その花、手折るなかれ


11




気配。

こればかりは修練を積んだ者でないとわからない。

そこに何人いるか、どれほどの手練か、わかるまで神経を研ぎ澄ましていく。

一人。だが、これは訓練を積んだ者の動き。
家の外には、ナミが・・・───

舌打ちして、戸口を乱暴に開けてそいつの居るべき場所へと向かった。


「誰だっ!!」
刀を鞘から抜き取って刃の先をそいつの眼前に突きつけてやろうと思った時、その影は一瞬にして消えた。

(・・・上ッ!)
きっと屋根の上を睨めば、そこには黒装束の者がじゃらりと音を鳴らして鎖鎌を構えている。
忍びの者。覆面からは殺気漲る眼しか覗けない。
だが、この線の細さヘ・・・くの一か。

「ちょっとゾロ。私の知り合いよ」
突然呆れたような声が耳に届いた。
振り返れば・・・

う、うわ・・・っ!


湯帷子など我が家にある筈もない。
ナミはその肩を曝け出して湯に浸かったまま、両腕で胸を隠し、ゾロを睨んでいた。

「ノジコも。これがさっき言ってたゾロよ。下りて来て」
その言葉に従って、ノジコは屋根の上から飛び降りる。
着地の足音もほとんどしない。
忍びとは言え、こんな近くに来るまで俺が気付かなかったのだ。
余程の力があると見える。

「ゾロ・・・いつまでそこに突っ立ってるつもり?」
ナミが追い払うように片手を振って、ゾロに家の中に戻るようにと指示して、ようやくゾロは慌てて家へと入って行った。





「さて。紹介するわね。ノジコは私付きのくの一。霞の里の者よ」
霞の里と言えば、この国にある忍者の里だ。
まぁナミにそんな忍びがいてもおかしくはない。

「ノジコ、安心して。ゾロはちょっと鈍くて迷子になりやすいけど、いい奴なんだから」
「おい、その迷子ってのは何だ、迷子っての・・・はっ?!」
突然手裏剣が鼻先を掠めた。

なんつー危険なくの一だ。
俺が避けなかったら、確実に俺の鼻っ面に手裏剣は刺さってただろう。

「姫に向かって、その言葉・・・!貴様、姫を何と心得ている!」
「あんだと?やるってのか、コラ・・・」
途端に剣呑な空気が部屋中に漂って、ナミが眦をあげて声を大にした。
「何やってんのっ!二人とも・・・!ノジコ、一応世話になった人なんだからそんなことしないで。ゾロだって。女相手に刀抜こうなんてどういうつもり?」

確かに女とやるつもりはねぇが、相手はくの一じゃねぇか。
こっちが油断してたら殺られるのは、己。
だがナミの一喝で途端にノジコという名の忍びは途端に殺気を消した。

「ねぇ、ノジコ。それよりここに来たということは・・・」
「はっ。ジンベエ公への密使、果たして参りました」
「そう。ご苦労様。どうだった?」
「ジンベエ公におかれましては、此度のアーロンの政に関しましても謀反の意をあるとし、即刻切腹をお名じになられまして御座います」
「・・・じゃあ・・・」
「明日にはこの国にもアーロンめの最期は広まりましょう。私は城へ戻り、次の仕事にかかります」
「ごめんね、ノジコ。あんたには迷惑かけちゃったわ」
安堵の息を漏らして、ナミが言うとノジコは「勿体無きお言葉」と頭を下げて部屋の隅に置かれた葛篭を指した。
「姫、こちらにこれから必要になると思われる物を用意致しております。今、身に付けた衣を・・・」
「そうだったわね」

ナミの死を父に確信させるため。
その衣服を持ったノジコが城に戻って「ナミは山賊に襲われ、命を絶った」という報告をする計画なのだ。

急いでゾロを部屋から追い出して、ナミは新しい着物に着替えた。

「上等な物ではございませぬが、それならば町娘として疑われることもございますまい」
ノジコが選んだその着物はどれも質素な物だったが、確かに「姫」という身分を捨てようとしている自分にはそぐう物。
ナミは新しいその淡い紫色の着物に袖を通して、再度ノジコに礼を言って、今まで来ていた衣を手渡した。

「では、姫。もうお会いすることもありますまい・・・どうぞ、お体に気をつけて」

「・・・・ノジコ、私はここにいるから。ほとぼりが覚めたら、あなたもここに・・・」
「いえ。私は忍びの身。最早抜け出すことはできませぬ。私のような者が姫と共にいては、疑いの眼を向けられましょう。姫、お迷いあそばすな。見送りも不要。後は私が万事成し遂げます。姫はここで、思うように生きてください」
少し寂しげに笑って、ノジコは姿を消した。

戸口から出て行くわけではない。
それはいつものこと。
突然現れて、突然消える。
それが忍び。

けれども。

今生の別れと悟った今、ナミは一瞬で消えたその影を掴もうと、いつしか腕を伸ばしていた自分に気付いた。




「おいおい、家主にも挨拶はなしか」

木陰に身を隠していた男に呼び止められて、ノジコは眉を顰めて眼下を見る。
既に葉をつけていない枝に乗ったくの一を、男はその木の根元から見あげていた。

「ロロノア・ゾロ。姫様を頼むよ」
「へぇ。俺の名を知ってんのか」
「あんたほど、悪名高い男はいないよ」
先ほどとは違ったくだけた口調で言って、ノジコは枝から飛び降りた。

「三刀流ロロノア・ゾロ。悪名高き抜け忍。いや、抜け忍とも言えないか。
 追っ手を嫌って、里を滅ぼしたそうじゃないか」
「古い話を」
「鷹の目の男にやられたと聞いてたよ」
「ああ。今は奴を倒すためだけに生きている」

ノジコが覆面の奥の目を細めた。

「忍びの血は目的がなければ、生きることを許さないってわけね」
「そりゃお互い様だろ?」

そうだね、と言ってノジコはその覆面を取った。
その下に現れたのは自分とそう変わらない年齢を思わせる女。

「とにかく、あの女早く引き取ってくれ。厄介事はごめんだ」
「・・・それはできないね。私のお役目は次の仕事で終わりだから」
「次の仕事?」
「・・・ロロノア・ゾロ。姫様を頼んだよ。あんたみたいに強い男なら、安心して預けられるってもんさ」
「テメェ、死ぬ気か・・・?」

ふふっと笑ってノジコは闇に消えていった。

霞の里、と言うだけあってそこの出の忍びは一瞬にして消え去る術を身に付けていると言う。
気配すらもしない。

だが、雪の舞う暗闇の中、ノジコの声は確かにゾロの耳に届いていた。

『ナミ様という花が手折られぬために動くがあたしの宿命・・・約束だよ、ロロノア・ゾロ。これからはあんたがあたしの代わりに姫を守るんだ・・・───』




「お、おいっ!何勝手に約束して・・・」

突然、突風が吹いてゾロの声はかき消された。



一体、何故?
ナミは城に戻るつもりではないのか?
自分に語ったことが全てではない、ということか。
そしてノジコはナミの為に命を経つ覚悟がある。

でなければ、俺のような男にナミを預けられるか?
俺よりもさらに神経を尖らせて、俺を見ていた。
ナミを預けるに足る男かどうかと。

そして、これは合格、ということか。

次第に吹雪いていく雪の向こう側は、いくら目を凝らしてもノジコどころか動物の影すらもない。

ゾロは白い息を一つ吐いて、家へと戻った。




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