5555HIT踏んでくださった美雪あお様に捧げます。
恋 唄


6




静かな夜だった。

あの物の怪の気配も感じない。
昼間ビビを襲って満足したのか。
いや、今まで人を喰らうて来た化け物が獲物を弄るだけで済ますとも思えぬ。

木立のざわめきに耳を欹てていると、それを見ていたナミは「その内また来るわよ」なんて呑気なことを言って笑った。








「・・・てめェは眠らねェのか」

「寝られるわけがないだろう、この状況で・・・」


月も昇り切った頃、揚々として風が山々を渡っていく音が聞こえた時、あの妙味な酒を至極旨そうに呑んでいたゾロが不意に口を開いた。
その頃にはナミも子供のように飾り気のない寝顔で、コーザがやめろと止めたのにあろうことか重症のビビに寄り添って暖を取りながら寝息を立てていた。


「来る時ゃ来る。だが、お前ら今は気配がねェってわかるんだろう」

「お前はわからないのか?」

「慣れ過ぎてっからな」

「じゃあ、ビビも・・・」


くっと酒を飲み干して、ゾロがちらりとコーザを見た。


「アイツなら尚のこと、わからねェだろう」


そうか、と掠れた声でコーザは部屋の向こう側で寝ている大きな獣の姿に目を移して、溜息にも似た吐息を落とした。


「・・・あんたが言ってたのは本当か」

「あァ?何の話を・・・───」

「だから・・・言ってただろう。ビビが100年も寝ればと」


暫し、ゾロは顎に手を当てて考えた後にようやく思い出して、「その話か」と言った。

「俺も知らんと言っただろうが。大体ありゃ親父がいっつも言ってただけで・・・」

「何と聞いた」

「俺らは生命力が強ェから命に拘わる大事が身の上に起こっても100年も寝りゃ回復するってよ」

「じゃあ実際にお前のその目で見たわけじゃねェのか」

「俺らの一族に逆らう奴なんかこの辺りにはいねェ。天敵もいなくば、それを確かめる術もねェだろ」

ゾロは言ってから、「まァそれもどうだか」と嘲るような笑みを浮かべた。

「そもそもそのビビを襲ったってェ奴を見てねェからな、俺ァ。その女が俺が必要だってんでついてきてやったが。あの化け物がいつからここに居たのかも知らん。親父ならわかったかも知れねぇが、俺もビビも一族では爪弾きにされてたんだ。その化け物を本当に神として祀ってたかどうかも怪しいもんだぜ」

「・・・どういう意味だ?」

とくとくと酒を注ぐ男はまさに人間そのもので、あのビビのように大きな狗に姿を変えるとは到底思えないのだが、やはりどこか違和感が在って、じっと観察するような眼で彼を凝視していると、ゾロは呑め、とその盃を差し出した。

「いや、俺は・・・」

眉を顰めると男は口の端をニッと上げた。
そんな表情すらも人間とどう違うのかもわからない。

「人間はこの味が嫌いらしいな。俺らにとっちゃ極上の酒なんだが」

「俺ら以外の人間にコレを振舞ったことがあんのか?」

「そりゃたまに人間がこの辺りまで迷いこんでくることもある。つい最近だって・・・・いや、てめェには10年前って言った方がわかるか。その頃だって迷ってこの家に来る奴ァいたぜ。俺は別にいいって言ったんだが・・・ビビが姿を隠そうってんで迷惑蒙ったがよ。大抵の奴ァこの酒を水か何かと勘違いして呑んで、急に走って山を駆け下りていきやがった。・・・もっとも、ビビはそれを元気になった証拠とでも思ってたみてェだが」





「そこがおかしい」



不意に、ゾロの声音が低くなってコーザは心なしか緊張に生唾を飲み込んで体を固くした。

違和感の正体を突き止めたのだ。


ゾロという男。

やはりビビと同じくして人とは違う。

その理由、彼の鍛え抜かれて見える体躯にあるかとも思うたが、それは人にも探せばいるかもしれない。
理由は時として不意に人とも思えぬ殺気を放つその眼だ。

瞳の色、深緑にして時折灯篭の光を受けては金色に揺らめいている。

寒々しくもあり、だが、力強い輝きを放つ。

その所為だと得心しているとゾロが沈黙の後、また言葉を続けた。


「俺がこの家に帰ってきた10年前はまだ人間がこの山の街道を往来していた。だが、一族は皆姿を消していた・・・俺が居なくなってビビが一人残されてからソイツが現れて人を襲い始めた。」

「・・・どこがおかしい?」

「いくら気配に慣れてるとは言え、何故ビビは気付けなかった?その化け物に。何故アイツだけ無事だった?」






「───おい、まさかビビがあの化け物だとか言うんじゃ・・・」


「いや、そうじゃねェ。だが『神』ってェのは疑わしい。少なくとも俺ァこの山の向こうに居たんだ。封印されてるのが出てきたんなら多少の気配ぐれェはわかってもおかしくねェだろ。それが今でも全くわからねェ。大体俺をあんなトコに閉じ込めた奴もどうも不気味だったしな」

