LOVE-method of solving
3 俺ァな、結構心が広ェ人間だと自分じゃ思ってる。 大概の事ァ気にも留めねぇし、自分の女が浮気しようが何しようがどうだっていい。 ・・・って一度言ったら、本気で浮気した挙句にそっちの男の方が優しいとか言って、俺を捨てた女がいやがったな。 まさか本気にする奴がいるとは思わなかった。 まぁ惰性で付き合ったような女がそうしたところで、そう深く考えもしなかったもんだがな。 とにかく俺は心が広い。 これだけは言っておく。 この俺だからこそ、あの女を赦してやってんだ。 ───もっともそういう俺の大人の部分があいつを図に乗らせて、子供じみた挑発を仕掛けられる羽目になっているような気がしねぇわけでもねェが。 大抵のことは見過ごしてやった。 決してあの女に口で言い負かされたわけじゃねぇ。 アイツの甲高ェ声を聞きたくねェから、折れてやっただけの話だ。 あの日にちょっとはしおらしくなるかと思った女が、翌日にはいつものように俺にちょっかいをかけたとしてもだ。 そうだ、例えあの翌日にアイツがクリアフォルダにあの写真を入れて、生徒の前で堂々と持ち歩いたとしても。 その次の日には、全校集会で生徒がちらちら俺を見る中で、いきなり腕を組んで生徒を喜ばせたとしても。 さらに翌週には生徒にせがまれる度に俺を捕まえて、またシャッターチャンスを狙おうとしても。 一体どんなことを言いふらしたのか、他の教師たちが一様に白い目で俺を見ようとも。 至極冷静な俺ァ怒ったりはしねぇ。 あんな女のする事をいちいち気にしたりはしねぇ。 ・・・今日も方程式の解を書き間違えたのはご愛嬌ってぇヤツだ。 ************************* 「あんたまた道に迷ってたの?ほんっと、それでよく生きてこれたわね!」 顔を見る前に早速いつもの声が飛んできて、ゾロは忌々しげに舌打ちをした。 せっかくの休日にのんびり二度寝をしていたら、突然鳴らされた電話を夢現のままに取ってしまった。 無視すれば良かったのに、と受話器の向こうから聞こえた声を耳に後悔してももう遅い。 電話の主は、今すぐ出て来てランチを奢れと言う。 確かにもういつだったか思い出せないほど前に、いつもの如く女の罠にはまってうっかり約束した憶えはある。 仕方ないから、適当な服を着て街へ出てから、待ち合わせの場所はどこだったかはっきり憶えていない自分に気が付いた。 家の近くまで来ているからランチに誘ったような口振りだった。 ではこの辺りをうろうろしていれば会えるだろうと、歩き出したが、一向にナミの姿は見つからない。 つまり、今日は『運悪く』会えないから昼メシの話もねぇってことか、とすっぱり諦めて家に帰ってドアを開けようとしたら、不機嫌を顕にした女の声が聞こえたのだ。 「迷ったんじゃねぇ。大体テメェが場所をはっきり言わねぇから・・・」 「言ったでしょう?あんたの家に迎えに行ってあげるって!あんたが迷子になるかと思ってわざわざ迎えに来てやったってのに、何で出かけてんの?もう一時間よ?一体どこをほっつき歩いてたの?どうせ、私を迎えに出て迷っちゃったとか言うんでしょ。寝ぼけた頭で聞いてるからそうなるのよっ!」 俺の家まで迎えに来るって話だったのか。 それは知らなんだ。 「悪ィな」 とりあえず素直に謝って振り向く。 男は僅かに驚いて、その後に続く言葉を忘れた。 ゾロが休日にナミと会うのはこれが初めてだ。 彼女の開襟シャツに短いタイトスカートを穿いている姿しか見ていない彼にしてみれば、淡いピンクのワンピースに黒いカーディガンを袖を通すこともなく肩に掛け、素足を惜しげなく見せているナミを目にして、少し息を呑んでしまったのも仕方がない。 学校にいるときも教師にしては派手だとは思っていたが、だがそれでも彼女は自分の魅力を最低限にしか引き出してなかったのだろう。 今、目の前にいる彼女は女の色香を十分に身に纏っていて、甘い香水でゾロの鼻をくすぐる。 ゾロが息を呑んだのも、胸がぐっと詰まったのも、仕方がない。 「ん、もう!ランチの前に買い物しようと思ってたのに、時間がないわ」 ナミがぐいっと腕を引いて、駐車場に止めてあったゾロの車に前に立つと、その黒い車を指差して「早く開けてよ」と指示する。開けたら、助手席に乗り込んで今度は「行くわよ」と言う。 普段よりも輪を掛けて無口になってしまった男のことすら気に掛けずに、道をナビしては、その合間に他愛もない話をして、気付けば車は街中をとっくに過ぎていた。 