こがねいろ

2




放課後になって、今日はバイトの日だから教室で時間を潰すとゾロは迎えに来たウソップに言った。

私のポケットは未だにいつもは入っていないはずのそれが在って、返そうとしているのにどうもきっかけがなかった今日の一日をぼんやりと考えている。
例えば、拾ってすぐにバカね、っていつもみたいに軽口叩いて返すということもできた。
例えば、ウソップが気付いた時に私も今気付いた顔して「もしかしてこれ?」ってポケットから出すこともできた。
大きなチャンスはその二回。

でも、どうしてかポケットの中のピアスを握るところで私の手は止まって、とうとう放課後になってしまった。

重い手で必要な宿題の出た授業のノートや教科書を鞄に入れていると、ウソップが「掃除しても出てこなかったのかよ」とまたその話題を持ち出した。

「知るかよ。俺ァ今校庭の係りだしな」

「聞いときゃ良かったのに。見つからなかったら・・・そうだな、かつて三千個のピアスを作ったピアス職人の俺様が似たようなのを作ってやっても・・・」

「そりゃ、どう考えても意味ねェだろ」


何とはなしにゾロが出したその返事に、罪悪感が胸を衝いて、持っていた鞄に教科書を入れ損ねた。
まるで押し倒す形になって、前の席のゾロの背に鞄から溢れ出たノートも、ペンケースも当たってゾロが不機嫌極まりない顔で振り向いた。

「悪いわね」

慌てて謝った後に、これじゃいつもの自分らしくないと気付いて言葉を付け足した。

「そんなに痛くなかったでしょ?こんな美女を睨むなんて失礼よ、ゾロ。謝ってあげてるのに」

「どこに美女がいるって?」

「ここに。今あんたの目の前に。ねェ、ウソップ・・・くん、あんたもそう思うでしょ?」


つい、いつも心の中で呼び捨てで呼んでいた彼の名を呼び捨てにしてしまいそうだった自分がいて、一瞬言葉に詰まった事に悟られないようにとそればかりが頭の中を回っていく。
教室の中は、HRが終わってからのんびりと話し込んでいたクラスメート達もとうとう席を立ち上がって、重いドアを閉めた音を最後に後は私の声だけが響いていた。
自分に話が戻ってくるとも思わずに二人の会話に耳を傾けていたウソップは、自分の長い鼻の先っぽを指差して、俺に意見を求めているのかと言いたげな瞳で私を見てる。

「ほら、あんたの友達もそうだって言ってるわよ」

「おいおいおいおい、待てっ!俺ァまだ口も開いて・・・」

「いいのよ。開かなくてもわかってるんだから。」

「俺の好みはどっちかっていうとこう・・・もっと清楚なタイプというか、いや、確かにあんたはモテるかもしれねェが、そりゃ口を開かなきゃって話で」

「何か言った?」

「いえ、言ってません。美女も美女。美女中の美女だ。おい、ゾロ。お前が悪い。謝っとけ!」

「何でそうなるんだよ」

呆れ顔で溜息ついたゾロの頭を何とはなしにぽかんって叩いたら、やっぱりピアスが鳴らした音はいつもより小さい。


「もしかして、ピアス・・・彼女に貰ったとか・・・」

「あーそりゃないない。何せ俺様と違ってコイツはモテねェからな」


二人の顔を見比べる。


「・・・・・男は顔じゃないって言うけどね」


でも、確かにこのウソップって奴、気が利きそう。
モテるかどうかはこの際置いといて、どっちの方が話しやすいかって言ったらやっぱりウソップだと思うし、何せゾロは普通の顔してても睨みつけられてる気がするぐらいだもの。その上身長も高いから、勘違いされることはあるかもしれないわね。

どっこいどっこいだけど、決定。


ゾロの肩に手を置いた。


「寂しい青春ねぇ」


溜息交じりに言ったら、ゾロは鬱陶しげに私の手を払いのけて「テメェはどうなんだよ」と問う。
拗ねた子供のように唇をへの字に曲げて、少しだけ尖らせていた。
その顔がいつもの彼よりずっと幼く見えて、噴出してしまったら、ゾロは一層唇を尖らせて「人のこと言えんのか」と言った。

