その花、手折るなかれ


7




その内に雪が降るのだろう。
灰色の曇り空が天を覆っている。
肌を刺す空気を吸い込めば、鼻の奥がツンと痛くなった。

最近、ナミを見る目が変わってしまった。
あの女もそれに気付いているだろう。
だが、国主の姫様などと大層なご身分の女に自分の世話をさせるわけにも・・・いやいや、滅多にない機会だからしてもらった方が良いのか?

いかんいかん。何を考えてる。
本来ならすぐに城まで連れて行かねばならないと言うのに。
ナミにそれを問い質すこともできず、結局女はまだ我が家にいる。
だが、今宵こそ言おう。
城に帰れと。
雪が積もれば、女の足で城まで行くにはちと辛い季節だ。
早くしなければ。

早くしなければ、あの女が家にいるという空気に馴染んでしまう。


いやいや、そうじゃない。

全く持って、自分の考えるところが不可思議で堪らない。

元来、こんなところにいるべき女じゃないんだ。
御簾の向こうで微かに笑みを漏らす、そういう女なんだ。

あんなに大口開けてケタケタと笑いやがって。

本当にお姫様かよ。

いや、そうじゃなくて。

畜生、ゼフの話を聞いた時にすぐに気付けば良かった。
何という鈍さ。
己の鈍さに思わず舌打ちしてしまう。

考えればすぐに分かったことではないか。
あれだけ上等な衣服を纏って、仕事もできん。
白い肌には傷一つなく、仕草も声も庶民のものとは思えない凛とした空気がある。
どこぞのお姫様と聞けば、すんなり頷ける。


・・・駄目だ。今日も修行に精が出ない。

くそっ。

あんな女がいるから悪ぃんだ。
人の心を乱しやがって・・・───



その時、家の向こう側で女の声が聞こえた。

パタパタとどこかへ駆けて行く足音がする。

「・・・・・?」
不思議に思って、刀を鞘に収めて音がした方へと向かってみれば・・・



「ナ、ナミ・・・ッ!?」
我ながら素っ頓狂な声を出してしまった。

俺に背を向けた女は、その手にずっと隠し持っていたのだろう、白い鞘の短刀を持ち、もう片方の手にはあの光り輝く長い髪の束。
おそるおそる向けた視線の先には肩までの髪。

「テメェ、何して・・・」

この時代、女が肩まで髪を切るということ。
それは尼僧の証。
つまり男の丸坊主と同じ意味を持っていて・・・

「尼にでもなろうってのか・・・?」
気付けば慌てて駆け寄って、その腕を掴んでいた。

細い腕は俺が力を入れればすぐに折れてしまうだろう。

その手に握られた、あの一房の髪。

それは女の背で揺れた時と同じように風に待って艶やかなほどの美しさを未だ湛えている。

「そうよ。尼になるの。初めからこうすれば良かったわ」
ナミが明るい声であっけらかんと言い放った。
「尼って・・・何で・・・」
「何でもいいじゃない。あぁさっぱりした。短いのっていいわね。ちょっと項が寒いけど・・・」
そう言って、ナミは手にした短刀をまた懐に戻して、短くなった髪先をくるっと指に巻きつける。

「どう?似合ってる?」
「似合ってるって、お前・・・」
あんなに綺麗な髪だったのに・・・

ゾロは口にこそ出さないが、彼女のその髪をいたく気に入っていた。
風に流れる様も、ふとした折に肩から落ちるその瞬間も。
その赤毛は暗闇の中でも輝きを放って、彼女がそこにいるのだと主張する。
彼女を思う時、そこにはその髪を風に揺らして笑う女がいた。

「・・・何よ。そんなに似合わない?」
眉を顰めて黙り込んでしまった男に、ナミが口を尖らせた。

似合わない、とかそういう問題ではないと思うのだが。

それにしたって、ここまで短くしなくても良いのに。

惜しむようにゾロがその短くなった髪に触れる。

「何で、こんなこと・・・」

似合う似合わないで言えば、軽やかに風に舞うこの短い髪は明るく笑うナミに至極似合っている。
だが、まるで子供にも思えるその髪型を、この女がすること。
似合う、などと言えるわけがないんだ。

少しだけ手に取ったその髪は、以前のような重みがなく、持った先からゾロの指先をさらりと抜けて行った。

「勿体ねぇな」思わず呟いた言葉に、ナミがくすくすと笑う。
「そんなに短い髪のあんたにそんなこと言われたくないわ」
「俺は男だろうが。テメェは・・・」
「女で、国主ゲンゾウ公の長女ナミ姫様」
「・・・・!?」
「・・・でしょ?」

目を丸くしたゾロに、ナミが悪戯っぽく笑った。

「やっぱりテメェが・・・?」
「お姫様に向かって、テメェって何」
「いや、その・・・あんたが・・・」
「あんたってのも変だと思うけど。ま、いいわ。もう知られちゃったみたいだしね・・・」

ひゅうと風が吹いてナミの顔をその短くなった髪が覆った。

ともすれば、掠れた声が泣いているようにも聞こえてゾロが片眉を上げてその顔を覗き込もうとした時、ナミが顔を上げて嬉しそうに笑った。

「ご飯にしましょ!ゾロが作ってくれるんでしょ?私おなか空いちゃったわ」

あまりにも無邪気な笑顔を前に、ゾロはそれ以上何も言えず、ナミの手にある長髪の名残を一瞥してから「あぁ」と呟いて家の中へと入っていった。

その背をしばし見つめた後、ナミは手に持った髪を吹いた北風に乗せた。

橙に輝いていたその髪を風が浚って行く。

もう、後戻りをする気はない。

過去の自分との決別を胸に、ナミは一つ小さく頷いてゾロの後を追った。


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