5555HIT踏んでくださった美雪あお様に捧げます。
恋 唄


2




ビビという少女には兄が一人いるらしい。
だがその彼がここからほど近い所に行くと言って出かけたっきり戻らない。
探しに行こうにも、最近物の怪がこの辺りにいるものだから出歩けず、困っていたところにナミがこの家を訪れたのだ。聞けば、彼女は妖怪退治に訪れて逆に物の怪に深手を負わされた間抜けな配下がいるからしばらく面倒を見て欲しいと言った彼女の話を一も二もなく受け容れて、ナミと共にコーザをここまで運んだのだと、たどたどしい口ぶりで懸命に説明して、ビビが誉めてとばかりに丸い瞳を輝かせて期待を満面に浮かべていた。

「あんたが?俺を?」

ビビは笑って頷いた。

この細身の少女のどこにそんな力があるのだろうと怪訝な面持ちでじっと見つめると、それに気付いて今度は「私、力持ちなの」と袖をぴらりとめくって細腕を見せてくる。


「そうは思えないが・・・俺がここにいるって事は・・・まぁ本当ってことか。そりゃ重ね重ね悪ぃことしたな」

「そんなことないわ。私も、ナミさんやコーザが来てくれて嬉しいの。お兄様はもうずっと帰って来ないし・・・アイツはこの山が気に入ってしまって私一人じゃどうすることもできないし・・・それで、ナミさんがお兄様を呼びに行ってくださるってお出かけに・・・」
「アイツ・・・?」
「あ、えっと・・・コーザもナミさんも会ったんでしょう?真っ黒で、大きくって、大きな目が顔についてる一つ目の・・・」
「あぁ・・・あの化けモンか。・・・ったく。あの女何考えてやがる。今更誰か呼んできたってどうにもならねェってのに・・・」

自分だって相当鍛えているのに、その自分を負かした妖怪をもし退治できるとすれば、悔しいけれどナミの天賦の才に頼るしかない。
女だてらに修行を積んで自分よりも法力をつけたナミは、今までも幾度となく化け物を退治しては得意満面に戻って自慢話に花を咲かせた。

国に戻ればナミという女は相当に有名で、時折城からも化け物退治の依頼が来るぐらいなのだから腕は確かに優れている。

その女がわざわざ自分からこのビビの兄を呼びに行ったと言うのだから、怪訝な顔になってしまうのも無理はない。

そう言えば、ナミがちらりと『札が効かない』とぼやいた言葉を思い出す。

ナミは大抵仕入れた情報を元に封印の札を何枚も用意するのだから、今回にしたって多くの法師が戻らないと聞いてそれなりの強力な念を封じた札を用意していた筈だ。

それすらも効かなかったのだから、あの女にしては珍しく弱気になっているのだろうか。

「あんたの兄貴ってのは何かしらの力があるのか?」

振り返ってビビに尋ねれば、少女はいつしか塞ぎこんだ表情になっていた。


「・・・おい、どうした」

声を掛けるとようやく我に返って取り繕うように笑顔を見せる。

何だか痛々しいほどの明るい笑顔に自分が何か失言を口にしたかと申し訳ない気分になって、頭を掻けば、ビビは「お兄様は・・・強いから」と小さく言った。

「へぇ。どっかで修行でもしたのか。」

「違うの。そういうわけじゃなくって・・・えっと・・・私もよくは・・・」

返答に詰まった少女に、まぁそれも然りと頷いたのは、大体ナミが特殊な女で普通の女ならば化け物退治だの法力だのの知識などこれっぽちも持ち合わせていない筈だ。
この時世、男が立身のために家を飛び出して数年後にふらりと帰ってくる話などそこら中に溢れかえっていて、ビビの兄とやらもおそらくそんな経緯で力をつけたのだろうと一人得心してコーザは「そうか」とだけ呟いた。

