その花、手折るなかれ


10




町から戻ってから、ゾロは随分苛立っている。
苛立ってるだけならいいけど、雪の中胡座をかいて、目を閉じてずっと座っているだけ。
話し掛けちゃいけないと思って放っておいたら、肩や頭に雪を積もらせていてあの時は本当にびっくりしちゃったわ。
本当に、何があったのか知らないけど。
あれが剣士ってもんなのかしらね。
ゾロに言わせれば精神統一の修行らしいし。

寒い中、そんなことしたら病気になるだけだと思うわ。


「ゾロ、いい加減にして。もう日は落ちてるわよ」
十日もそんなことが続いた日、とうとう口に出してしまった。

「お風呂も沸かしたの。温まってきなさいよ」

お風呂の焚き方なんて知らなかったけど、ゾロがいつもやっている通りにやってみたら、案外簡単だった。
ちょっと疲れたし、熱かったけど。

「ちょっと、聞いてるの?」
いくら声を掛けても、その男は身じろぎ一つしない。
暗闇の中、雪だけが怪しげに白く光っている。
もしかして、死んじゃった・・・なんてことはないわよね。
おそるおそる雪をぎゅっと踏みしめながらゾロに近づいてみる。

あらら・・・睫の上にまで雪がかかってる。
鼻の頭だって真っ赤じゃない。
こんなに我慢なんてしなくてもいいと思うんだけど・・・


そう思って見ていると、また睫の上にふわりと雪が落ちた。

(しょうがないわね・・・)
ナミは呆れたように溜息をついて、その雪を払おうとそっと手を伸ばす。

だが、その時、氷のように冷たい手がその細い腕を掴んでいた。


「・・・・何してやがる?」
「・・・何って・・・雪を払おうとしてあげただけじゃない・・・」

瞳を開いたゾロは、いつものゾロと違う。
そう、殺気漲るという言葉が似合っている。
一つ動けば刀も持たないこの男に斬られてしまうんじゃないかと思わせるその瞳に、ナミは気圧されて息を呑んだ。


「修行の邪魔はしないって言ってただろうが」
「・・・だって、もう日が落ちてるのよ」

ナミが震える声で言って、ようやくゾロはその頭上を見上げた。
暗い空から白い雪が降ってきている。

「・・・そうか・・・」
時も忘れ、ただ目を伏せてその暗闇にいる敵と闘っていた。
闇の中のその男は黒い刀を振る。
己はそれを避け、そして・・・───?
いや、何度頭の中でそれを思い描いても、奴の隙は見つからないのだ。

気付けば、掌からナミの熱が伝わってくる。
震えて・・・いるのか?

ようやくそれを悟って、ゾロは慌てて手を離した。

「悪い・・・」

そんなつもりはなかったとばかりに謝れば、ナミはふん、と鼻を鳴らしてゾロを置いたまま家の中へと入って行った。

どうもやりづらい女だ。
すぐに機嫌を損ねるかと思えばどうでもいいことで笑う。
だが、この十日間、ナミは何をしていただろうか?
俺の邪魔をしないよう気配を消していたのか。
さっぱり思い出せない。

自分が食事を用意した記憶もない。
ということは、あの女に全てやらせていた、ということだ。
少々罪悪感を感じて、ゾロが家に入ると鍋から良い香りがした。
干し肉と山菜に少し米を足した、いつもの粥。

その横でナミが酒の用意をしていた。

「お風呂、できてるのよ。はい、入って来なさいよ」
そう言って、徳利と猪口をポンッと投げてきた。

「風呂?テメェが?」
「そうよ。私も後で入りたいんだから。早く温まってきなさいよ」

風呂、と言ってもこの家の外に申し訳ない程度の屋根をつけた湯桶に水を足した覚えはない。
ということは、ナミが川まで一人で水を汲みに行ったということか。

「悪かったな・・・」
「いいわよ、誰かさんがうるさくなくて私も静かな時間を過ごせたわ」
俺がうるさいんじゃねぇ。テメェが何もできねぇからだろう。
でもま、今日はその言葉は言わないでおいてやろう。

風呂の湯は一瞬悲鳴をあげそうな程熱かったが、それもまぁ黙っておいてやる。
風呂も酒も用意して、尚且つ食事の匂いが鼻をくすぐらせる。
こんな状況であの女に何か言えるわけもない。
ナミが後で入ると言っていたから、その辺の雪を放り込んでちょうどいい熱さにしておいた。
火種はまだあるし、冷めることもないだろう。

釜の確認して、部屋に戻ればナミがちょうど椀に粥を取っているところだった。

おう。上出来だ。

自然と己の顔が緩んでいくことを止められなくなる。


「何よ、いやににやついちゃって。気持ち悪いわよ」
「言ってくれるじゃねぇか。せっかく人が誉めてやろうと思ったのによ」
「何の話?ほら、早く食べてよ。どうせいつもと変わりない味ですけど」
これしか作れないんだから、しょうがないとか、文句言ったら金輪際作ってやらないとか言いながら椀を差し出すナミに、つい悪戯心が湧いてしまった。
「美味いぜ」
ガラにもなく言ってみる。

おっ?

な、何だ・・・いつもの気勢はどうした?

ナミの野郎、急に黙り込んじまいやがった。

「・・・何、急にそんなこと言って・・・」
「いや、だから美味いもんは美味いって・・・」

もう一度、その言葉を口にしてみれば、ナミの顔はみるみる内に赤くなっていく。
待て。何だ、その態度は。まるでただの小娘みてぇだ。
俺まで意識しちまうだろうが。
こういうのは苦手なんだ。


そう思ったら、ナミも同じ事を思ったのか、自分の椀に手をつけずに「お風呂いただいてくるから」と呟いて、慌てて部屋を出て行った。


(何なんだよ、畜生・・・)
俺の顔も火照っているのは、さっき入った風呂のせいだ。
決して今の雰囲気に絆されたわけじゃねぇ。

じゃあ、この腹の中が締められたような痛みは?

早くなるこの心臓は?

そして、この下半身の疼きは?


ええいとばかりにゾロは頭を振って、いつもと違うように感じてしまったその粥を味わうことなく口の中に流し込んでいった。



だが、その時。

ゾロの眼光が途端に光って、男は三本の刀を手にした。




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