3456HIT踏んでくださった真牙様に捧げます。
LOVE-method of solving


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美術の教師なんて案外ヒマで、ナミは数学教師の自分に比べて職員室にいる時間が多い。
テストの採点だってこまめにすることもないし、放課後は美術部を見に行って部員達と部活動のことで話すこともあるが、大抵は他愛もない話をして終わるらしい。
と言っても、製作中の生徒に声を掛けるのも憚られてしまうし、逐一見ていなければいけないわけでもないから、と言って大抵は職員室で部活が終わるのを待つ。
その間に明日の授業の段取りを考えて、用意をして、でも仕事をしてないと余計な雑務を押し付けようと目を光らせている教頭や校長がいるから、たまに生徒指導の本を取り出して彼らに相談を持ちかける。
そうすれば、頼られているのだと悟った彼らは案の定彼女に肩入れして、マニュアル本を必死に読んでいる彼女に何の用事を言いつけることもなく、結局仕事を早々に終わらせて、さぁ早速帰ろうとするゾロを捕まえるのだ。

世渡り上手な女だ、とゾロが睨めば、ナミは本に隠して読んでいた小説を自慢げにちらりと覗かせた。

世渡り上手な上に、人の気を逆立てることにも長けている。
最早呆れて物を言うことが出来ない。

ゾロは、苦々しげに舌を打ち鳴らしてはみたものの、結局その日も校長に言われて仕事をこなすしかなかった。

パソコンがどうも苦手な校長と教頭が、職員室前の掲示板に張り出す書類を作れと言ってきた。
そりゃパソコンが使えないわけじゃない。
いや、むしろ数学の教鞭を取るぐらいなのだから、多少その仕組みさえ知れば、自分には合っていると思う。
何せこの女と違って、機械なんかは自分さえ使い方を覚えれば、自分の命令のままに動いてくれるときたもんだ。

部活を見に行くのだろう。
席を立ち上がった女はくすくす笑って「お疲れさま」と言って職員室を出て行った。


腹立たしいにもホドがある。

あの時、一週間のあの時、僅かでもあの女に対して罪悪感を覚えて、恐ろしい言葉を口走ってしまった自分を心底呪う。

女はあれから「考え中」と言ってはその話をはぐらかしてきた。
だが、今日は朝からいやにニヤついている。
またとんでもねぇ事を思いついたってぇことだ。

どうせなら早く言やぁいいものを、俺の顔を見るたびにニヤニヤするだけで気味が悪ぃことこの上ない。

その苛立ちが今日の授業にも現れて、俺としたことが思いっきり計算を間違えて、あろうことか生徒に指摘された。

どうせ俺の授業なんて方程式を解いていくだけなのだし、黒板にそれを書き込んで、後は応用問題を練習させるだけだ。
基礎を叩き込む。それのみ。
わからねぇ奴が不思議なぐらいだ。
公式を覚えりゃいいんだ。公式を。
難問と呼ばれるものでも、公式を当てはめて解いていきゃ、あっという間に答えが出る。

パソコンと同じだ。

自分の知識さえあれば、思うがままに答えを導き出せる時の充実感。
難問であればあるほどそれを解いた時の充足感。

基礎を教えて、頭に叩き込めばガキどもにもそれがわかる。
だから基礎を徹底的に、何度も、その公式をアホみてぇに繰り返し教え込む。

・・・だけだと言うのに、あの女がそりゃもうアホみてぇに笑ってやがるから、その基礎の問題を解いていて、途中でいやに変な計算に陥っていることに気付いた。
生徒が一番上の計算式を指差して「先生、そこは2じゃなくて二乗です」とおどおどと言って、初めて過ちに気付いたという体たらく。

しかも、運の悪いことに、このクラスというのがあの写真を撮った生徒達がいるクラスだった。

書き直している俺の背に、小さな嘲笑が聞こえてきた。
その声の中にあの女の名を挙げて、「浮かれてんのかな」と言った奴もいた。

・・・とりあえず、次のテストでこのクラスには超難問を出してやることを腹の中で決めた。
俺を怒らせたらどうなるかよく覚えとけ、お前ら。

薄いレンズに映し出されたディスプレイに手早く文字を打ち込まれていく。
ゾロは口を尖らせたまま黙々とそれをこなしては、時折苛立ちを隠せずに舌を打ち鳴らした。




*************************




「あーあ。小汚い部屋ねぇ」
額に手をやって、大きな溜息をついた女を見て、こっちこそ頭痛を覚えているのにとゾロは内心苛立つ自分を抑えられなくなった。

「勝手にここまで押しかけてきといて、言うこたそれだけか?」
拗ねたような口ぶりで言って、ゾロは元々緩められていたネクタイを引き剥がすように襟元から取ると、それを部屋の真ん中に置かれたテーブルの上にぽんっと放り投げた。外したメガネをその上に置く。
毎日そうしているのだろう。
こたつの上には結び目がついたままのネクタイが数本置かれている。

