700HIT踏んでくださった真牙様に捧げます。


みどりのうた







昼になって暑気はさらに増し、ゾロとルフィは家の横にあったひょろ長い木の下から動かずに草むしりに精を出すことにした。
木陰のその部分から一歩でも出ト作業をすれば、ゾロならばともかくまだ10歳の少年は炎天の下、すぐにでも日射病になってしまうだろうから、とゾロが言ったからだ。
ルフィは麦わら帽子を被っているから大丈夫だと言ったが、それでもましてや世話になっている寺の隣に住んでいる、というだけの他人の子供に倒れられるわけにもいかない。
僅かな休日の間にナミの瞳に映る風景を、元通りの向日葵畑とはいかずとも、背丈の違う雑草が我先にとばかりに伸びている荒地からせめて高原らしいものにしてやりたい。

だが、そう思い立ってみたものの、このルフィという少年はどれだけ言ってもゾロの後をついてくる。

そうなれば彼の体を気遣う他なく、だが、少年も当初の約束をしっかりと守っているのだから無碍について来て欲しくないと言えるわけもなかった。


「ルフィ、てめェは中に入ってろ」

しばらくして、暑さに随分とへばった様子のルフィにゾロが声を掛けた。

「俺、まだ大丈夫だぞ」

「どこが・・・さっきから暑ぃ暑ぃってそればっかじゃねぇか。隣でそう言われてたら、俺だって余計に暑くなる。どうせ日が高ぇうちはここしかできねぇんだ。俺だけでいい。テメェは中に入って茶でも飲んでろ」

言うが早いか、ゾロは少年の首根っこを捕まえて、彼を玄関口まで連れていく。

俺、できるのに、と愚痴る少年はそれでも少しほっとしたように肩の力を抜いて、家の中へと消えていった。

(ったく・・・これだからガキってのは・・・───)

そうだ。

そもそも、俺はガキが嫌いで嫌いで堪らねぇはずだ。
だからこそ、今ここにいるんじゃねぇか。
無理に休み取って。いや、休みじゃねぇ。
ここまで来たらサボッてるも同然だ。

まぁつまりそんぐれぇ嫌だったってこった。
ガキに関わらなきゃいけなかったあの仕事がな。

それなのになんでかあのガキは俺のことを気に入って妙に懐いちまったんだ。

『子供は子供を嫌いな人がわかる』ってぇのは嘘だな。

少なくともあのルフィって奴には当てはまってねぇ。



そんなことを考えながら、それでは、ナミを自分の記憶にある幼子の姿に重ね合わせたいからとわざわざここまで来ていることも一体どういうことなのか、と思い直し、ゾロは額の汗をぬぐってなかば忌々しげに眉をひそめて空を仰いだ。

(俺らしくもねぇ)

小さく呟いてみたものの、ではここに自分がこうしている理由は何なのかという疑問に答えが出たわけではない。

見上げた青空は、都会で見るそれよりもずっと高い。
その向こうにベルメールがタバコを咥えて笑っているような、そんな気がしてゾロが彼女に向かって「何でかわかるか?」と問うた時、まるで悲鳴のような少女の声が聞こえた。





何かあったのかと慌てて家に戻れば、居間の方からナミと、ルフィの声が聞こえてくる。
靴を乱暴に脱ぎながら玄関脇のその部屋に顔を覗かせる。


途端にゾロは不機嫌きわまりなく思いっきり顔をしかめていた。


「や、やめてっ!」

「何でだ?お前も草むしり手伝えよ。」

「イヤッ!家から出ちゃいけないのっ!一人でお留守番してる時は、勝手に遠くに行っちゃ駄目だって、ベルメールさんが言ってたのよ!」

「家の前だったら遠くねぇじゃねぇか。皆でやった方が楽しいんだぞ?」

ルフィがナミの腕を引っ張って言う。

この少年は何のきらいなく、ただ彼の言うところの友達であるナミが家に篭っているから、自分達と同じことをした方が楽しいのだと教えたいのだろう。

(だが・・・───)