「それより・・・コーザ、おなか空いたでしょう?そろそろ夕食の支度をした方が・・・」

「あァ・・・なら、俺も手伝おう。散々世話になったみてェだからな」

「だ、駄目!コーザは怪我人なんだからまだ大人しく寝ていないと・・・」

「もう大丈夫さ。それよりこう体が鈍ってちゃいざって時に危ないだろう」

「いざって時?」

「あの物の怪はこの山に棲んでるんだろう。あんた一人外でメシの支度なんてして襲われたらどうする」

ふふっと笑った少女は妙に気高い空気を纏って「大丈夫」と言う。

「いくらあんたが力持ちでも、修行を積んだ俺がこんな怪我負わされたんだぜ。大丈夫なんて言い切れねぇだろ」

「ううん、私は大丈夫なの。」

だから、コーザは寝ていてと強引に彼の体を布団の上に押し倒してビビは無邪気な声で「待ってて」と、家の外へと小走りに走り出た。


強引な女には慣れているつもりだったのだが、ビビの場合はそれとは少し違う。

何が違うと問われればはっきりとした答えは出ないのだが、とにかく屈託のない笑顔につい肩の力が抜けてしまうのだ。

「・・・俺の石頭も多少は治ったみてェだな」


誰に言うでもなく、呟いてコーザは天井を見上げたまま口元を緩めた。




********




夜の帳が落ちて木立の合間は深緑から漆黒に染め替えられた。

囲炉裏の傍でビビが出した酒を一口、口つけてコーザは僅かに眉を顰めた。

「・・・また変わった酒だな」

「コーザの口に合わなかった・・・?」

不安げに首を傾げたビビにまさかそうだと頷くわけにもいかず、思い切ってぐいと呑み干せば、一変嬉しそうな笑顔を浮かべてビビはそそとして二杯目を注いだ。

僅かに濁りを帯びた酒がとくとくと音を立てて杯に注がれる以外は、物音一つない。
辺りを包むが静寂が耳を衝いてコーザは胸中いやに落ち着かない自分を知った。

「どうしたの?」

溢さぬようにと懸命な面持ちで酒を注ぎ終えてビビが顔を上げると、男はじっと自分を見据えたまま瞳を動かさない。

そう声を掛ければ、ふと気を取り直したようで「いや」と小さく呟いてコーザは杯の縁にまた唇をつけた。


だが、次には呑むと思われたのにやはり何か考え込んでしまった態でしばらく宙を見つめて動きを止めてしまったコーザが不思議で、今度はビビが大きな瞳でじぃと食い入るように彼を見ていると、暫し経ってからようやっと彼女に気付いて、コーザは不意に口元を緩めてくっと杯に入った酒を呑んだ。

「ここいらは随分静かだな」

「山深いもの」

「そうじゃねェ・・・あんたが」

言って、コーザは躊躇うように口を閉ざしてから「寂しいんじゃねェかと思ってな」と言うと、ビビはふふっと笑って寂しい庵に灯された弱々しい明かりの中で、首を大きく左右に振った。

「寂しくないわ。私はずっとここで暮らしているから。慣れてるの」

「あァ、兄貴もいると言っていたか」

「・・・・・・え?え、えぇ・・・その・・・いるわ」

瞬間、ビビがいやに返答にまごついた。

囲炉裏に灯されただけの火を頼りにしては、彼女の顔が陰影深く、その表情の機微を悟ることができない。

「あんたの親は?」

「・・・今は、病気なの。」

「ここにはいねェみてェだが・・・」

そう言って部屋の中を見渡してみる。
ここにはいないというのは確実だ。
山の中、猟師でもしていなければこんなところで生活する者などいないだろうに、弓もなければ銃もない。
家の近くに畑もない。