「大体メシぐれぇなら何も俺の家まで来なくたって・・・テメェの部屋だっていいじゃねぇか」
「やだ!あんたもしかして一人暮らしの女の子の家に上がりこもうとしてる?そうね、そうなのね?この可愛いナミさんをどうするつもり!?」

ゾロは耳を塞いで「あぁうるせぇ」と呟いた後に床に散らかっていた雑誌や衣類を足で蹴ってスペースを開けると、そこにどかっと腰を下ろした。

「それなら俺の部屋だって一緒じゃねぇか。よくもまぁ一人暮らしの男の部屋にほいほい入って来れ・・・」

ゾロの言葉も聞かずにナミは鼻歌を歌いながら小汚いキッチンに立って腕まくりをしている。
一気に疲労が身体中に広がって、ゾロはスーツも脱ぐこともせずにごろっと畳の上に転がった。
この狭いワンルームの我が家にはこたつと布団とテレビと、後は細身の洋服ダンスしか置いていない。
寝転がればもう頭は布団の上にあって、屋根裏で雨漏りでもしているのか、黒い染みがところどころについた天井を見上げてゾロは何故こんなことになったのかと数時間前のことを思い出していた。



校長に押し付けられた仕事を済ませて、やっと帰ろうかと思ったときに女もちょうど生徒達を帰し終えたのか職員室へと戻って来た。

なにやらバタバタと机の上の物を仕舞っている彼女を横目で見ながら職員室の白いドアに手を掛けると、いきなり後ろから腕を絡ませてきた奴がいた。
こんな事するのは一人しかいない。
ついに来たかと観念して、呆れた声でゾロは言った。
「・・・で。俺に何をさせようってんだ」

罠にはめられたことはわかるが、自分から言い出したことを反古にするということがどうにも腹立たしくて、腹を据えきった目で彼女を見れば、女は「話が早くていいわ」とまるで子供を誉めるようによしよし、とその緑髪の頭を撫でてから、彼を吃驚させた。

「今日あんたの家に連れてって」

学校以外で会ったこともない女は何の躊躇いもなく、言い放って笑ったのだ。
思わずぽかんと開いてしまった口を、ハッとなって閉じてからゾロはどもりながらも何故、と聞いた。

「私ね、昨日挑戦してみたい料理があるの。それを味見してもらおうと思って」
「味見だァ?」
「そうなの。一人暮らしってこういう時に不便よね。この前、初めて作ってみたんだけど・・・自分の作った料理なんて味がわからなくって。毒・・・味見してもらいたいのよ」
「お、おい!テメェ今毒見って言いかけ・・・」
「あんたも一人暮らしだって言ってたでしょ?ご飯を作ってもらえるんだから有難いと思ってよね。私の美味しい手料理を食べれて、その上食費も浮くのよ。あんたにとっちゃ一石二鳥じゃない」

言うが早いかナミは絡ませた腕をぐんと引いて、ほら、行くわよと歩き出した。


食費も浮くなどと言ったくせに、結局は帰りに寄ったスーパーでの買った二人分の食料品の代金を全てゾロの財布から出させた女は至極上機嫌に包丁を動かしている。

(確かに、毒見って言った)

何度呟いただろうその言葉がまた頭に浮かんで、ゾロはもそもそと布団の上で体勢を変えて、肩肘をついてキッチンに立つ彼女の手元をじぃっと見ていた。
自分だって料理ができるわけでもないし、彼女が今どんなことをしているのか見ていたところで、何を食べさせられるのか想像もつかない。
だが、さすがに唐辛子なんかを入れられたらわかる。
砂糖にしたってそうだ。

毒と言うほどなのだから、よほど不味いことは予測がつく。

しかし、鼻歌を歌って野菜を刻んでいる彼女が料理が下手だとも思えない。

本当に初めて作った料理を、自分ではその味がよくわからずに『毒見』という表現をしかけてしまっただけだろうか。
いや、そうでなければ数十分後の自分があまりにも哀れで仕方がない。