「私は・・・・・今はいないわよ。何か悪い?」

だって、好きになれるような男なんかいなかったもの。


友達が誰を好きとか、格好いいとか騒いでいるのを横で見て、ちょっとだけ羨ましいなって思うこともあったけど、どうしてもそうと思える人に会うことがないまま三年生になってしまった。
三度目の春を迎えればいくら新しい教室に入ったって、同じ学年の大抵の顔はどこかで見たことがあって出会いに期待することもできない。
このゾロの事も───いつだったか忘れたけど、どこかで見たような記憶はあって、ただこんなに授業中寝てばっかりの奴だとは思わなかった。

記憶に残っているのは、光に反射する彼のピアス。

校則違反のそれを堂々と左の耳に三つも付けて、きらきら眩しい光を反射していたそれが彼の第一印象。

今みたいに眉間に皺を寄せて廊下を大股で歩いていた彼は、でも、同じクラスのこの席になってからすぐ、私に今は何時間目なのかと初めて話し掛けるということにも何の躊躇いもない呑気な声で尋ねてきて、それ以来彼の印象が変わっていった。
だって今までは見た目が怖そうだとか、校則違反をあんなに堂々とするなんて馬鹿じゃないかしらとか、とにかく悪い印象しかなかったもの。

だから、急に話しかけられた時には一瞬心の内で身構えたのに、こいつってば呑気な声で呑気なこと聞いてくる。


そんな男子は初めてだったのよね。

興味をそそられるってこんな感じかしらって思ったことは、今でもはっきり覚えてる。


「今は?いつもの間違いだろ」

「失礼なこと言うわね。私がその気になったら彼氏なんていくらでも作れるわよ」

ヘェ、と間の抜けた声音と共に、ゾロは私をじろじろ見た後で「無理だろ」と言い放った。


「あんたに言われたくないわね。どこが無理なのよ。」

「絶対ェ無理だ。」

「だ・か・ら、その理由を言ってみなさいって言ってんのよっ!」

ほっぺたを両側に引っ張ったら、ゾロは大袈裟な声でイテテッと叫んだ。
目に涙を浮かべてる。

「お前ら仲いいなァ」

ぼそっと呟いたウソップに、ゾロが赤くなった頬をこすりながら「どこが」と反論したから、胸の奥が微かにちくんって小さな音を立てた気がした。

「でも初めてじゃねェか。あ、もしかしてゾロお前───」

「おい、ふざけた事言ってんな」


(なに?)

何なのよ、その言葉の続き。
まさかコイツが私のこと・・・・・好き、とか。

言おうとしたの?

いいじゃない、言いなさい。言いなさい。

ほら、早く早く。


「別にいいじゃねェか。ゾロ、お前あれだろ。やっとあの女のこと吹っ切ったってわけか。いや、さすがの俺様も冷や冷やしてたぜ。そんな望みねェコトやってたらよ、いつまで経ってもお前他の女に手ェ出せねェまま卒業ってことになるんじゃねェかとな!いやァ良かったぜ!とりあえずお前が女とタメ口聞いてりゃ俺様としちゃ安心──デッ!」

最後の言葉は濁って教室の中に響き渡った。


ウソップと、それからゾロも驚いた顔で私を見てる。

・・・しょうがないでしょ、手が勝手に動いちゃったんだから。

あぁ、私が手を出さなくてもその内きっとゾロがコイツの口を封じていたはずなのに。

(だって、さっきのゾロより失礼じゃない)




その言葉の意味は、私ではなく他の女を好きだったゾロが、その女への気持ちを吹っ切ったからとりあえず身近にいた私と話しているみたいに聞こえる。

じゃあ私の意思はどうなのよ。

私にだって、コイツと今みたいに軽口叩けるようになるまでの経緯ってもんがあんのよ。

私の心の中で少しずつ育ってきた、この気持ち。



「つまんない話。」



鞄のジッパーを勢い良く閉めたら途中で突っかかった。
震えた声は隠し切れなくて、だから半分開きっぱなしの鞄をそのまま肩で持って、ドアに向かって歩き出すと、呆然としていたウソップが我に返ったらしくて「俺、何か悪いこと言ったか?」とゾロに問いかけている声を背に聞いた。

後はもう知らない。
扉を開けた時にその音にかき消されてしまったゾロの声が僅かに耳に届いたけれど、彼が何て答えたのか大体予想はついていて、どうせ「アイツはいつもあんなんだから気にすんな」とか「知るか」とか、私のことを突き放す言葉を吐いているに決まってる。


