700HIT踏んでくださった真牙様に捧げます。


みどりのうた







記憶がないわけではない。


この数年、自分を心配そうに見る人達の顔を忘れたわけではない。


ただ、そうとわかっていても彼らを受け入れなかったのは、何故心配するのかという理由を忘れたかっただけなのだ。












「ゾロ」



緑の海に彼の姿が見える。




「ゾロ!」



二度目に彼の名を、大きく叫んだ時、彼女は喉の痛みを知った。

数年、出されることのなかった咽喉を震わせるほどの音声を響かせて、喉の奥にちくりと痛みが走ったのだ。


掠れてしまった声は、だが、彼に届いて、男は驚いたようにパッと顔を上げて振り返ってから、窓辺の少女に気がついて口をぽかんと開けた。

自分が「外を見ろ」と言ったのだが、まさか心を閉ざしていた少女が本当に自分の言葉に従うとは思っていなかったのだ。
その光景が信じられずに土のついた手を避けるようにして、汗の流れる腕で目をゴシゴシ擦った後、彼はまた少女の姿を探した。


いる。


少女は、確かにそこにいて、自分の名を呼ぶ。



「ゾロ」



その声に弾かれたようにゾロが窓に駆け寄れば、家の中にいる少女の方が一段と視線が高くなり、男が少女を見上げる形になる。


見詰め合った後で、少女は躊躇うように窓辺に置いた自らの白い手に目を落として、「私は」と呟いた。


「私は・・・わかっているの?」

「私がわかっていることは、夢じゃないの?」




「・・・そら・・・お前が見てきたことが全てだ。それだってお前はもうわかってんだろ?」




コクン、と少女が頷いた。



「みんなが心配してたの、知ってるの。」

「私がもう13歳になったって、この前くれはおばあちゃんが言ったのも・・・」

「私、ちゃんと聞いてたのに、聞いてないフリしたの。」


「だって・・・わかっちゃうから・・・」


「お母さん・・・もう帰ってこないって」







ゾロは少女の唇が閉ざされたことを知って、「じゃあ」と切り出した。



「今はわかったんだな。」


「うん。・・・ううん、私、見たもの。お母さん、死んじゃったわ。ずっとわかってたの。向日葵が燃えちゃって、消そうとしたの。私はお寺に行って人を呼んだのに、誰も来てくれなかったの。たくさんいたのよ。この村を変えちゃいけないからって、あの日もみんなで集まるんだって。お母さんもそこに行くところだったの。だから、お寺に行って、みんなを呼んできてって言われたの。けど、みんなはもうじき雨が降るから自然に火も消えちゃうって・・・雨が降ったらほらなってヒルルクさんが言って、でも、お母さんは死んじゃった。」

ゾロが僅かに顔をしかめたことに、ナミは気付かぬまま言葉を続けた。

「雨が強いからって、ヒルルクさんが車で送ってくれたの。その時にはもうお母さんの向日葵は全部燃えちゃってた。ヒルルクさんが、見るなって言ったけど、私・・・見たの。お母さんが家の前で、倒れてて・・・」

「もういい。」

少女の顔が青ざめていくことを察して、ゾロが遮った。


菜種油、というものが取れるほどに向日葵はその種に多く油を含んでいる。
ヒルルクも、他の村人にしたって、今にも振り出しそうな空を見て、しかも村人たちは一様にベルメールを嫌っていた。
重い腰を上げようともせず、雨が降り出せばやはりとばかりに自分たちの予測が当たったことをむしろ喜んだのだろう。