無理に自分に言い聞かせて、ようやくまだスーツを着ているままなのだと気が付いた。
着替えようと、その辺に散らかっていた衣類の山からそのままパジャマにもなるジャージを取り出して、ふと、今包丁の音を立てている女を送っていかねばならないかと気付き、ジーンズを手にした。

そこでゾロがぴたっと動きを止める。

狭い狭いこの家で、いきなり自分が脱ぎ出したら、あの女のこと。
またぎゃーぎゃー喚くに違いない。
さりとて身を隠せる空間がない。

着替えるから見るな、と言うのも女々しい。

様子を伺ってみれば、女は料理に夢中で自分がごそごそ動いても見向きもしない。
思い切ってその場でシャツのボタンを外して、それを脱いだ。
やっぱり女は自分を見ない。
いつしか取り出された鍋にあれやこれやと調味料を入れては時折それを味見して首を捻っている。
今がチャンスだ。

靴下を乱暴に脱ぎ去って、音を立てないように、けれども手早くベルトを外す。
ボクサーパンツにワイシャツの下に来ていたタンクトップだけの姿になって、急いでジーンズを手にしてから、妙にアホらしくなった。
そもそもここは自分の家だと言うのに、何故こんなにも焦らなければいけないのか。

いつもならこの時間はカップ麺かコンビニ弁当でも食べ終えて布団に横になったままぼんやりテレビでも見て寛ぐ時間だ。

それをこの強引な女が俺に毒見させようなどと思いついてしまったために奪われてしまった。

その女のために何故こうも焦らなければいけないのか。

そこまで考えて、今度は手に取ったジーンズに溜息を落とした。
全てが馬鹿馬鹿しくなって、おもむろに腰を曲げる。

「あ、ちょっとゾロ。机の上片付けておき・・・な、さい」







なんと。

安売りペーパーバック推理小説のごとく、ここまで想像通りの展開になるとは。

ナミは鍋を片手に開いていた唇もそのままにして、俺を見ている。
次の瞬間にはどんな悲鳴か怒声か、はたまた今手にしている熱い鍋を自分に投げつけるかと、ゾロは息を呑んだ。





「・・・一言ぐらい、何か言ってから着替えなさいよ。デリカシーのない奴ね」

あまりにも淡々と言うものだから、瞬時に体の力が抜け落ちた。
別に俺の裸なんぞ・・・いや、実際は裸じゃねぇが、数mしか離れていない男と女が、俺の部屋という密室の中で一人が着替えているというのに、全く動じないってぇのもどうもナミらしからぬことで、それだけにゾロは彼女が今どんな顔をしているのか気になって堪らなくなってしまった。

体を傾けて、遠くから彼女を覗き込む。

何も見えない。

そこまで目が悪いわけではない。
メガネだって数学教師に見えないと同僚に笑われたことがあるから、かけているだけだ。
むしろ視力は良い方だ。
一歩、女がいる方へと近寄ってみても、オレンジ色の髪が邪魔してその表情を伺い知ることが出来ない。

彼女が僅かに身を動かすたびにさらりと流れるように揺れる髪が、女の顔を隠しているのだ。

「何してんの?」

気付けば、ゾロは手を伸ばせばその肩に触れられるだろう位置まで来ていた。

ようやく見れた女の顔は怪訝な色も濃厚に、彼女の眉は思いっきり寄せられて眉間に皺を作っている。

「そんなに心配しなくてもちゃんと作ってるわよ。まだ毒見って言ったこと気にしてんのね?あんたって前からちょっと思ってたけど、案外根暗でしょ?・・・もう。いつまでそんな格好してるのよ。とっとと着替えて早く部屋を片付けなさいって言ってるでしょ?」
ほら、ほら、とお玉を振りかざしてナミはゾロを急き立てた。
言われてみれば、まだジーンズも穿いていなかった自分がそこに突っ立っている。

慌てて女から離れて、ジーンズと、上には長袖のシャツを羽織ってから彼は渋々と部屋を片付け始めた。
と言っても、そこらにあるものを部屋の隅に押し込めるだけだ。
5分もしないうちに全てが済んで、満足げに腰に手を当て部屋を見渡していると、ナミがくすくす笑う声が台所から聞こえてきた。

「それで掃除したつもり?」
「座れるだけマシになっただろうが」

自分の家なのだから、大体この女に命令されて掃除をしてしまったことも腹立たしいのだが、まぁメシを作ってもらう立場としては逆らわない方が得策だろう。
とりあえず、机の上にはメガネ一つだけがころんと置いてあるだけだし、この女と俺が座るスペースも出来た。
十分だ。

