COUNT DOWN 6 「来るかな、ナミ」 そわそわと何度もドアを見ていたチョッパーの考えていることは、同じ素振りを見せたウソップや、カウンターで酒を飲んでいたゾロの目にも明らかで、彼がそう呟いた時二人はやっぱり言ったか、と内心で受け止めた。 「アイツも家のことがあるらしいからな。ゾロ、落ち着けよ。なぁに、今日がダメでもまた別の日があるさ!」 ハハハッと明るく笑い飛ばしているようでウソップはどこか自信なさげにすぐに笑い声を収めると、「別の日がダメなら、また別の日にすりゃいいしな」と溜息をついた。まるで当のゾロに申し訳ないと思っているようにも見えて、ゾロは苦笑いをせずにいられなかった。 「阿呆。そこまで会いてェわけじゃねェよ。気にすんな」 声は余裕を含めて半ば軽い。 それだけに、ウソップは流れる時を刻む時計を祈るような気持ちで見上げた。 毎日通っていたゾロが一週間来なかったのは、もしかしたらそれなりに思うところがあったのではないかという気がしたが、彼は今夜は待ってみるかと言う。その潔さがまたウソップは不安に感じられて、心の中でナミ、早く来い、と何度も呟いた。 チョッパーにしてみても同じだろう。 こんなに機嫌良くナミを待つと言うゾロの姿を見て、しかも一週間前終電の時間までこの男を待っていたナミの姿は今もまだ記憶に新しく、同じ席に座って出入り口をちらりちらりと見ていたあの日のナミに、今日はゾロがその場に座って他の誰でもない、ナミを待ってるんだという事実をナミが知ったらどんなに喜ぶだろうと期待している。 もしかしたらナミはいつもの口ぶりで会いたいなんて誰が言ったのよって怒るかもしれないけど、でもナミはきっと内心で喜ぶと確信している。 頬を赤くするかもしれない。 自分たちの前ではたまに冷たい態度もしてみせる女だけど、ゾロの話を聞いている時、興味ないわよって顔をして聞き耳を立てている。 だからそんなナミにゾロを早く会わせたい。 ゾロにしても、気にならないと言う割に一度会えると思った日に会えなかった為かナミを気に掛けている気がする。 それはナミよりも分かり辛いし、ゾロは見やるということはほとんどないけれど、それだけにじゃあ会ってみようかと言った彼の言葉は、彼の本心なのだとウソップとチョッパーは直感的に悟って、ナミに引き合わせたくなった。 本当はもっと前から、二人がお互いにどんな興味を示しているかという事とは関係なく、二人の偶然に首を傾げていたチョッパーとウソップは、この二人が出会ったらどうなるんだろうという好奇心を持っていた。 今は好奇心だけではないけれど、何故か会えるかもしれないという日からすれ違ってばかりの二人をとにかく何としても会わせたい。 ウソップが見上げた時計をチョッパーもまた見上げると、時刻は11の数字を越していて、ナミが終電に乗るためにはこの店を0時少し前に出なければならないから、今夜はもしかしたら駄目なのかもしれないという気持ちが膨らんでしまう。 互いに会いたがっている二人が、今夜もまたその機を逃してしまうのかと思うと残念でならず、チョッパーが大きな体に似つかわず小さな溜息を漏らした時、店のドアが軽い音を立てて開かれた。 「さっむいわー!チョッパー、熱燗!この前のお酒っ!」 開いたドアからひゅうと突風が舞いこんで、一瞬店内に寒風心地良く3人の肌をなぜた。 狭い店内に響き渡った声にウソップとチョッパーが瞬時に喜色ばんだのも無理はない。 * * * 朝のラッシュはすごい。 毎日乗ってるけど、すごい、と感じる。 少し気を許せば鞄が人ごみに浮いてしまうから、鞄はいつも胸元で持ってなきゃいけない。 それから痴漢なのか痴漢じゃないのか良くわからない姑息な痴漢も多いから、油断できない。 なるべくそういうことはしないような人の傍に立って、四方八方から押されて浮きそうになる足をどうにか床に付けて、あぁもう嫌だと思った頃に、ようやく目的の駅に着く。 大抵喋っている人は居なくて、押し合っているのに車内は沈黙の方が煩いぐらいなのだけど、今朝はどうも同じ会社の上司と部下らしき男性二人が声を交わしているから、その声が車内に響いていた。 もちろん、当人たちは声を抑えているつもりなのだろうけど、皆が口を開いてなかったら彼ら二人の声が浮いてしまっても仕方ない。 