100HIT踏んでくださった迦葉ゆえ様に捧げます。
I hate...


3




「あと一週間で夏休みか・・・」

はぁ、とついた溜息が静かな部屋の空気に溶け込んでいった。

期末試験も終えて、ようやくひと息ついたところなのだ。
さすがにナミの級友の分もあるからここで採点するわけにはいかない、と言って、ゾロがこの部屋にほとんど顔を出さなくなってしまってからもう一週間も過ぎた。それでも、もしかしたら来るかもしれないと思って毎日この部屋に来ていたナミは、まんじりともせずに彼を待っていた。来る時もある。来ない時もある。今日は試験最終日だったから、採点の仕事もたくさんあるかもしれない。だが、やはり来るような気もする。と、ナミは開かれないドアをちらっと見やっていた。


試験期間中、どこか緊張感の漂う教室にいるよりも、ここに居る方が気が楽、ということもある。
生物の授業を取っているクラスメートがHRの後や放課後に教科書片手にゾロに話し掛けているのを見るのがどうも苛立たしいというのもある。

(私だって、生物取ってれば・・・───)

心の中で歯軋りしては、それでもどうして自分がそんな事を思うのかと少し気を取り直しては、講師室に行って彼を待った。自分がいることを知ってか、彼も時間を見つけてはその部屋に来て勉強しろ、とか早く帰れ、などと素っ気無いことを話す。部活動のない試験期間中は自然とゾロの放課後の時間が空いてることをいち早く悟ったナミは、ホームルームが終われば一目散に古い板張りの廊下を軋ませながら小走りにその部屋へと向かった。

そんなことを繰り返す毎日がようやく終わった。

だが、夏休みは目前。


夏休みに入れば、彼との接点がなくなるという現実を知って、ナミは何度目かの深い溜息をついていた。


(別に、アイツがどう、ってわけじゃないわ)

ただ、『教育』してやるなんて豪語したくせに、まだ何も変わらないから。

だから、どういうつもりなのか問い質してやりたいだけなのよ。
それって変じゃないでしょ?

せいぜい『ゾロ』って呼ぶことに違和感を感じなくなっただけで。
私は前と何も変わってない。






ううん。

ちょっと変わったかもしれないわね。

少なくとも、アイツに対する偏見はなくなったし。


がさつなのも、白衣がヨレヨレなのも、あんまり気にならなくなったわ。

休み時間ごとに見てるんだもの。

アレじゃなきゃゾロじゃないって、そんな感じになってきたのよ。

でも、それって『ロロノア・ゾロ』っていう人間に対しての感情が変わったってだけでしょ?


私自身がどう変わったということじゃないのよね・・・───




また一つ、溜息をついてナミは机に突っ伏したまま瞳を閉じた。


晴れ渡った空の下で、試験が終わって久しぶりに部活ができることを喜んでいるのだろうか、いつもよりどこか嬉しげな声がグラウンドに響き渡っている。それを遠くに聞いてナミは「何が楽しいんだか」とぼそっと呟いた。

ナミは帰宅部だ。

部活なんてやる気は全くない。

そんなことするなら、バイトでもしてる方がよっぽど楽しい。
何せ報酬がもらえるのだから。

とは言え、そのバイトも店長とどうにもソリが合わず、数ヶ月前に辞めてしまってからはヒマな時間を持て余す毎日なのだが。


「・・・夏休み、何しようかな」

何とはなく呟いてみたその言葉が、自分に返ってくる。

宿題以外にすることがない、というのもどうも寂しい。
友達たちは彼氏がいたり、バイトをしてたりで夏休みは忙しそうだ。
一日ぐらいは遊ぶこともあるかもしれないけれど、1ヶ月以上あるこの休みをどうやって潰すか。
立てられない計画を思って、ナミは閉じられた瞳の奥で誰か、ヒマつぶしに遊んでくれる人はいないかと友達の顔を思い浮かべていった。

その途端、ふっとあの担任教諭の顔が頭を過ぎっていった。




(アイツは・・・部活があるし)

(そもそも、学校以外で会う、なんてできないわよ・・・───)

