700HIT踏んでくださった真牙様に捧げます。


みどりのうた







帰ってきたゾロを見て、ヒルルクは口を開いて何かを言いかけたが、だが、何の言葉も見つからないといった態でまた口を閉ざして、「くれはが飯作れとよ」と多少昔にも戻った声音で言った。

「俺が?」

ゾロがその言葉に眉をピンbとはねあげると、ヒルルクはそれがどうも愉快だったようで、「いや、俺とお前でだ」と笑った。

「俺がメシ作れるように見えるか?」

「作れない奴にも作れって言う嫁だ」

あの老婆を知っている者ならば、何とも説得力のある言葉を残して、ヒルルクは不機嫌そうに顔をしかめているゾロを連れて、土間から続く台所へと案内した。

「まぁ俺の腕もこの50年、アイツに鍛えられたおかげで今じゃすっかり一流コックよ。テメェはそっちでジャガイモの皮でも剥いてろ」
「イモ・・・?」

指差された方に顔を向けたところで、そこには何もない。

「イモなんかどこにあるってんだ」
「どこってそこにあるだろ・・・あぁっ!無ぇじゃねぇかっ!?」

ヒルルクが両手で頭を抑えて慌てふためく。
そこには確かに数え切れぬほどのジャガイモがダンボールに入れられて、存在していた筈なのだ。

「じいさん、ついにボケたな」
「断言するなっ!クソッ!あのガキ、またやってくれたぜ・・・畜生っ!」
「・・・相変わらず坊主のくせに口悪いな」
「トボけた事言ってねぇで、すぐに取り返して来い!でねぇと今日はお前の晩飯の抜きだ!」

何で、と聞き返そうとしたゾロに、ヒルルクは手にしていた包丁をぐっと突きつけて「隣の家だ。早く行け!」とがなり立てた。


釈然としないままに寺を出れば、この辺りの建物と言えばこのヒルルクとくれはの住む寺と、その隣にずっしりとした重みを帯びた古い家しかない。天才的なまでの方向音痴もさすがに発揮されることもなく、ゾロは隣家の敷地へと足を踏み入れた。


垣根もなければ、門もない。

コンクリートの公道からゆるやかに土が顕になった坂道を数歩のぼればもうその家の玄関は眼前だ。
ゾロは初めて訪問する家にどうやって言って入ろうかしばし躊躇った後で、その引き戸に手を掛けた。


だが、まさに開けようとしたその瞬間に勢い良く飛び出てきた小学生ほどの少年に思いっきりぶつかられて、彼の身体が一瞬ぐらりとよろめいてしまう。


「ん?誰だ?お前・・・」

黒髪の少年が大きな瞳をパチパチ瞬かせた。


「いや、俺は隣の寺にしばらく厄介になるんだが・・・テメェか?イモ盗ったって奴は・・・」

突然の衝撃に今だ筋肉が強張ったままの腹をさするようにして訊けば、少年は何とも無邪気な笑顔を見せた。

「おぉっ!ジャガイモだったら貰ったぞ!ヒルルクの奴なかなか食おうとしなかったからなー。
 残ったらもったいないだろ?だから俺が貰ったんだ」

「・・・そうか?あのジジイは騒ぎ立ててやがったけどな」

そう言ってゾロはわずかに口の端を緩めながらも、少年の後ろ襟をぐいっと持ち上げて、軽々とその身体を持ち上げた。

「なっ何すんだっ!」
「お前とジジイの言うことが違うんだ。ジジイのとこに連れて行って真相を解明すりゃいいだろ」


下ろせと何度もわめく少年の抵抗もむなしく、長年剣道で鍛えたゾロはそのまま少年の身体を脇に抱えて今来た道を取って返した。




*************************




ルフィという名のその少年は、いつもこうやってヒルルクの台所に侵入しては美味しそうな食材を見るとそれを堂々と家に持ち帰ってしまうらしい。
これも鍵など掛けない田舎ならではの悪戯とも言えるだろうが、だがルフィの良いところは本当にそれを盗られては困るという物には絶対に手をつけないというところだった。

その10歳になる少年がいたくゾロのことを気に入ってしまったのは、ヒルルクやくれはがどうもゾロのいないところであることないこと吹聴したせいらしい。


特に12年前の夏に彼が一人でそこら中を探検して回った話を聞いて、瞳を輝かせた。


「俺はまだ裏山しか行ったことねぇんだ。それでも一人だけだと父ちゃんに叱られちまう。ゾロはすげぇな!」と、何故か興奮した様子で、翌朝、突然ゾロをたたき起こしたかと思えば、今日から俺たちは友達だと豪語して、彼にぴたりとついて離れない。

ゾロはそんな真っ直ぐな気性の少年が嫌いというわけではなかったのだが、ナミがいるあの家に行くための時間を彼のために割くわけにもいかず、少年の目を盗んで、いつものように蝉が体を震わせて鳴く林を抜け、沢の飛び石を越えて、シダをかき分けながら森の中を進んであの荒地の中にポツンと建つ家へと向かった。




家のドアを開ければ、ナミはいつでもその細く小さな体をソファに横たえて、虚ろな瞳を空に向けたままただじっと息を潜めている。

「ナミ」

名前を呼んで、返らぬ声を待つこともなく彼はゆっくりと懐かしいそのソファへと歩み寄り、ナミの視界を遮るように、彼女の瞳の前にどかっと腰を下ろしてみたものの、彼女は一言「出て行って」と言うばかりで、何の反応も示さない。