何を糧に夕食を作るかと思えば、どこからかビビが摘んできた薬草や木の実ばかりだ。

少なくとも、冬になれば雪も深くなるだろうこの地で、この少女とその兄は親もなく暮らしてきたのだ。

「あんたと兄貴だけ置いてどっかに行っちまったのか?」

「・・・そういうわけでは・・・あっ。そ、そうなの。そうだって。」

「・・・・・・・・『だって』?」

「ううんっ!そうじゃなくって・・・あの・・・」

「そうか・・・」


得心して低い声で呟いたコーザにビビは微かにこくんと唾を呑んだ。

(ど、どうしよう・・・こんなこと訊かれるなんて思ってなかった・・・)

ナミさんはコーザは頭が固いから絶対に気付かないって言ってた。

でもいくら何だってこんな質問されて答えないなんて人間らしくないわ。
きっとコーザだって変に思ってしまったに違いない。
次の瞬間には部屋の隅に置いた錫杖を手にして私に突きつけてくる。

背筋をぞわりと嫌な汗が流れていくと、途端に木々のざわめきが浮き上がった。

黒の法衣が翻って刹那、小さく爆ぜていた炎が動いた空気に形を大きく変えて庵の中を煌々と照らし出した。

「・・・いやッ!」

シャリン、と錫杖に付けられた輪がお互いに慣らし合う。

肩を掴まれて抗う声が闇夜に響き渡った。

ぐいと倒されて、手から酒が零れ落ちて甘く強い香りが鼻を衝く。




一つ、高くジッと音を立てて赤い炎が揺らめいた。



大きな灰がふわりと囲炉裏の縁に落ちた時には、瞳を固く閉じたままビビは何時まで経っても何ら自分の体に異変がないことをようやく悟っておそるおそる、目を開けた。


「・・・?」

「・・・悪ィ」

炎に背を浮き立たせた男は中腰になって錫杖を強く握ったまま、扉を睨む。

倒された瞬間床についた手が今頃になってじんと痛んで、僅かに眉を顰めたビビがゆっくりと体を起こして彼の衣を軽く引いた。

「どうしたの」とおずおずと尋ねてみれば、コーザは「音がしただろう」と答える。

「風の音だわ」







「・・・    いや、今確かに気配が・・・」

「大丈夫。」



凛と言い切ったビビを不思議そうな眼で振り返って、何故と訊くとビビは少し困ったような顔をしてから「ここは大丈夫なの。」と静かに笑った。

「何でそう言い切れる。相手は人も喰らう化け物だぞ」

「守ってくれてるのよ」

「守る・・・?誰が。」

「明日、紹介するわ」

そう言って、ビビは何かの衣服を千切ったのだろう、絣の端切れで零れた酒を拭きだした。
白い手が黒い床の上を滑っていく。


紹介とは、どういう意味かとまた訊こうとしてコーザは生唾を飲み込んだ。

懸命に床を拭く少女の束ねた髪先がはらりと落ちて、白い項が艶やかに映ったのだ。

淡い紫の衣は尚更彼女の肌を引き立てる。
蒼い髪はビビが僅かに手を動かすだけでもしなやかに揺れて艶を浮かせた。


(・・・何を・・・)

