その花、手折るなかれ


3




「あんた、誰」

二日、看病してやった。
唯一の布団にその女を寝かせて、自分は寒い中毛皮を被って湿気た畳の上で寝た。
剣士として生きてきた以上、多少薬の知識はある。
家の近くで薬草を取って、寝ている女の口にそれを流し込んでやった。
足の泥を払ってみれば、そこには無数の傷があった。
慣れぬ裸足の旅に薄い足の皮はすぐに破れてしまったのだろうと、そこに塗り薬も塗ってやった。

そこまでした俺に、その女はようやく瞳を半分開けたかと思ったら、開口一番、掠れた声でそうのたまった。


「テメェこそ誰だ。人の家にあがりこんで・・・」

文句を言ってやろうとしたら、またその瞼を閉じる。

「・・・そう、悪かったわね」

お。案外素直じゃねぇか。

まぁ無理もねぇ。
こんなボロ家に主がいると思うって方がおかしい。
俺がいない間にしっかり蓄えていた僅かな食糧を食べてくれたらしいがな。
あの焦燥ぶりでは、そこまで気が回らなかったのだろう。

とにかく女の容態はようやく落ち着いたのだから、これ以上側にいる必要もない。

そう思って、ゾロは刀を手に外へ出ようと土間に降りた。

すると、突然今度は先ほどと違ってよく通る声が背後からした。

「ちょっと。どこに行くの?」

「どこって・・・修行だ」

「私のこと、何も聞かないの?」

振り返れば、薄っぺらい布団の上で、女が片腕をついて体を起こしていた。


看病していた間も思っていたが・・・やはりかなりいい女だ。
瞳を開いた今、改めてそう思う。
自分の居た寂寥としたこのあばら屋が、女のいるそこだけがまるで光が当たっているかのような・・・

いかんいかん。何を考えてるんだ。俺は。

自分の心に湧き上がったその思いに内心、頭を振って、ゾロは「興味ねぇ」と呟くように言ってから外に出た。

朝もやもようやく消え、陽射しが辺りを暖め始めている。
今日は一日晴れるだろう。
昨夜降った雨のせいで、足元のぬかるんだ土からは底冷えさせる寒気が足に纏わりついてくる。
だが、それも昼にはなくなる筈。

高い秋の青空に和道一文字を翳す。
その刃に反射した光に目を細めてから、ゾロは二日ぶりに剣を振った。




*      *      *


額に伝う汗を拭いながら家に入ってきた男は、そのまま何も言わずに鍋に米と干した肉を無造作に入れて、囲炉裏に火を付けて乾いた薪を足した。

鍋に蓋をして、私に背を向けたまま、何も口を聞かない。

絣の色あせた紺色の着物は、裾がボロボロ。
短く刈られた髪は、彼がサムライという職業でないことを顕している。

何を考えているのだろう?
矢継ぎ早に私の素性を問い質されると思ったのに。

男は何もしないで、ただ修行だと言って外に行ったかと思えば、こうして戻って食事の支度を始めた。
私が起きていることは知っている筈なのに何も言わない。

けれどもその背中はまるで私を拒んでいて、何も話し掛けるなと言っているよう。

部屋の中には鍋がグツグツ煮える音と、外の林で木の葉が風に吹かれてざわめく音しかしない。

時折、鹿の鳴き声が遠くで聞こえる。

何と静かな。
静かな世界だろう。

ふっと目を閉ざせば、自分を取巻く全てを忘れ去る。

父も、母も、あの男のことも・・・───


「・・・寝たのか?」
不意に低い声が響く。

瞳を開ければ、男が振り返って私を見ていた。
縁の欠けた椀を私の前にことっと置く。

無骨な箸は、この男の手作りなのだろうか。

男は鍋からお玉で直接粥を掬って食べ出した。

「・・・あの・・・?」

「椀はそれだけだ。我慢しろ」

ああ、それで・・・
納得して、ようやく男に対する警戒心が解れていった。

無口だけど、優しくないわけではなさそうね。

そう思って、一息ついたところで、突然おなかが空いていることに気付いた。

(そう言えば、今日は一体何日なんだろう・・・)
熱いほどの椀を手に取って、そんなことを思いながら、一口目を口にした。




「・・・・・・まずい・・・・・・」


男がしかめっ面で振り向いた。



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