どこまで行くのかと訊けば、知り合いの店に予約しているから時間には遅れたくない、と言ってナミは前方を指差した。 「あそこよ。去年できたばっかりらしいの。知り合いが料理長なんだけど・・・でも料理は本当に美味しいのよ。一回ぐらい顔出さなきゃって思ってたのよね」 「一回も来たことねェのに何で美味いって・・・」 「そんなのどうだっていいじゃない。それよりゾロ、ちゃんとお財布持ってきたでしょうね?今日はあんたの奢りだから、私は財布持ってきてないのよ」 言って、ナミはさっさと車から降りるとこじんまりとしたレストランへと入って行った。 ランチの前の買い物とやらも、あわよくば自分に払わせるつもりだったのかと気付いて、ゾロは心底ほっとしながら彼女の後を追った。 多くの言葉を持ち合わせないゾロにしてみれば、ギリシャっぽいとしか言い様のないその建物は、白く塗られた壁に赤く古ぼけたレンガの柱がオーナーの趣味を感じさせる瀟洒な店構えだった。 ゆっくりと歩いたのは、ナミに命令されてこんなところまで来てしまったという悔しさと、周りから見れば自分たちが恋人のように見えてしまうのではないかという照れくささと、そしてもしそう思われた時にあの女ならば他のどの女にも引けを取らないのではないかと不意に思ってしまった自分がいるその戸惑いからだ。 重いドアに手を掛けてそれを開くと、内側に付けられていたアンティークの鐘がカランと鳴った。 「何してるの?あんたまさかこの距離でも迷うとか言わないでよ」 「テメェは俺のことどんな男だと思ってんだッ!?」 「おなかが空いてるからって怒りっぽくなってるわよ、ゾロ。」 あんたって、本当に子供よねと笑ってナミは窓際のテーブルに着いた。 「ナミさん♪本日もお美しくて何よりです」 上機嫌この上なく窓の外から見える海を指差しては笑っていた女の椅子に手を置いて、いきなりそんな言葉で彼女の手を取るやいなやその白くしなやかな手の甲に口付けを落とした男。コックコートを着ているから、件の知り合いでこの店の料理長とやらだろう。 ナミも慣れたようににっこりと微笑んだ。 「ありがとうサンジくん。ずっと誘ってくれてたのになかなか来れなくて悪かったわね。コイツがゾロよ。前に話したわよね」 ちらりと一瞥をくれた男はふいっと顔を逸らしてナミへと向き直ると首を振った。 「俺と付き合ってくだされば、ナミさんからデートを誘わせるなんてことねぇのに・・・」 「おい、何の話を・・・ナミ、てめェコイツに俺のことどう言った?」 「このクソ野郎!ナミさんになんつー口の聞き方をしやがる!!」 いきなり胸座を掴むとは度胸のいい料理長がいたもんだ。 だが、それよりコイツには少々むかっ腹が立っている。 手を振り払って、椅子から立ち上がろうとすれば、ナミがケタケタと大声で笑い出した。 「図星さされたからって怒るなんて、ゾロ、あんたってばホンットに子供みたい!」 「そういう事を言ってんじゃねェ!大体テメェ、わざわざここに連れて来て何企んでやがる?」 そうだ、言ってやれ、俺。 よくよく考えりゃ、コイツの知り合いの店なんて俺にとっちゃ敵地以外の何物でもねぇ。 この女が何かしら企んでいるに違いねぇ。 このキザったらしい男を仕向けて、俺の気を逆立てるつもりか。 料理人を抱え込んで不味いメシを食わせて、その上金を出させるつもりか。 ・・・全部有り得る話だ。 だからさっきからやけにこの女、上機嫌ってワケか。 こっちはその反対にこんだけ不機嫌だってぇのに。 「いいか?お前が何を考えてるか知らねェけどな。これ以上俺を怒らせたら一生許さねェぞ」 「ほら、一生許さないってのも子供みたいだわ」 「ナミさんの仰る通りだ。このクソ野郎」 敵は二人。 タッグを組んで俺を嘲る。 「そんな怒った顔しないで。今日はデートなのよ?」 「デ・・・・ッ」 おっと。またこの女のペースに乗るところだったな。 ここは冷静になって敵を探ることが先だ。 「・・・俺ァ『美味い』メシを食いに来ただけだ。まぁここでそんなもんが食えるかどうかは怪しいもんだが」 金髪野郎が途端に剣呑な目つきになって睨んできやがった。 「この野郎・・・俺の料理が不味いってェ言いてぇのか?」 「まだ食ってねェだろ。だが、てめェみてぇな野郎に美味いメシが作れるとも思えねェな」 「ちょっと、ゾロ。サンジくんはすごいのよ。パリの三ツ星レストランで修行してきたんだから。だから、私も料理を教えてもらって・・・」 「手取り足取り、俺にとっては幸せな日々でした」 横から口を出した男がナミの肩にすっと手を回した。 