333HIT踏んでくださった迦葉ゆえ様に捧げます。
依頼ファイル5:クラシック



4




「テメェは・・・パウリー、だったか」

ナミの細い腕をその腕に絡めさせた男に、殺気のために深い輝きを帯びた翡翠色の瞳を向けて、ゾロが言った。

ウソップの推理は正しかったのだ。
ゾロにしたって、今は体育学部とは言え、一般教養科目が多いからまだ私服でいることが多いが、ナミは体育学部の学生を思い出すようにしてuあんたは絶対ジャージばっかり着るようになるわね」と愚痴るように言っていたことがある。
ジャージで構内をうろついて、ジャージでそのまま帰ってる先輩がいるのだとナミが傍らで聞いていたウソップとチョッパーに付け加えた。

『私の彼氏がそんなんじゃ困るわ。ゾロ、あんたに言ってるのよ、ちゃんと約束して。ジャージオンリーの生活なんて送りませんって』
そう言って、ナミは強硬に約束を取り付けた。
ゾロは面倒そうに、けれども周りに仲間達がいたからだろう。
その話題をすぐに切り上げたくて、渋々とはいはい、なんて返事をしていたのだ。



そんな事もあって、ウソップはルフィからこの男の着ていたものを訊いた時、電車から数駅離れたこの駅前でもそのジャージを着ているということは、Xは体育学部に違いない、と思った。


「ゾロ、知ってるのか?」
ルフィが首を傾げて訊けば、ゾロは殺気だった視線を男から外すことなく「俺の学部の講師だ」と答えた。



「ナミ、そいつから手ェ離せ」

きつい口調で、命令する。

人ごみの中、彼らを覆う空気だけが張り詰めていた。

ナミは、だが、その空気すらも感じていないかのようにふっと笑った。

「聞いてたんでしょ?私はもうコイツと付き合ってるの。あんたに命令される覚えはないわ」

「・・・何、言って・・・テメェ、一体どういうつもりだ?」

怒鳴ってしまいそうになる衝動を、必死で抑えているのだろう。
それはウソップやチョッパーの目から見ても明らかで、ゾロは握った拳に力をこめて、それを震わせていた。

「どういうつもり?こういうつもりよ」

男の怒りを買うとわかっているはずのナミが、パウリーと呼ばれた男の腕にしがみついた。
瞬間、その豊満な胸を押し付けられる形になったパウリーが顔を朱に染めて、彼女から逃げようとしたが、女の手がぐっとそれを掴んで逃げることを許さなかった。


「あんたなんて、大ッ嫌い。前から言ってるでしょ?私たち、うまくいくわけなかったのよ。パウリーの方がずっと私に優しくしてくれるわ。あんたみたいに好きの一言も言わないなんて朴念仁じゃないしね。ねぇ、パウリー?」

「・・・はァ?!お前、何を・・・ッ・・・あ、いや・・・まぁそうだ」

慌てふためいた後にパウリーは落ち着きを取り戻したのか、ナミの言葉を肯定した。

「だから、もう・・・」

ナミが言いかけた瞬間に、彼女の腕から逞しい腕が離れていった。

一瞬の事態に息を呑んで隣に目をやれば、パウリーの大きな体がアスファルトの上に倒れている。
ナミは慌てて彼に駆け寄って「何するの!?」と大声で叫びながら拳を払う男を見上げた。

金色のピアスが五月の陽射しを受けて眩い光を反射させる。
ナミはそれを見るのが好きだった。

彼の顔をじっと見る。

不機嫌そうに潜められた眉が次第に緩められていった。

(そうよ、あんたなら気付く筈でしょ?)

心の声は届いただろうか。
いや、届くと信じて、この計画を遂行しているのだ。
自分が疑ってしまっては、全ては水泡に帰す。
ナミはそんな思いを胸に彼を見ていた。

一変して真摯な瞳が、ナミを捉えて、だがその後にゾロは何も言わずにくるりと踵を返して、その場を去った。


見ていたルフィ達もしばしナミを見た後で、別れの言葉も告げずにゾロの後を追うようにして、人ごみの中に消えていった。





******************





「ゾロ!待てよっ!!」

すたすたと歩いていく男の背に向かって懸命に呼びかける。
だが、男は振り向くことすらも忘れたかのように前へ前へと進んで行った。

「なぁゾロ。どこに行くんだ?」

小走りになってようやく追いついたゾロを横から見上げてチョッパーが訊いてから、ようやくゾロは立ち止まって辺りに目を配ってから「家に帰る」と小さく呟いた。

「・・・反対だぞ」

追いついてきたウソップが当然のごとく家とは遠ざかっていっていた男にその真実を告げて、ようやく彼らは正しい帰途を辿ることになった。


細く長くのびた川沿いの土手を歩いて行く。

ゾロだけはしっかりとした歩調で、ウソップとチョッパーはトボトボと、そしてルフィはそんな仲間達の後ろで土手を滑り降りては上って、彼らに駆け寄り、追いついたところでまた土手をすべり台にして遊びながら、彼らは歩いていた。