ぶんぶんと勢い良く頭を振れば、気配を察したビビが顔を上げて慌てて己の袖に縋った。


「コーザ、やっぱりまだ寝てなくちゃ・・・!顔が赤いわ、熱が・・・」

「い、いや・・これは・・・」

「嘘を吐いても駄目!無理して起きてても怪我は治らないのよ」


違うと言いたいところなのだが、では何故顔が赤いかと真のところを説明できるわけもない。

懸命に言い訳を考えて「酒に酔った」と言ってみたが、ビビは怪訝な表情を浮かべるばかりで茣蓙の敷かれた部屋の隅へとコーザの体を押しやった。

「駄目よ、私ナミさんによろしくって言われてるの。帰るまでにコーザが良くなってないと、荷物を持つ人がいなくなるって・・・」



やはりか。


あの女はそういう理由でもなくば他人を心配するような思いやりなど持ち合わせていない。



「・・・・・・・・なァ、俺がここで寝たらあんたはどうすんだ。昨日までどうしてた?」



ふと思い立って訊いてみると、ビビは何を、と言わんばかりに瞳を大きく見開いて「ここで寝てたわ」と言う。

「ここで寝たって・・・じゃあ、ナミは」

「ナミさんと私があっちで寝ていたの。」

部屋の反対側を指差してビビが笑った。

「あの女が?俺に寝床を譲ったのか?」

「ナミさんはふかふかなこっちがいいって・・・」

「ふかふか・・・?」

「えぇ、私の毛が・・・」







「・・・あんたの髪が?」







背の後ろで一つに束ねられた蒼い髪はそりゃ緩い曲線を描いて柔らかそうではあるが、まさかそれを枕にしたとでも言うのだろうか。


「あ・・・・っ・・・・・・う、ううん。何でもないの。ナミさんが私と一緒に寝ている方が暖かいからって・・・」

「はァ・・・いや、まァそりゃそうだろう」

季節が冬を越して春まだ浅い。

夜ともなれば冷えた隙間風が家の中に入ってきて、囲炉裏から少しでも離れれば時折身震いを起こしてしまう。



「それにしたって、あのナミがな・・・」

どうも納得のいかない様子でコーザはぶつぶつと呟いた後にごろりと茣蓙の上で体を横たえた。

天井を見上げれば煤けた梁が妙に懐かしい。

いつだったか、これと似た光景を目にした。


あぁ、あれは山賊の世話になっていた頃か。

ガキなどは隅に引っ込んでろと言われて、毎晩空腹を抱えたままこうして天井を眺めては己の不幸を呪って眠りについたものだ。


「ナミさんだってコーザの心配をしているんだと思うわ」

「・・・そんな事はねェさ。あんたはアイツをよく知らねェからそんなこと言えるんだ」

ナミが同じ師の下へと来た時はこのビビよりも随分若い頃だった。
それも早5年も前の話で、ナミが来て以来およそとばっちりを受け続けた自分だけは如何に彼女が優秀な法師であろうが、表面上を取り繕うことを得手とする女だろうが真を見極められると自負してもいる。

いまやその関係は兄弟のようなもので、ろくでもない妹を持った気分だと揶揄してやれば、ナミはいつでも『嫉妬しないで』とはっきり言うのだから、ついぞ最近ではそれすらも言わなくなっていたのだが、心の内には何時だって彼女への不平不満があって、ナミに2日前に会ったばかりのこの少女にしたって、彼女の口に騙されているのかと思えば不意に不満が大きく膨らんだ。

「アイツの言葉を鵜呑みにしてたら後から後悔するぜ。馬鹿だったってな」

「ナミさんの言葉?コーザをこき使ってやってって言ってたけど、それ以外は何も聞いてないわ。」

ほれ見ろ。

この重傷を負った俺をこき使えなんて言い残してやがる。

性根の悪い女だ。

「でも・・・ナミさん口に出さなくてもコーザのこと心配しているんだと思うの。ナミさんは優しい人でしょう?」

「・・・アイツが?どこが・・・」

「私の・・・あ、ううん。・・・・・・ねぇ、コーザはナミさんと恋人同士なの?」


「・・・・・・・・・・・・・・そういう冗談はよしてくれ」

「冗談?」


きょとんと小さく首を傾げた少女は、どうも本気で問うたつもりだったらしい。



「いや・・・言葉が悪かった。そういう関係じゃない。長い付き合いだから妹みてェなもんか」



ふふっとビビが笑った。


空気が途端に柔らかくなって、いやにくすぐったい。


何だ、と訊けば、笑い声に混じって「ナミさんも同じことを言ったわ」とビビが答えた。







黒い闇に紛れた一つの影が微かな笑みが聞こえる庵を見ていた。

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