その花、手折るなかれ


9




ついに山が雪化粧を纏うようになった。

ナミの話の通り、そこまで雪深くはならない。
だが、飽くまでも冬は冬。

白く染まった世界は、そこに住む者の生活をただ厳しく戒めるのみで、何の恵みももたらさない。

雪が降ってしばらくして、冬のために本格的な買出しをしようと町へ下りてみれば、隣国は北の国との小競り合いでさらに年貢が上がったと聞いた。
アーロンという男、何ともまぁ愚鈍な男のようだ。

隣国ではすぐにでも一揆が起こるだろうと、町民たちの間に実しやかな噂が流れている。
この国境に位置する町にも隣国から逃げてきた民で溢れ返っていた。


「ゾロ、いらっしゃ・・・」
言いかけたチョッパーが目丸くして言葉を留めた。
その視線の先に、ゾロの後ろに隠れるようにして立っていたナミがいる。
「もしかして、ゾロこの人が・・・?」
「あぁ、ま・・・」
剣士は所在なさげに頭をぽりぽりと掻いて、いつものように薬草を渡す。

「じゃあお寺には行ってないのか?へぇ・・・」
「何だ。そのへぇってのは・・・」
「え?!う、ううん・・・噂は本当だったんだと思って・・・」
「何だよ、その噂ってのは・・・」
「山に住む剣士が偉く別嬪な嫁を貰ったって・・・町では噂になってるよ」

おいおい、やめてくれ。

「サンジがゾロを訪ねようとしてたけど、ゼフさんに止められてさ。悔しがってた。後でその人を連れてったらどう?きっと驚くだろうな〜。本当に綺麗な人だね!」

そんなに目尻下げやがって、チョッパー、何が嬉しいんだ。

「でも、夫婦には見えないね。ね、尼さんなの?」

その言葉は少々胸に刺さる。
そう眼前で夫婦に見えないと否定されるってのも癪に障るな。

「そうなの。ゾロに世話になっているだけで・・・」
ようやくナミがその口を開いた。

「そっか。俺はチョッパー!名前は何て言うの?」

ナミ、と言う名前はこんな国境の町の民にも知れ渡っているだろう。
本名を言うわけにもいかねぇだろうに。
そう言えば、ゼフの前でも名乗らなかったな。

「ミナよ。よろしくね」

何と。
なんつー単純な偽名だ。
だが、チョッパーは何ら疑うことなくにこにこ笑ってやがる。

この新参者を何ら疑うことなくチョッパーは「また来てくれよ」と玄関口まで出て手を振っていた。




さて、食糧調達や必要なものを買い揃えれば、いつもなら最後にゼフの店で腹を満たすわけだが・・・

この女を連れて行けば、サンジがうるさいだろう。
ナミには適当に言い訳して、町の外れで待たせることにした。
その間一人でゼフの店へと向かう。
頼めば二人分の握り飯ぐらいは包んでくれるだろう。



「おぅへなちょこ剣士が来やがったな」
いつもの悪態を吐くゼフの傍らには、案の定ドラ息子がいやがった。
「おい、テメェ・・・最近美しいお嬢さんを託ってるらしいじゃねぇか」
いきなり喧嘩腰だな、おい。

ゾロが面倒くさそうに眉を顰めても、サンジはそんな男を気にもせずにわざわざ暖簾の外まで出てきょろきょろと辺りを見渡している。

「・・・?どこだ、そのお嬢さんは?」
「テメェがいるとわかってて連れて来れるか、阿呆」
「何だと?・・・へぇそうか。俺に見せられるほどじゃないってことか。いや、そんなこったろうと思ってたぜ。テメェみたいな朴念仁にいい女が寄ってくるわけがねぇからな」

挑発には乗ってやらん。

サンジを無視して、店の奥にいたゼフに酒と握り飯を頼む。

俺とサンジのやり取りは聞いていたゼフは、にっと口の端を上げて奥へと姿を消した。

「で、テメェは最近何してやがった?」
「クソジジイから聞いてるんだろ?お姫様を探してた。だが、噂じゃ港町の辺りで姿を見かけたらしいしな。こっちにゃ来てねぇらしい。それより、テメェこそそろそろ山賊の連中にやられたと思ってたぜ」
「山賊?」

確かに、この辺りに来た頃はあの山は山賊の根城だったが。
全て蹴散らしたはずだ。
今頃何があるというのか。

「あぁ、隣国の山賊が最近はあの山を通る街道を狙うことがあるらしい」

それだけ、隣国が荒れている、ということだろう。

せいぜいその醜女を守ってやれよ、とサンジが煙管の灰を火鉢に落として揶揄したように笑った。

山賊風情にやられる俺ではない。
守る、というつもりもないが俺といる以上、ナミに危険が及ぶことも考えられない。
あの女、何が楽しいのか一日中俺の修行を傍で見てやがる。
おかげでこっちは迷惑千万だと何度言っても聞きゃしねぇ。
口を開けば「見られているからって集中力がなくなるなんて、それでも剣士?」などと言う。
全くムカッ腹の立つ女だ。

だが何故か。
彼女が春まで俺の家にいるというその言葉に安堵したことを覚えている。
本当に何故かはわからん。
早くあの女に出て行って欲しいと思っていた筈なのに。

などと言ったら、それ以上家に居付いてしまう気がして、口が裂けても言えないのだが。



「それに、テメェがこの辺りにいるって噂も、西国まで知れ渡ってるからな」
ゼフが頼んだ通りの品を持って、奥から出て来るなり言った。
「俺が?」
「テメェと鷹の目の男との決闘の話は天下に知れ渡ってるんだ。敗れたとは言え、テメェの名はあの大剣豪に挑んで紙一重で負けた男として剣士の間じゃ広まってる。その前にも色々やらかしてたらしいな。お前を付け狙う浪人がこれから増えるだろうぜ」

紙一重とは。そんな話になっていたのか。

あの果し合いで残ったものと言えば、胸に残るこの傷跡だけと思っていた。
俺は、あの男に生かされたのだ。
恥。
それ以外の何者でもない。
奴と紙一重だと?
いいや、違う。
遠かった。

天下一の剣豪、それは遠い存在なのだと思い知らされた。

敗者として名が広まって、尚且つ俺の命を狙うと。
ただの阿呆どもだ。

不機嫌そうに舌打ちをして、代金を置いてゾロは何も言わずに店を去った。


不名誉。ああ、不名誉だ。
そんな噂が流れていたとは。

体中に熱い血が滾っていく。

俺ァそんなもんじゃねぇ。いつか絶対にあの男を倒す。



そう心に決めて、ナミの待ついつもの川べりへと歩いて行った。

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