土手の下の道から、車のクラクションが鳴って、三人が同時に下を見下ろせば、そこにはサンジの車があった。






「クソミラクルだぜ。お前が駅まで行けたなんてな。てっきり家の周りを迷ってるかと思って、この辺を探してたってのに・・・」

無駄足だった、とブツブツ呟いて、サンジが皆の紅茶を淹れた。

出された温かい飲み物に、一同が口をつけたところで、ロビンがおもむろに口を開く。

「それで・・・ナミさんには会えたのかしら?」

「あぁ、会えた」

その質問に答えたのは、黙りこくっていたゾロだ。
意外にも何の怒りも見えない声音であっさりと言ったゾロに、ウソップとチョッパーを目を見合わせて首を傾げた。

てっきり彼はまだ怒っているのだと思ったのだが・・・───

「けど、ゾロはやっぱ強ぇな。アイツを一発で吹き飛ばすんだもんな」

「アイツ・・・?」
サンジがようやくロビンの隣に腰を下ろして、事態の顛末に耳を傾けた瞬間に言い放たれた代名詞は、およそ女性に対するようなものではない。

「じゃ、ナミさんはやっぱりどこぞのヤロウと一緒にいたってのか?」

「どこぞのヤロウじゃなくって・・ゾロ、名前何だった?」

「パウリーだ。俺の大学で体育学部の講師やってる」

「そうだ。ソイツをゾロがぶん殴ったんだ!」

ルフィが簡単な言葉で説明する横から、チョッパーとウソップが丁寧な説明を付け加えたおかげで、サンジとロビンがようやく得心したように頷いた。



「ナミさんは・・・どうだったかしら。」

ウソップとチョッパーはう〜んと首を捻った。

「いつもとは、確かに違ったな。何て言うか・・・ロビンの言う通りだった。芝居がかってんだ。"X"も妙に慌ててやがるしな。ありゃなんかあるぜ。」

名前を知った後も、初めて見た時に心の中で呼んだ名前というのはそうそう払拭できるものではない。
ウソップは彼を"X"と呼んだ後に慌てて「あ、パウリーって奴のことだ」と言い直した。

チョッパーも言う。

「ナミ、おかしかったぞ。怒ってたって、あんな事は言わねぇし・・・ゾロとも前からうまくいかなかったとか言ってた」

その言葉に、一人、所在なさげに頭を掻く男がいた。
男はしばし間を置いてから少し躊躇うように言った。

「・・・まぁ・・・ありゃ演技だろうな」

「ゾロもわかってたのか?」

「ったりめぇだ。わからねぇわけねぇだろうが」

「・・・けど、じゃあ・・・何で殴ったんだ?」

くるくるっと丸い瞳を不思議そうに瞬かせてチョッパーが訊けば、ゾロはしばし口を微かに開いて天井を見上げていたが、その言葉以外に思いつくものもないのだろう。きっぱりと言い放った。

「いくら演技だってやっていいことと悪いことがある」




つまり、嫉妬したのだという言葉と全く同じ意味だ。

一同は苦笑まじりにゾロを見た。


視線が彼に集まる。

それを受けて、苦々しげに顔を歪めたあとで「とにかく」と男は皆の眼差しを振り切るように言った。



「アイツにも何か思うとこがあるのは間違いねぇ。俺らに言ってる事も全部嘘ってのもな。あんだけわかりやすい演技してんのは、それを俺らに暗に伝えてるんだろう。あの女が本気で演技して、お前ら見抜ける自信あるか?」

仲間達がふるふると首を振ったのを見て、ゾロは満足げににっと口の端を上げた。

「だろ?第一、昨日ルフィに会ったのと同じ場所にまた今日も現れた。アイツの言葉が本当なら、アイツだってこの街に、しかもルフィと会ったあの駅前に今日もまた来るわけがねぇ」