それを煩いとは思わないし、むしろ頻繁に遅延する電車の時刻以外に朝の通勤途中気を紛らわす手段はないから、暇つぶしに耳を欹てた。 周りの人たちも何気なく彼らの話を聞いてはいるのだろう。 しんと静まり返った中、話を続ける二人は、どうも昨晩上司の家の近くで飲んで、部下が上司の家に泊まったから今は一緒に通勤している、という具合らしく、部下らしく敬語を使っている若い男性があの家はどこに頼んで作ったんですかとか、すごくいいお家だったとか、上司の新築か改築された家を一頻り誉めた後に話題に事欠いたのか「そういえば」と切り出した。 昨夜飲んだお酒は本当に美味しかったですね、と言う。 上司もそれに頷く素振りを見せて、あの地方の蔵元というのは、と薀蓄を語り出したけれど、そのたった一つの会話がナミの耳に強く残っていた。 満員の電車から降りてようやく人心地ついても、美味しいお酒という言葉が頭から離れない。 会社に入ってタイムカードを押してもやっぱり離れない。 うっかり、クライアントからの電話を取った時に「美味しいお酒」と呟いてしまいそうになったほど、離れない。 昼食を食べながら、コンビニで買いに行っても自分だったら酔うわけじゃないし、あぁでも匂いでわかるから、と思ってしまったほどにどうも美味しいお酒という言葉が離れなくなってしまっている。 夕方に給湯室でお茶を入れながらこれがお酒だったらどんなにいいだろうと思った。 母に月末で忙しいと言った言葉は確かに嘘じゃないんだけど、あの日からウソップのお店に行くことがどうしても出来なくなった。 ゾロって奴は来ない。 数日、お弁当をやめて昼食は会社の近くのコンビニで買って、その都度ゾロって奴の会社も近くにあるようだし、会えるかもしれないと期待が勝っていたけれど、それらしき人物は一度たりとも見なかった。 4日目にはもうそれをする気力もなくなって、だって、あんまり期待してた自分がバカみたい。 期待を膨らませた分だけ探す楽しみもあったけど、自分の中でそんな期待は無用だったんじゃないかという疑念が生まれると途端に探す自分が馬鹿馬鹿しく思えて、ナミはまたお弁当を持参するようになった。 もしかしたら私があの店に行かないから、そいつが来てるかもしれないわね、なんて気持ちまで出てきてしまう。 だけど、今朝耳に入ってきた言葉は途端にウソップのお店で呑んだあの上等なお酒と、それから忘れようとしていた期待と、ウソップの焼き鳥の味を思い出させてくれたものだから、困ってしまう。 他のお店に行ってもいい。 ウソップの店に行くようになる前は、他にも色々と美味しいお酒を出すお店を知っていて、その日の気分で今日はこのお店に行こうと決めていたものだ。 だけどあのお店の居心地の良さと、味を知ってしまったら他のお店に行く気分にはならなかった。 残業が終えて終電まで少しでも時間があったら行こうかな。 ゾロって奴が居なくてもいいわ。 ───居てもいいけど。 あ、いけないいけない。 居てもいいってことは、彼が居ることをほんの少しでも期待してるってことになるわ。 そういう事はもう忘れて、だから、ゾロって奴のことは聞かなかったことにすればいいのよ。 「うん、決めた。行く!」 冬の夕暮れはとっくに過ぎて、真っ暗な空を窓越しに見上げながらナミは「美味しいお酒のために!」と自身に言い聞かせた。 * * * 「ナミ、待ってたぜ!」 ナミが店内に居る男に気付くよりも早く、ウソップがそう叫んだ。 常連の来店を喜ぶ声というよりは、本当に大きな声で叫んでいるという具合で、ナミは何よと眉を顰めかけてはたとカウンターに座っている男に気付いた。 緑の髪。 スーツを着て、お酒を飲んでる。 こっちからは見えないけど、左耳にピアスが三つ付いているのかしら。 ───あ。本当に私が注文する料理と全く同じお皿が並んでる。 串を何食べたかまではわかんないけど。 でも、多分同じなんじゃないかしら。 多分よ。多分。 でも、じゃあ、こいつが・・・・─── ちらっとウソップを見ると、ウソップも、その向こうで顔を覗かせたチョッパーもへへっと笑った。 「ついに二人が会えたな!ゾロ、これがナミだぜ、ナミ!」 「ウソップ!人を物みたいに・・・・」 「まぁまぁ、そんなとこで突っ立ってねェで座れ!な、ほら、チョッパー酒だ、酒!」 