彼の私服・・・想像すらもできない。

いつも白衣の下にはおそらく生活指導の先生にこれまた口煩く言われたからだろう、一応スーツで出勤するものの、すぐに背広をロッカーに入れて白衣を着込んでいる。そのスーツもいつクリーニングに出したのかと怪しんでしまうほどヨレヨレ。白衣同様。放課後になれば部活のために着替えるらしいが、そんな姿を見たことはない。剣道部ということは、袴でも履いているのだろうか。だが、やっぱりそれも『私服』とは縁遠い衣服。
そんな彼が普段どんな格好して、どんな生活を送っているかなんて全く想像ができないのだ。

(まぁ、それなりの格好したら、一応年齢相応に見えるかしらね)

自分の知る限りの男性のコーディネートを彼の姿に重ね合わせて、ふっとナミは口元を緩めていた。


「何、一人でにやけてんだ?」


突然頭上から降ってきた言葉に、パチッと瞳を開いてみれば、眉間に皺を寄せて彼女の顔を覗き込む男の顔があった。


「・・・いつ、入ってきたの!?」

「いつって、今じゃねぇか。人のこと寝太郎とか馬鹿にする割りにはテメェも案外大差ねぇな」

「だって・・・ドアの音しなかったもん」

「寝てて気付かなかっただけだろうが。」


そ、そうかしら?

寝てたんじゃなくて・・・

あんたがどういう服を着てるか想像することに夢中になっちゃってて気付かなかったんだけど・・・

ああ、もう。恥だわ、恥。


「それより、もうお前帰れ。今日から俺も部活があるから、これからは来ねぇしな。ここに居たってどうしようも無ぇぞ」

「べ、別に!あんたを待ってたわけじゃないわよっ!!」

「へェ・・・そうか?」

うんうん、と頷きながらも、ナミは耳まで赤くなっている。




(全く・・・そういうのを意地っ張りってんだ・・・───)

せめて残念そうな顔をすれば可愛げがあるってものを、と内心呟いて、ゾロは苦笑した。



この生徒。

今年になってから受け持ったクラスの中でも、どうにも気になる存在だった。
見た目が可愛いからさぞかし男連中が騒ぎ立てているかと思えばそうでもない。
剣道部で一年の頃からゾロを慕っていたジョニーとヨサクが同じクラスにいたというのもあって、さりげなく聞いてみれば、随分と怖れられているようだ。まぁ確かに見ていればその通りなのだが。
男相手に媚びるでもなく、むしろ女と話すよりも強硬な態度で以って口先で男連中を打ち負かしていく。
その冷たい言い草に、未だ女への理想を捨てきれない高校生の男子にしてみれば、自然と『恐い女』という印象を植え付られても当然だろう。

その癖、どうも俺を嫌ってやがる。

まず、目を合わそうとしない。

廊下ですれ違いそうになれば、それに気付いたこの生徒は踵を返すか、いかにも嫌そうなしかめッ面を地面に向けて、そそくさと通り過ぎる。
選択科目を物理にしたときはやっぱりな、って感じだったな。

それがどうだ。

一学期中ごろからちょくちょく俺を嫌ってるはずのこの生徒が、俺がよくいる生物学教室の横の部屋で呑気に茶なんぞ飲むようになった。放課後なんかにだだっ広い教室で明日の授業の準備をしてりゃ、その楽しそうな笑い声が時折聞こえてくる。初めは別人だとばっかり思ってた。そんな声は聞いたこともなかったのだから。

俺も茶でもいただこうかと思って行ってみれば、コイツが笑ってやがったんだ。


まぁ、俺が行けば途端に黙りこくっちまったが。


けど、いい声で笑う。
いい顔で笑う。

教室でもそんなふうに笑わない。

一度、その笑顔を見てからどんどんこの自分を避ける女生徒が気になりだした。


数ヶ月、じっと観察するように見てきた結果は女が男を毛嫌いしてるということ。
クラスメートと話をしているのを聞けば、どうも男を馬鹿にしている雰囲気が言葉の端々に現れている。
ああ、それで。と妙に納得した。

