その花、手折るなかれ


6




霜月ともなれば、雪が舞う日もある。
この東の国ではそう雪深くなることもないが、それでもナミの話だと山中はかなり積もるらしい。
町へ下りる機会も減るだろう。
剣の修行と同時に冬支度を始めるために町へ下りてみれば、ウソップが古くなってもう使わないからと火鉢を譲ってくれた。
これで囲炉裏だけで暖を取っていた我が家も多少マシになるってもんだ。

「ゾロ、女ができたらしいな」
刀鍛冶が本業ではないと言いながらも、ウソップの研ぎは見事だ。
三本の刀を研ぎに出して、それを受け取ろうと夕刻再び鍛冶屋を訪れた俺に奴はそんなことを言い放ちやがった。
「サンジが悔しがってたぜ」

ああ、出所はアイツか。ゼフから聞いたんだろう。
だが、悪ィがそ、いう関係の女じゃねぇ。

実際、最近ようやく炊事を覚えたナミは、それが楽しいとばかりにどんどん家事をこなせるようになってきた。
俺が修行をしている横で着物を洗い、食事の支度をする。
天気の良い日は山菜を摘みに行く。
俺の修行が終われば、共に川まで桶を担いで水を汲みに行く。
端から見れば、夫婦に思えるような関係でも、手を触れたことなんか、一度たりともねぇんだ。
むしろ、それで俺の「女」などと言われると笑ってしまう。

だがまぁそれを説明するのも面倒くさい。

研ぎ澄まされた刀身に満足げな舌鼓を打って、ゾロはその刀を腰に納めた。

「サンジと言やぁ・・・姫さんはどうなったんだ」
「あぁ、ゲンゾウ公の。いや、まだ見つかってねぇらしいが。隣国がまた年貢を上げちまったせいで、ここいらの山にも山賊が出るようになってな。殿様は頭を悩ませてると。もっぱらの噂だ。そりゃナミ姫がここまで見つからねぇのは、どっかの山に隠れてるか本当に神隠しにあったかだからな。山に隠れてるとしたら・・・」
「・・・ナミ姫?」
「うん?ああ、ゾロは他所から流れてきたから知らねぇのか。そうさ。それが姫様の名前だ」

ゾロがごくりと生唾を飲み込んだことに、ウソップは気付かぬまま話を続けた。
「そりゃあそりゃあ美し〜いお姫さんでな。その髪赤に輝いて、太陽すらも色褪せん。姫の朱の眼に誰ぞ映らんってな。ちょっと前までは姫さんがどこの誰に輿入れするか、皆で噂し合ったもんだぜ」

赤の髪。
朱の瞳。

そして、ナミという名。


では・・・───



ゾロは突然走り出した。

町の外れで自分を待つ彼女にそれを確かめるために。


「お、おいっ!ゾロ!!金は・・・」

慌ててゾロを追って店の外に出たウソップは既に遠くなった男の背を見て不思議そうに首を捻ったまま、その場に佇んでいた。






「遅かったわねぇ!今日の夕飯はゾロに作ってもらうからねっ!」
いつものような軽口を叩いて、腰に手を当てた少女はそう言った。

「・・・何?血相変えちゃって」
ようやくゾロの様子がいつもと違うことに気付いたのだろう。
男は全速力で走ったせいで荒くなった息を懸命に押し殺して、突然彼女の肩に手を置いてそこに力を入れた。
「・・・痛っ・・・」とナミが呟くのも、ゾロの耳には届かない。

「ナミッ、お前・・・」

この国の姫だったのか、と言おうとして言葉に詰まってしまう。

彼女が話したがらなかったそれを、自分が知ってしまったことを今、この場で口にしても良いのか?
そんな疑問が頭に浮んだ。

そして未だ時折見せるその寂しげな表情。
彼女が一体何を抱えているのかはわからない。
けれども、そこに自分が足を踏み入れてはいけないのだという思いが胸に湧き上がる。

