 追いかけようかと一瞬、そんなことが頭を過ぎらないでもなかったが、どうも馬鹿馬鹿しく思えて腰を上げる気が起きなかった。 ピンク色の猪口の中、ゆらりと揺れた酒は今はもう静まって水面に光を反射していた。 真正面から来た女の、見てもいない顔をその中に映し出そうとしたが、何も浮かんでこねェ。 チョッパーが酒を運んできて、女が置いてった徳利と猪口と皿も箸もまとめて片付けてった。 俺のために置かれた猪口に酒を入れて、また水面を覗こうとしたが、微かに立ち上る湯気が邪魔して何も見えはしなかった。 |
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