「そうね、あんたにしちゃ上出来よ」

ポンポン、とゾロの肩を後ろから叩いてナミはまた台所へと戻って行く。


どうも妙だ。


ナミはそれからもいやに上機嫌で、いつもの饒舌ぶりも見せることには見せるのだがどこかが違う。

どこだ、と考えて、考え続けて、ナミ送り届けて帰る道すがらようやくわかった。


途中っから俺をからかわなくなった。
確か、着替えてんのを見られた時からだ。

おぉ。
俺の体を見てようやく俺が男と悟ったってェわけか。
これでもたまにジムに通って体だけは鍛えてんだ。
スーツで隠してたから、俺を弱っちい輩だと思ってあんだけ馬鹿にしてやがったんだな。

これなら明日っからは職場も平穏な空気に戻るってぇわけだ。

あの女だってちったぁ可愛げもあるじゃねぇか。

・・・それにしても、肉じゃがを今まで作ったことがなかったってのか?
確かに微妙な味わいで、あの女はそう食が進まなかったみてぇだが。
毒ってほどでもねぇ。

アイツ、あんなんで一人暮らしなんてやってけんのか。

───そりゃ俺も同じか。


納得したように一人頷いて、ゾロは春めいた空気の中家路を辿った。

どうも道をどこかで間違えてしまったようで、友人に散々カーナビをつけろと言われたことを思い出しながら忌々しげに車から降りた時には、とうに深夜を回っていた。
ドアの鍵を回しかけると、部屋の中で電話が鳴っているのが聞こえる。

こんな夜中にかけてくるなんて迷惑な奴だと思って、別段慌てることもせずにのんびりと鍵を開けて部屋に入る。
もしも緊急の連絡なら留守電にメッセージを残すだろう。
鍵を玄関脇の下駄箱の上に放り投げて、ゾロは靴を脱ぐと冷蔵庫を開けた。
缶ビールを取り出すと、応答メッセージが終わって機械がピーッと鳴った。


『・・・ゾロ?まだ、帰ってないの?どうせ迷ってるんでしょ』

アルミ缶を持つ手に力が入って、一口しか口をつけていない中身が危うく溢れかえるところだった。
ハッとして力を緩める。

『しょうがないわねぇ。あんたっていっつも迷ってばっかなんだから。大体初めてうちの高校に赴任して来た時だって、遅刻して・・・───』

ピーッ

時間切れだ。
留守電のメッセージは15秒以上は録音できねぇようになっている。
自分の饒舌ぶりを呪うがいい。

多少小気味よくなって、口の端をあげながら二口目のビールを口にすると、また電話が鳴った。

(まだ言い足りねぇってのかよ)

取ったらどんだけ小言言われるかわかったもんじゃねぇ。
無視だ。
今俺が取るべき手段はそれしかねぇ。

じっと見ていると、また留守電に切り替わってスピーカーから彼女の声が聞こえた。

『・・・コホン・・・まさかゾロ、そこにいるんじゃないでしょうね?』

念を押す声に怒気が孕まれている。
明日の朝には必ずまた聞かれることだろう。
ここは少々癪に障るが、ナミの言う通り、迷っていたということにしよう。


『・・・まぁいいわ。電話したのはそういうことじゃなくて』


『あの・・・』


ピーッ


まただ。
学習しねぇとはこういうことを言うんだ。
何でさっきと同じ過ちを繰り返すんだ、コイツは。

この女が俺の生徒じゃなかったことに心底ほっとするぜ。


案の定、電話は再度鳴る。

もしかして、俺んちの留守電機能を壊すことが目的じゃねぇか?

『・・・ほんっと気が短い電話ね。買い換えた方がいいわよ、ゾロ』


人の電話にケチつけんな。


『あぁそうじゃないわ。また終わっちゃう』


ようやく気付いたか。ほれ、早く用件を言って寝ろ。
もう掛けてくんな。


『ゾロ』

『今日は・・・ありがとう』 



『おやすみなさい』





いきなり、んな声出すな。



・・・ちょっとだけ、ビビっちまったじゃねぇか。

あぁ、ちょっとだけだがな。

ビールがこぼれたのは・・・アレだ。缶を自分の力で潰せるか試してみたくなったからだ。

別にこの女の声が別人みてぇに可愛いとか思ったわけじゃねぇ。

・・・ジーンズまでベタベタになっちまった。

全く、この女に関わるとろくな事はねぇな。


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