「・・・な、何よ?どうしたの、ゾロ・・・」

「お前・・・」
言葉が続かない。
さてどうしたものか。
肩を掴んだままゾロはその場で立ち尽くすばかりだ。

茜空に鳶が横切ってその鳴き声が山にこだました時、突然ナミがその体をゾロに寄せて、彼の頬に柔らかな唇を押し当てた。


「・・・・・・・・・・・・隙あり」

ぼそりと耳元で囁かれた瞬間ゾロはようやく事態を悟って、慌ててその手を離す。

真っ赤な顔でナミを見れば、女は妖艶な笑みを湛えてしてやったりと笑っていた。

「ほら、帰りましょ」
ナミは何事もなかったかのようにくるりと背を向けて歩き出した。


朱に染まった頬を摩りながら、剣士は石の様に固まったまま、しばらく呆然とその姿を見詰めることしかできなかった。




その日から突然ゾロの態度が変わった。

きっと気付いてしまったのね。
変によそよそしいし、私が水仕事をしようとすれば「俺がやる」なんて言って、何もさせてくれなくなった。
この手に皸が出来た時は、「働いてる証拠だ」なんて言ってたくせに。
今では私が草で手を切っただけで慌ててすっ飛んでくる。

そうね。ちょっと前まではそれが当たり前の生活だった。

この国の「お姫様」として大事に育てられてきた。

ここに来て、自分がいかに何もできない女だったかよくわかったわ。

大切に育てられたこと。
私は姫なんだから当然だと思っていた。
下々の民とは違うのだと。

でも何が違ったんだろう?

同じ人間なのに。

ゾロと暮らしてようやくわかってきたと言うのに、この男に気付かれてしまった。


(もう、隠し通せるわけないか・・・)

城に戻る気はさらさらない。
あそこに戻ったら、隣国のアーロンの元へ嫁がされる。

でも、駄目。

城を出る時に交わしたくの一との約束を再び思い出す。



『姫様、逃げるなら今宵しかございませぬ』
『ノジコ、あなたも一緒に行くのでしょう・・・?』
『いいえ、この時勢、女が二人で行く旅は人目につきまする。隣国で戦で家族を亡くしたと言う女がこの国にも多く参っております故、姫様御一人の方がよろしいでしょう。さ、この短刀をお持ちください。姫様とて武家の娘。御身を守る術を心得てらっしゃる。私は城に残り、追っ手を束ねます。さすれば姫の行方が見つかることもございますまい。殿はこの縁談を嫌って姫が城を出たとすぐに悟られる筈、姫がその隣国との国境にいるとは思いますまい。海ではなく山にお逃げください。国の境に町がございます。その町に身を隠すが最善かと。このノジコめも城中が落ち着いた頃に後を追います。隣国は既に戦火に巻きこまれて盗賊、山賊の輩も多いとの事。決して国の境だけは越えませぬよう・・・』


(ここを出た方が良い?)

それとも、やはりノジコをここで待つべきかしら。

城から出て5日も歩きつづけた日々を思い出す。
ノジコの言う町までようやく辿り着いたものの、既に町に触れが回っていて道行く民は私の行方を話し合っていた。
疲れた体に鞭打って、もっと逃げなければという思いに駆られて山中を歩いて行けば、誰も済んでいない小屋を見つけた。
中に入れば干し飯が少し、置いてある。
固くて食べられた物じゃなかったけど、5日ぶりの食事を何とかたいらげてそのまま深い眠りに落ちてしまった。


目が覚めた私をただ面倒なものを見るように扱うこの男は、それでも決して私を卑しめない。
ゾロというこの男。
剣の修行のために山に篭っているなんて言うけど。

年は私と左程離れていないだろうに、この時勢に立身出世に興味がないとは、珍しい男もいたものだ。
粗暴な身のこなしだけど、よくよく見れば無駄な動き一つしない。
きっと名のある剣士なのだろうと思う。

朝から晩まで剣を振る。

その姿はあまりにも流麗で目を奪われてしまう。

その何もない空間に向かって敵を見出し、ただ三本の刀を振るう。

冷たい空気の中、その全身に熱気を纏って。

でもそんな男だからしばらくは私のことも気付かないでくれると思っていた。
彼の頭には修行のことしかないみたいだし。

もう少し、そう、ノジコが来るまでの間、隠し通せると思っていたのに。
何より、この不器用な男との生活に心地良さを覚えていたのに、どうしてこうなってしまうんだろう。



手水の桶を見つめて、ナミはふぅと溜息をついた。
親指と人差指の間にできていた皸は、ゾロのくれた塗り薬も功を奏したのかおおよそ治りかけている。
元の白魚のような、何の苦労も知らない手に。


もう、城には戻らない。
あんな男に嫁がされるくらいならば・・・───

尼寺にでも駆け込んだ方が、よっぽどマシ。


(尼・・・?)


「そうよ!」
ナミは顔を上げて、ぽんっと手を叩いた。

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