ルフィはわかっていない。
彼のその行動は普通の子供にとっては多少の驚きを覚えても、しかしそれも喜びに変わって素直に彼に従えるものだろう。
だが、ナミは違う。

カーテンを開けることに何ら不平不満を言わずとも、彼女は決して窓の外を見ない。

窓の外にある現実を見ようとしないのだ。

彼女の頭の中には窓を見ればその向こうにはあの向日葵畑が広がっていて、咥えタバコのベルメールが手を振る───その光景だけがあって、実際にはなくなってしまった向日葵畑と、どう目を凝らしても姿を見せない母を彼女に否が応にも知らしめる現在のその景色を、決して見てはならないとばかりに彼女はいつも顔を背けていた。

そんな彼女を急に連れ出すなどと荒療治にもホドがある。

思った瞬間、嫌がるナミを引っ張って行こうとするルフィへの怒りが胸に湧き上がった。

「ルフィ、やめろ!」

「あ、ゾロ・・・なぁゾロ。ナミも外に行った方がいいよな?俺たち友達だもんな?」

至極真剣な眼差しで自分よりもずっと背の高い男を見上げてルフィが言った。

「ナミだって前は俺と一緒に遊んだじゃねぇか。お前が影遊びとか教えてくれたんだぞ。俺、もうでっかくなったからお前と鬼ごっこしても負けねぇし・・・」

「ルフィ、やめろ」

少年を諌める静かな声が部屋に響き渡った。


あまりにも落ち着いた声色に、ルフィは子供ながらもゾロの様子がいつもと違うことを察して、開きかけた口もそのままに彼をじっと見つめた。
不意に少年の腕の力が緩められ、ナミはそれを察するとすぐにその手を振り払って、ルフィとゾロを睨みつけるような鋭い眼差しを見せた後、バタバタと足音を立てて自室までを駆けて行った。廊下の向こうのその部屋のドアが大きな音を立てて閉じられる。


沈黙が流れて、少年は叱られたとでも思ったのだろう。
極まりが悪そうに俯いて、眉間に皺を寄せている。
影の落ちたその顔は、見下ろすようにして彼を見ていたゾロにしてみれば、泣いているようにも思えて、さてどうしたものかとしばらく顎に手を当てて思いあぐねた後にゾロが言った。

「今はまだ早ぇからな」

そう言って、ポンッと少年の頭に手を置く。

いつものように小突かれるわけでもなく、怒りを交えた拳骨でもない。

ただ、大きな手のひらをルフィの頭に置いて、ゾロは二、三度その黒髪の頭をぐりぐりと撫でて腰を下ろした。
瞳を付き合わせて「お前の気持ちはわかるがな」と言って、ゾロが笑う。

少年は大きな瞳をパチパチと瞬かせた後、だが、頭に置かれたゾロの手のひらから伝わる自分への信頼をしっかり受け止めて、「わかった」と大きく頷いた。




*************************




そんな事があったからだろうか。

ナミに謝れと言わなかった自分も気が回らなかったのかもしれないが、翌朝ルフィはオヤジが宿題しろと言うから今日はついていかないと、朝まだ眠っていたゾロを起こして、少しどもりながらたどたどしく言い訳を述べて、早々に家へと帰って行った。

少年の気持ちはわかる。
反省しているからこそ、ゾロの言葉を理解したからこそ、ナミに対して申し訳ないと素直に思えたのだろう。
むしろ、そんな少年の姿に嘘の下手な奴だというぐらいにしか思わなかったが、しかしあの家への山道を歩いている時に、ふと明日には強引にでも連れてきて仲直りなるものをさせた方が良いのかも知れないと思い始めた。