「と、いうことはだ・・・」と、一端区切りを置いて、ゾロが続けた。


「『関係ない』とか『近づくな』って言葉も反対の意味で使ってんじゃねぇか」




「・・・───じゃ、ナミは俺たちに助けを求めてるってことか?」

ウソップが言えば、ルフィがにっと笑った。

「そうじゃなくってもいーさ!
 俺たちが動いてるのは、これがゾロの依頼だからだっ!
 ナミが帰ってくるまで、俺らは諦めねぇ!」



一同、定まった目標に笑顔を見せた。





******************





「良かったのかよ?あれで・・・」

濡れたタオルで口の端を抑えながら、窓辺で本を読む女に声を掛ければ、女は「いーのいーの」と軽く言って、手を振った。

「私より、あんたこそ災難ね。まさかゾロがあそこまでするとは思わなかったんだけど・・・ま、これで犯人も多少私への疑いを拭い去ってくれたかもしれないし、あんたには悪いけどちょうど良かったわ」

「・・・お前の仲間ってのがそう気付いてくれるような奴らにも見えなかったぜ。現に俺はこうして殴られて・・・」

キャハハと明るい声が、暗い畳の部屋にこだました。

「そこまでバカな奴らじゃないわ。多分今頃顔寄せ合って私の事で話し合ってるわよ。まぁ見てて。とんでもなくバカだけど、とんでもなく頼りになる奴らなんだから」

それより、とナミが持っていた本をパタンと閉じてその顔を上げた。


「あんた、全然なってないわ。いちいち顔を赤くしてどうすんのよ?もう・・・ゾロの爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいぐらいよ。」

「な・・・ッそりゃお前があんだけ・・・!」

しっと細い指を口に当ててナミがパウリーの言葉を遮った。

「大声出しちゃ駄目って言ったでしょ。このボロアパート、外に声が筒抜けなんだから。全く・・・もうちょっといい家に住んで欲しいもんだわ。ゾロもこういう所で暮らしてたのかしらね。アイツがうちに居着いた気持ちがよくわかるわ。こういう部屋で暮らしてたんじゃねぇ・・・」

見上げれば、壁紙はところどころはがれて、見下ろせば、畳はささくれだっている。
窓枠が歪んでいるのか、窓が空かないとパウリーが初日に言った時には今の時代にそんな家がまだ現存しているのかと思ったほどだ。

だが、その状況はまた有難いもので、必要以上に小声にならなければいけないこの会話を隠すためにいちいち窓を開けたり閉めたりしていたのでは、『犯人』はすぐにナミが何故ここにいるのかを悟って姿をくらましてしまう。

(とりあえずは、このボロアパートに感謝ってとこね・・・───)

しばし部屋を見渡してナミはそう呟いた。


「ゾロ、ゾロって、さっきからソイツの名前ばっか出してるが・・・誰だ。それ」


パウリーが首を傾げて訊けば、ナミはふふっと微かに笑って言った。





「私の本当の彼氏よ、なかなかいい男だったでしょ?」



「彼氏・・・って・・・お前、男がいたのかっ!」

「当たり前じゃない。こんな可愛いナミちゃんに彼氏がいないと思う?」

「いや・・・だが、依頼を受けるとか言うから・・・いやいや、待て。その前に、テメェみてぇな破廉恥娘に男が・・・いや、そりゃ不純異性交遊だ!まだ未成年のくせに・・・」

戸惑うように何度も言い直しては、パウリーはどこからどう叱咤していいものかと悩んで結局は言葉を濁らせて黙りこくってしまった。


「そう?ゾロは私の服装がどうかなんて言ったこともないわよ。あんたもね、毎日ジャージばっか着てるから、そういう固い頭になっちゃうのよ。ちょっとはお洒落な服着てみなさいよ。いくら何でも、ジャージのままでデートに行く男なんていないわよ」

「で、デートじゃねぇだろっ!!」

「あーはいはい。わかってるわよ。じゃあ私はもう寝るわ」


そう言って立ち上がるとナミはどこぞの漫画に出て来る未来のネコ型ロボット同様に押し入れの中にもぞもぞと入って行った。

当初、男にそこで寝ろと言ったのだが、この男の大きな体でそこで寝れるわけもない。
試しにとナミが入ってみればこれが案外居心地良く、結局ナミはこの押入れで寝ることにした。



「明日はまたあの駅前に行くわ。多分みんなが私達を尾行する筈だから・・・この家の前までアイツらが来てくれれば、ようやく計画を実行できるのよ。今日は早く寝ちゃいなさいよ。あ、それから。『報酬』のこと、絶対に忘れないでね」

企むように瞳を光らせてナミが笑って「おやすみ」と言って押し入れの襖を閉めた。



パウリーは閉ざされた襖を確認して、ようやく安堵したように大きな溜息をつくと、部屋の電気を消して自分ももぞもぞと布団に入り込んでいった。


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