相手を知る前から先入観を働かせるタイプなのだろう。

せっかく可愛いツラしてやがんのにな。

勝手に決め付けて、勝手に嫌いになって、勝手に壁を作ってやがるんだ。




だから、教えてやる。


テメェの最も嫌う『俺』をもっとよく知れば、そうやってごちゃごちゃ考える必要はねぇって思うだろ?
その上で本当に好きか嫌いか、決めればいいだけってわかるはずだ。

壁を作る必要なんかどこにもねぇ。
もっと自分を素直に相手に見せりゃいい。




それを知りゃ、テメェはいい女になれる。


教師の俺に向かって怯まない生意気な口調も、お前の武器にできるさ。










(ま、何の反応も無ぇよりは、進歩したってとこか)

顔を赤くする少女を見て、ゾロは口の端を上げた。

そんな教師の姿は、また彼女の頬を一層に染め上げて、ナミは口をへの字に曲げながら鞄を手に立ち上がった。

「何だよ。やっぱ俺を待ってたんじゃねぇか」

「・・・そうだとしたら?」


ひやりと冷たいドアに手をかけて、不意に小さな声で彼女が言う。



「そうだとしたら、どうだって言うのよ?」

「・・・どうって・・・何が・・・」

「もし、私があんたを待ってたんだとしたら・・・」



何か悪い?

呟くように言って、少女は何かを振り切るように走り去っていった。


小さな部屋に残された男は、しばしその意味を考えてから困ったように頭を掻いて、誰も聞いていないはずの言葉を口にした。


「可愛いんじゃねぇか?」





*            *            *




何もしていないのにじわりと汗ばむ熱帯夜、ナミは隣で眠る小さな仔猫をじっと見つめて今日のことを考えていた。

(何で、あんな事言っちゃったのかしら・・・───)

私らしくもない。

そんなことはわかっている。

だと言うのに、もしその言葉を言ったら、あの教師がどんな顔をするかと思ってしまった時にはもう言葉が唇の間から漏れてしまっていたのだ。
けれども、期待を裏切ってあの男が顔を歪めてしまったらとそんな思いに駆られて、ナミはゾロの言葉を待たず、彼を振り返りもせずに駆け出していた。


(期待?)

一体、自分は彼に何を望んでいたというのだろう・・・───


彼にどんな顔をしてもらいたかったのだろう。

彼にどんな言葉を言ってもらいたかったのだろう。




私らしくもない。



男なんて大嫌い。

特にアイツは大嫌い。

できれば近寄りたくない。


それなのに、何でかあの男の言うなりになって、いつしかあの部屋で待つ立場になった自分は。




首を振って、その考えを打ち消せば、その震動で仔猫がピクッと耳を動かして瞳を開いた。


「起こしちゃったのね。ごめんね」

優しくその小さな頭に口付けをして、ナミは無理やり瞳を閉じて、思考を止めた。
















「ナミの兄貴!」

バキッ

思いっきり振りかぶった拳が、ヨサクの坊主頭に大きなたんこぶを作った。


「なんっで、私が『兄貴』なのよっ!!」

「いやぁ、『姐さん』が嫌だって言うから・・・」

「バカッ!こんなかわいい女の子捕まえて、どうやったら『兄貴』って呼べるのよ!?」

もう、人を不機嫌にさせないでよ、とぶちぶち言ってようやくナミは「何?」と呼ばれた名に対する返事を返した。


「・・・その、ゾロの兄貴が呼んでやしたが」

「ゾロが・・・?」


言ってから、慌てて口に手を当てる。

「・・・ロロノア先生が?」

言い直せば逆にそれも怪しい仲ですよ、と言っているようでしまったと内心後悔したが、ヨサクは何ら気にするわけでもなく「なんか、昼休みに手伝って欲しいことがあるとかで」と付け足した。

ナミの頭に怒ったような顔で腕組みする男の姿が浮んでいく。

昨夜、ベッドの中でナミが出した結論。
まるで不可解な自分の気持ちに対する結論は『あの男に近づいてはいけない』ということだった。

ロロノア・ゾロという男に振り回されている。
そのことは自分でも薄々感じていた。
それが、昨日のことではっきりと分かった。

彼の前にいれば何故か自分の意思と関わらずに胸は苦しくなるし、顔が火照ってくる。
それは、彼が全てを見透かすような目で自分を見ているからだと思う。
落ち着かない。居心地が悪い。
彼のその目で見られていたくない。