後ろ手に閉めたドアがやけに重たくて、その手でスカートのポケットをまさぐった。

朝からずっとそこに入っていたピアスを握って、窓の外に放り投げてやろうとしたけれど、何故かそれが出来なくて廊下の窓のその閉められた鍵に置いた手をゆっくりと放した後で急に泣きたくなって、唇を強く噛み締めた。



馬鹿みたい、と呟いたら、自分の声が耳に残る。

もう一度、同じ言葉を呟いたら目頭が熱くなって、振り切るためにいつもより早い歩調で玄関へと向かった。


下駄箱に上履きを入れて、噛み締めたままの唇はまだ震えてる。




今日、三回目のチャンスに気付いた。

ポケットの中に入れてピアスを握ったままの手をそっと、外に出す。


出席番号を確認するまでもなく、今この下駄箱の中で上履きが入っていない、そこが彼の靴箱。

ここに置いておけば、誰が拾ったかも知られることはない。



古い校舎に据えられた下駄箱は、その名の通り下駄でも置いている頃から使ってるんじゃないかというぐらい古びていて、ところどころ黒ずんだ木の板の上で軽い音を鳴らしたピアス。
やけに重く感じたピアスを、けれども手を放すことが出来なくて暫し、指先で摘んだままじっとそれを見ていた。玄関の向こうでは野球部かサッカー部かよくわからないけど、筋トレに煩いほどの掛け声をかけ合っている。


金色のピアス。


初めて見たのは一年生の時。

入学してすぐだったかしら。

あの時は高校生になった自分自身ですらも新鮮で、何か一つは新しいものに触れるそんな毎日だった。
その中で見つけたこのピアスは、同じクラスになって間近で見たらそんなに大きくもなくて、どうして私はこんな小さな物をきっかけにゾロの顔を覚えることになったんだろうと不思議になったこともある。

だって、ゾロと言えば緑の髪、高い身長、それから仏頂面。
彼の顔を覚えるとしたら、いくらだってその特徴は見つけられるのに。

このピアスばかりが頭に残ってた。

陽の射し込む教室で、寝てばっかりの彼が頭を上げたらきらきら光を反射する。
それから決まって高く小さな音を響かせる。



だってその音は、私に彼が話しかける合図だもの。



だから、音が聞こえたら私もノートから視線を上げて彼の言葉を待つ。




馬鹿みたいでしょう。

ちょっとだけ優越感もあったんだから。

コイツが話しかける女って私だけじゃないかしらなんてね。

もしかしたらコイツ、私の気を引こうとしてんのかしら、なんて───


「思っちゃったのよね」


だってウソップの口ぶりからはゾロは彼女がいないような気がしたし、彼が他の女に声を掛けるところを見たこともない。何をするにも無関心で、私が移動教室のことを教えてあげなかったらそのままずっと一人教室で眠りこけてんじゃないかと思うぐらい。

最初に起きなさいって言って以来、眠りこけてるあいつを起こすのは私の役目になってしまって・・・ううん、別に私が起こさなければクラスの誰かが気付いたとは思うのだけど、授業が終わって真っ先に私が声を掛けていたというだけで、だからゾロも私に軽口を叩くようになっただけなのよ。

本当はわかってたの。

私が特別だからじゃなくて、私から声を掛けていったからアイツは答えるようになっただけだってことぐらい、本当はわかってたのよ。

時折、意地悪な笑顔を浮かべるのも、私のことをどうこう思っているからじゃない。



彼の『特別』が他にあるかもしれないという可能性を見ないフリをしていたのは、この私。





唇を噛んだところで堪えきれない涙が眦に浮かんだと知って、手の甲でそれを拭った。





ゾロの気持ちを勘違いして、自分の気持ちばっかり先走って、事実を知った時には泣きそうになった。
そんな自分がばかばかしくて、悔しくて、でもどうして私じゃないんだろうなんてこの期に及んでそんな事を考えてしまう自分が情けなくなって、唇の奥で歯を噛み締めても溢れた涙はぽろりとこぼれた。



「何してんだ。そこで」



外からの声が煩くて、その足音には気付かなかった。

振り返ったら、ゾロは首を傾げて、私の手元をじっと見ていた。
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