「閉じ込めた・・・?」

そういえば。
この山の向こうに居たというのならば、何故帰って来なかったのか、ふと疑問に思って聞き返してみれば、ゾロは途端に相好を崩して「あァ、酒の匂いがしたんでついそこにあった堂に入ったらいきなり封印されちまって出れなくなった」と何ら気にするでもなく言ってのけた。


「そりゃ人間にか。」

「人間だとは思うがな・・・てめェみてェな法衣を着てたぜ。傘で顔は見えなかったが」

「じゃあどこぞの物の怪と間違えたんだろう。・・・いや、お前も物の怪の類か」

「俺ァ人を襲わねェ。鹿の方が旨そうに見えるしな・・・まァ親父の言いつけってェのもあるが。一族の決まりで人を襲うなとよ。何でも先祖が人を襲って散々な目に遭ったとか言ってたな」

「・・・わかるわけがないだろう。俺ら人間からしてみりゃ人を喰う物の怪も喰わねェ物の怪も全て同じに見えるんだからな」

ゾロは口角を僅かに上げたまま、応とも否とも答えず杯になみなみと注がれていた酒を口に含んだ。


「とにかく、俺ァそいつに会いてェんだが。お前やナミが気配を感じねェなら今夜は来ねェんだろ」

「まるで来た方がいいような口振りだな」

「正体に思い当たるところがある。実際会うのは何十年ぶりか。随分長ェこと留守にしちまってたからな」

「・・・・・・? おい、お前の知ってる奴か?」

「さァな。知らんと言っただろう。それより、今の話ナミには言うな」


彼の意するところが分からず、コーザは相槌も打たずゾロを見ていた。
夜の風はさすがに冷たく、どこからか部屋の中に入りこんで灯篭の火を揺らす。
ゾロの顔に陰影深く、何故かはわからぬがいやに迷いのある顔にも見えた。


「何故」


問えばゾロは「女を泣かせてェか」と笑った。



「泣く?・・・ビビなら泣くかも知れんが・・・長い付き合いだがナミが泣くなんて事は有り得ないぜ。大体女が泣くような事ってのァ何だ。お前一体何を・・・」

「ナミの方が泣くだろ。こういう時ゃ」

「そうは思えん。あんたあの女をわかってねェ」


ゾロが突然豪快な声でコーザを笑い飛ばした。

「わかってねェのがどっちか、すぐにはっきりするぜ」







「・・・何の話を・・・」





火がゆらりと妖しげに蠢いた。



つい会話に夢中になっていた自分が居て、気配に気付かなかったことを悔いてももう遅い。



───いる。


禍々しい気配が夜の帳に紛れて、確かに在る。



「てめェ・・・気配がわからねェってのは偽りか」

「いや、わからねェ。だが俺ァお前より耳が少々いいんでな」


懐かしい息遣いだ、と呟いたゾロの声はコーザには届かなかった。



「俺が行く。あんたここでナミとビビを守っててくれ」

衣擦れの音だけを響かせてコーザはゆっくりと立ち上がると、厳しく眉を顰めて戸口に立った。


「無理だ。あんたには。」

「・・・・そりゃ相手が神なら俺の法術は通じねェさ。だが、あんたの妹がそんなことになったのは俺の所為だ。俺がやる」

「そういう意味じゃねェ。アイツの目的はビビと・・・最終的にはまァ俺もだろうが。いくらでも復活するぜ。」

「・・・何だと?」


かたん、と小さな音を鳴らして置かれた杯にはまだ酒が入っている。
水面が揺れた。

彼の手元にあるそれに見入っていると、ゾロが言葉を続けた。


「ありゃ確かに俺らの一族の仇でもあるが。俺らの一族でもある。だから気配を察することができなかった。そう考えりゃ合点が行くだろうが」

「一族の仇?」

「『神』とやらがどんなもんか知らねェ。だが、何らかの原因で封印が解けて一族は皆その『神』と融合してるって言やァわかるか。俺とビビは暫くこの国にいなかったんでな。詳細は知らねェが。懐かしい匂いだらけで参る。それが一つの入れ物に入ってンなら尚更だ」