自分のことを覚えているのかどうかもわからぬが、一人の成人男性が手の届く位置にいるというのに、身じろぎ一つしないのだ。



「・・・何があったかは知らねぇがな。ナミ、てめェいつまでそうしてる気だ?」

「昔のテメェはな、えらく泣くしえらく笑うし、えらく可愛げがあったぜ。」

「あの頃のてめェはもういねぇのか?」




少女がふっと睫を伏せた。



(寝たのか・・・いや、聞きたくねぇってわけか・・・───)

ため息まじりに立ち上がって、ゾロは彼女の額にかかった一房の髪をすっと払った。


それでもナミは動こうとしない。


閉じられた瞳は、少女に年相応の顔を蘇らせる。


ゾロの記憶が確かならばナミは13歳になったばかりの筈だ。

だがまるで世を憂いているかのような彼女の瞳は、その輝きを失った色が妙に少女を大人びて見せた。

その瞳が閉じられたことが彼にとって安心の材料だったのかもしれない。

幾分親しみを込めたかのような優しい声色が部屋に響いていた。


「お前、笑ってる方がいいと思うけどな」

ふっと笑って、ゾロはそのままくしゃくしゃと少女の頭を撫ぜた。
オレンジ色の髪がさらりのゾロの指を抜け落ちて、まるでつかみどころのない少女の心のようにも思えて、一つ困ったかのような息を吐いた後、ゾロはきょろきょろと部屋の中を見渡して、「うし」と誰に言うでもない言葉を呟くと、くるっと踵を返して、全ての窓で光を遮っているカーテンを手早く開け始めた。

真夏の明るい陽射しが長く暗く閉ざされていた空間に入り込んで、部屋の中は途端に12年前に戻ったかのような生気を湛えている。

光の差し込む部屋をじっくりと見れば、掃除もしていないのだろう。

夏の強い陽で作られたヴェールには白い埃が漂っていて、ゾロはようやくこの部屋がいやに埃くさく、いや、カビくさいとも言うべきか、とにかく人が住んでいるとは思えぬ空間であることを認識して、慌てて窓を開け放った。

高原を渡る風が少女の髪を揺らす。

満足げに一人うなずいているゾロの背を、彼の知らぬうちにじっと見ていた少女は少し唇を動かして、けれどもしばらく何かを考えるように一旦唇を閉ざした後で、おもむろにその重い口を開いた。


「余計なことは・・・しないで」


少し躊躇いがちな声が彼の耳に届いて、ゾロはゆっくりと振り返った。



「何だ。出て行けって言う以外の言葉も知ってるんじゃねぇか」


そう言ってニッと笑った彼の笑顔に、ナミは微かに眉をひそめた後、また全てを諦めているかのように瞳を閉じた。


(それで、いい)

ゾロは内心でそう呟いてから、勝手のわかる家のこと、なにやら思いついたように右手の拳を開いたもう片方の手のひらにポンッと置いたあとで、ナミを居間に残したまま家を出た。


後には、あまりにも眩しい光が差し込む部屋と、ソファに力なく横たわる少女の姿のみ。


「お母さん、あれは誰・・・?」


少女の呟きは風に葉をこすり合わせる荒野の囁きにかき消されていた。




*************************




「駅前につれていけ、だとぉ?」

朝早くから出かけたゾロが突然帰ってきたかと思えば、「買いたい物がある」と言い出して、ヒルルクは顔を曇らせた。

「おいおいゾロよ、テメェは俺の仕事が何なのか忘れたとか言うんじゃねぇだろうな?」

「そんな格好してる奴の職業忘れるほどモウロクしちゃいねぇつもりだが。何か用事でもあんのか?」

眉を一つ上げて首を傾げるゾロの前には、今まさに出かけようとしていたヒルルクが住職然とした袈裟を身につけてスクーターに跨っている。

「あったりめぇだっ!今はお盆の真っ最中だろう!俺ぁ檀家回りで忙しい身なんだよっ!!」

「じゃ、ばあさんは・・・」

「アイツならとっくに出かけちまったぜ。婦人会の寄り合いとかでな。とにかく、俺ももう出ねぇと遅刻だ。隣のガキがお前のことを探してたから、アイツに道案内してもらえ。」

「お、おい・・・」

引きとめようとするゾロを尻目にヒルルクを乗せたスクーターはけたたましいエンジン音と共に遠ざかっていった。
ゾロはそれを見送って、途方にくれたように顔をしかめたままその場にしばらく突っ立っていたが、しかし、ヒルルクの言葉通りあの子供を見つけて駅前までの道を案内させる他ないだろう。

来る時も相当迷って、道々、人に寺はどこかと訊いては「反対だ」と言われ、やっとの思いでこの寺へと辿り着けたのだ。

大きなため息を漏らしてから、渋々と少年の家へと向かえば、庭先で遊んでいた少年はゾロの姿を見つけて、くしゃくしゃの笑顔を見せて駆け寄ってきた。


「ゾロ!心配してたんだぞ!迷子になっちまったんじゃねぇかと思って・・・」

「・・・いきなり呼び捨てか?最近のガキは躾がなってねぇな」

ごんっと思いっきり少年の頭をはたけば、少年は痛くねぇ!なんて言いながら、目に涙を浮かべた。

「それよりな、俺ぁ駅前まで行って買いたいモンがあるんだ。てめぇ道案内できるか?お駄賃に飴玉一個ぐれぇは買ってやってもいいぜ」

少年が飴玉、と聞いて瞳を輝かすかと思ってそんな言葉を口にしてみたのだが、黒髪を揺らして彼がぶんぶん首を振った。

「ゾロが困ってるなら、俺は飴なんていらねぇぞ!俺たちもう友達だからな、助けてやるよ!」

いっちょまえにそんな事を言って、ルフィは早速歩き出した。









その頃ヒルルクは、スクーターの上で風を受けながら、ふと隣の家の子供がよく迷子になる、という話を思い出していた。

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