でも、見られることを前提に、髪を下ろすようになったし、彼を驚かせるために笑顔の練習してみたりもしていた。
そんな自分が、まるで自分ではなくなってしまっていて、それがナミを苛立たせた。

その上。

昨日は自分が彼を待っていたと仄めかすような事まで口走っていた。

勝手に口が動いたのだ。

彼が一体どんな顔を見せるのかという好奇心が衝動となって、唇を動かした。

そんな自分が許せない。




だから、もう彼に近づくわけにはいかない。

ただの教師と生徒の関係に戻ればいい。




そんな事を思って、今朝は講師室に足を向けなかった。

だが、ナミを呼び出すということは、いつものように姿を現さないナミを怒っているのだろうか。



(別にアイツが私に対して怒ってようが何だろうが・・・)

関係ないわ、と誰に言い聞かせるでもなく呟いて、ナミは昼休み、講師室へと向かった。







*            *            *






いつものように重いドアを開けば、いつもは口を動かしている男が、腕組みをして待ち構えていた。

まるで、今から生活指導をする教師然とした態度だ。

その怒りが顕になった瞳に少し心が怯んだが、そんなことを気取られぬようにナミは後ろ手でドアを閉めながら真っ直ぐな瞳で彼を見返していた。

青い空から降りそそぐ太陽のまぶしい光を背に受けて、教師の耳につけられた三つのピアスがきらりと眩く光っている。

軽く生唾を飲み込んで、いつものようにマキノの席に座ろうとすれば、「こっち来い」と静かな声でゾロが自分の前の床を指差した。

「どうして?」

口元だけに笑みを浮かべてナミがさらりとした口調で問えば、ゾロは不機嫌極まりなく舌打ちする。

「・・・何で、今朝は来なかった?昨日のこと怒ってんのか。」


怒ってんのか・・・って。

そりゃ、あんたでしょ?

思いっきり眉間に深い皺を寄せてるくせに。

今朝私が来なかったことを怒ってるんでしょ?


「何を怒ってるって言うの?」

「・・・俺が、放課後に来ねぇって言ったから、その仕返しに今朝来なかったんだろ」




し、仕返し・・・────?

こいつ、本当に年上かしら。

仕返しって。子供じゃあるまいし。



「そんなんじゃないわよ。ゾ・・・先生が部活行かなきゃいけないのは前からじゃない。」

ピクッとゾロの眉が上げられた。
気付いたのだろう。
いつものようにゾロ、と言いかけてけれども敢えて『先生』という言葉を使ったことを。

でももう名前で呼んじゃ駄目。
『先生』って言葉じゃないと。

まるで恋人のような甘い雰囲気に駄目になってしまうのは、私自身なのだから。



「やっぱ怒ってんじゃねぇか」

ったく、と呆れたように言ってからゾロがようやく組んでいた腕を解いた。


「ガキだな、テメェは。つまんねぇ事ばっか考えてっからそうなるんだ」

「つまんない事って何よ」

「どうせウジウジ考えてやがったんだろ。
 試験中に俺が来れなかったからって、ヘソ曲げやがって」

「へ、変な事言わないでよっ!大体、先生を先生って呼んで何が悪いって言うの?」

「言っただろ。お前をいい女にしてやるってな」

そう言って、ゾロがマグカップを手に席を立った。
ナミの座る椅子の後ろにある給湯器に向かえば、自然と彼女と彼の距離が近づいてしまう。
少しだけ、その回転椅子を滑るように動かして、ナミは警戒心を顕に彼の行動を見ていた。

「・・・いい女って、何よ。私は前からいい女だわ。大体、先生だって何もしてこないじゃない。」

「名前で呼べ」

「・・・・・・」

いつものようにコーヒーを作って。
いつものように彼女にそれを命令する。

だが、いつものように照れたように言い直す少女の声が聞こえず、ゾロはようやく訝しい表情を浮かべて振り返った。


「・・・何だよ?」

見れば、椅子に浅く腰掛けた少女は、唇をぎゅっと真一文字に結んでゾロを睨むように見上げている。
どことなくおかしい。何かの決意を胸にしているのが明らかに見て取れる。