「・・・で、自分が男にモテるとこ見せびらかしてェからわざわざ俺をここまで連れてきたってぇのか?」 ナミは一瞬ポカンと口を開けて瞬きを繰り返した。 ハッとしたようにすぐにサンジの手をパシッと叩いてそれを解かせる。 金髪野郎は情けない声で彼女の後ろで涙を流していた。 「あんた勘違いしてない?サンジくんの料理は本当に美味しいし、私だって何も企んでないわよ。」 「どうだか」 ハッと笑ってゾロが口の端を上げた。 「お前がわざわざ休みの日に俺を呼び出すこと自体がそもそもおかしいだろ。いいか、今まではまだ黙ってやったがな。休みにまでお前に振り回されちゃ迷惑だ。・・・今日はそりゃ約束だから仕方ねぇ。だが、これで最後だ。もう俺に関わんな。いいな」 言ってやった。 ついに言ってやった。 まぁこれで諦めるような女だったら今まで散々苦労するわけもねぇが、俺が迷惑してるってぇことを言っておきゃ多少は手加減するようにはなるだろう。 いかん。 手加減を期待するなどと消極的なことを言ってっから、この女が図に乗ったんじゃねぇか。 「迷惑?あんただって楽しそうだったじゃない」 どこをどう見たら楽しそうに見えたかはさておき、ここで怒っちまったら女の思うつぼだ。 「迷惑だ」 言葉は、男らしく簡潔に。これが一番だ。 下手に言葉を長引かせりゃこの女はすぐに言葉尻を捉えて反撃してきやがる。 いつもの泣き真似が始まるか。 それともこの男に泣きつくか。 さぁどっちだ? 「そう。わかったわ」 笑った。 不気味だ。 ・・・俺が何か笑えるようなこと言ったか? 「そんなに迷惑と思われてるなんて知らなかった。悪かったわね。もう、しないから」 静かに席を立って、ナミは笑顔のままサンジに「帰るわ」と小さく言った。 サンジが慌てて彼女を引きとめようとすると、彼女は首を振る。 顔の笑みは張り付いたように変わらない。 「食欲がなくなったの。また来るから。ビビにもよろしく言っておいてちょうだい。本当は今日お祝いを用意したかったんだけど・・・買い忘れちゃって。赤ちゃん、どう?」 「・・・あ、いやそりゃもうビビちゃんにそっくりで可愛いっすよ・・・って、でもナミさん、いいんですか?ここまでコイツの車で来たんじゃ」 「タクシー呼ぶわ」 ナミが口早に言った言葉で、この男が結婚していて子供が産まれるのだと知って、ゾロの胸の内にあった苛立ちが収まっていく。 自分を顧みることもないナミがドアを開けた音が耳に届いた。 頭上でチッと舌を鳴らされて、眉を顰めて見上げると、金髪の男、コックのくせに煙草なんぞを店の中で堂々と吸いながら何か言いたげな眼を自分に向けている。 「・・・なんだ」 「ナミさんが言ってた通りのクソ野郎だって思ってな」 「それが客に言うセリフか」 ぐっと後ろ襟を取って、椅子に座っていた自分の体を起こしたコックに真正面から見据えられた。 「本来ならこの俺がナミさんを追いかけて差し上げてぇが、クソ野郎・・・てめェが追いかけて謝れ」 「・・・・・・・・・はァ?」 「つくづく鈍い男ってのは本当だったみてェだな」 呆れたように溜息をついて、サンジはゾロが座っていた椅子に腰を下ろすと、そのテーブルに置かれていたガラスの灰皿にトン、と灰を落とした。 「おら、行けよ」 突っ立ったままのゾロの脛を思い切り蹴飛ばす。 「・・・テェッ・・・てめェ、何を・・・」 「まぁ俺としてもあのナミさんの料理を完食したって聞いて、ついそりゃ気がある証拠だなんてナミさんに言っちまったしなぁ。あぁナミさん・・・お可哀想に・・・」 「だから・・・さっきから一体何の話してんだ」 「先週、ナミさんがお前の家に行ったんじゃねぇか?」 「・・・あぁ。来たな」 「その前の日に俺に電話してきたんだぜ。好きな男に手料理食べさせてやりたいから、料理を教えてくれって・・・どうせ知らなかったんだろ?テメェの顔見りゃわかる。その顔は女心がわからねぇ朴念仁の顔だ」 いや、しかし。 それはどうにも考えにくい。 好きな男にあんだけ迷惑かける女がいるか? 「・・・俺に毒見させただけじゃねぇのか?」 「あぁ、テメェ見てたら俺もそう思いてぇとこだがな。今日はその男を連れて行くから、って聞いてたぜ」 サンジがまた、ゾロの脛を蹴った。 痛みが走った瞬間、ゾロは弾かれたように駆け出した。 |
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