「・・・待て。お前がそう思うならビビも・・・」

「あれにはわからねェさ。誰かさんと何かあったみてェだからな」

「な・・・にを・・・」


言葉がどもってしまったコーザにゾロはにやりと口の端を上げた。

「言ってなかったか?俺ァ人間の心が読める」

「・・・・・ビビも、か?」



生唾を飲み込んでおそるおそる訊けばゾロは肩を竦めて、親しげな笑みを浮かべた。



「カマかけただけだ。そんなもんわかるなら誰も苦労しねェ。まァそう気にすんなよ。・・・あァ、あんたはビビが人間と思ってたからな。その点お互いさまってわけだ」

「な・・・お、おい、そのお互いさまってェのは・・・」

「俺もナミがいるとどうも気力が挫かれちまう。血は争えねェだろ」







「だから、こいつには言うな」




言って、ゾロはすたすたと歩いてきてコーザの肩に手を置いた。

「アイツの狙いはビビだ。お前が守ってやれ。」


「あんた・・・」


まるで死地に赴くような言葉ではないか。

そう言おうとして口を開きかけると、ゾロは察して「そんなわけあるか」と言った。


「だが、邪魔者はいらん」

「俺も多少は・・・」

「お前じゃねェ・・・・・・いいか。ビビをよく見張ってろ」





ゾロの手によって開かれた戸口から生ぬるく不気味が空気が部屋に入ってきた。

冷気を帯びていた夜の筈だというのに。



「俺も・・・」



「何度も言わせんな。俺ァあいつを外で叩く。ビビを見張ってろ」




ビビを、『見張る』・・・───?


振り向けば彼女らは未だ深い眠りに落ちている。


「そりゃどういう・・・」


向き直った時には既にゾロの姿はそこにはなく、後は漆黒の闇ばかりが辺りを覆っていた。




********




ゾロの話はあまりに彼が飄々と話していたものだから要点を得ない。

彼はあの物の怪を『知った存在』であるかもしれないと言い、けれども『わからない』とも言った。
彼の者に『皆』の匂いがすると言った。
そしてまた、ビビを『見張れ』と言い残した。


(ビビを・・・?)


わからねェ。

そもそも物の怪の言葉など俄かに信じることもできない。

だが、それは自分の先入観が大きく働いてるとも薄々認めている自分もいる。

何せビビと共に過ごしたあの僅かな時間、自分は何の疑いもなく彼女と接していたのだし、そうなるともう物の怪の気配だとか何だとかの一切の感覚を研ぎ澄ますことも忘れていた。

ビビという少女・・・いや、物の怪は確かに純真無垢で人間と何ら変わりなかった。
ナミ達が戻らなければ自分がそれに気付くことはなかっただろう。

「何を見張れと・・・」

やはり、いくら思いを巡らせてもわからない。

部屋の片隅で、眠る彼女らを見ていればむくりとナミが上半身を起こした。


「・・・起こしたか」

「起きてたわよ」


ふん、と鼻を鳴らして手櫛でその蜜柑色の髪を整えると、ナミは「そういう意味じゃない」と悟りきった顔で傍らのビビを見下ろした。

「・・・お前、意味がわかったのか?」

「当たり前よ。だからあんたは石頭だって言ってんの。いい?あの化け物はね、この子達の一族の成れの果てなのよ。元はご神体だったのかもしれないわね。その『神』とやらがこの子たちの親兄弟全てを食べたのか何かであの体の中に閉じ込めてるってこと。そう言ってたじゃない」

「あァ、そりゃあ俺もわかるが・・・じゃあ何故ビビを・・・?」

「・・・今のこの状態のビビを取り込むなんて簡単だと思わない?」

「だが、あのゾロって奴が・・・」

「───この子が操られるかもしれないわ。もしかしたらもう操られてるのかもしれないけど。ゾロが言ってるのはそういうことよ。いくらアイツが外で防いでもビビが自分からあの化け物に近付いたらおしまいじゃない。とにかく、結界を張るわよ」

帯に刺してあった数本の鍼を取り出すとナミは札を数枚、壁に向かって放った。
空気を穿って自分の顔の横に何かが通り抜けたかと思えば、そこには壁に刺さった鍼と、それに貫かれた呪符が在った。

「・・・今、俺を狙っただろう」

「当たらなかったじゃない。」

「いや、俺を狙って外したの間違いだろう」

「あんたのそういう考え方って陰険だわ。さ、これでここはとりあえず大丈夫ね。じゃあ頼んだわよ、コーザ」


さっさと立ち上がって外に出ようとするナミに驚いて声を掛けると、彼女は何ら気にせず戸口を開けた。
どこかでザァと木の葉が鳴った事を確認して、一人頷くと「あの辺りかしら。暗いわね」なんて呟いて家から出ようとする。


「・・・おい!?お前、まさか・・・───」

「当たり前じゃない。邪魔とか言われたら頭に来るわ。この私を邪魔者扱いしたんだから懲らしめてやらないとね。あぁ、あんたはここに居なさいよ。錫杖は置いていってあげるから。」

「・・・いや、そりゃ・・・だが、お前何でそこまで・・・奴の言ってることが正しいとして・・・言ってみりゃお家騒動じゃねェのか、こりゃ」

「コーザはビビをよろしくね」


振り返って、ナミはいつものように笑った。


いいや、いつものように笑っているのに、いつもとは違う。


えも言われぬ意思の強さが顕れた瞳にコーザは言葉を失ってしまった。


「さぁ、覚悟しなさい・・・ゾロ!」


嬉しげに叫んでナミもまた暗闇の中に駆け出して行った。

待てと言って聞くような女ではないだろう。
兎に角も、その背を追おうと戸口に駆け寄った時、ぞくりと悪寒が走った。




おそるおそる、顔を向けたそこには───




牙を剥いて唸る銀色の狼が居た。



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