と、なれば、ナミもせめてもう少し、ルフィが謝れば「もういい」と言えるだけの落ち着いた心を持っていなければならないだろう。

いくら謝っても返事がなければ、ルフィの性格上、その返事があるまでまた強硬に謝り続けて、ナミの神経を逆撫でしてしまうかもしれない。


小学校の先公ってのも随分と大変な仕事だな、などと思いながら、男と少年二人が力を合わせて掃除したおかげで多少の白さを取り戻した家の扉を開けた。

鍵が掛かっていない、ということは昨日のことをそう気にしてはいないのか。

少し緩んだ気持ちで玄関を上がり、少女の居るべきソファを覗き込んだ。


だが、彼女の姿がない。


そこから見える限りの空間を見渡しても、少女の気配はどこにもなく、ゾロは怪訝な色を浮かべた顔のまま、カーテンを開け放った。
光が差し込んだ明るい部屋の中に、やはり彼女の姿を見とめることが出来ず、ゾロは首を捻りながらも彼女が昨日あれから一度も姿を現さずに閉じこもっていた部屋へと向かった。

ノックをしても、返事などないことはわかっている。

「ナミ」と一声、名を呼んで、ゾロはドアノブに手を掛けた。
そっとそれを回して頭だけをそこに入れれば、真夏だと言うのに何故かひやりとした冷たさを帯びた空気がそこにはある。

この部屋はナミの部屋だからと思い、掃除するのを躊躇ってゾロも、あのルフィでさえここに足を踏み入れたことはない。

以前の居間と同じように閉め切られたカーテンが薄暗がりの部屋を作り出し、この冷たい空気をそのままに彼女の体を冷やしている。

見れば、8月中旬のこの日に布団をしっかりと被ったオレンジ色の髪の少女がベッドの上に居た。


「ナミ、入るぞ」

ピクリとも動かぬ少女にそう声を掛けて、遠慮もせずにずかずかと部屋に入って、まずはカーテンを開ける。
窓を解き放てば、ようやくひやりとした空気は少しずつ暖められて、ゾロは満足げに口の端を上げた。

ベッドに目をやれば、少女は未だ枕に顔を伏せたまま自分を見向きもしない。

傍らに寄って、無理に布団を引き剥がすことも考えたが、昨日のこともあって無理強いされる事に怯えてしまうかもしれない、と何とはなしに遠慮の気持ちが湧き上がって、ゾロはベッドの腰掛けて「気分悪いのか?」なんてありがちな言葉を掛けていた。

数日間、少女はゾロという男に対する疑いを拭い去ったわけではないが、それでもゾロが問いかければ、時には頷くこともあり、首を僅かに振ることもあり、と意思伝達の応酬ができるまでになっていた。

何故起きないのか、という質問ではなく、気分が悪いのか、と訊かれれば答えはイエスかノーしかない。

これならば彼女も自分に応えやすかろうと口にした問いは、案の定彼女の返事を引き出した。
枕にしがみつくようにそれを抱きかかえて突っ伏したまま、オレンジ色の髪が微かに揺れる。

「悪くねぇならいい」

ふっと沈黙が流れて、遠くの林でその生命をてらうようにすら思える蝉の声が聞こえてきた。

「・・・んじゃ、朝メシは食ったか?」

またふるふると首が振られる。

食べないと体に悪い、と言おうとも思ったが、それではナミはまた黙りこんでしまうだけではないかと、必死に彼女の答えやすい質問を頭の中で探して、けれどもそれを気取られぬようにゾロは続けた。

「昨日の夜も何も食ってねぇのか?」

微かに質問を肯定するサイン。

ゾロが呆れたようにため息をついた。

「・・・腹減ってるだろ」

少女がゆっくりと顔をゾロに向けた。
大きな瞳が、男が自分を諌めているのか、それともそんなつもりがないのかと判断し兼ねて困惑しているかのような迷いにその色を震わせている。

(・・・ま、普通なら叱り飛ばしてやってもいいんだがな・・・)

しかし、相手はナミだ、と自分に言い聞かせてゾロは「起きるか?」と尋ねた。

少女はしばし考えこんでいたが、やがてゆっくりと体を起こして細い足をベッドから下ろす。

白い肌を隠す衣服は昨日と同じもので、ゾロは彼女があの後ただこのベッドの上で心を閉ざしていたことを知った。

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