だが、向日葵畑の火はあっという間に燃え広がり、天から降る水を蒸気と化してしまう。

暑さと火に捲かれたベルメールは逃げ場を失って、命を落とし、後からのんびりと駆けつけたヒルルクはようやく事態の重きを知って、未だ悔やみ続けている。

母の死を知って、心を閉ざしてしまった少女の姿に、また責め苦を感じているのか。


「ナミ。みんなを恨んでるか?」

率直に訊けば、ナミはようやく瞳を上げた。


「お母さんは、人を恨むと、自分も恨まれるって。だから、私、誰も恨んだことなんかない」



それで、心を閉ざしたというわけか、と内心で呟いて、ゾロはニッと笑った。

「やっぱテメェはベルメールの子供だな」


辛かっただろうに。

どれだけ恨んだっておかしくはないような状況だったろうに。

真っ直ぐに育てられた少女は、恨むこともせずに、その哀しみを自分に向けていたのだ。




「いい子に育ったもんだぜ。あの鼻たれが」


よしよし、とばかりに手を伸ばしてナミの頭を撫でる。



少女は不思議そうな眼をパチパチと瞬かせて、男を見ていた。




*************************




彼女に外に出てみるか、と訊いてみれば、意外にもすんなりと頷いて彼女は黒い土の上に数年ぶりに立った。

きょろきょろと見渡しているのは、ここ数年ですっかり変貌した向日葵畑を見ることがなかったからだろう。
放ったらかしにされていたそこは、流石に彼女の頭の中にあった風景とは違って、少女は深呼吸をした後で少し眦を濡らしたまま歩き始めた。

「お、おい。どこ行くんだ?」

心配そうな声を掛ければ、「散歩」と応える。


ついて行こうかとも思ったが、彼女が一人で思いたいこともあるだろう、とその場に立ち尽くして少女の背を目で追っていれば、ナミはゆっくりと振り返って「ゾロも」と彼を促した。

草を踏み分けていく少女は、家に閉じこもっていたせいか、日の光の下で見ればその白い肌はあまりにも透き通っていて、本当にこの世に存在する人間だろうかとも思わせる。

少し先を歩く少女に目をやったままゾロは黙って彼女の後を追った。

ゾロがいつも使う獣道とは反対の方向に一台の車がやっと通れるほどの道がある。それすらも雑草で埋もれていたが、通ってくる大人たちの車が時折踏み倒すからか、そこは確かに『道』であって、ナミは道沿いに丘を下りた。

切り開かれた林の向こうに、微かに灰色のコンクリートが見える。
おそらくあれが村へと続く道なのだろう。


つまり、13歳のゾロが村中をくまなく探し終えたと思っていたことは間違いで、この町にあるいずれかの道を伝っていけば、ここへと続く道を発見できたはずだったのだ。
だが、車のための道など迂回路に過ぎず、歩いてここまで来るにはゾロの発見した獣道が一番だ。

もしや彼女が町を見たいと思っているのならば、自分の知る道を行った方が良いのではないかと思って、ゾロは彼女の背に声を掛けた。

「ナミ。どこ行くんだ?」

「・・・この辺りを散歩したいの。」

「じゃあ・・・どうせなら、ルフィを迎えに行ってやるか?ルフィの奴、相当落ち込んでたしな。・・・それにお前が外に出て来たの知ったら、あのガキ、喜ぶぜ」

振り返って、ナミが首を傾げた。


「ルフィの事も、わかってたの。でも、ルフィ大きくなったからルフィじゃないって思おうとしたの」

「悪いって思ってんのか?」

少女が躊躇うように小さく頷いた。

「じゃあ決まりだ。ルフィもテメェに謝りてぇと思ってる。テメェもルフィに謝りてぇんだろ?アイツんちに行くぞ」

そう言って、ゾロはくるっと踵を返してまた丘の上の家を目指した。
一度そこまで戻らねば、どこに自分がいつも使う道があるのかわからないのだ。
あの家の玄関に立ち、真っ直ぐ歩いて丘を下る。
森に入ってもひたすら真っ直ぐ行けば、あの沢に到達する。

その先は獣道だが細く道が続いていて、急斜面ではあるがそこを下りていけば、寺が見えるのだ。

今度はナミがゾロの背を追った。



アブラゼミにも居住区があるのだろうか。

沢の音と共に、蝉の鳴き声も次第に大きくなっていって、その数が増えていくことを示していた。

水音が近くなれば、土は湿り気を帯びて、なだらかだった斜面も傾斜が大きくなっていく。
それまで家に閉じこもっていた少女に体力があるわけもなく、ゾロが後ろを黙ってついてくる少女を振り返って「大丈夫か」と訊けば、少女は額を伝う汗をぬぐいながら、頷いている。
だが、その様子を見れば、呼吸は僅かに乱れているし、歩みも遅くなっていた。

「手、引っ張ってやろうか?」

ほら、とばかりにゾロが大きな手を差し出すと、ナミはその手を見た後で、ゾロの服の裾をきゅっと持った。

別に手だっていいのに、とも思うのだが、そう簡単に他人を受け入れることもできないのかとも納得して、彼女に合わせてゆっくりと歩を進めれば、ようやく涼しげな清流が眼前に現れた。


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