人の言葉を耳に入れようともしないでウソップは至極上機嫌にそう言うと私の好きな串を用意し始めた。 間近で顔を見たい気もするけど、ウソップとチョッパーの口ぶりじゃまるで私がゾロって奴に会いたくて会いたくて仕方ないみたいに聞こえているかもしれない。言っとくけど、私は美味しいお酒が飲みたいから来ただけで、別に今日ここに来れば会えるかもなんて思ってたわけじゃないのよ。 ───ということを、この背中向けて座ってるだけの男にわかってもらわないとね。 皆には聞こえないように喉の奥で小さく咳払いをして、カウンターへの数歩を歩き出したら、右足を出そうとしたのに左足もつられたように一緒に出てしまって、左右のバランスが崩れた。 床のタイルに爪先が引っかかって、きゃあ、と悲鳴をあげるとナミはころびかけた先で手に触れたものについ力をこめた。 耳に熱ぃ、と言った男の声が聞こえて慌てて顔を上げると、自分の手はカウンターに座っていた男の肩に置かれている。 咄嗟に加えた力に彼の手が揺れて、持っていた杯から熱いお酒が飛び出たのだろう。 酒に濡れた手を無造作にそこに置いてあったおしぼりに当てて軽く拭いた男は初めて私を見た。 (こいつが、ゾロ・・・) へ、へぇ・・・思ってたより・・・─── 目付きが悪い奴ね。 とても好青年には思えない。 ウソップとチョッパーは怪しい奴じゃないって言ったけど、どっからどう見ても前科が一つはありそうな顔してるわ。 「手ェどかせ。」 しかもいきなり命令口調。 何なの、コイツ。 私が何したって言うのよ。 あ、手にお酒掛かっちゃったわね。 ごめんごめん。 「男なんだからお酒が掛かったぐらいで騒がないでよ。」 謝ろうと思ったのに、口からはこんな台詞しか出ない。 だって仕方ないじゃない。 そんな喧嘩腰の顔で睨まれたら、誰だって素直に謝ろうなんて思えないわよ。 「あァ?テメェ、人に迷惑かけといてゴメンの一言も言えねェのか」 「ごめん。謝ったわよ。ほら、とっととどいてちょうだい。そこ、私の指定席なの。」 「て・・・・・おい、ウソップ、まさかコレが俺に会わせたがってた女じゃねェだろうな」 「・・・・・・・・・」 ウソップはふいっと視線を逸らして口笛を吹いた。 ゾロが剣呑な目付きを今度は自分に向けて、ゾロの言葉と同時にナミも自分を見ている。 二人に口で勝てる自信はさらさらない。 ここはとりあえず聞いてなかった振りをしようとそっぽ向くと、ナミがいつものように「いいからどきなさいよ。あんた女に対して席を譲る優しさもないの?」とゾロに突っかかった。 「生憎、生意気な女に優しくしようなんてェ広い心の持ち合わせがなくてな」 チョッパーがナミの酒とおしぼりをトレイに乗せてたたっと駆け寄ると、「まぁまぁ」と二人に声を掛けた。 今日はナミの方が遅かったんだからな、と場を取り成してゾロの隣席の椅子を引いてどうぞ、とナミを促すとナミはようやく渋々ながらコートを脱いで腰を下ろす。 チョッパーはさも嬉しそうに酒を置くと「良かったな!」と二人の背に向かって言った。 「何が良かったのよ」 「ゾロも、ナミも、会えて良かったな」 「「冗談じゃ・・・・っ!」」 ない、ねェ、と二人の声が重なって、ゾロとナミははたと言葉を引っ込めて顔を見合わせたが、すぐにお互いの顔から目を逸らした。 チョッパーはそんな彼らにまた一つ笑みを零すと、カウンターの内へと戻っていった。 ウソップが冷蔵庫を開ける振りをしてチョッパーの服を引っ張り、その扉の影で「空気読めよ」と懇願するように言うと、彼は不思議そうに首を傾げた。 「何でだ??ウソップ・・店長は嬉しくねェのか?やっと二人が会えたんだぞ!」 「しっ!馬鹿!声がでけェ!いいか、ゾロとナミだ。ああ、俺は二人のキャラってもんを考えてなかった!あの二人が揃えばこの店に嵐が巻き起こる・・・───かもしれねェ!」 「そうかなァ。」とチョッパーはのどかに言い放って、「でもナミ、顔が赤かったぞ」と付け足した。 狭い店内にチョッパーの声はBGMよりも大きく響いて、彼の言葉にウソップも、ゾロも一斉にナミを見た。 「何見てんのよ!バカッ!ウソップ!料理!早くっ!」 はは、と隣の男が笑った。 |
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