「呼ばないわ」

男の瞳が自分に向けられたことを知って、彼女はしっかりとした口調で言った。

ゾロが呆れたように溜息をついて、その手を腰に当ててじっと彼女を見たところで、いつものように顔を赤らめもしない。ただ、きっぱりとそう言い放ったっきり、少女は彼の次の言葉を待ち構えている。


「そりゃ随分と突然だな」

「元々先生から言い出したんだもの。私がお願いしたわけじゃないわ」


ふっとゾロの胸に彼女が連れてきた仔猫の姿が思い出された。
ここに連れてこられて数日間、ビクビクしてすぐに物陰に隠れてはじっと人間を見上げるその瞳。
全身で人間を警戒して、これが味方かどうか見定めようとしているのか、青い瞳で彼を見上げていた。

そんな仔猫の姿が今のナミに重なる。


何故かはわからないが、突然彼女はこの逢瀬に対して、いや、自分に対して強い警戒を抱いてしまったのだ。

思い当たるといえば、昨日のことぐらいなのだが。

だが、それほどの事だっただろうか。

彼女がふと漏らした言葉にゾロは拗ねたようにそれを言った彼女を、素直じゃない態度だっただけに可愛いと思ってしまったし、彼女が自分に心を開きかけているのだと悟った。
それだけに、今朝姿を現さなかった少女に一体何があったのかと思ったのに、HRのために教室へ行ってみれば彼女はいつものように自分の席に座っていた。ただ一点、違うところと言えば、彼女とこの部屋で親しくなっていった時間がまるで嘘だったかのように、彼女は以前のように目を伏せて自分を見ようとしない。

この試験中、忙しいのもあってなかなかあの部屋に顔を出せなかったのだが、それでももしや待っているのではと何とか時間を見つけてこの部屋に来た。そうすれば、必ず彼女はこの部屋にいて「別に待ってもいなかったけど」と言う言葉とは裏腹に、他愛もない話をしては笑って、同じ時間を過ごした。今までは放課後にここに来ることもなかったし、と思ってはみたものの、自分の荷物はこの部屋に置いてある。部活のない試験期間中とは言え、何気なくここまで来れば、彼女は放課後ですらもここで自分を待っていた。

少し手懐けることができたか、と内心喜びを隠せなかった。

それも束の間。

あっという間に目の前の少女は態度を豹変して、彼を警戒しているのだ。

当然、彼の頭には昨日最後に交わした会話のせいかという推測が浮ぶ。

試験期間中、自分を待っていた少女に「もう放課後に待ってる必要はない」とは、少し言い過ぎたのだろうか。

仕方ない。
謝ってやればいいんだろう、と半ば開き直りの思いを持って、彼がマグカップを机に置き、空いた両手を自分の膝につけて体を折り曲げれば、突然近づいた彼の顔を前に少女が眉をひそめた。


思い出した仔猫の姿をその少女にオーバーラップさせて、ゾロがオレンジ色の頭を軽い力で撫でる。


「もう、言わねぇ。機嫌直せよ」


な?と子供に言い聞かせるように優しく言って、彼の手がようやく少女の頭から離れた。


「言わない・・・?」

「テメェは昨日の事怒ってんだろうが。しょうがねぇから部活が始まる前、ちょっとだけなら来てやるから」

そう言って笑うゾロの顔に太陽の光が当たって、ナミは何度も瞬きをした。
その輝きがあまりにも眩しいのだ。



苦手だ。

彼の後ろにある青い空も。

見ていれば不意に胸にあるものを全て吐き出したくなるその空が。

そんな空を背景に、子供のように笑う彼が。



苦手なのだ。




「そういう事じゃ、ないわ・・・」


「そういう事じゃねぇって・・・それ以外何がある?」









刹那、ゾロは笑みを忘れた。






少女の柔らかな唇が自分の唇に押し当てられていたのだ。





震える唇が、ゆっくりと離れていく。



驚いたように目を見開いた男の前で、少女が眦を涙で濡らして言った。



「・・・だから、駄目。近づいちゃ、駄目」














ゾロがようやく我に返ったとき、廊下の向こうで走り去っていく少女の足音がこだましていた。



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